第13話 地下室のジャン=ジャック 2
地下室から戻ると、少し騒ぎになっていた。
私の姿が見えないと探していた女の人と、地下室の見張りをしていた黒騎士が揉めていたのだ。
何故私を地下へと行かせたのか、と。
……私の顔を見た反応も、騎士と隔離されてる人とで全然違ったね。
あくまで見張りのためにいる騎士と、患者として治療あるいは隔離を目的にこの場へ置かれている人間とで真逆の反応を見せた。
黒騎士は、地下から戻ってきた私をまるで病原菌か何かのように扱った。
もしかしたらジャン=ジャックの現在の状況を知っているのかもしれない。
移る病気であることを知っているので、あの状態のジャン=ジャックを見舞った私が自分にも感染を運んでくると思ったのだろう。
壁際まで下がって私から距離をとった。
逆に、患者として隔離区画に収容されている女性はというと、私の顔――相変わらずペストマスクをしているのだが――を見て、安心したのか力いっぱい抱きしめてきた。
……お、おっぱいに殺される……っ! 苦しいっ!
豊満な胸に、ただでさえ息苦しいマスクごと顔を抱きこまれ、ちょっと息が辛い。
息苦しいことを伝えようと抱きついてきた女性の肩を叩こうとして、あげた手についた血を見てそれを止める。
血からも感染すると、私は知っている。
早めに手袋を外して、手を洗った方が良いだろう。
「なんで地下になんて行ったんだいっ!? ジャン=ジャックには近づくなって、騎士様から言われてただろ。アンタまで病気を移されたらどうすんだ!」
耳元でおもいきり怒鳴られてしまった。
胸に圧迫されて息が苦しいのだが、耳まで痛い。
ただ、心配してくれているようなので、もう少しされるままでいても良いかもしれない。
そう思っていたのだが。
……そろそろ……離して……マジで、息が……苦しい……っ。
血のついた手で触るわけにはいかない、とウゴウゴと手を伸ばしたまま身じろぐ。
それで気が付いて離してくれれば良かったのだが、逃げようとしていると思ったのか、ますます拘束が強まった。
……誰か……マスクを……せめてマスクか手袋を……っ!
必死の思いで手を伸ばすと、目が合った気がするジャスパーが手袋を外してくれた。
手袋の下から出てきた私の手は、白い。
どうやら血が染みこんで手を汚した様子はなかった。
……一応、手を洗うまでは
衣服に包まれた女性の背中へ手を回し、とんとんと軽く叩く。
そうすると、ようやく女性からの拘束が緩んだ。
「おっぱいで、死ぬ」
「ああ、ごめんよ」
ジャン=ジャックから病気を移されるより、このまま女性の胸に顔を押し付けられていた方が確実に死ぬ。
病死ではなく、窒息死だ。
私が男であればある意味で男冥利に尽きる死因かもしれないが、残念ながら私にそんな趣味は無い。
息苦しいし、そもそもしゃべり難いので、帽子を取ってマスクを外す。
元々サイズが合わない物を紐で調整して無理やりつけているので、外すのに手間取った。
成人男性の力で縛られた紐の結び目に、幼女の小さな指では歯が立たず、何度か紐を引っかいている間に女性が代わって
私の顔が見えるようになると女性は一瞬だけ泣きそうな顔になり、また怒った顔を作る。
「それで、なんだってジャン=ジャックのトコになんて行ったんだい!? 近づいちゃダメって言われてただろ」
「えっと……」
なんと答えれば、彼女の怒りが収まるのだろうか。
心配してくれているのは判るのだが、少し怖い。
助けを求めて周囲を見渡すと、目のあった別の女性が教えてくれた。
「ロイネは、ついこないだアンタぐらいの子を同じ病気で亡くしてるんだよ」
その一言で理解できた。
同じ病気ということは、ジャン=ジャックが街に持ち込んだ病気だ。
巡り巡って考えれば、ジャン=ジャックに子どもを殺されたと恨んでいるのかもしれない。
「……あのね、ジャン=チャック、誰もお世話しない。気になった、の」
「あんな男、死んで当然だよ。ブリタやラナが死んだのだって、元はと言えばあいつが持ってきた病気のせいじゃないかっ! あんな奴、心配してやることはないよ!」
口にせずとも、隔離区画にいる人間の総意なのかもしれない。
罵倒の混ざるロイネと呼ばれた女性の言葉に、誰も口を挟まなかった。
ブリタやラナという人間を私は知らないが、彼女にとっては友人知人なのだろう。
その死の原因を作ったジャン=ジャックを恨むな、というのは無理なのかもしれない。
口にするたびに怒りへ火がつくのか、興奮していくロイネを宥めるために背中をさする。
「聞いて。ジャン=チャック、どうか知らない。気になった。だから、見にいった、だけ」
本日三度目になるのだが、ジャン=ジャックを見舞った理由を話す。
誰も触れない、自分で確認できない。
だからこそ気になったのだ、と。
自分の目で確かめてみたかったのだ、と。
「じゃあ、もう諦めもついただろ。酷い状態だって、騎士も寄り付かないような状態なんだろ?」
「酷かった。血がいっぱい、あちこち
でも、と言葉を区切り、じっとロイネの目を見つめる。
「まだ元気。まだ、生きてる。まだ、諦めて、ない」
スッと顔から感情が消え、細められたロイネの目が怖い。
あまりの恐怖に、手にしていたペストマスクをロイネの顔に押し付ける。
「わふっ!? ちょっと……っ!?」
「目、怖い」
手を咄嗟に払われそうになったが、つい
私と同じ年頃の子を亡くしたと聞いたので、その子どもに言われた気がしたのかもしれない。
お母さん、目が怖い、と。
「ジャン=チャック、病気、持ち帰る。それ、悪いこと。でも、ジャン=チャック、わざと違う」
わざと病気を持ち帰るのなら、自分まで感染しているのはおかしい。
死ぬと判っている病気なのだ。
自ら死ぬ覚悟でもない限り、自分を感染源として病気を持ち帰るわけがない。
「わざとじゃないから許してやれってのかい!? あたしの子が死んだのは、あいつにばかり薬が配られたせいでもあるのに!」
ロイネの子どもは、初期症状が出始めた頃にここへ隔離されたらしい。
初期症状と判っていれば、薬で治すことができた。
ただ、薬の数が足りない当時は、薬は黒騎士にだけ配られた。
ジャン=ジャックはその筆頭だ。
王都からの指示で、すでに初期症状など過ぎていたジャン=ジャックに薬が与えられ、ロイネの子どもは治る可能性があったのに薬を与えられなかった。
そして死んでしまったのだ。
「……許す、許さない、関係、ないよ」
そんな話をしているつもりはない。
ロイネの恨みも、ジャン=ジャックの持ち帰ってしまったものも、すでにただの結果でしかない。
悲しい気持ちも、怒りたい気持ちも理解はできるが、今はそこで足踏みをしている場合ではないのだ。
「ジャン=チャックのお世話、誰もしない。それ、他の人、ジャン=チャックみたい、なったら、誰もお世話、しないこと」
スムーズに話せないのがもどかしい。
伝えたいことが、ちゃんと伝わるのかが判らない。
「ジャン=チャック、地下室なの、悪いコトした、違う」
ジャン=ジャックが地下室にいるのは、病気を街へ持ち込んだからではない。
うめき声がうるさいのもあるが、重症化した症状があまりにも酷く、同じ病で隔離した者に苦しむ姿を見せることが良い影響を与えるはずがないからだ。
嫌な言い方をすれば、普通はジャン=ジャックほど重症化する前に死ぬ。
これまでは、それでも良かったかもしれない。
ジャン=ジャックほどまで重症化する者など、薬が足りなかったせいで現れなかったのだ。
けれど、これからは違う。
新しく薬が届き始めた今、ジャン=ジャックのように重症化してもまだ生きている可能性のある者が必ず出てくる。
明日は我が身、と言うものだ。
「ジャン=チャックのお世話する、こと、いつか、自分のお世話、すること?」
うまく言葉にできないのが歯がゆい。
今のジャン=ジャックを見捨てるということは、自分が重症化した時にはなんらかの理由をこじつけられて見捨てられるということだ。
そうさせないためには、見捨てないという体制を作り、最後までそれを貫くしかない。
私のつたない言葉を、懸命に考えてくれたのだろう。
ロイネは少しだけ落ち着いた様子でつぶやいた。
「……あたしがあんな風になっても、あんたはお見舞いにきてくれる?」
「行くよ」
今の私にはたいした世話はできないが。
見舞いに行くぐらいなら、言い切ることができる。
「ジャン=チャック、みんなと同じ。お世話して、綺麗にして、病気治す」
私は騒ぎに気が付いたアルフに連行されたので、そのあとどんな話し合いが行われたのかは判らない。
ただ、これまでは黒騎士以外からは故意に放置されていたジャン=ジャックへの世話が行われるようになったのは確かだ。
病が移るのでは、としり込みする男たちをロイネが叱り飛ばして動かし、ジャン=ジャックを風呂に入れ、包帯を取替え、血で汚れたベッドも清掃した、とジャスパーが教えてくれた。
あの地下室へ人が行き来するようになると、ジャン=ジャックも
風呂の入れ方が乱暴だ、などと文句を言っては、世話をしてくれた人を怒らせ、そのくせ去り際には小さく礼を言うのだと、ロイネが笑っているらしい。
ジャン=ジャックの世話をした方がいい、と言い出した私がその間何をしていたかと言うと。
……
懲罰房と言っても軽い罪を犯した者や、規律違反を犯した黒騎士を反省させるために一時的に入れておく部屋らしい。
床はあるし、鉄格子はないし、トイレに行きたいと言えば外へも出してもらえるので、不自由はない。
ただ一つ難点があるとすれば、暇を見つけてはアルフが説教をしに来ることぐらいだろうか。
……正しくは、忙しいアルフさんが時間を見つけて一つのことに対するお説教を聞かせてくれているだけなんだけどね。
正直、一度で済ませてほしいのだが、そうもいかない。
アルフの聞かせたい説教の量と、説教に割ける時間がつりあっていないのだ。
……そんなに怒んなくてもいいじゃん。や、言いつけを破った私が悪いんだけどね。
地下室に近づいてはいけない、という言いつけを破ったのだから、アルフが怒るのも仕方が無い。
懲罰と言っても、受けている罰はお説教と館に帰れないぐらいだ。
館に帰れないのは感染を警戒してのことなので、これもやはり仕方が無いと思っている。
どうせ閉じ込められるなら隔離区画で手伝いをした方が良いと思うのだが、一度そう主張したら椅子に縛り付けられたので余計なことは言わないことにした。
病の潜伏期間が過ぎると、ようやく懲罰房から出ることを許される。
さすがにこれだけ長い間館へ帰らないとレオナルドが何か言ってくるかと思ったが、特に何もない。
もしかしなくとも、私の不在になんて気が付いていないのかもしれない。
せっかく自由になれたのだから、と再び隔離区画の手伝いに行こうとしたら、アルフに怒られた。
言いつけを破った私は、もう隔離区画に近づいてはいけないらしい。
でもジャン=ジャックのことは私が言い出したことなので、と様子を見たいことを伝えると、しぶしぶながら許可をだしてくれた。
七日ぶりに来た隔離区画は、少し人が減っていた。
一階にいた黒騎士ならば回復したのだろうと思えるのだが、ロイネは二階のベッドで猛烈な痒みと戦っている。
そろそろまた高熱を出す時期だと、ジャスパーが教えてくれた。
元から二階と三階にいた住人は、三割ぐらいの顔が見えない。
ジャン=ジャックの様子を見に行こうとすると、以前のような重装備は求められなかった。
清潔さを保つことで、多少回復傾向を見せ始めたらしい。
一応近づかないように、と釘を刺され、地下のジャン=ジャックを見舞う。
ちょうど風呂の世話をされていたようで、痒い痒いと怒鳴る声が聞こえた。
「ジャン=チャック、痒い、
顔だけ覗かせて入浴中のジャン=ジャックを見ると、目の合ったジャン=ジャックがこちらをおもいきり指差してきた。
「ああっ! テメェ……っ、ティナっこ!! やっと来やがったな!」
「ティナっこ、誰。わたし、そんな名前、違う」
「うるせー! おまえがジャン=チャック、ジャン=チャック言うせいで、俺の名前がジャン=チャックになっちまったじゃねーか!」
「ジャン=チャック、問題ない」
「俺はジャン=ジャック様だ!」
叫ぶ元気があるようなので、ジャン=ジャックはもう大丈夫なのだろう。
二度目の高熱の期間はすでに過ぎている。
あとはジャン=ジャックの体力次第だ。
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