閑話:レオナルド視点 恩人の娘 4

 数日前にアルフを迎えに送ったが、ティナを連れたアルフは未だに戻らない。

 馬を換えながら走れば三日で往復は可能だが、ティナを連れてそれはできないと言っていた。

 アルフの要求した期間は六日で、まだそれを過ぎたわけではないので、特別遅いというわけではないのだが、落ち着かない気分で窓の外を見る。

 ほんのひと月前まで存在すら知らなかった少女だが、今は暇さえあれば思考を占める存在だった。

 妹、と紹介されたのが大きい気がする。

 単純に恩人の娘、とだけの紹介であれば、これほど心は乱されなかっただろう。

 もちろん、変わらず大切に養育はしたはずだが。


 ……ティナが来る前に片付けねばな。


 机に詰まれた書類の山へ視線を向け、そっと溜息をはく。

 普段であればこれ程の書類が積み上げられることはない。

 せいぜい問題を起こした黒騎士の反省文や物資の仕入れ、周辺国の動向等に関する報告書、砦の主の印が必要な書類が運ばれてくるぐらいだ。

 現在のように連日書類が山と詰まれることは無い。


 ……しかし、街中での感染は一応落ち着いたな。


 砦内で新たに発病する者も減った。

 病人を隔離した区画はもちろん、砦内全てでマスクの着用を命じたことと、新たな感染源となる患者を隔離した効果だろう。

 新たな感染者が出る可能性は下がったが、相変わらず隔離した区画では発症する者が出ている。

 感染を疑って念のためと隔離した者も、やはり感染していたようだった。


 ……今回はジャン=ジャックの交友関係を洗えば感染者が探せたおかげで、薬の効く初期症状の者が見つけやすくて良かった。


 感染者を気づかず放置することになれば、現在の倍以上の速度で感染は広がっていただろう。

 普段から体を鍛えている黒騎士は体力もあるので、薬を飲ませるとすぐに回復傾向を見せた。


 ……問題は騎士以外の患者か。


 薬の数が圧倒的に不足しているため、黒騎士以外への投与は未だに許されていない。

 オレリアの薬は初期状態にしか効かず、数も少ない。

 そのため、当然のように回復の見込みのない重症化した者や、女・子どもへの治療が後回しにされる。


 ……ジャン=ジャックへ与える分を他に回せれば、回復する見込みのある騎士以外の者が何人も助かるんだが。


 ジャン=ジャックは名指しで薬を切らさぬように、と王都からの指示が出ていた。

 すでに重症化しているのは見て判るのだが、そのせいで投薬を中断することができない。


 ……オレリアが言っていたのは、ワーズ病だったか?


 大昔、隣国のワーズという小さな村で最初に発見された病らしい。

 感染してから発病するまでに潜伏期間が三日~七日、七日七晩高熱が続き、熱が下がると猛烈な痒みと疱瘡が全身を包む。そしてまた高熱を出し、その熱の中で患者は喉を掻き毟りながら死んでいくのだとか。


 ……二度目の高熱が下がるまで生き延びれば回復することもあるらしいが。


 何千何百どころか万を超える命を奪ったという記録はあるが、重症化に陥っても生き延びたという記録はたった数件しかない。

 ジャン=ジャックが助かる可能性は、その数件に入れるかどうかにかかっている。


 ……今は猛烈な痒みの中、か。


 ジャン=ジャックの病室からは、連日のようにうめき声が漏れているらしい。

 あまりに激しい苦悶の声に、同じ感染者であっても病室には近づきたがらないそうだ。

 隔離した区画には患者の世話をする者が何人かいるが、ジャン=ジャックの世話だけは毎回籤で決めているのだとか。

 ジャン=ジャックは今、夢に見そうな形相で全身を掻き毟っているらしい。


 ……『らしい』としか言えないのが、あれだな。


 ジャン=ジャックを王都が注視し、薬を融通するようにという上からの命令は、似たものが砦を預かる俺に対しても出ている。

 国境を守る砦の主が万が一にも感染などしないよう、隔離区画には決して近づかぬように、と。

 おかげでどんなに感染状況が気になっていても、報告書という形でしか情報に触れることができない。

 砦の主だと言うのに、だ。


 ……それにしても、ジャン=ジャックはどこから感染を拾ってきたんだ?


 村で暮らしていたティナにも、感染していたサロモンと会話をした俺にも、病は感染しなかった。

 となると、俺たちの知らないうちにジャン=ジャックが村で何かを行ったとしか思えない。







 昼過ぎになって、ようやくアルフが帰還したという知らせが届いた。

 もちろんティナも一緒だ。

 報告に来た黒騎士も、何かスゲー可愛い子どもを連れていた、と興奮気味だった。

 砦は華やかさとは縁の無い軍事施設であったし、今は伝染病の封じ込めのために一角を隔離区画としているため、砦内の雰囲気が殺伐としている。

 そんな場所に愛らしい幼女が訪れたのだから、多少の癒しにはなっているのだろう。

 オレリアの家へと使いに出した黒騎士が戻るたびに一人、また一人と「団長の妹スゲー可愛い」とティナの愛らしさを触れ回っていた。

 他に話題はないのか、と騎士のさがが悲しくもなったが、ティナが可愛らしいのは事実なので仕方が無い。


「やっと戻ったか、アルフ。ティナも久しぶり……」


 執務室へと案内されてきたティナは、恥ずかしそうにアルフの脚に隠れていた。

 半月ぶりに見るティナだが、相変わらず可愛らしい。

 いつもオレリアが複雑な編みこみをしていた髪も、今日は大きなレースのリボンで飾られていた。

 あまりにティナが可愛らしいのでつい抱き上げようと手を伸ばしたら、アルフの脚の向こうへと隠れられてしまった。


 ……うん? なんで隠れるんだ?


 恥ずかしそうな顔をしていたのは、久しぶりの再会に恥らっているのだろう、となんとなく思っていたのだが。

 どうもそんな雰囲気ではない。

 おずおずとアルフの後ろから顔を覗かせたティナの青い目は、今にも泣き出しそうなほどに潤んでいる。

 よく見ると、アルフの脚を掴む指に力がこもっているのが判った。

 ぎゅっと掴まれた布に皺がより、簡単には抱き上げさせないぞ、と抵抗の意思を示すように細い足が踏ん張っている。


 ……なんで靴を履いていないんだ?


 踏ん張られている足に気が付き、その先に違和感があった。

 オレリアの家でティナはサンダルを履いていたはずだが、今はそれが無い。

 サンダルどころか、小さな脚に布を巻いただけの状態でティナは立っていた。


「半月会ってないから、忘れられたんじゃないか?」


 意地の悪いことをアルフが言う。

 そんな馬鹿な、と否定してみたが、恐々とティナが俺を見上げていることに気が付いた。


「……レオにゃルドさん?」


 自信なさげにティナが俺を呼ぶ。

 アルフの悪い冗談だと思ったが、俺はティナに本気で顔を忘れられかけていたらしい。


 ……決して、俺の顔が怖かったわけじゃないぞ。


 どうやら思いだしてもらえたようなので、もう一度抱き上げようと手を伸ばす。

 今度は拒絶されなかった。

 ただ、抱き上げたティナが緊張していることもわかった。

 じっと体が強張っていて、身じろぎもしない。


 しばらく互いに無言で見詰め合っていると、ティナが可愛らしくムッと唇を尖らせて俺の前髪へと手を伸ばす。

 止める間などなかった。

 あっという間にぐちゃぐちゃに髪をかき回されて、整髪料で整えた前髪が顔へと落ちる。

 若すぎる砦の主なので、せめて見た目ぐらいは年長らしく見えるように、と前髪をあげているのだが、ティナには不評らしい。


「……ん、やっぱり、レオにゃルドさん」


 前髪の降りた俺の顔をまじまじと見つめ、満足げにティナは頷く。

 それからようやく笑顔を見せてくれた。

 ティナの体から余分な力が抜け、手にかかる重さが増えた気がする。


 ……顔を忘れたんじゃなくて、髪型が違うから一瞬わからなかった、ってところか?


 抱き上げたことで近くなった布の巻かれた足に、何があったのか、とティナに説明を求めた。

 相変わらず舌っ足らずながら、ティナは一生懸命説明をしてくれる。

 オレリアは相変わらずで、ほとんどの時間を工房で過ごしているらしい。

 ティナも出来る範囲で手伝いを続けていたのだが、ある日とうとう材料が尽きた。

 材料を採りにオレリアが出かけたまではいつものことだったのだが、その日は夜が明けても帰ってこなかった。

 それで心配になって森の奥へ入り、ぎっくり腰になって動けなくなっていたオレリアを見つけたと言う。


 ……ティナを置いていって良かった。地味に賢女の薬術断絶の危機だったのか。


 ティナがいなければオレリアの異変に気づけず、黒騎士が異変に気づいた頃にはオレリアが死んでいた、という事態に陥っていたかもしれない。

 ティナを置いていったのはオレリアの身を案じてではなかったが、役に立ったことは喜ばしい。


「サンダルはどうしたんだ? 履いていただろ?」


「オレリアさん探す、森でなくした」


 サンダルのような大きなものを、そう簡単に失くしはしないと思うのだが。

 あの森の奥には、ティナには見られたくないモノがある。

 サンダルについてはあまり語りたくなさそうな様子のティナに、こちらも森でのことをこれ以上聞くのはやめた。


 椅子にティナを座らせて、足に巻かれた布を取る。

 俺の手で包み込めてしまうほど小さなティナの足に、少し驚く。

 小さい小さいとは思っていたが、これほど小さいとは思わなかった。


 簡単にサイズを測り、メモを取る。

 メモをアルフに渡して館への使いを頼めば、ティナの回収は完了だ。


 ようやく手元にきたティナを構い倒したいところだが、砦を預かる者として、妹にばかりかまけることはできない。

 それでなくとも、今は非常時で仕事も多い。

 なるべく早く仕事を片付け、ティナのための時間を作るしかないだろう。


 ……ティナは言いつけを守る良い子だからいいな。


 おとなしく座っているように、と言い聞かせたら、ティナは言われたようにおとなしく椅子に座って待っている。

 最初こそティナがいることに内心で浮かれてチラチラと様子を盗み見ていたが、やがて集中して仕事に没頭した。







 不意に視界の隅で動く物があり、視線がそちらへと吸い寄せられる。

 ティナの青い目と目が合うと、ティナは悪戯がみつかった子どものような表情で固まった。

 なんでティナがここに、という考えが浮かび、すぐに思いだす。

 少しでも早く仕事を終わらせようとするあまりに集中しすぎ、ティナがいることが頭の片隅へと追いやられていた。

 我ながらすごい集中力である。


 自分で呼び寄せておきながら放置し、あまつさえその存在を忘れていた。

 若干どころではない気まずさを感じつつ、ティナに声をかける。

 おとなしく座っていろ、という言いつけを守って待っていたティナが勝手に動き出したのだ。何か理由があるのだろう。

 どうかしたのかと話しかけると、きゅるると可愛らしくティナのお腹が鳴る。


「……ティナ? そういえば、昼食は……」


「食べてない」


 恥かしそうにそっと目を逸らし、ティナは正直に答えた。

 ほんのりと頬が赤らんでいる。

 恥じらうティナは強烈に可愛らしいのだが、妹の愛らしさという鈍器で頭を殴られるよりも先に、自分のいたらなさに愕然とした。

 気がつかなかった。

 その可能性があるということは十分に考えられたはずだったが、やっと手元へと呼べた妹に浮かれ、そんなあたり前な可能性すら考えることができなかった。

 自分の昼食が済んだ時間にティナたちが執務室へと来たので、なんとなく昼食は食べ終わっているものだと勝手に思い込んでいたのだ。


 ……そうだ、まだ引き出しの中に……?


 とりあえず空腹をしのげる物を、と引き出しを探る。

 食事を摂る時間が惜しい時や、頭を使いすぎて疲れた時の非常手段として、引き出しに忍ばせた菓子が入っているはずだ。

 ティナに贈った蜂蜜味の飴を買ったのと同じ店の缶を見つけ、蓋を開ける。

 中にはまだ半分以上菓子が残っていた。


「おいしい、です」


 取り出した菓子を急いで口の中に放り込んでやると、ティナは幸せそうに微笑む。

 笑顔が愛らしいのだが、今はひたすら申し訳なさすぎた。

 妹の空腹に気づけず、何が兄か。

 可哀想な妹は空腹を催促もできず、兄の言いつけを律儀に守っていたのだ。


 ティナがあまりにも幸せそうに菓子を食べるので、缶ごと進呈することにした。

 せめてもの罪滅ぼしだ。

 ティナの小さな体では缶を持ったまま菓子を食べるのは難しそうだったので、膝の上に座らせる。

 膝の上のティナは、自分の膝の上に缶を置いて菓子を食べはじめた。


 ……あ、俺、今幸せだ。


 兄として反省すべき点だらけではあるのだが、可愛らしい妹を膝にのせ、その幸せそうに菓子を頬張る姿を見つめる。

 これを幸せと言わずに、何を幸せというのか。


 しばしティナが食べる姿を見つめ、やがて言っておかなければならないことがあると思いだし、ティナに話しかける。

 ティナは菓子を口へと運ぶ手を止めると、じっと俺の顔を見上げていた。


 お腹が空いたとか、靴が欲しいだとかはちゃんと言ってほしい。

 俺は察する、ということがどうにも苦手らしい、と気が付いたばかりのことを正直に伝える。

 まさか「おとなしく待っていろ」と言ったら、腹が空いても言いつけを守ってひたすら我慢をするとは思わなかったのだ。

 気づけなかった自分が情けない。

 こんな調子では、兄として頼れ、甘えてよいと言ったところで、ティナからの信頼など得られるはずもなかった。


 一通りの反省を交えて謝罪すると、ティナはそれを理解してくれたようだった。

 こくりと頷くと、本当に言ってもいいのかな? と迷うような仕草で首を傾げる。


「じゃ、さっそく、言いたいこと、ある。いい?」


「うん? なんだ? 何か食べたいものでも……」


 妹からの初めての要求である。

 叶えられることなら何でも叶えてやるぞ、と内心で兄としての喜びを感じていると、『おしっこ』と続けられた言葉に呆然とした。


 ティナは体こそ小さいが、聞き分けの良い利発な女の子である。

 女児は男児より内面の成長が早いと聞くが、ティナを見る限りその説は間違ってはない。

 そのティナが、見た目より精神年齢が上だと思われるティナが、男であり、大人である自分に向って『おしっこ』と幼児のような言葉を使ったのだ。

 ティナにとって、すごく恥かしいことを言わせてしまった気がする。


「わたし、座ってるだけ、お人形、違う。おしっこ」


 続くティナからの要求に、指摘された気がした。

 私をお人形扱いしていますよ、と。


 利発なティナにとって、『おしっこ』と俺に言うことはすごく恥かしいことだったに違いない。

 が、そうでも言わなければ伝わらない、と判断されるほどに俺が保護者として頼りないのだろう。

 確かに可愛い可愛い、と愛でるばかりで、ティナのことをちゃんと見ていなかった気がする。


 これには、今度こそ本気で反省した。

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