第15話 魔女の弟子と谷の騎士の役割

「うるさいね、みっともない! 女の子が赤ん坊みたいにギャンギャン泣くんじゃないよ」


 どこをどう走ったのかは判らない。

 雨ざらしで綺麗に洗われたしゃれこうべには耐えられたが、腐乱死体は無理だった。

 理性が吹っ飛んで頭が真っ白になり、幼児のようにわんわん泣きながら死体から離れようとして走った。

 泣きながら走った。

 帰り道だとか、家の方角だとか、考えなければならないことがスコーンと頭から抜け落ちて、ひたすらに走った。

 そうして飛び出した藪の先に、探していたはずのオレリアが木を背に座っていた。


「オ、オレリアさん……」


 目当ての人物を見つけ、一瞬で涙が引く。

 しかし、今度はオレリアを見つけたことからの安堵に、涙腺は決壊した。


「オレリアひゃんいたぁああああぁぁあああっ!!」


 やっと見つけた、と泣きながらもオレリアを捕まえようと手を伸ばす。

 大泣きしている私に、理由わけがわからないといった顔をしているオレリアは、伸ばした手をそれでも握り返してくれた。


「なに泣いてんだい、この子は。うるさいね。泣きたいのはこっちだってのに」


 むぎゅっと鼻を引っ張られて、反射的に口が開く。

 大きく開かれた私の口の中に、蜂蜜味の飴玉が放り込まれた。

 口の中いっぱいに広がる甘みに、コロコロと舌で飴を転がす。

 そうしているうちに、少しだけ落ち着きが戻ってきた。


「……あまい……です」


「落ち着いたかい?」


「はい」


 まだ少ししゃっくりは出るが、涙は止まった。

 オレリアを見つけたことで、不安も一つ消えている。

 腐乱死体のことは思いだしたくないが、大人オレリア発見と飴の甘さに気がまぎれ始めた。

 これならば、これ以上あの光景を思いださないよう思考を切り替えることができるだろう。


「……で、なんだっておまえがここにいるんだい?」


「オレリアさん、帰ってこない。探しにきた」


 お腹すいてる? と水袋と食料を入れた袋をオレリアに差し出す。

 袋の中身を確認したオレリアは、パンではなく蜂蜜味の飴玉を取り出して口の中へと放り込んだ。


「……それで、迷子になってギャンギャン泣いてたのか」


「迷子、違う。泣いてたの、びっくりしたから」


「びっくり?」


 話している間に大分落ち着くことができた。

 見つけてしまった遺体を放置はできないし、幼女一人の腕力では埋葬も難しい。

 今はオレリアが薬作りで忙しいためすぐに埋葬はできないが、あの遺体を埋葬するためには、必ず誰か大人の手が必要になるだろう。

 とにもかくにも、遺体を見つけたことだけは先に伝えておく必要がある。


「壁のとこ、ずっとあっち。誰か、死んでた」


「壁……谷の端まで行ったのか?」


「ん。オレリアさん、探して、まっすぐ歩いた。そしたら、壁についた。人の骨、いっぱいあった」


 壁の方角を指差して、身振り手振りで自分が見たものを伝える。

 岩壁の近くに人骨が散らばっていたこと、少し離れた場所には腐乱死体があったことを伝えた。

 驚きすぎて遺体の眼窩にしか目が行かなかったのだが、説明をしていると意外に遺体の服装などを覚えていることに驚く。

 遺体の着ていた服装を伝えると、オレリアの眉間に皺が刻まれた。


「おまえが見た死体は、少し前まで私の弟子としてあの家に住んでいた娘だよ」


「……え?」


 オレリアの弟子と聞いても、ピンとこなかった。

 私がユルゲンに『都合が良い』とお勧めされた職業でもある。


「脇屋の台所は調味料が充実していただろう。私は必要とは思わなかったが、あの娘は凝り性だったみたいでね。谷に来る時に持ち込んだんだ」


 私が喜んで使っていた砂糖の元の持ち主だ、と聞けば、さすがに実感がわいてきた。

 あの家の前の住人が、岩壁の近くで腐乱死体として倒れていたのだ。

 もしかしたら、大人用サンダルの元の持ち主かもしれない。


 ……あ、サンダル。どこかで脱げた?


 視線を落とすと、いつのまにか裸足だった。

 夢中で走っていたため、どこかでサンダルを落としたらしい。

 裸足だと気づいてしまえば、チクチクと足の裏が痛くなってくる。

 私の足裏の惨状に気がつくと、オレリアは水袋の水で足裏を洗って自分の靴を貸してくれた。


「オレリアさんの靴、わたし履く。オレリアさん、歩けない」


「今ちょっと腰にガタが来ていて、元から歩けないんだよ。私の靴を貸してやるから、谷の上にいる黒騎士を呼んできな」


「谷から出る道、知らない」


「わざわざ谷から出る必要はない。骨が転がってる岩壁に行ったんだろう? あのすぐ上あたりにはいつも黒騎士がいるから、あそこで騒げば勝手に降りてくるサ」


 骨が転がっていた岩壁の上に、いつも黒騎士がいる。

 そして、転がっていた遺体の正体はオレリアの弟子で、レオナルドの説明によるとオレリアの薬術はとても厳密に秘匿されている。

 製法が精密すぎ、弟子が育つ前に逃げ出すのだろう、と単純に理解していたが、どうもそれだけではない気がしてきた。


「……オレリアさん、お弟子さん、なんであんなとこ、死んでたの?」


「おまえなら薄々気づいてるだろう」


 そう言って、オレリアは苦笑いを浮かべたが、結局は聞かせてくれた。

 聖人ユウタ・ヒラガから直接指導を受けた賢女・賢者の知識はとても貴重なものである。

 が、その製法は驚くほど精密で調合過程も多く、全てを正しく覚えていられる者は少なかった。

 わかっている限り当時の賢人たちの知識を正しく受け継いだ者は、この国にはオレリアしかいない。

 オレリアの薬術は人の命を救う力を持っているが、逆に言えば『他者ひとの命を握っている』ということでもある。

 そして、そういうことができる人間を手駒として確保しておきたい者は、どこにでもいる。

 判りやすくいうのなら、権力者だ。

 国が代々の谷に住む賢人を囲ってきた。


「だから、黒騎士、見張ってる?」


「あいつらは私を谷に閉じ込めている見張りで、外から私を盗みに来る奴らからの護衛で、半端に知識をつけて脱走した賢女のなりそこないをするためにいる。半端な知識で外に出て、治療と称して毒を撒かれても困るからね」


 賢女の薬術の知識は素晴らしい。

 ある意味では、国から宝のように大切にされている。

 そのかわり、その知識を独占するために谷へと閉じ込められ、縛られてもいた。

 知識を継承させるために弟子を取らせるが、挫折して逃げ出した弟子は知識の流出を防ぐ目的で見張りの騎士に殺される。


 ……前に、谷の外の黒騎士を見張りみたい、って思ったけど……本当に見張りだったんだね。


 人の良さそうな笑みを浮かべていたが、彼があの腐乱死体を作り上げたのだろうか。

 谷の上にいる黒騎士といえば、一人しか思い浮かばなかった。


「オレリアさん、閉じ込められてる? 谷の外、出たい?」


「勘違いすんじゃないよ。私は私の意志で谷に住んでるんだ。逃げ出すような半端者にゃ、生きて帰れない地獄みたいなところかもしれないが、一度技術さえ握ってしまえば、こっちのもんだ。技術を受け継げる奴がほとんどいないからね。多少の我儘は言い放題だ」


 あれが食べたい、これが食べたい。東方の国の珍しい花の苗がほしい、真珠を砕いて薬を作るから箱いっぱい持って来い。

 多少の無茶は全て叶えられる。

 それが谷の魔女だ。


「私は色々あって、人の中で暮らすのが嫌になったのさ。だから一人でここに篭ってんのは、むしろ快適なぐらいだよ」


「一人がいい、だから、言葉忘れたふり、する?」


「……それもあるかもね」


 それもある、ということは、正解ではないのだろう。

 では、正解はいったいなんだろうか。

 考え始めた私の顔を見て、オレリアは一度目を伏せる。

 そして、ゆっくりと目を開いたと思ったら――


「おまえ、転生者だろう」


 オレリアから指摘された言葉に、思わず背筋を伸ばし、息を飲む。

 レオナルドにも可能性として考えられたことはあるが、断定口調で指摘されたことは無い。

 さて、どう答えたら良いのだろうか。

 内心で冷や汗を流しながら忙しく思考を巡らせていると、オレリアは珍しくも破顔はがんした。


「もう少し上手く誤魔化せるようになりな。少しでも反応を見せたら気づかれるよ。そもそも、おまえのように聞き分けの良い幼児なんていない。今生での年相応の振る舞いを身につけるんだね」


「年相応……」


 年相応の振る舞いといえば、幼児らしい言動や仕草をしろ、ということだ。

 まがりなりにも成人女性としての自負があるため、子どもを演じるのは少しどころではなく恥かしい。

 今の私が幼女であるという自覚はあるが、どうしても本当の幼児のようには振舞えない。

 わがままを言う幼児に対して、大人が感じるであろうことも解るのだ。

 手のかかる幼児など面倒臭い、と。


 今生の両親を相手に練習しても良かったのだが、手のかからない良い子であろうとしてできなかった。

 これからはレオナルドに対して普通の子どものふりをしなければならないのだが、彼は完全に他人だ。

 幼児の世話が面倒だと思えば、私を放り出すことだってできる。


「……年相応、難しい」


 不自然でない程度の子どもらしさなど、どこで学べば良いのだろうか。


 ……そういえば、今生はあんまり子どもと絡んだことってなかったや。


 村に住んでいた頃は本物の幼児が近所にもいたが、彼らと積極的に付き合うことはなかった。

 村八分になっていたということもあるが、子どもの理解できない言動には付き合いきれない、と自分から接触を断っていたこともある。

 子どもといるよりも、大人といる方が遥かに快適だったのだ。


 ……あれ? もしかして、村で一番親しかった子どもって、マルセル?


 あれはあれで、実に判りやすい男の子だった。

 好きな女の子ほど苛める、という私からしてみれば迷惑以外の何物でもなかったが。


「難しくても出来るようにならなきゃ、いずれ転生者だって気づかれるよ。おまえはあまり器用な方ではないようだし」


 一言指摘されただけでビクリと震えて背筋を伸ばした。

 これだけ素直に反応されれば、指摘した内容に間違いが無いことは誰にでも理解できる。


「転生者と気づかれたらいけないよ。自由を奪われる」


「オレリアさん、やっぱり、谷、閉じ込められてる……?」


「谷に住んでることじゃないよ。谷に来る前の話サ。私は英語ぐらいならなんとか読めるが、他の国の言葉は無理だね。ついでに何か秀でた知識を持っているわけでもなし、転生者としてはハズレもいいとこだ」


 だが転生者の知識など、何が幸いするかはその時になってみないと判らない。

 そのためにオレリアはセドヴァラ教会に管理される身となり、ただ飯など食わせる余裕は無い、と当時の谷の賢女へと弟子として送り込まれた。

 才能があったのか、性格的に細かい仕事に向いていたのか、賢女の薬術を見事に継承し、次代の賢女となれたのは幸運だろう。

 おかげで今は黒騎士に処分される身ではなく、鬱憤晴らしに杖を振りあげて追い回しても良い身分だ。


「……さて、そろそろ黒騎士を呼んでおいで」

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