閑話:レオナルド視点 恩人の娘 7

 隔離区画からの報告書に、ちらほらと『回復』という単語が混ざるようになってきた。

 これまではジャン=ジャックと初期症状の黒騎士にしか配られなかった薬が、民にも配られるようになった成果だろう。

 このところの懸念事項であったため、素直に嬉しい。

 このまま良い方向へ進んでくれることを祈る。


「……嬉しそうだな」


 書類の束を抱えたアルフが、後ろ手に扉を閉めながら執務室へと入ってきた。

 書類運びなど本来はアルフの仕事ではないのだが、物のついでとどこかで引き受けてきたのだろう。

 少し前までは夜は館へ帰れ、とうるさく注意されたのだが、ここ一週間ほどはそれも聞いていない。

 アルフ自身忙しく、ティナに気を配ることができないのだろう。

 否、本来は俺がするべきことなのだが。


 ……忙しいなら無理に帰ってくるな、とティナにも言われたしな。


 俺としては無理にでも帰ってやりたいのだが、ティナが帰ってくるなと言うのだから、仕事が終わるまでは帰れない。

 十歳にも満たない妹に気を遣わせているのは判るのだが、それが有難くもある。


 ……ちっとも寂しがらないのが可愛くないとか、泣きついて来るまで帰らんぞ、とかは思っていない。断じていない。


 最初のうちはバルトあたりが夜にでも呼びに来ないかと思ってはいたが。

 二日経っても、三日経っても、ティナが寂しがっているので帰って来てほしい、とは求められなかった。

 ティナは本当に一人で我慢できているのだろう。


 ……砦が落ち着いたら、いっぱい甘やかせてやるか。


 そう心に誓っていると、今日も机の上にアルフの持ってきた書類が積み上げられた。


「こっちはおまえの判を押すだけの書類、この山は目を通しておけ、これは明後日までに頭に叩き込んでおくように」


 いくつかの山が執務机に作られる。

 この一週間ほど、こんな感じで仕事が片付きそうになる度にアルフが新たな山を運んできていた。


「……今日もティナに会えそうにないな」


 恨みがましくアルフを見上げる。

 仕事から逃れられないのは解っているが、こうも仕事が片付きそうな頃合を狙ったかのように新たな書類を運ばれ続ければ、アルフを恨みたくもなった。


「そう言えば、ここしばらくおまえはずっと机に縛り付けられていたな。砦の中を見回りするぐらいの暇はあるだろ。ついでにティナの様子を見て来てもいいぞ」


「館の裏門は緊急時以外使用禁止だ。ついでで行けるような距離じゃない」


「砦の見回りついでに隔離区画へ顔を出すぐらい別にいいだろ」


「隔離区画に行ったところで、ティナの顔は……」


 そこまで言って、ふと気が付く。

 ここしばらく館に帰っていないのは、仕事が片付かないせいでもあるが、帰宅を考える頃合になるとアルフが新たな書類を持ってきては執務机へと積み上げたせいである。

 そのアルフは、以前は頻繁に館へ帰るようにと言っていたが、この一週間ほどそれがない。

 綺麗さっぱり「ティナの待っている館へ帰れ」と苦言を口にしなくなった。


「……アルフ、ティナは今、どこにいるんだ?」


 まさか、と思い聞いてみた。

 問われたアルフはと言うと、憎らしい程の澄ました顔で微笑む。


「隔離区画から出られる人間が増えてきて良かったな」


「それとティナにどう関係があるんだ」


 つい先ほどアルフが「嬉しそうだな」と言った要因である。

 これまでは初期に薬を与えられた黒騎士だけが隔離区画から出てこられたのだが、民の中にも回復する者が現れはじめた。

 これを喜ばないわけがない。

 が、それとティナとはまったく別の話だ。


「……看病が丁寧になった成果もあると思うぞ」


「看病? そういえば、一度感染して回復した人間は二度と感染しない、とセドヴァラ教会の報告にあったな。それで回復した騎士を看護に使いたいとジャスパーから申請が出ていたが……効果はあったのか」


「そのようだな。清掃を徹底して毎日シーツを取り替えるようにしたところ、多少は悪化や他への感染が抑えられるようになってきている」


「アルフ」


 名を呼んで、どんどん逸れていく話題を引き止める。

 今聞きたいことは、隔離区画に押し込められた感染者たちの回復過程ではない。


「ティナの話をしているはずだよな?」


「ティナの話をしているな」


 アルフの貼り付けられた笑顔が憎らしい。

 知っていて、わざと何かを隠している。

 そして、それに俺が気づくのを待っている時の顔だ。


「ティナは、今、どこにいる?」


 少しだけ語調を強め、改めて聞く。

 子どもどころか大人でも泣いて逃げ出すと評判の怒り顔になっている自覚はあるのだが、そんな俺に対してアルフはこともなげに答えた。


「一週間前から砦に泊り込みで、もっと前から隔離区画で患者の世話をし――」


「ワーズ病で滅びた村の生き残りに、そのワーズ病患者の世話をさせたのかっ!?」


 カッとなって執務机を殴りつける。

 アルフに、それがティナの傷口に塩を塗るような行為だと、解らないはずがない。

 怒りを込めて睨みつけると、アルフの目が細められる。

 先ほどまで浮かべられていた作り笑いが、冷笑に変わった。


「ティナを放置していたおまえが言うな」


 正論である。

 仕事にかまけ、ティナが「無理に帰ってこなくて良い」と言ったからと言い訳し、もう半月以上ティナを放置している。

 オレリアの家に置いて来た期間を入れれば、ひと月以上放置しているも同然だ。

 あの年頃の子どもにしてみれば、一日一日の濃度は大人とは比べ物にならないほど濃いとも聞く。

 その多感な時期に、ひと月以上も俺はティナを放置しているのだ。

 保護者として失格なんてモノではない。


「子どもを引き取るだけなら簡単だが、保護者として子どもを育てていくのは簡単じゃない。すでに持て余し気味で、今の今までいるはずの館にいないことにも気づいていなかっただろう」


 おまえにティナを育てることは無理だ、と言うアルフの正論に、返す言葉が見つからなかった。







 隔離区画へと一歩足を踏み入れる。

 これまでは上からの指示を律儀に守って避けていたのだが、回復傾向を見せはじめた今なら俺が入っても大丈夫だろう。

 元々黒騎士には薬が与えられることになっている。

 万が一に俺が感染したとしても、それほど大きな問題にはならないはずだ。


 首を巡らせて区画を見渡すと、報告にあったように感染を疑われて収容された民と感染から回復した黒騎士が掃除をしていた。

 いったい誰の指示によるものか、普段の清掃よりも隅々まで手が入れられている。


「……ティナがいるはずなんだが」


「ティナちゃんなら、洗い場でシーツを洗っています」


 いつの間にか『ティナちゃん』と親しみを込めて呼ばれているらしい。

 黒騎士全員に「俺の妹だ」と紹介したわけではないが、少なくとも隔離区画へ詰めている黒騎士はそれを知らないはずだ。

 俺の妹だと知られていなくとも、ティナは黒騎士から『ティナちゃん』と呼ばれ、可愛がられていた。

 それがなんとなく不思議な気分だ。


「……あの、団長。ティナちゃんが何かしましたか? たまに悪戯とかしますが、本当はいい子なんです。あんまり叱らないでやってください。この間も地下室に入り込んで副団長に懲罰房に入れられたらしいんですけど……」


「懲罰房……?」


 もう、どこから突っ込んだらいいのか判らない。

 ティナが悪戯は……する。

 俺の分のサンドイッチを食べてしまったり、指を噛んできたり、足を踏んだりと、思い返せば結構いろいろやられている。


 地下室といえば、重症化したジャン=ジャックがあまりにも酷い惨状だったので、他の患者に見せない方が良いかと移動させた先だ。

 痒い痒いとその辺を掻き毟って感染源となりえる血を撒き散らす、という意味でも地下へ移した。


 そして懲罰房といえば、基本的には罪を犯した者を入れておく部屋だ。

 そこへアルフがティナを入れた、ということらしい。


 ……なるほど。懲罰房へ『一週間泊り込み』をしたわけか。


 しかし、一週間もティナが帰らないというのに、バルトとタビサは何をしていたのか。

 たとえアルフの元にいるとわかっていたとしても、一応はティナの保護者である俺に連絡するべきではないのか。


 ……いや、保護者らしいことが何も出来ていないからこそ、バルトたちもアルフの言うままにしたのだろう。


 アルフのことだから、俺が放置しているので自分がしばらく預かる、とでも言い含めたに違いない。

 他者から見た保護者としての信用度の差が、如実に現れている。


「ティナは洗い場だったな」


「はい」


 案内を断って洗い場へと向かうと、近づくにつれて女たちの陽気な歌声が聞こえてきた。

 よくよく耳を澄ませると、ティナのたどたどしい声も混ざっている。


 ……ティナが歌っている? 初めて聞いたぞ。


 歌っていてもやはり舌が回らないようで、時折『にゃ』や『にょ』が混ざった。

 子どもらしい可愛い歌声なのだが。


 ……歌詞に難があり過ぎる。今すぐに止めさせなければっ!


 よくよく考えれば、この隔離区画にいる女性の主な職業は娼婦である。

 当然、口から出てくる言葉がティナの教育に良いはずもなく、意味が解って歌っているはずはないのだが、早急に止めなければティナの父親に顔向けができない。

 それほどまでに下ネタと隠語と艶事の混ざった歌詞だった。


「ティナっ!」


 洗い場へと続く扉を開けて声をかける。

 中から聞こえていた楽しげな歌声がピタリと止んだ。

 名を呼ばれたティナはというと飛び上がって驚き、そろりそろりとこちらを振り返る。


「ティ……」


「ぎゃわぁあああぁあああぁあああっ!?」


 久しぶりの再会に喜ぶかと思ったティナは、目が合った瞬間にシーツの踏み洗いをしていたたらいをひっくり返して逃げ出した。

 一目散に駆け出して、外へと続くドアにへばりつく。

 一応は隔離区画なので外に立っている黒騎士がけなければひらかない扉なのだが、ティナはバンバンと扉を叩いて泣き叫び始めた。


「開けてーっ! お願い、開けてーっ!! 出して、出してよぉおおおおっ!」


 あまりにも悲痛な叫び声すぎて、ショックだった。

 たしかにしばらく会ってはいなかったが、ティナにここまで拒絶されたのは初めてだ。

 放置しすぎて完全に嫌われたのだろうか。


「ティ、ティナ? 何をそんなに……」


「ぎゃあああああああああっ!! 助けて、アルフさーんっ!?」


 ティナの中で咄嗟に助けを求める人間は、俺ではなくアルフらしい。

 ますますショックで、とにかく話を聞いてみようと一歩近づくと、ティナは扉を背にビシッと張り付いた。


「ティナ、とりあえず話を――」


「うちの子に何すんだいっ!?」


 横合いから女性の罵声が聞こえてきたのと、盥の水を頭からぶちまけられたのは同時だった。

 石鹸混じりの水の洗礼を浴び、濡れたシーツが体に絡みつく。

 止めとばかりに盥が頭上に落とされ、我が頭ながら良い音が響いた。


「ティナちゃんおいで! 逃げるよ」


「ぁいっ!」


 盥から頭を出し、体に纏わり付くシーツを引き剥がしていると、女に抱きかかえられるところだったティナとばっちり目が合った。

 ティナは青い目を瞬かせると、逃走体勢にあった動きを止める。

 口をポカーンと開いたと思ったら、やがて理解の色が顔に浮かんだ。


「……あ、レオにゃルドさん」


 ポツリとつぶやかれた声に、ティナが恐慌を起こして逃げ出そうとした理由がわかった。

 髪型だ。

 ティナは前髪をうしろに流した髪型が嫌いらしく、この髪型の時は泣かれたり、一瞬誰か判らなかったりする。

 それで盥の水を被った俺が誰か判ったのだろう。

 ティナはばつの悪そうな顔をして、自分を抱き上げて逃げる体勢の女の腕をぺちぺちと叩いた。

 洗濯中に乱入してきた男は自分の知り合いだと。

 不審者ではないから、逃げる必要はないと。

 そうティナに説明されねばならない自分が、少しだけ悲しかった。







「かゆいところ、ござりましぇんか?」


 おもいきり俺の顔を忘れて逃げ出したことからの罪滅ぼしなのだろう。

 隔離区画へ出入りする黒騎士のための風呂で、ティナが髪を洗ってくれると言い出した。

 オレリアの家でも一度だけ洗って貰ったが、この小さな指で隅々まで洗ってくれるのは気持ちが良い。

 たまにこうして洗ってくれたら嬉しいのだが、一緒に風呂へ入るのを嫌がることを思えば、これはやはりお詫びであったりゴマ擂りであったりと、特別な時にしかしてくれないのであろう。


「オレリアさんの薬、すごいね。しょき症状のしとはどんどん治ってりゅ」


「初期症状の人、な。どうしたティナ? 今日は結構しゃべるな」


 これまでは寝言と怒った時ぐらいしか聞いたことが無い長文を、ティナがしゃべっている。

 いつもはしゃべったとしても片言でしか話さないのに、だ。

 不思議に思って聞いてみたら、隔離区画ここに来てから流暢に話せないせいで不自由を感じることが何度もあったらしい。

 それで反省をしたのだとか。

 今は先ほど中断させた歌のように、ここの住人から童謡などを習い、歌いながらしゃべる練習をしている、とティナは少し照れくさそうに言った。


 ……子どもは放っておいても、勝手に成長していくんだな。


 ホッとした反面、やはり今のままティナを放置していてはダメだと思う。

 童謡でしゃべる練習をするのは良いが、先ほどのような歌は保護者として看過できない。


「ここのお手伝いは楽しいか?」


「楽しいはへんらけろ、一人でおりゅす番してるより、ずっといいれす」


 話し相手がいて、黒騎士や娼婦は様々なことを教えてくれる。

 手伝い程度の仕事しかできないが、自分にもやれることがあるのは嬉しい。

 そう言ってティナは笑う。

 いつもよりおしゃべりに、ティナが少しだけ誇らしげなのが微笑ましい。

 微笑ましいのだが。


 ……館に帰れ、と言いに来たんだけどな。


 ティナの笑顔に、非常に言い出し難くなった。

 保護者としては、回復傾向を見せはじめたとはいえ、伝染病の蔓延した隔離区画になど妹を置いておきたくはない。

 しかも、その病気はティナから両親を奪った病と同じものだ。

 あまり両親のことを話さないティナだが、まるで気にしていないということは無いはずである。


 ……言い出し難い。


 なんと言ったものか、とそっとため息をもらす。

 言葉が見つからないまま、髪を洗うティナのされるがままにしていると、「お仕事でお疲れ様れすか?」と心配されてしまった。


「名ばかりの保護者だな、俺は。ティナのために何もできていない」


「レオにゃルドさんはお仕事れいそがしいれすから、仕方がなひですよ」


 ……仕事を理由に放置して、放置された側の妹にそれを慰められるとか……情けなさすぎる。


 情けないとは思うのだが、俺の身を案じてくれる家族がいるというのが少しむず痒い。

 家族など、遠い昔に失ったものだ。

 恩人の娘という預かり物ではあるが、俺にもう一度家族ができるとは思わなかった。


「……あれ? でも、隔離区画のようしゅを見に来たってころは、お仕事ひとくぎりしたんれすか?」


「いや、この街ではやっと回復する者が出始めたぐらいで、街の外では感染者はまだ増えている」


 しばらくは落ち着きそうにない。

 そして仕事が落ち着かないということは、ティナの生活を整えてやることも出来ないということだ。


 ……女の子らしい教育をしてくれる家庭教師は必要だが、勉強はメンヒシュミ教会だな。


 友人知人が黒騎士や娼婦といった大人ばかり、というのも問題があるだろう。

 同年代の友人の存在は、ティナの成長にきっと良い影響を与えてくれる。


「じゃあ、まだしばらく隔離区画れお手伝いしててもいいれすか?」


 そう可愛らしく首を傾げて聞いてくるティナに、「ダメだ」とは言えなかった。

 それから気がつく。

 否、思いだした。

 ティナが俺の髪を洗うと言い出した時に思ったことを。

 ティナが髪を洗ってくれるのは、『お詫び』や『ゴマ擂り』だと思ったはずだ。

 ティナが珍しくも髪を洗ってあげると言い始めた時、既に勝敗は決していたのだろう。


 ……ティナはおねだり上手かもしれない。


 後日、アルフにそう言ってみたところ、「おまえがティナに甘いだけだ」とキッパリ切り捨てられてしまった。

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