閑話:アルフ視点 砦の留守番 1

 執務机へと広げた地図に、たった今報告を受けたばかりの事柄を反映させる。

 簡単な地形と国内の町や村の位置が記された地図には、三色の印が書き込まれていた。

 青い印は異常なし、黄の印は感染者あり、赤い印は全滅となっている。

 今のところ赤い印はメイユ村を含めた三つだけで済んでいた。

 まだ本腰を入れての調査は開始したばかりなので、これから増えていくだろう。


「……感染源は街道を移動している、で間違いはなさそうだな」


 地図に纏めるとわかりやすい。

 黄色と赤の印は隣国から街道にそって南東に進んでいる。

 レストハム騎士団経由で届けられたレオナルドからの手紙にも、ただの予想ではあったがそのようなことが書かれていた。

 商人が感染源を運んでいる可能性がある、と。


「目的地は王都か。まあ、愛玩動物ペットなど成金趣味の商人か貴族相手でもなければ売れないだろうしな」


 王都には自分の家族もいるので、少しだけ気になる。

 まかり間違っても、父母が商人から直接商品を買うようなことは無いと思うが、それでも心配は心配だ。


「感染範囲の調査と同時に、商人の確保も必要だな。メイユ村には秋の終わりに寄ったらしいが……」


 順調に商売を続けたのなら、もう国内にはいないかもしれない。

 荷馬車で商売をする商人であれば、商品は秋のうちに売り切って冬は家へ帰るだろう。

 街道に沿って移動した形跡はあるのだが、国内から隣国へ移動した、という可能性も残っている。

 すでに国外にいるのなら、それは他国の問題だ。

 どうでも良いと言うことはできないが、だからといって手の出しようもない。

 できることといえば、国内のセドヴァラ教会から隣国のセドヴァラ教会へ注意喚起を送るぐらいだろう。

 しかし、商人がまだ国内で商売を続けているのなら、これ以上感染を拡大させないためにも商人と感染源を確保し、隔離する必要がある。


「副団長、ジャン=ジャック、ただいま戻りましたよ、と!」


 ノックもそこそこに、ジャン=ジャックが執務室へと顔を出す。

 顔や服といった、いたる所にすすが付いたままの様子だった。


「メイユ村の焼き払い完了しました。あとには何も残ってませんぜ」


 謎の伝染病で滅んだ村など、どこに病原菌が潜んでいるとも判らないので、村人がいなくとも放置はできない。

 一度焼き払って清める必要がある。

 村にはティナという生き残りが一人いたが、彼女の引き取り手はもう決まっている。

 メイユ村にある実家を焼き払ったところで、彼女の帰るべき家はもう別の場所にあるのだから気にする必要も無い。


「他二つの村も、テディ隊、ランドル隊が明後日みょうごにちには焼却を完了して帰還する予定です!」


 多少言葉は乱れるがはきはきと報告を続けるジャン=ジャックに、違和感を覚えて注視する。

 ジャン=ジャックという男は、あまり行儀の良い男ではない。

 団長であるレオナルドには絶対に勝てないと敬服しているが、副団長である自分にならいつか勝てるのでは、と上官に対する敬意が欠けているのだ。

 いつもならば報告が終わる頃にはジャン=ジャックの素行の悪さに、自分が騎士の規範にはじまり社会人生活を送る上でのモラル等を並べて懇々と注意をすることになるのだが、今日はそれが必要なさそうだった。


「今日は妙に行儀がいいな。いつもならもっと……」


「行儀良く振舞えば、報告がすぐに終わる、と先日副団長がおっしゃられましたから!」


 満面の笑みを浮かべる顔が若干どころではなく気持ち悪い。

 言葉ははきはきと聞こえが良いのだが、ジャン=ジャックの目はギョロギョロと落ち着きが無い。

 とはいえ、報告には問題がないので、いつものように引き止めて説教をする必要もなかった。

 退室を許可すると、ジャン=ジャックは休みがほしい、と言い始める。


 ……それで今日は神妙だったのか。


 常には無い素直な態度が不気味だったが、理由が判れば簡単だ。

 メイユ村から戻って以降、伝染病情報収集に駆け回っていてジャン=ジャックはもとより、騎士たちは休日を返上させられている。

 そろそろ音を上げる者も出てくる頃だろう。


「……交代制で順番を守って休め。おまえが最初でいい。上から休まないと、下は休みづらいからな」


「いよっしゃあああああああっ! 愛してるゼ、副団長!!」


「やめろ、気持ち悪い」


 ジャン=ジャックは拳を天に突き上げて雄たけびをあげると、「まずは風呂屋に行ってきますっ!」と宣言して部屋を飛び出していった。

 ジャン=ジャックの言う風呂屋とは、風呂はあるが風呂屋ではない。

 金銭と引き換えに女性が性的な接待をしてくれる……一言でいえば娼館だ。

 精力溢れる男所帯の騎士団にいると、どうしてもそういった施設の世話になることがある。

 妻と定めた女性以外と淫らな関係になるべきではない、などという綺麗事を言うつもりもない。







 壊滅した村を焼き払いに出ていたテディ隊、ランドル隊が戻ると、ジャン=ジャックと同じように交代で休みを取らせる。

 不眠不休で働かせて、騎士まで倒れてしまっては笑い話にもならない。

 さすがに娼館へ行くような元気があるのはジャン=ジャックだけだったようで、みな休日は一日中寝て体力の回復に努めていたようだった。


 砦内で異変が起こったのは、ランドルの休暇予定日だった。

 仕事の引継ぎを終えて数週間ぶりの休日を取る、とランドルが報告に来た場に軍医が駆け込んできたのだ。


「ジャン=ジャックが発病しました」


 場の空気が一瞬で凍る。

 病で滅んだ村での作業だ。感染予防には十分に気を使っていた。

 村で暮らしていたティナや、ティナに触れたレオナルドが発病したと言うのなら解るが、幸いなことにそのような知らせは来ていない。

 それなのに、砦内でティナに触れたこともないジャン=ジャックに感染が現れるとは。


 何故――と頭が真っ白になるが、すぐに思考を切り替える。

 惚けるより先にやるべきことがある。


「すぐにジャン=ジャック馴染みの娼館を閉鎖しろ! ジャン=ジャックの相手をした娼婦は隔離――」


 思いつくままの指示と注意点を挙げながら、頭の中で整理をする。


 ……休みを与えたのがあだとなったか。


 休みを得たジャン=ジャックが真っ先に飛び込んだのは娼館だ。

 娼館を押えるのは基本だろう。

 ジャン=ジャックの相手をした娼婦、その娼婦が取った客、娼婦と生活を共にしている仲間の娼婦、さらにその客。

 久しぶりの休暇に食堂と酒場を梯子はしごしたとも自慢していたはずだ。

 となれば食堂と酒場にも同様の対応が必要になってくる。


「街の中では感染者を出した家を焼くわけにもいかない。セドヴァラ教会に協力を要請しろ。協会なら消毒薬ぐらいあるだろう」


 思いつく限りの指示を飛ばし、ジャン=ジャック含む感染者を集め砦の一角への隔離が終わったのは夕刻も近い時間だった。

 有事の際に兵として国を守る砦へ病の、それも伝染病の人間を隔離するのはどうかと思うが、逆に外へも出せないのだから仕方がない。

 医療に関することはセドヴァラ教会を頼るのが普通だが、セドヴァラ教会は民に向けても開かれた施設だ。

 万が一にでもセドヴァラ教会内で感染を広げるわけにはいかない。

 薬を求めてセドヴァラ教会を訪れた民へ病が感染してしまっては、感染者を隔離する意味も、治療を求めてセドヴァラ教会を訪れる意味も無い。


 隔離した人物をリストにし、漏れがないかと確認する。


 ……私も隔離されるべきだろうか? 休暇を取りに来たジャン=ジャックと話をした時、私はマスクをしていなかった。


 もしかしたら、ジャン=ジャックと隊を組んで行動していた騎士や、仲の良かった他の騎士の中にも感染している者はいるかもしれない。


 ……騎士は全員しばらくマスク着用だな。発病までの期間、知らずに感染を広げることも多少なりとも防げるはずだ。


 全員にマスクの着用を通達しようと振り返り、背後に立つランドルを思いだした。

 彼には休暇が与えられるはずだったのだが、そんな余裕はなくなってしまった。


「ランドル、悪いがワイヤック谷までひとっ走り頼む。団長の容態を確認してきてくれ」


「はっ!」







 北棟の一角へ隔離した娼婦が発病し、感染の拡大が確認された。

 その旨を伝えるためにレオナルドへ急使を送りたかったが、さすがに戻ったばかりのランドルに頼むのは気が引ける。

 しかし、ランドルは無言で急使を引き受け、レオナルドはわずかばかりの薬と共に砦へと帰還した。


 感染を警戒して谷に籠もったティナとレオナルドが感染しておらず、無警戒だったジャン=ジャックが感染したことに対し、レオナルドは首を捻る。

 しかし娼婦への感染の拡大については、ジャン=ジャックらしすぎると呆れていた。


「ティナの話とオレリアの見つけた症例によると……そろそろ一度ジャン=ジャックの熱が下がる頃だな」


 熱が一旦下がると、今度は猛烈な痒みを伴うらしい。

 誘惑に負けて掻き毟るとそこに疱瘡ができて、さらに痒さが増すとのことだ。

 痒さに負けなかったというティナの父親の遺体を見ているのであまり実感はないが、埋葬するはずの人間全てが死に絶えた村で野ざらしになっていた遺体の様子も聞いている。


 レオナルドが持ち帰った薬は、感染の極初期状態であれは効果が望めるという、なんとも頼りない品物だった。

 それも継続的に摂取する必要があり、そもそもの数が少ない。

 軽度の人間を選んで、薬を与えられるのはせいぜい十人までだ。

 薬の量を減らせば与えられる人数が増えるが、それでは効果が出ない可能性があり、薬そのものが無駄になってしまう。


「王都からの返信は、騎士へ優先して薬を渡すように、と。特にジャン=ジャックへは感染源を持ち込んだからといって差別などせず、十分な薬を与えるように、とある」


「あの薬が効くのは、初期状態だけだと……」


 オレリアの言葉を信じるのなら、ジャン=ジャックに薬を与えることは無駄になる。

 ジャン=ジャックはすでに初期状態とは言えないところへきていた。


 王都から急使が持ち帰った書簡を見下ろすと、ため息しかでない。

 オレリアに作らせている薬の代金は、ほとんどが税金でまかなわれる。

 金を出す以上、配る人間を選ばせろと言ってくるのは当然かもしれない。

 民より兵を、女より男を、子どもより大人を、赤子と老人は見捨てろ。

 為政者の判断としては、当然だろう。


 ……薬の数が限られている以上、私でも同じことを言う。


 世の中、綺麗事だけでは上手く回らない。

 それを知っているので、思うことはあるが、自分は王都からの指示に従える。

 しかし、まだ若いレオナルドには、割り切ることが難しいのだろう。

 苦い顔をして王都からの書簡を握り締めていた。

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