閑話:レオナルド視点 恩人の娘 6

 アルフに追い立てられるように館へと帰ると、当たり前のことながら明かりの灯った窓は一つもなかった。

 ただ今日からは幼くとも主がいるということで、バルトとタビサのどちらかは館に残っているはずだ。

 ノッカーを叩いてしばらく待つと、中から鍵の外される音がした。


「おかえりさないませ、レオナルド様」


「ああ、館に帰るのは……一ヶ月ぶりか?」


「三ヶ月半ぶりでございます」


 バルトに指摘されて、そんなになるか? と改めて考える。

 街に戻ってからは砦に詰めていたし、その前はティナとワイヤック谷に半月ほどいた。

 合わせて約一ヶ月だと思うのだが、メイユ村に出かけたのは冬の終わりだ。

 冬のなかばにある神王祭から冬の終わりまで今年は北東にあるルグミラマ砦にいたので、確かにそのぐらいの期間館へ帰っていない気もする。


「……これからはもう少し頻繁に帰る」


「そうしてください。嬢様も寂しがられます」


 父親が死んだ時も眠っている時にしか涙を見せなかったティナが、今日会ったばかりの他人の前で寂しがる素振りを見せるとは思えないのだが。

 アルフに指摘されたように、ティナが何かそれらしい仕草を見せたのだろうか。


「……ティナの様子はどうだった?」


「たいへんお行儀の良い、躾けの行き届いたお嬢様ですね。とても八歳の子どもとは思えない落ち着きようで……」


 と、言葉を区切り、何かを思いだしたかのようにバルトは苦笑を浮かべた。

 どうやらティナは、『落ち着きがある』とは言い切れない何かをしたようだ。


「何かしたのか?」


「いえ、館の中を探検中に屋根裏部屋を見つけたようで、髪に綿埃をつけていらっしゃいました」


 夕食時に食堂へとその姿で現れ、タビサに食事の前に風呂だ、と風呂に連行されたらしい。

 風呂へは一人で入ると言い出したティナに驚きはしたが、事前にティナが一人で風呂へ入れることは聞いていたので、自主性に任せることにしてくれたようだ。

 夕食のシチューは黙々と食べていたので、聞いていたように好物なのだろう、とおかわりをよそったところ、特に好物ではないと困ったように告白されたらしい。


「……味の変化を求めただけ、か」


 ……そういえば、オレリアの家で言っていた気がするな。


 ワイヤック谷についた、最初の朝だったはずだ。

 朝食に野菜スープを作ろうとした俺に、ティナは「朝ごはんは何か」と聞き、俺が野菜スープと答えると何ともいえない微妙な表情をしたのだ。

 落胆とも見えるティナの表情に、前夜のオレリアの味無し野菜スープを思いだしたのだろうと思い、俺のスープは違うと主張した。

 俺の野菜スープは味がするぞ、と。


 ――味『は』、する。


 その時のティナの返答がこれだ。

 微妙に『は』が強調された主張だった。

 あの『は』は『味以外が不満である』という意味だったのだろう。


 ……ティナについては知らないことだらけだな。


 外套をバルトに預け、二階へと続く階段を覗く。

 ティナに与える予定の部屋はまだ掃除ができていないので、今夜からしばらくは客間を使っているはずだ。


 ……一応、様子を見てみるか。


 ティナが寂しさに枕を濡らすようには思えないのだが、いくらしっかりしているとは言え、まだ八つの子どもだ。

 俺には思いつかないだけで、色々考えているし、感じてもいる。

 すでに夢の中なら良いが、初めての家で心細くて眠れぬ夜を過ごしていたら可哀想な気がした。


 バルトに湯と夜食の仕度を頼むと、先にティナの様子を見ようと階段へと足を向ける。







 ティナの使っている客間の前に立ち、しばし考える。

 ノックをするべきか、しないべきか。

 女性の部屋への訪問と考えればノックは必要だが、すでに寝ているかもしれない幼女の部屋ともなれば、ノックはしない方が良いだろう。

 寝た子を起こしてしまう可能性がある。

 どうしたものかと考えて、ノックはしないで様子だけ見ることにした。

 音を立てないように扉を開けて、部屋の中へと入る。

 毛足の長い絨毯が足音を吸収していた。

 これならば、ティナを足音で起こすこともないだろう。


 ……いない?


 そっと天蓋を開いてみれば、中に寝ているはずのティナの姿が無い。

 そんなはずはないと周囲を見渡すと、カーテンに薄っすらと人影が見えた。

 月明かりのためはっきりとした人型ではないが、ちょうどティナの背丈ぐらいの影がカーテンの奥にある。


 ……なんだ? かくれんぼか?


 いずれにせよ、保護者として子どもの夜更かしは容認できるものではない。

 捕まえてベッドの中へ放り込んでやろうと近づくと、カーテンの中の陰は俺から逃げるように反対側へと移動する。

 近づけば近づくだけ移動するので、ティナも意図して逃げているのが判った。


 ……かくれんぼというより、追いかけっこだな。


 カーテンの切れ目までティナを追い詰め、しばし観察する。

 逃げ場を失ったティナはどうするのだろうか。


 ……動かないな。


 ティナの反応を待っているのだが、カーテンの端に隠れたティナはじっと息を潜めて動かない。

 そうこうしているうちに、なんだか待っていることが馬鹿らしくなり、カーテンごとティナを捕まえる。

 カーテンを引き剥がして抱き上げようとすると、明確な抵抗の意思を感じた。

 むんずと小さな手がカーテンを掴んで離さないのだ。


「……ティナ?」


 何故抵抗されるのかが解らず、カーテンごとティナを抱き上げる。

 片腕でティナを抱えてカーテンを皮のように剥くと、中から蒼白そうはくな顔をしたティナが出てきた。


 ……何事だっ!?


 ティナのあまりの形相に、異常事態だと悟る。

 いったい何があったのかと問うより早く、ティナの瞼がぱちくりと瞬き、目の焦点が合った。

 俺の目とティナの青い目が合うと、青白かった顔は一点して真っ赤に染まる。

 

「ぴぎゃわぁあああああっ!?」


 火がついたような勢いで泣き始めたティナに、俺としては困惑するしかない。

 こんな状態のティナは初めて見た。

 メイユ村で初めてあった時もティナは泣いたが、あの時はどこか声に甘えがあった。

 村の惨状を知ってからなら解る。

 あの時のティナは、久しぶりに見た健康な大人に、安心して泣き出したのだ。


 けれど、今の泣き声は違う。

 声が引きっていて、金切り声に近い。

 甘えて泣いているのではなく、異常事態を周囲へ知らせるための警戒鳴きだ。

 抱き上げているために至近距離から聞かされた泣き声に、耳の奥がキーンと痛む。


「ティナ? どうした? 何をそんなに……」


 何に対して怯えているのか。

 それが解らなくて、途方に暮れる。

 アルフは心細がっているのではないか、と言っていたが、心細いどころか元気すぎる音量で大泣きである。


「レオにゃル……、あほー! 嫌い、きらいーっ!」


 泣き声に混ざってようやく言葉が出てきたと思えば、これである。

 馬鹿バカ嫌い、大嫌い、と幾分落ち着いてきたのか小さくなった声で罵りながら、拳を振り回す。

 幼児なりに力いっぱいと判る攻撃に、理由わけが解らないながらもされるままにしていた。

 とにかく、ティナが落ち着くまでは話しもできない。







 泣き声に気がついたバルトが客間へと駆け込んで来る頃、ティナはようやく落ち着きを取り戻した。

 ティナは小さくしゃっくりを繰り返し、俺への罵倒を織り交ぜながら自分の身に起こったことを説明してくれる。


 ……寝ていたら悪いと思って声をかけなかったのが、すごい大騒ぎになったな。


 ティナの説明はこうだった。

 なかなか寝付けないので窓から外を眺めていたら、足音が聞こえた。

 その足音は階段をのぼり、客間の前まで続く。

 バルトが夜回りに来たのかとも思ったが、おばけや泥棒だったら怖い、とティナはカーテンの中へ隠れることにした。

 そしたらその足音の主はノックもせずに扉を開けて部屋へと侵入してきた。

 これはますます怪しいと思い、カーテンから出るにでられなくなった。

 不審な足音が近づいてきたのでカーテンの中を逃げ惑ったが、最後に問答無用に抱き上げられた、と。


 ……足音の主の顔を見て俺だと判った瞬間の顔が、恐怖から安堵と怒りに移ったあの表情か。


 思いだすだけでも、カーテンの陰から抱き上げられた時のティナは壮絶な顔をしていた。

 バルトの持ってきた明かりを灯し、現在の客間は明るい。

 これから寝ようという人間の部屋の光量ではないが、どうせティナもすぐには寝付けないだろうから気にしないことにする。

 しゃっくりの止まらないティナを膝に座らせると、ティナは床へすべり下りて座り込んだ。

 よく解らないが、拗ねているようだ。

 俺の膝には座りたくないが、離れるのも嫌らしい。

 左足にしがみ付いて背を向けている。


「おんにゃのこの部屋にはいりゅときは、かならりゅ一声かけれくらしゃい。ここはちいしゃくてもおんにゃのこの部屋なんれすからっ!」


 ぷりぷりと怒りながら、時々しゃっくりが混ざる。

 ところどころ言えてはいないが、ティナが寝言以外で片言を使わないのは貴重だ。

 たまに怒りを思いだすのか、小さな拳を作って脚を殴られるのだが、まったく痛くない。


 ……なんだこの可愛い生き物。


 拗ね方まで可愛い、と思っているのがバレたらますます拗ねそうなので、声には出さずに飲み込む。

 とにかく気が済むまで見守っていようと腹を決めていたら、バルトが湯の仕度ができた、と俺を呼びに来てしまった。


「レオにゃルドさん、お風呂、行っちゃう……?」


「んー? ティナは汗臭いのは嫌だろう?」



「それじゃ、ティナに嫌われないように、風呂で汗を流してこないとな」


「やー」


 ティナが嫌を伸ばして言うのは珍しい。

 本当に子どもみたいな拗ね方だ、と思って、ティナがまだ子どもであったことを思いだす。

 子どもにとって初めての家で、留守番中に侵入者があったら恐怖以外の何物でもないだろう。

 拗ね方が可愛いだなどと、のん気に堪能するべきではない。


「……風呂から出たら、今夜は久しぶりに一緒に寝よう」


 だからそろそろ機嫌を直してほしい。

 髪を軽く引っ張りながらそう誘うと、ティナはようやく顔をあげた。

 青い目は少し赤く腫れている。


 風呂から戻ると、ティナはバルトの用意した俺の夜食を摘まんでいた。

 目が合うとツンっと顔を逸らしたので、これは俺への報復行動に含まれているのだろう。

 そのくせ椅子へ座るとすぐに膝の上へと乗ってきたので、一人にはなりたくないようだった。

 実に複雑な子ども心である。


 膝の上でティナが舟をこぎ始めたので、ベッドの上へと運ぶ。

 残った夜食を食べてしまおうとテーブルに戻ると、ティナはベッドからおりてきてまた膝の上へと乗った。


 ……なんだこの可愛い生き物。


 拗ねて怒りながらも甘えてくる、じつに複雑な生き物である。

 ベッドに運んでも俺がベッドを離れると出てきてしまうので、夜食は諦めることにした。

 ティナを乗せたベッドへと一緒に横になると、ティナにシャツの裾を掴まれる。

 こんなことはオレリアの家にいた頃もなかったので、今夜のことはティナにとって恐ろしい体験だったのだろう。


 ……頻繁に帰るどころか、しばらくは毎晩帰ってくる必要がありそうだ。

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