第16話 転生者オレリア
オレリアに教えられた方角へと歩き、まずは岩壁に突き当たる。
あとは来た方角へと戻れば良いだけなので、簡単だ。
さすがにもう一度腐乱死体を見たいとは思えず、岩壁に手を当てながら壁沿いを歩く。
しばらく歩くと異臭が漂ってきたので、鼻を摘んで急ぎ足にその場を進んだ。
やがて地面に白い小石が散らばり始め、最初に骨が散乱しているのを見つけた場所へとたどりつく。
……この上あたりに黒騎士がいるから、呼べばいいんだったよね。
本当に呼ぶだけでいいのだろうか。
私の声は上まで届くのだろうか。
少し心配ではあったが、今の私にできることはこれしかない。
声が届かなければ、別の方法を考えればいいのだ。
とにかく黒騎士を呼んでみよう、と大きく息を吸い込んだ。
「黒騎士しゃーん! たすけて! 黒騎士しゃーん!!」
普段は一応『さん』と発音できていたのだが、大声で呼ぶと少し発音が変になった。
……でも気にしない。オレリアさんも、歳相応の子どもらしさを身に付けろって言ってたし。少し舌っ足らずなぐらい、幼女なんだからあるある。
そう自分を誤魔化しつつ、何度か呼びかけを繰り返すが、崖の上からの反応はなかった。
……声が届かないなら、崖の上に石でも投げてみる?
思い立ったが吉日、と地面に落ちている小石を拾い集める。
もちろん、小石に見えても人の骨は避けた。
「えいっ!」
崖の上に向かって小石を投げてみたが、すぐに岩壁に跳ね返って落ちた。
高さにして二メートルも飛んではいない気がする。
……少し離れた方がいいのかな?
投げられた石は地面に落ちるまでに放物線を描く。
その放物線の一番高い場所へ
幼女の腕力しかない、ということもあるが、決して私が石を投げるのが下手だというわけではない。
少し岩壁から距離をとり、もう一度小石を投げてみた。
低い放物線を描いた小石は、コツンっと音をたてて岩壁にぶつかり落ちる。
……もう少し離れたほうがいいのかな?
試しに一メートルほど離れて小石を投げる。
今度の石は明らかに放物線の最高値を下ったところで岩壁にぶつかった。
……幼女の腕力、マジ頼りない。
いっそ小石を崖に載せることは諦めて、ただ高く飛ばすことに専念した方がいいかもしれない。
遠くに投げるのと、高く上げるのとでは力の使い方も違うはずだ。
もう一度小石を拾い集め、岩壁の側まで戻る。
上を見上げても先は見えなかったが、小石を高く上げるだけならば出来る気がした。
「えいっ!」
ぽんっと投げた小石が高く上がる。
遠くに飛ばしていた力が高く上げることに使われているせいか、先ほどよりも高く石は飛んだ。
……ちょっといい感じ?
数回繰り返し、少しコツがわかってきた気がする。
受け止めることを考えなければ、さらに高くまで飛ばせそうだった。
「……やったっ!」
さらに十数回小石を飛ばし、ついに崖の上に載る小石が現れ始めた。
上の方で地面に小石が落ちる音がして、少し転がる。
しばらく下で待っても、投げた石が落ちてくることもなかった。
「黒騎士しゃん! 気づいて、よっ!」
小石を高く投げながら、崖の下で必死に呼びかけてみる。
今の私にできる、崖の上へのアプローチなど、これが限界だ。
レオナルドのような大人の筋力があれば、岩壁を登ることもできたかもしれないが。
「黒騎士しゃんっ! 黒騎士しゃーんっ!!」
何度叫んだかはわからない。
投げるのに適した小石を全て使い切った頃、ようやく崖の上から男性の声がした。
「何かあったのかー!?」
相手も叫んでいるためか、少し間延びした声が聞こえる。
ようやく気づいてもらえた黒騎士に『オレリアが動けなくて困っている』と用件を伝えると、少し崖から離れるようにと言われた。
指示に従って岩壁から離れると、垂直に近い岩壁を黒騎士が滑り降りてくる。
……おおおおおおう、スゴイ! カッコいいっ!! けど、怖いっ! 絶対真似するの無理っ!
滑り落ちる過程で崩れたのであろう小石とともに黒騎士が降りてきて、改めて崖を見上げる。
私には真似できないが、オレリアはここで騒げば黒騎士が呼べると言っていたので、この場所ならば黒騎士が降りて来られることを知っていたのだろう。
……あ、今ちょっと嫌なこと思いついたかも。
白骨死体が散乱する場所。
この上にはいつも黒騎士がいて、オレリアのところから逃げ出した弟子を処分することがある。
そして、私が最初にこの場所へと辿りついたのは、森の木に矢印が付けられていたからだ。
……もしかして、あの木の矢印。谷の入り口にいる黒騎士に見つからないで崖から出れそうなルート、ってことで代々の逃走した弟子がつけた目印とか?
ただの思いつきではあったが、辻褄が合ってしまうのが恐ろしい。
私が何気なしに選んで歩いてきた道は、歩んでいる者がオレリアの弟子であった場合には死へと続く道だったのだ。
……怖っ!
一瞬だけ、脳裏に腐乱死体の
ぞっと背筋が冷えるのを感じた。
今すぐにこの場を離れたくなってしまい、黒騎士の腕を引く。
早くオレリアの元に戻りたかった。
黒騎士に背負われたオレリアの誘導で、夕方には無事にオレリアの家へと戻ることができた。
歩くことはおろか、立つことも座ることも難儀している様子のオレリアに事情を聞くと、「魔女の一撃をくらった」とだけ答えられる。
もちろん側に黒騎士がいたので、これは黒騎士が通訳してくれた英語だ。
その黒騎士は「魔女が魔女の一撃を食らうとか……」とかなんとか笑いを堪え、ぷるぷる震えていたところ、オレリアの怒りを買って杖で追い払われることになった。
……あの黒騎士さん、家まで連れ帰ってくれた恩人なんだけどね。
恩人であろうと、黒騎士は黒騎士らしい。
用が済んだらさっさと消え失せろとばかりに杖を振るオレリアに、お礼を言う暇もなかった。
数日は不自由だということで、オレリアは工房に篭るのをやめている。
痛みが治まるまでは材料作りをするらしい。
朝食のあと、居間で薬研を使う私と並んで素材の選別をしていた。
「今生の私の家は、小さな町に住む、少し貧乏だけど普通の家だったんだよ」
ひたすら作業をしていると、暇になったのかオレリアが口を開く。
自分の過去話などするタイプとは思えなかったのだが、もしかしたら私への戒めを兼ねているのかもしれない。
転生者と悟られるな、と警告されたのはつい昨日のことだ。
「まだ私も小さかったし、ここの言葉と前世の言葉の区別が
「鼻歌?」
「聞いたことないかい? 結構有名な歌だったはずだが……」
そう言ってオレリアが聞かせてくれた歌は、海を越えた日本でも聞いたことのある歌だった。
タイトルは知らなくても、きっと誰もが一度は聞いたことがあると思う。
それぐらい有名な歌だ。
「それを聞いた誰だったか……とにかく、誰かが私を転生者だと騒ぎ始めたんだ。最初は半信半疑だった親も、人買いの積み上げた大金に目がくらんで私を売り渡した」
「……それで、黒騎士嫌い?」
転生者を買いに来る人買いと言うと、私はレオナルドしか知らない。
昔メイユ村に来た人買いは隣国の人間だったそうだが、この国では黒騎士が迎えにくるらしい。
「私の時に買いに来たのは、セドヴァラ教会の奴らだったよ」
なんと、人買いは教会の人間だったらしい。
……教会って、私の思う宗教的な教会と違うのかな? 人を買うとか……宗教のやること、って気はしないんだけど?
レオナルドに少し聞いた程度の知識しかないが、薬術の神セドヴァラを崇めるのがセドヴァラ教会と聞いた気がする。
聖人ユウタ・ヒラガの知識を大切に保存し、管理しているとも。
まさか、人を買ってくるような施設だとは思わなかった。
「私の親は降って湧いた大金を元手に商売を始めて……まあ、元がただの職人だ。商売なんてできるはずもなかった。あっという間に店はつぶれて借金まみれさ。ざまぁないね」
その頃には食うに困ったわけでもないのに子どもを売った家だ、と近所での評判も悪く、誰も助けはしなかったらしい。
「けど、私も幼かったからね。一度教会から逃げ出して家に帰って……教会に追い返されるんならまだしも、もう一度教会に売りつけようとされた日にゃ、ああコイツ等は私の親じゃない。ここは私の家じゃない、って思い切りがついたよ」
ちなみに、逃げ出した頃にはもうセドヴァラ教会はオレリアが英語の解るだけの転生者で、何か役に立つ知識を持っているわけでも、自分たちが求める日本語やドイツ語が読める転生者でもないと判っていた。
連れ戻された時に受けた酷い
教会内での地位がどんなに高くても、
谷の賢女を受け継げれば、セドヴァラ教会は賢女に気分良く仕事をしてもらうため、叶えられる願いならばどんな願いでも叶えるらしい。
……オレリアさん、実はやりたい放題? あと、セドヴァラ教会って、変なトコだね。
普通の権力者は自分の地位を脅かす存在など認めることはできない。
少々特殊な能力を持った人間がいても、自分の下として扱うだろう。
不思議に思ってオレリアに聞いてみたら、セドヴァラ教会の一番上は薬術の神セドヴァラであり、その下へ人間の地位を置くのなら医学の発展に貢献した偉人――私も知っている有名どころで言えばユウタ・ヒラガのような故人――が聖人として並べられ、その下に教会内の人間関係がくるらしい。
谷の賢女はどこに入るのかと聞けば、谷の賢女は聖人ユウタ・ヒラガの弟子と数えられ、聖人と人間の間に位置する。
……それって、セドヴァラ教会内トップって言わない?
そう突っ込んでみたら、否定はされなかった。
「教会の連中は、私に街へ住むように、って言ってくるんだけどね。人が多くて煩わしいし、この谷は素材が多く取れるし、でここに住みついてるのサ」
谷から出たくないというオレリアの我がままを聞いているので、オレリアも教会の送ってくる弟子を毎回素直に受け入れているらしい。
弟子が正しく薬術の知識を受け継いでくれれば、オレリアの気も少しは楽になる。
人付き合いが煩わしくて谷に
「……わたし、オレリアさんの弟子、なった方がいい?」
途中で逃げ出したら殺されると聞いたが。
オレリアは見るからにもういい歳だし、今回のように素材を採取しに出かけた先でぎっくり腰になって動けなくなるようなことが、この先にないとは言い切れない。
弟子はともかくとしても、誰か生活を見守ってくれる人間は必要だろう。
オレリアが貴重な知識を一人で持っているというのなら、なお更だ。
「今のままじゃ、いらないね。手も足も短くって、ろくに仕事ができやしない」
むぎゅっと私の鼻を摘まんで、オレリアは鼻で笑う。
オレリアにとって、幼児でしかない私の申し出など大きなお世話以外の何物でもないのだろう。
「……あの騎士が言うように、成人してからなら考えてやってもいい。どうせ転生者とバレたら、売られる先はセドヴァラ教会だろうしね」
そして最終的には谷に送られて来るだろう、とオレリアは笑いながら言う。
「せいぜい今生の子ども時代を楽しみな」
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