第14話 賢女を探し歩けば骨にあたる

 ……変だ。おかしい。なんで?


 昨夜は遅い時間になってもオレリアが帰宅しなかった。

 待ちきれなくて先に休みはしたが、まさか朝になっても戻っていないとは思わなかった。


 朝から出かけても、昼からでかけても、オレリアはいつも夕方には帰ってきていたのだが。

 そのオレリアが、昨夜は帰ってきた様子がない。

 念のために工房の入り口で耳を澄ませてみたが、人がいる気配はしなかった。


 ……少し遠いとこに行ったとか? でも、それなら遅くなるとか、今日は帰らないとか、先に言ってくれるよね?


 オレリアからはあまり幼児扱いされている気がしない。

 帰りが遅くなるにしても、心配させないよう事前に一言ぐらい声をかけてくれるはずだ。


 ……出かけた先で何かあったのかな?


 足をくじいて動けないとか、木の実を取ろうとして木から下りられなくなってしまっただとか、色々なことを想像してしまう。

 なんらかの不測の事態に陥ったのでもない限り、オレリアが戻らない理由はない。


 ……探しに行った方が、いいのかな? 何かあって動けなくなってる、とかだと大変だし。


 矍鑠かくしゃくとしていてつい老女だということを忘れてしまうのだが、オレリアもやはり老人だ。

 ちょっとしたことで身動きが取れなくなってしまうことも、やはりあるだろう。


 ……とりあえず、ご飯持ってこう。オレリアさんがお弁当って言って飴玉持ってくぐらい遠いかもしれないし。


 固い乾燥パンを薄くスライスして袋へ入れる。

 具を挟めばサンドイッチになるが、距離によっては痛んでしまうかもしれないので、入れないほうがいいだろう。

 代わりに蜂蜜と匙も袋へと入れた。

 非常食の飴玉を詰め込み、水袋まで持つと八歳児には結構な大荷物ができあがる。


 ……お、重い。でも我慢。食べ物しか入れてないから、これが最小重量なはず。


 問題なのは、私が幼児であることだけだ。

 いかに並みの幼児よりかは知恵が回ろうとも、体力だけはどうしようもない。


 ……さて、迷子……なわけはないけど、オレリアさん捜索に出かけよう。


 オレリアの向かった方角へ、柵を越えて歩き出す。

 オレリアの家から十五分ぐらいの距離は、私が薪を拾う行動範囲だ。

 何度も来たことがあるので、このぐらいの距離は苦にもならないし、不安も感じない。

 慣れた道のりだ。

 が、行動範囲を一歩外へ出ると、さすがに不安になる。

 あまり遠くへは行かないように、と森の奥へ薪を拾いに行くのはレオナルドから禁止されていた。

 奥はレオナルドの行動範囲、近くは私の行動範囲、と薪を拾うだけにしても住み分けのようなものがあったのだ。


 ……緊急事態ですよ。言いつけ破るけど、見逃してください。


 心の中でレオナルドに詫びながら、普段は入らない森の奥へと足を踏み入れる。

 地面にはちらほらと薪になりそうな枝が落ちていたが、奥に行くほどに数が減った。

 奥の薪はレオナルドがしっかり拾い集めたせいだろう。


 レオナルドが頻繁に出入りしていたおかげか、下草が獣道のように踏み潰されている。

 うっかり方角を見失っても、この道を辿ればオレリアの家へ戻れるだろう。


 ……道が、なくなってきたね。


 踏み慣らされたと判る道が消え、ポツンと森の中に立たされる。

 さて困った。こちらへ向かったはず、とひたすらに歩いて来たが、これまではあった道らしい道が消えてしまった。

 これではオレリアを探すことはできない。


 ……警察とか探偵なら、人の歩いた跡とか探せそうなんだけどね。


 少なくとも、私にはできない。

 何度も通ったために草が倒れているだとか、踏み慣らされているだとかの判りやすいものならば私にも見つけられるが、オレリア一人が昨日今日通っただけの道など見つけられるはずも無かった。


 ……あれ? なんだろ?


 視界の隅に違和感をみつけ、そちらへと視線を向ける。

 違和感の正体を見極めようと注意深く見つめると、木の幹に傷が付けられているのを見つけた。


 ……矢印? え? 誰がつけたの?


 オレリアがつけた印だろうか、とも思ったが、古すぎる気がする。

 傷つけられた部位を覆い隠すように木が成長し、矢印はむしろ浮かび上がっていた。


 ……とりあえず、この矢印の方向に行ってみようかな? 道わからないし。


 そんな軽い気持ちで進む方角を決める。

 すでに家からはかなり離れているし、何処かそのあたりにオレリアがいるかもしれない。


 時折オレリアの名前を呼びながら、森の中を進む。

 微かな物音がして視線をむけると、やぶから野兎が飛び出してきた。


 ……熊とかいないよね?


 ほとんどをオレリアの家周辺だけで生活していたため考えたこともなかったが、野生の動物がいるということは、この森には危険な大型の動物もいるかもしれない。

 そんな可能性に気が付いてしまっては、これまで以上の不安を感じずにはいられなかった。

 大型の動物に出くわしたらどうしよう、オレリアが食べられていたらどうしよう、と怯えながら森を歩く。

 しばらく歩き続けると、木々の間に岩壁が見えた。


「……谷の、はじっこ?」


 岩壁の前に立ち、壁を見上げる。

 谷に来た時は霧が立ち込めていたが、今日は青空が見えた。

 続いて左右を見渡す。

 岩壁は見渡す限りどこまでも壁として続いていた。


 ……オレリアさんの家が壁を背中にしてるから、逆の壁まで来ちゃった、ってこと?


 かなりの距離を歩いたことになる。

 そして、それだけの距離を歩いてもオレリアは見つからなかったということでもある。


 ……さすがに疲れた。一休みしよう。


 改めて空を見上げると、太陽はほぼ真上に来ている。

 朝食もそこそこに家を出て、昼近くまで歩き続けていたのだ。

 子どもの体力で疲れないはずがない。


 ……オレリアさんがお腹すかせてるかも、って持ってきたけど、先に私が食べることになったよ。


 丁度良い高さの岩に腰を下ろし、ほっと息をはく。

 まずは口を湿らせようと水袋に口をつけると、正面の岩陰に荷物らしきかばんが転がっていることに気が付いた。


 ……あれ? なんだろう? オレリアさんの荷物……じゃないよね?


 少なくとも出掛けにオレリアが持っていた籠ではない。

 なんとなく気になって、休憩は飴玉を口に放り込むだけで終わりにした。

 水袋の口を閉め、肩にかける。


 口の中で飴玉を転がしながら岩に回り込み、岩陰に見えていた鞄を――


「……ひっ!?」


 誰かの荷物と思われる鞄には、肩から提げるための太いベルトが付いていた。

 誰かの落し物か、捨てられた鞄だろう。

 漠然とそう信じて岩陰を覗き込んだのだが、鞄から伸びるベルトの先には人間の物と思われる骨が散乱していた。

 下半身の骨は、見渡す限りみつからない。

 肋骨と背骨は素人にも判別がしやすかった。

 手や指の骨も一緒に散らばっているのかもしれないが、人骨の知識など持ってはいないので私には判断できない。

 一番目立つはずの頭蓋骨がないな、と無意識に周囲を探してしまい、すぐに後悔することとなった。

 改めて見渡す周囲には、大小様々な白く細長い石が散らばっている。

 もちろん、一見すると石に見えるだけで、違うものだ。


 ……いっぱいあるけど……散らばってるから多く見えるだけだよね? 何人もいたりしないよね?


 目を逸らすことができず、視線は地面をさまよう。

 割れたり欠けたりしている骨の中に頭蓋骨と思われる大きさの物を見つけ、ぞっとした。

 黒い大きな眼窩が割れて、まるで地中から頭が這い出てこようとしているようにも見える。

 割れた頭蓋骨と目が合った気がして、反射的に足を引く。

 踵に何かが当たったと思った瞬間、パキリと小さく物が割れる音がした。


 ……嫌な予感。


 恐るおそる視線を足元へと下げる。

 大人用のサンダルの下にあったのは、大小ある――否、たった今大小様々に踏み砕かれた――人の骨があった。


「ご、ごめんなさいいいいいいいいいっ!!」


 己のしでかした惨状に、頭が真っ白になってその場からの逃走を図る。

 すでに物言わぬむくろを通り越して骨ではあったが、自分が踏み潰したものは人間であったものだ。

 前世の価値観でも、今生の価値観ででも、見過ごせるものではない。

 短い足で懸命にその場から離れようと地面を蹴り、慌てすぎたのが仇となった。

 もともとサイズの合わない大人用のサンダルである。

 気をつけて歩かねば転びそうだと、初めてサンダルを見た時に思った。

 そのサンダルを履いての全力疾走である。

 当然その足運びには無理が出て、ついには盛大に転んでしまった。


 ズシャアアァッと漫画のような盛大な音がした。

 こんな転び方をしたら、あちこち擦り剥いているに違いない。

 天罰覿面というやつだろうか。


 ……うう、わざとじゃないけど、ごめんなさい。


 心の中で骨の主に詫びて体を起こす。

 顔をあげると、微かな異臭に気が付いた。


 ……あれ? なんだっけ? この臭い……前に、どこかで……


 と、視線を泳がせれば、目が合いたくない人物と目が合ってしまう。


「ふ、腐乱死体……っ!?」


 目玉はすでになかった。

 が、死体の顔は偶然にも私の方へ向けられている。

 どす黒く腐った肉はほとんどが崩れ、衣服の隙間から骨がほとんど見えている。内臓と血の腐った臭いが辺りに染み付き、蛆が残り少ない肉の上で蠢いていた。少し風が吹くと腐臭が私のいる場所まで届く。胃の中の物がせり上がってきたが、なんとか耐えた。

 見たくはないのだが、遺体から目が離せない。

 瞬きを忘れたせいか、腐臭が目に染みたのか、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。

 凄惨な遺体に頭が真っ白になった反面、頭の片隅で冷静な自分が遺体を観察しはじめる。

 先ほどみた白骨とくらべて、こちらの遺体は明らかに新しい。

 衣服をまだ纏っているし、骨も人の骨と判る並びをしている。


 私の理性が持ったのは、ここまでだった。

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