第13話 騎士の帰還と私に出来ること

 続報が届いたのは、さらに二日経ってからだった。

 馬の往復を考えたら、砦に戻ってすぐに引き返してきたのかもしれない。

 黒騎士がレオナルドに報告する声が、私にも聞こえた。


「ジャン=ジャックより娼婦への感染が確認されました! 該当娼婦は隔離、ジャン=ジャックの相手をして以降の客も確保。他の娼婦たちも隔離しております。今はセドヴァラ教会が娼館全体の消毒をしておりますが、どこまで効果があるかは判らないそうです」


 他にもジャン=ジャック行きつけの食堂や酒場も閉鎖し、セドヴァラ教会が入っての消毒作業が行なわれたようだ。。


 ……ジャン=ジャックさん一人の影響で、お店は大変だね。


 店が感染していた場合に、さらなる感染の拡大を防ぐためには必要な処置だとは思うが。

 店の閉鎖を余儀なくされた店主には、気の毒としかいいようがない。

 営業妨害もいいところだ。


「Take this and go」


 工房から出てきたオレリアが、手提げサイズの袋をテーブルに置く。

 袋の半分ほどまで物が詰まっているのか、テーブルに置かれた際に小さな音がした。


 ……小さい粒がいっぱい詰まってるのかな?


 コチコチとした音は、飴の缶を振った時に聞こえる音と似ている。

 ただ音が少し高いので、袋の中でぶつかっている物は小さな粒なのだろう。


「Is the same ones to the previous medicine.Choose a person to distribute.Do not distribute to people who are unlikely to recover.」


 相変わらずレオナルドと話す時のオレリアは英語を使うため、私には何を言っているのかが理解できない。

 深刻な顔をして話し合う二人に、顔色を窺うことしかできない私としては不安でしかなかった。


 ……こんなことなら英語、もっと真剣に覚えておけばよかった。


 テストの点だけ取れればいいや、と一過性の知識として学ぶより、ちゃんと身に付けて理解しておくべきだった。

 知識として学んだだけの英語と、実際に使われる英語とではまるで違う。


 前世の不勉強を後悔して一人勝手に落ち込んでいると、レオナルドとオレリアが同時にこちらへと視線をむけた。


 ……え? 何?


 今まで完全に蚊帳の外だったのだが、突然二人から視線を向けられれば驚く。

 なんだろう? と瞬いていると、オレリアの手が私の肩に添えられて、レオナルドに向かって手招きをしはじめた。


 ……あ、外国では手招きは逆なんだっけ? じゃあ、レオナルドさんを追い払っているの?


 オレリアの仕草にレオナルドはムッと眉を寄せたが、やがて諦めたらしい。

 深く溜息を吐くと、ひざまずいて私と目線を合わせた。


「……ティナ、俺はそろそろ砦に戻る。潜伏期間は過ぎたようだが、高熱がでる様子もないしな」


 どうやら今のやりとりは、レオナルドが街へ帰っても大丈夫かどうか、とオレリアに聞いていたらしい。

 となれば、二人同時に私の顔を見たのはいったいなんだったのだろうか。


「わたしも、レオにゃルドさんと一緒、行く?」


「俺も一緒に連れて帰りたいんだが……ティナはここで、もうしばらくオレリアのお手伝いをしてほしい。オレリアもそう言っている」


 なんと、今の睨み合いは私を連れて帰るか、谷に残すかの睨み合いだったらしい。

 保護者として一緒に連れて帰りたいレオナルドと、薬を作るのに一人では手が回らないオレリアとの攻防だ。


「わたしできるお手伝い、薬研とか、お鍋見てる、だけ。役、たてる?」


 本当に良いのか、とついオレリアを見上げたら、頭を押さえられて視線をレオナルドへと戻された。

 オレリアには私の言葉が通じているはずだが、黒騎士相手には英語しか解らないふりを続けるつもりらしい。

 自分に話を振るな、一人でレオナルドと話を付けろ、ということだろう。


 ……いい加減面倒だから、オレリアさんがしゃべってくれたらいいのに。


 そんな不満が顔に出たが、レオナルドにはそれが不安げな顔に見えたらしい。

 私の頭をわしゃわしゃと掻き回すように撫でた。


「砦が落ち着いたら絶対迎えに来るから、しばらくはここでオレリアの手伝いをしていてくれ」


「ん、わかった」


 こくりと頷いて、レオナルドを見送る。

 馬上から何度となくレオナルドが振り返ったので、よほど私が心配らしい。


 ……そんなに心配しなくても、本物の幼女とは違うから、オレリアさんにそこまで迷惑はかけないよ。







 とにかく私にできる範囲で手伝いをしよう。

 薬の調合などはもちろん出来ないので、オレリアに言われるまま素材を材料に変える作業だ。

 一日中薬研で粉を作ったり、葉を干したり、すり鉢で粉を作り続ける。

 たまに葉の形や砂の色が変わると、違う物に移ったんだな、と僅かながらも達成感があった。

 一日、二日、とひたすら地味な作業を繰り返し、その合間に食事を作ったり、洗濯をしたりと家事をする。

 オレリアはほとんど工房から出てこない。


 ……オレリアさん、これ幼女を預かってる人の行動じゃないよ。


 普通の幼女であれば、食事などの世話は大人がするものだ。

 少なくとも、オレリアのように一日に一回工房から出てきて幼女の作った食事を摂ってまた工房に篭るだなんて行動はできない。


 ……ま、普通の幼女じゃないし、今は緊急事態だからね。


 寝る暇も惜しんでオレリアが工房に篭っているのを知っている。

 子どもは寝なさい、と言い出すレオナルドがいなくなったため、私の睡眠時間も作業のキリがよくなるまで、とどんどん遅くずれ込んでいた。

 そのせいで、深夜まで工房に明かりが灯っているのを知っている。


 レオナルドが街に戻って六日目に、荷物が届いた。

 届けてくれた騎士はグルノール騎士団を名乗っていたので、最初に黒騎士が来た時にオレリアが注文したものだろう。

 文字はまだ読めないし、読めたとしてもそれが何なのかを理解できるはずもないので、工房に篭っているオレリアを呼んだ。

 荷物の確認と選別をオレリアが行い、荷物の整理は運んできた黒騎士が手伝わされた。

 まだ幼女で腕力がないため、私には荷物整理などの力仕事を手伝うことはできない。

 ただオレリアと黒騎士を眺めているだけ、というのも時間の無駄なので、家に入って木槌を振るった。

 これまではレオナルドがある程度まで小さく砕いてくれていたのだが、今はいないので自分でやるしかない。

 大きなままでは薬研が使えないし、小さくした方が効率も良いのだ。


 非力ながらも木槌を使っていると、荷物の整理が終わったらしい黒騎士が顔を出した。


「ティナちゃん、ティナちゃん」


「はい?」


 入り口で手招く黒騎士に、首を傾げながらも木槌を置いて近づく。

 近くで黒騎士の顔をよく見てみると、メイユ村に来た中にいた顔だと思いだした。


「えっと……ローレンツしゃん?」


 少し噛んでしまったが、たしかそんな名前だった気がする。

 ローレンツと呼ばれた黒騎士は嬉しそうに笑うと、腰に下げた袋から手のひらサイズの缶を取り出した。


「団長からティナちゃんに、お手伝いを頑張ってるご褒美だってさ」


「ごほうび?」


 なんだろう? と手渡された缶を軽く振ってみる。

 中からはコチコチと何かがぶつかる音がした。


 ……飴?


 先日貰った飴の缶を振った時の音と似ている。

 あの飴は、すでに甘味として楽しむというよりも、食事を作るのが面倒臭い時の非常食扱いに近い。


 ……冷静に考えると、子ども育てる環境じゃないよね、ここ。


 年長者であるオレリアは工房から出てこない。

 食事は幼女自身が作っている。

 その幼女も作るのが面倒になると飴を舐めただけで終わりにする。


 ……うん、だめだ。この家の子になったら。


 ついに気づいてしまった事実に、内心で黄昏たそがれる。

 オレリアとの生活は、私に前世で成人した記憶というか自覚があって初めて成立する。

 生まれて数年の、本物の幼女が生活できる場所ではない。


 ……とりあえず、新しい飴を一個頂こう。


 缶を開けようとするのだが、幼女の手では開け難い。

 何度か指が滑ると、見かねたのかローレンツが蓋を開けてくれた。

 缶の中に詰まっていたのは、先日貰った飴玉とは違う琥珀色をしていた。


「蜂蜜味の飴だって、団長が言ってたけど……」


「ローレンツしゃん、好きーっ!」


 蜂蜜につられ、最大限の感謝を示す。

 身長の関係で足に抱きつくことになってしまうのだが、気にせず抱きついた。

 蜂蜜様を頂いたからには、最大限の感謝を示さねばならない。


「団長が用意したものなんだけど……」


「じゃあ、レオにゃルドさんにも、おつたえください」


 早速一つを口の中に放り込んで、口中に広がる甘い蜂蜜の味に幸せを感じる。

 この幸せの味があれば、単純で眠くなる作業ばかりが続いているが、もう少しだけ頑張れる気がした。







 ひたすら薬研を動かしてさらに三日が過ぎる。

 そろそろお昼かな? と外に出て乾燥中の網をひっくり返した。

 私にはただの泥と草の塊に見えるのだが、オレリアが作ったのだからこれも薬の材料になるのだろう。


 ……そういえば、結構お手伝いしてるけど、草の名前とか全然覚えないね?


 名前を覚えないというよりは、そもそもオレリアの口から固有名詞が出てこない、と言うのだろうか。

 オレリアからの指示は「この草を干しておけ」「あの赤い葉を粉にしておけ」といった感じで、物の名前が出てこない。

 この国での言葉を知らないのかもしれないが、あれらにも名前はあるはずだ。

 名前がなければ、騎士たちに街で用意しろ、などと注文を出すこともできないのだから。


 ……オレリアさんの技術は秘匿されている、とか言ってたっけ? もしかして、私がうっかり名前覚えたりしないように、わざと?


 そんなことを考えながら網をひっくり返していると、工房からオレリアが出てきた。


「オレリアさん、お昼ご飯、たべる?」


 近頃ではすっかり朝と夜にしか姿を見せなくなったオレリアに、そう声をかけてみた。

 まだまだホットケーキミックスには勝てないのだが、小麦粉から作る私のパンケーキもそろそろ他者ひとに出しても良い出来栄えになってきたのだ。


「……あれ? 籠? どこか行く?」


「ああ、いい加減材料が切れた。少し取って来ないと、これ以上は作れなくなる」


 工房から出てきたと思ったら、オレリアは背負い籠を持っていた。

 レオナルドに背負わせているところしか見たことがなかったので、なかなか新鮮でもある。


「荷物運び、ついてく!」


「弟子になら採取場所を教えてもいいが、おまえには教えられないよ」


 薬の調合方法が秘匿されているのなら、素材の採取場所も秘匿されているらしい。

 そういえば、レオナルドも荷物持ちとして同行しただけだと言っていた。

 近くまでは同行できたとしても、素材採取の手伝いまではできないのだろう。


「オレリアさん、人手、必要。わたし、弟子になる?」


 私がオレリアの弟子になれば、レオナルドは孤児の面倒を見なくて良いし、ユルゲンも都合がいいと言っていた。

 谷に閉じ込められるのはちょっと考え物だが、護衛という名の見張りをつければ、外出ぐらい許してはくれるかもしれない。

 今のところ、特になりたい職業もないし、継ぐべき家もない。

 指導が厳しくて逃げ出したくなっても、逃げ帰るべき両親のいる家はもうないのだ。

 私に対してユルゲンが『都合がいい』と言ったのは、色々な意味で正しい。


 じっとオレリアを見上げると、一瞬だけ瞬いたオレリアが、すぐに口元を歪めた。

 内容はわからなかったが、オレリアがこの顔をしたあとはレオナルドが怒り出すことが多かったので、からかったり毒を吐いたりする時の顔なのだろう。


「魔女の弟子になることの意味も解らない子どもを、私が弟子になんてするわけないだろ」


 むぎゅっと私の鼻を摘み、オレリアは鼻を鳴らして言い捨てる。

 オレリアの弟子になるためには、何かまだ知らなければいけないことがあるらしい。


「おまえの飴玉を何個かよこしな。弁当代わりに舐めていく」


「蜂蜜と、透明なの、どっち?」


「両方」


 レオナルドたちは遠慮したが、オレリアは幼女から飴玉を取り上げることに遠慮がない。

 飴玉を貰ったその日に「おひとつどうぞ」と渡したら、ちょくちょく飴玉を要求に来るようになった。


「何個、持ってく?」


「全部」


「ひどっ!?」


 世話になっているし、貰い物の飴なので、オレリアに分けることに対して抵抗はないが。

 さすがに全部は酷すぎる。

 特に蜂蜜味の飴は一日一個、ともっと食べたいのを我慢して大切に食べているのだ。


「いいから持っといで」


「う~! おうぼう……」


 文句はあるが、オレリアがどれほどの距離を歩こうとしているのかは知らない。

 レオナルドと出かけていた時は、朝から出かけて夕方に帰ってくることが多かった。

 もしかしたら本当に弁当が必要なのかもしれない。


 飴の入った二つの缶を断腸の思いでオレリアに差し出すと、オレリアは缶に残った飴を片方の缶へと移す。

 本当に全部持っていくのかと思ったら、オレリアは小さい方の缶にそれぞれの飴を三つずつ移し変えて、残りはちゃんと返してくれた。


 飴玉を弁当代わりに出かけたオレリアは、夜になっても戻っては来なかった。

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