閑話:レオナルド視点 恩人の娘 5
ティナをトイレまで案内しようとしたのだが、丁重にお断りされてしまった。
このティナの『丁重なお断り』というやつは、実は怒りの表現なのかもしれない。
言葉遣いは丁寧なのだが、声の抑揚の一切が排除されていて冷たく心に突き刺さる。
……まあ、もしかして怒っているのか? と気づいたのは、ティナに足を踏まれたからだけどな。
頑強な軍靴対布の巻かれただけの幼女の足なので、痛くもなんともなかったどころか、今なにかあたったか? ぐらいの感触でしかなかったのだが。
あれ? なんのダメージもない? といった顔でティナが首を傾げていたので、故意であることは確かだ。
そういえば、オレリアの家では風呂に乱入して俺を恥ずかしがらせてやろう、と髪を洗いに来てくれた。
見られて恥じるような貧相な体はしていないので、ティナの逆襲は不発に終わったが。
……これも良い傾向、だよな?
少なくとも、ティナが自分の感情を俺に伝えようとはしてくれている。
あとはそれに俺がちゃんと気づけるかどうか、だ。
トイレへと向かうティナを見送り、ついでに通りかかった黒騎士を捕まえて軽食を注文する。
執務室へと軽食が届くのとほぼ同時に、ティナがトイレから戻ってきた。
少し時間がかかった気がするが、廊下で迷ったか、歩幅のせいだろう。
扉の影から顔を出したティナは恥ずかしそうに「ただいま」と言った。
何故このタイミングで「ただいま」なのかは解らなかったが、
自分は人形ではない、と言われてしまったので、ティナの椅子を俺の椅子と向き合うように移動した。
また膝に乗せようとして嫌がられたら、立ち直れる気がしない。
椅子にティナを座らせて、皿ごとサンドイッチを差し出す。
柔らかいパンが珍しいのか、指でしばらく感触を楽しんだあと、ティナは小さな手でサンドイッチを掴んで食べ始めた。
ティナが食べやすいように、と特別にパンを小さく切らせたが、正解だったようだ。
小さな口でもぐもぐと、具を落とさないように時折首を傾げてはサンドイッチを
……
サイズを測るために持った足も、驚くほど小さかった。
男と女、大人と子どもと、違いがあって当然なのだが、砦で毎日のように見ている人間が屈強な黒騎士ばかりなので余計にそう感じるのかもしれない。
……俺が八つの頃なんて、じっと食事なんてしなかったぞ。
兄妹で取り合いながら掻きこむように食事をし、食べ終わったらすぐに遊びへと家を飛び出していた。
妹は自分より一つ下だったので今のティナよりも幼かったはずだが、小さいからと言っておとなしいということはなかった。
俺と同じように暴れまわり、時には男の子を泣かすこともあったほどのお転婆だった気がする。
……ってことは、ティナがおとなしいのはサロモン様の躾けか。
もしくは元からの性格だろうと考えて、すぐにそれを否定する。
一緒に風呂へ入るのを嫌がった時は暴れたし、さっきだって俺の足を踏んで抗議の意思を示す、という行動を起こしている。
ティナがおとなしいのは性格ではなく――
……
珍しく自分の意見を口にすると思えば、続く言葉は俺の都合を考えたものである場合がある。
魔女の弟子になった方がいいか、とオレリアの家で言い出したのも、元を正せば『孤児など引き取らない方が、俺が楽である』というティナの考えからだ。
自分の気持ちは後回しにして、周囲の大人の都合に合わせている、と考えた方が良いだろう。
なにしろティナは「おとなしく待っていろ」と言えば、トイレも空腹も我慢して口を閉ざしてしまう子どもなのだ。
ありえない話ではない。
「……ティナの部屋も用意しないとな」
パンくずを落とさないよう上手にサンドイッチを食べるティナを観察しながら、今後のことを考える。
まず真っ先に浮かんだのは、ティナを住まわせる部屋についてだった。
ティナの使う部屋について考えていると、じわじわと実感が湧いてくる。
ティナは今日から同じ家に住む、俺の新しい家族だ。
グルノール砦の主に与えられている城主の館は、主の家族も共に住めるように、とかなり広く作られている。
親のいない独り身なので、これまではほとんと館に帰らない生活を送っていた。
寝る場所として国から砦の主に与えられている館ではあるが、砦には執務室の横に仮眠室がある。
とくに館へ帰らなくとも、生活に不便はなかったのだ。
……とりあえず、すぐに使える部屋は客間だな。
無駄に多い部屋は余りまくっているが、すぐに使える部屋は客間だけだ。
管理人がいるので埃が溜まっている、ということはないはずだが、今日から使いたいとなるとそれなりの整備が必要になる。
……ティナの世話に、人を増やすか? 子どもの世話となると、
乳母と考えれば必要のない年齢だが、躾けや世話をする者、と考えれば子守女中が必要だろう。
俺に妻や恋人でもいれば、ティナの躾けについても相談できたのだが。
……人を増やすのなら、バルトに相談も必要だな。
バルトとタビサは長く二人で館の管理をしているので、今さら
増やすとしても、余程二人と気の合う者でなければならない。
館については、あの二人の方が主である俺よりも把握している。
砦の主の居城という性質上、主がコロコロと変わるあの館が問題なく維持されているのは、あの二人のおかげでもあった。
……今まではあの二人だけで問題がなかったんだが。
主がほとんど帰らない館なので、壮年の夫婦二人でなんとか切り盛りできていた。
力仕事など人手が必要な時はその都度黒騎士を使ったり、外から人を雇い入れたりと用意することで問題なくやってこられていたのだ。
……ティナの部屋はどこにするか。
主の部屋のある二階はもとより、家族のために用意されている三階は丸々空いている。
どうせ部屋は空いているのだから、と一番いい部屋を考えた。
……三階の一番日当たりが良い部屋にするか。
主の部屋の次に良い部屋である。
普通に考えるのなら、自分の妻の部屋として与えられるべき部屋だ。
……まあ、嫁を貰う予定はないし、ティナの部屋にして問題ないだろう。
そう当たりをつけて、三階の東部屋を思いだす。
館の鍵を預かった日に一度見たきりの部屋だったが、たしか明るい青緑の壁紙が張られた部屋だったはずだ。
……さわやかな色合いではあったが、子ども部屋としては寒々しい気がするな。
では暖色系の壁紙に替えるかと考えて、ティナの好きな色にした方が良いと思い直す。
子どもなど育てたことはないし、女児の世話ともなれば風呂やトイレを嫌がられたように、男である俺には言えないこともあるだろう、と先ほど反省したばかりだ。
俺が一人で全てを決めてしまっては、ティナの意思を確認できない。
……そういえば、まだティナの好きな色も知らないな。
今さらながらに気が付き、改めてティナを見つめる。
身に付けている物に好きな色のヒントはないものだろうか、と思ったのだが、よく考えたらティナが今身に付けている物はすべて中古品で、自分が黒騎士に指示を出して身長と年齢から適当に集めさせたものだ。
集めた中にも好みがあるだろう、と思い返してみるが、ティナは中古服の中から体格に合うものを選んで着ていただけだ。
特に服装への好みらしいものは無かった気がする。
唯一俺が与えた以外の物があるとしたら、ティナの髪に結ばれたリボンだ。
しかし、これもオレリアがティナの髪を編みこむ際にどこからか持って来たリボンで髪を止めていたので、ティナの好みは入っていない。
……知らないことだらけだな、ティナの兄貴になるのに。
やはり相談すべきことは沢山あると結論づけていると、サンドイッチの最後の一欠けらを食べ終わったティナが口を開いた。
「ジャン=チャックさん、感染、なんでかわかった?」
病で両親を失ったティナの耳には入れたくはない話題なのだが、気になっていたらしい。
ジャン=ジャックの容態と伝染病の広がり具合を聞かれ、さわりがない範囲で答えてやる。
下手に隠すよりは、ちゃんと話してやった方が良い。
そう考えてワーズ病についてを簡単に説明し、現在のジャン=ジャックと砦の様子を話す。
ティナと話していると、ティナの視点は俺とは少し違うことに気がついた。
俺は薬を区別なく民にも配りたい。
回復の見込みのないジャン=ジャックに配るより、回復する可能性のある民に薬を与えたい。
そう考えているのだが、ティナは薬の数や配布方法などまるで関心がないようだった。
……ティナは感染者を隔離して封じ込めるより、感染源を突き止めようとしているんだな。
感染を持ち帰った犯人探しをして加害者をいたぶることよりも、起こってしまったことは仕方がないと淡々と大元を見つけ出そうとしている。
「ジャン=チャックさん、村を焼く時、何かした?」
俺とティナの目の届かない場所で、ジャン=ジャックが村で何かを行い、病に感染したのだろう。
そう考えるのなら、村を焼き払いに行った時に感染したとしか思えない。
その時俺たち二人は既にワイヤック谷に引きこもっており、ジャン=ジャックの動向など見張ることはできなかった。
しきりにジャン=ジャックは何をしたのかと気にするティナに、それを問い質したくてもジャン=ジャックは会話をできる状態にはない、と説明する。
隔離した区画にティナを入れるわけにはいかないし、そもそも四六時中猛烈な痒みと戦っているジャン=ジャックとはまともな会話ができない。
……そういえば、アルフが与えた休暇は一日だと言っていたが、それにしては広がり方が派手だな。
休暇をとったジャン=ジャックは娼館に行き、酒場に行き、食堂で騒ぎ、場所を変えてまた酒を飲んだと報告書にはあった。
その際に、行動を共にしていた友人や知人の支払いも持つなどという豪遊をしていたらしい、
……ジャン=ジャックのその金はどこから出てきたんだ?
ジャン=ジャックは金の使い方が荒い。
稼ぎはあるはずなのだが、常に誰かしらから借金をしているような男だ。
とてもではないが、豪遊などする金があったとは思えない。
ジャン=ジャックの感染が発覚した時、まず真っ先に人が大勢集まる場所を警戒した。
馴染みの娼婦がいる娼館と食堂、酒場がそれだ。
しかし、生活をする上でならば、当然他の場所にもジャン=ジャックは寄っているはずである。
……何か、見落としがある気がするな?
ジャン=ジャックの普段の行動から、当時の行動を洗いなおす。
どう考えても、金の出所が思い浮かばなかった。
「団長、館からブラウニー夫妻が来ていますが……」
ノックの音に、思考が中断させられる。
ブラウニー夫妻といえば、ティナの迎えとして俺が呼んだ二人だ。
黒騎士の案内で執務室へと入って来たタビサに、小さな箱を手渡される。
箱の中には赤い靴が入っていた。
ティナの足のサイズを測って、砦に来る前に買いに行かせた物だ。
早速ティナに赤い靴を渡すと、ティナは座り込んで靴を履こうとする。
立ったままでは靴を履けないのか、と少し驚いた。
ティナが床に座り込むより先に、タビサが膝をついてティナに靴を履かせる。
……赤にして良かった。
似合っている、と靴を履いて満足げに
赤い靴も結局は俺の好みであり、ティナの好みではなかった。
砦から出て行くティナを見送ったあと、黙々と仕事を再開した。
早く妹を構いたい気はするが、ティナのことは夫妻に任せたので大丈夫だ。
少なくとも、俺が世話をするよりも甲斐甲斐しく世話をやいてくれるだろう。
「……あれ? なんでまだいるんだ?」
「なんでって、書類が片付かないからだろう……」
夜が更けても仕事が片付かないのはお互い様なのだが。
休暇と称してティナを迎えに行かされたアルフは、砦に戻って早々に仕事に復帰していた。
本当にただ『ティナを迎えに行かされた』だけで、休暇ではない。
いつか埋め合わせが必要だな、とは思うのだが、それほど気を悪くしているように見えないのは、建て前を盾にオレリアの様子が見てこられたからだろう。
オレリアとは赤ん坊の頃から付き合いがあるらしく、アルフは彼女を敬愛していた。
何度も命を救われたことがあるのだ、と言って。
「ティナが家で待ってるぞ。早く帰れ」
「バルトとタビサに任せたから、大丈夫だろう」
おそらくは呆れ顔をしているだろうアルフに、書類から顔をあげずに答える。
ティナは聞き分けの良い子なので、あの二人とも上手くやれるはずだ。
そう考え、安心して仕事の続きをしていたのだが、目を通していた書類をアルフに取られた。
「……知らない街に連れてこられて、初めての家で、今日会ったばかりの他人に囲まれて過ごす八歳の女の子の気持ちを考えてみろ」
付け加えるのなら、両親を失い、やっと慣れたオレリアから引き離されてのこの状況だ、とアルフは珍しくも不機嫌さを隠さない顔で言った。
「ティナは利発な子だから、大丈夫だろう」
「利発な子だからこそ、色々思うこともあるんじゃないか?」
ヒラヒラと奪った書類を玩び、アルフの視線は書類の中身を読む。
視線が書類の中ほどまで進んだところで、アルフは書類を伏せて机の端へと押しやった。
アルフの中でティナより急ぐ用件ではない、と判断がされたらしい。
「おまえが放置するぐらいなら、ティナはオレリアの元へ返す。あの二人、相当仲が良かったぞ」
オレリアが気に入る人間など滅多にいない。
俺が知る限りではゼロ。
アルフが知る限りでは、アルフの母親とティナが今回含まれたらしい。
そして俺は砦の主としてアルフの上官ではあるが、いざという場合にアルフの優先順位がオレリアになるのは間違いがない。
老齢のオレリアが安心して谷に籠もっているためには、ティナのように異変があった場合に外と連絡の取れる人間を付けておきたい。
そう思っているのだろう。
オレリアにとって必要だと判断すれば、本気でアルフはティナを連れて谷に戻りかねない。
「……キリのいいところまで片付けたら、今夜は帰ることにする」
「今すぐ、だ」
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