第17話 街からの迎え
腰の痛みが引くと、オレリアの工房篭りが再開した。
一日中工房に篭って調薬を繰り返し、お腹が空いた時だけ外へと食事を摂りに出てくる。
……これ、知ってる。社畜とか駄目人間とか言う奴だ。
そうは思うのだが、薬を作れるのがオレリアしかいないので、仕方が無い。
オレリアとて好きこのんで食事以外の時間を工房で過ごしているわけではないのだ。
……どっちかというと、ブラック企業?
薬を作れるのがオレリア一人しかいない。
弟子を仕込んでも、途中で逃げ出してモノにならない。
いざ猛威を振るう病気が発生した場合に、素材集めは黒騎士やセドヴァラ教会が手伝えたとしても、それを最終的に薬に仕上げられるのはオレリアだけだ。
……オレリアさんが引退する前に弟子を最低一人、余裕をもって三人ぐらい育てないと駄目だよ、絶対。
オレリアの用意した薬草をすり潰しながら、そっと溜息をはく。
ちなみにこの薬草は腰痛の軟膏になるらしい。布に塗りつけて患部に貼るのだとか。
オレリアが用意した材料をただ指示通りにすり
……転生者だって知ってるぞ、って開き直ったからか、オレリアさんから容赦がなくなった気がする。
具体的に言うと、口止め料と称して飴玉を半分ごっそり持っていかれた。
幼女のおやつは取りあげないが、中身が大人と知っていれば条件は同じ、となるらしい。
そして、それまでは一応朝と夜は顔を出していたが、完全にお腹が空いた時にしか顔を見せなくなった。
もちろん、その際にオレリアが食べる食事は私が作っている。
……幼女なのに、老女のお世話してるよ、私。普通逆だと思うんですけど!?
オレリアには弟子の前に、まずお手伝いさんが必要だと思われる。
そうでなければ、せっかくの弟子もオレリアの世話で一日が終わるだろう。
……レオナルドさんが街に帰って半月ぐらいだけど、伝染病はどうなったのかな? 収束してるといいな。
時々購入することで集められる素材を黒騎士が運び込み、その際に出来上がっている薬を持っていく。
薬と素材のやり取りはあるのだが、谷に来る騎士はレオナルドのいる騎士団とは違う騎士団らしく、あまり新しい情報は入ってこなかった。
オレリアの薬が効いて収束に向かっているのなら良いのだが、なんの情報も入ってこないのは不安だ。
相変わらずオレリアと黒騎士は英語で会話をしているので、オレリア自身は少しぐらい何か聞いていそうだが、それをわざわざ私に聞かせてはくれない。
一度何を話していたのか、と聞きに行ったのだが、忙しいからと追い払われてしまった。
そう言われてしまうと、寝食を疎かにしなければならないほどオレリアが忙しく働いていることは知っているので、それ以上は聞けなくなってしまう。
薬草の混ぜ終わったすり鉢を除け、机に
幼女の体力で、老女と自分の世話と薬の材料作り、ぎっくり腰の軟膏作りをするのは辛い。
少しずつでも休憩を挟まなければ、私の方が倒れてしまう。
軽く目を閉じると、すぐに睡魔がやってきた。
浅く夢を見始めた頃、ノックの音で目が覚める。
オレリアならばノックなどしないので、また黒騎士が荷物を運んで来たのだろう。
まだぼんやりした頭で椅子から降り、玄関のドアを開ける。
そこには金色の髪を太陽に輝かせた美青年が立っていた。
……あれ? 誰だっけ?
てっきりまた黒騎士が来たと思ったら、王子様が来た。
そんな印象だ。
……や、違う。知ってる人のはず……?
まじまじと青年を見つめ、幼女らしく小首を傾げながら思考だけは忙しく回る。
絶対に見覚えがあるのだが、すぐには名前が出てこない。
目を引く金髪から視線を下へ移動させると、青年は黒い鎧を纏っていた。
……ってことは、やっぱり黒騎士。
黒騎士で金髪の、会ったことがある人物と考え始めると、青年は困ったように眉間に皺を寄せる。
「……もしかして忘れちゃったかな? 前に会ったのはひと月も前だし」
「えっと、……アルフさん?」
少し柔らかい自分への呼びかけに、ポンっと名前が思い浮かぶ。
黒騎士とは多く知り合ったが、柔らかい口調の人物は少なかった。
ようやく思いだせた名前に、青年ことアルフはホッと息をはく。
まさかたったひと月で忘れられているとは思わなかったのだろう。
……私もパッと思いだせないだなんて思っていませんでした。
とはいえ、谷に来てやっていたことといえば、オレリアの手伝いや、食事作りが主である。
レオナルドの交友関係にまで考えが及ぶわけも無い。
しかも、村を出てから知り合った人間といえば、オレリア以外はみんな黒騎士だ。
金髪が特徴といえば特徴だったが、数多くいる黒騎士の一人という以外の印象は無い。
すぐに思いだすことができず、少しだけ気まずい思いをしている私には気づかず、アルフは腰を落として目線を合わせてきた。
「レオナルドは忙しくて砦を離れられないから、私が代わりに迎えにきたよ」
「お迎え、街に行く? 私、行っていい?」
「行っていいっていうよりも、是非近くで観察させてほしい」
「……かんさつ?」
一見申し分のない色男なアルフだったが、幼女を観察する趣味などあったのだろうか。
……アルフさん、実はヤバイ人?
数歩下がって距離をとると、警戒されたと解ったのだろう。
アルフは苦笑を浮かべて言葉を追加した。
「変な意味じゃないよ。メイユ村に住んでいたのに、ティナだけ病気に感染していなかっただろ? ティナの生活態度を観察すれば、感染予防のヒントがあるんじゃないかな、って」
そんな理由をこじつけてレオナルドが私を呼び寄せようとしている、とアルフは裏事情まで話してくれた。
……私情で黒騎士をお使いに出すのはどうかと思うよ、レオナルドさん。
それとも自分で迎えに来なかっただけ理性的だ、と評価するべきだろうか。
悩んでいると、工房からオレリアが出てきた。
食事を摂りに来たのか、アルフの乗ってきた馬のいななきに気づいたのかは謎だ。
「この子が感染しなかったのは、衛生管理のおかげだよ。ガキのくせに風呂には自分から入りたがるし、頻繁に手を洗うし……感染源が体に付着しても、発病する前に洗い流していたんだろうサ」
この子、と言いながら、オレリアの手が乱暴に私の頭を撫でる。
ぐらんぐらんと頭が回り、ちょっと気持ち悪いし、髪もボサボサだ。
「衛生……ああ、それなら確かに感染の可能性は下がるかも。例の感染源を載せた荷馬車がいくつかの村や町に寄った形跡はあったけど、全滅した村はあっても、町が全滅したという報告はなかったようだし」
人の多い町の方が感染は広がりそうに思えるのだが、どうやら違ったらしい。
……清潔にする、って大事だね。
村に風呂文化が根付いていなかったことが大きいのだろう。
姿を見せたオレリアに、改めて私を連れ出してもよいかと聞くアルフを見つめ、ふと違和感に気がつく。
……なんだろう? なんか変なんだけど……? あれ?
違和感の正体に気がついたのは、アルフが脇屋から私の着替えや飴玉の入った缶を持って戻ってきた時だった。
ちなみに私はというと、オレリアさんの前に座って髪を編みこまれている。
「……なんで オレリアさん、お話ししてる? アルフさん、黒騎士」
思わずオレリアを見ようと顔をあげたら、いつものように頭を押さえられた。
髪を編みこみ終わるまでは、動いてはいけないらしい。
「それを疑問に思うってことは、オレリアはティナとは話しをするのか」
「オレリアさん、結構、おしゃべりヨ」
私の疑問に答えたのはオレリアではなく、鞄に着替えを詰めながら首を捻っているアルフだった。
首を捻っている理由は、飴缶の数だと思う。
最初にユルゲンに貰い、ローレンツ経由でレオナルドに貰い、どこでどんな情報が流れていたのか、食料や薬の材料を持ち込むたびに別の黒騎士が飴を持ってきてくれた。
半分はオレリアのお腹の中に収まっているが、私はそれらを大切に食べていたため、残っている量は意外に多い。
「アルフ坊は黒騎士っていうより、家出小僧ってところかね」
「さすがに坊は止めてください。もうとっくに成人もしているんですから」
「アルフ坊は産まれる前から知ってるから、今さら英語しか解らないフリができないだけサ。なんだってあの時のガキが黒騎士になんてなってんだ……」
ブツブツと文句を言いながらも編みこみは完成したらしい。
きゅっと大きめのレースのリボンで髪を止められた。
「……このリボン、なに? すごく可愛い」
後頭部から端を持ってきて、レースのリボンを観察する。
細い白糸で編まれた、繊細なレースだった。
連なった花模様に、花芯部分には真珠のような光沢の小さなビーズが付いている。
「若い頃に暇つぶしで作ったやつさ。作ったはいいが、レースのリボンなんてつける歳でもなかったからね。おまえにやるよ。まあ、これまでの手伝いの給金だとでも思って持ってきな」
「いいの!? ありがとう、オレリアさん」
可愛いものは素直に嬉しい。
特に、こういった可愛いものが似合うのは、小さな子どものうちだけだ。
幼女の今ならば、可愛らしすぎるレースのリボンをつけていたところで、誰にも笑われないだろう。
前世では、こういったものが自由に買えるようになった頃には、似合う年齢ではなかったし、『似合う物』より『自分が好きな物』を身に付けて何が悪い、と開き直れる性格でもなかった。
年甲斐も無く、と笑われるのが怖くて、興味すらないフリをしていたのだ。
レースのリボンという物には、若干どころではない憧れがある。
「こういうのを付けられるのはガキの間だけだからね。おまえは中身がとんでもないお転婆だけど、黙ってれば一級品だ。よく似合ってるよ」
「ほめられてる気、しない」
……そして、やっぱりレースのリボンには何かしら思い入れがあるんですね。
もしかしたらオレリアも、前世の私と似たような思いがあるのかもしれない。
だからレースのリボンを作り、でも自分では使うことができなかったのだろう。
むっと唇を尖らせて抗議をすると、『顔は』可愛いと褒めていると、自信ありげに返された。
オレリアに同意を求められたアルフも頷いていたが、これはほとんどオレリアによる脅迫の賜物だ。
アルフ自身がどう思っているかは判らない。
「……私、街行く。オレリアさん、もう会えない?」
「まあ、普通はそう簡単に谷なんて来れるもんじゃないね」
許可なく近づけば入り口にいる見張りの黒騎士に切り捨てられる、と続いたオレリアの言葉が冗談でないことは、もう理解している。
賢女に弟子入りでもしない限りは、私がオレリアに会うことはもうないのだろう。
そう気がつくと、急に寂しくなってきた。
両親と死別して以来、一番長く一緒にいた人間がオレリアだ。
「……残りの飴、全部、オレリアさん、あげる」
オレリアさん飴好きでしょう、とアルフが鞄に詰めた飴の缶を取り出し、テーブルの上へと積みあげる。
蜂蜜味の飴は少し惜しい気がしたが、オレリアも気にいっていたようなので無駄にはならないはずだ。
「お手伝い、いなくなる。大丈夫、ですか?」
少しだけ離れがたくて、オレリアを見上げる。
目が合うとオレリアは皺だらけの手で私の頭を押さえ、少し乱暴に頭を撫でた。
「大方の材料は揃ったからね。これ以上広がらなかったら、大丈夫だ。あとはアルフ坊たちの仕事次第だねぇ」
オレリアの言葉に、二人揃ってアルフへと視線を向ける。
注目を受けたアルフはというと、苦笑を浮かべて「善処します」と答えた。
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