第12話 砦からの急使

 一週間後ぐらいにまた来ると言っていたユルゲンが谷に来たのは、ぴったり七日後だった。

 レオナルドに呼ばれて薬研から離れると、荷車に食料を載せたユルゲンが立っている。


 ……ユルゲンさん副団長とか言ってたと思うけど、副団長って結構偉い人だよね? 荷物運びとかする人じゃないと思うんだけど……?


 こんなにも頻繁に荷運びなどさせて良いのだろうか。

 そんな疑問はあったが、とりあえず子どもらしく笑いながら挨拶をした。


「こんにちは、ユルゲンさん」


「おう、嬢ちゃんも元気そうだな!」


 カッカッカッと景気良く笑ったあと、ユルゲンは私の頭を撫でる。

 体が大きく力もあるので、加減無く撫でられると視界がぐらんぐらんと揺れた。


「今日も、たべもの、運んでくる、くれた……?」


「今回はお嬢ちゃんがいるってんで、砂糖と蜂蜜が多めに積んである」


「はちみつっ!?」


 突然の好物登場に、素で喜んでしまう。

 この世界ではしゃべるのが苦手な分、リアクションは大きめに返してきた。

 贈り物をされて無表情で淡々と感謝の言葉を返すよりも、言葉はつたなくとも全身で喜びを伝えた方が贈った側も気分が良いだろう。

 普段はそんな考えをもって喜びを表現していたのだが、蜂蜜様の前では打算など綺麗に吹き飛んだ。

 素で喜び、素で感謝が爆発した。


「ユルゲンさんしゅてきっ!」


 ひしっとユルゲンの太い足に抱きついて、周囲をグルグルと踊り回る。

 突然の蜂蜜との邂逅に、理性などどこかへ飛んでいった。

 大興奮だ。


 蜂蜜があるのなら何を作ろうか。

 レオナルドが挑戦した残骸『山ほどスコーン』につけて食べようか、フレンチトーストにかけようか、最近ようやく膨らむようになってきたパンケーキにかけようか。

 蜂蜜の様々な食べ方を考えながら興奮が治まってくると、ユルゲンからさらなる爆弾が投下された。


「あと、子どもは飴玉とか好きだろう。これもやる」


 ユルゲンに手渡された丸い缶には、可愛らしい装飾が施されている。

 飴玉が好きだろうと言って渡されたのだから、飴玉が入っているのだろう。

 少し振ってみたら、中からコチコチと物がぶつかる音がした。

 この音だけで、飴玉への期待が跳ね上がる。


「開けていいれすか!?」


 缶から視線をユルゲンに移し、了解を取る。

 私にくれるとは言ったが、贈り主は彼だ。

 興奮のあまり少々言葉が乱れているが、気にしない。


「それはもうお嬢ちゃんにやったものだからな。好きに食っていいぞ」


「ユルゲンさんだいしゅきーっ!」


 最大限の感謝を込めてユルゲンの足に抱きついたあと、開封の儀に挑む。

 コツがいるのか、指が滑るだけか、缶はなかなか開いてくれない。

 蓋の隙間に爪を入れようと側面を引っ掻いていると、無表情のレオナルドが缶を開けてくれた。


 ……うん? レオナルドさん、なんだか怒ってる?


 表情は無いのだが、逆にそれが怖い。

 ムスッとしているようにも見える顔が怖くて、浮かれた心が急速に平常へと戻ってしまった。


「ほら、ティナ。あーんしろ」


「あ、あーん」


 普段であれば打算抜きでは絶対にしないのだが、不機嫌そうなレオナルドが怖くて促されるままに『あーん』と大きく口を開く。

 今は幼女なのだから、『あーん』ぐらい恥ずかしい仕草ではない。

 中身前世で成人済みとしては、実に複雑な心境だったが。


「あまい……おいしひれす……」


 ポンと口の中へと投げ入れられた飴玉に、頬を両手で押さえる。

 ほっぺが落ちるわけはないのだが、甘く広がる幸せな味に、レオナルドの不機嫌顔など忘れて顔がだらしなくにやけてしまうのは仕方が無い。

 頬を隠して恥ずかしがる幼女は可愛いが、だらしなくにやけ笑いを浮かべる幼女は不気味だ。


「うまくても、食べるのは一つずつ、な」


「はいです」


 蓋を開けたままの飴玉が詰まった缶を手渡され、丸い飴玉を見下ろす。

 透き通った透明の飴玉の中に、生花か砂糖菓子かは判らないが小さな花が入っていた。


 ……美味しいうえに、かわいい。


 幸せ気分で飴を見下ろし、レオナルドとユルゲンを見上げる。

 この幸せは、お裾分けしなければならないだろう。

 それほどの幸せが、この飴玉には詰まっている。


「レオにゃルドさんたちも、どうぞ。おいしい、です」


 幸せの味がするよ、とお勧めすると、苦笑いを浮かべた二人に頭を撫でられた。

 そんな幸せそうな顔をしている子どもから、菓子を取り上げるようなことはできない、と。


 ……美味しいから、みんなで食べたかったんだけどね。


 いらないと言うのなら、無理に食べさせることもない。

 工房から出てきたらオレリアにも分けてあげよう、と缶の蓋を閉めた。

 むくむくと嬉しくなって缶を振ると、コチコチと飴同士がぶつかる音がする。

 だらしなく広がろうとする唇を隠すように頬を押さえると、微かにひづめの音がした。


「うん?」


 気のせいか、と耳を澄ませる。

 レオナルドとユルゲンには蹄の音がはっきりと聞こえているのか、視線を向ける方角が同じだ。

 二人の視線を追って敷地外へと続く柵に目を向ける。

 蹄の音は、もっと遠くから聞こえていた。

 目を凝らして道の先を見ると、馬に乗った黒騎士の姿が遠くに見える。


 ……あれ? マスクしてる?


 髪も鎧も黒いのだが、黒騎士の顔には白い部分がある。

 色白の肌というわけではなく、明確に『白』だ。


「あ、柵……」


 猛スピードで突っ込んでくる馬に、柵の扉が閉められたままだと気が付く。

 扉を開けなければ、黒騎士は家の敷地内へは入ってこられない。

 急いで扉を開けようと歩き出したら、レオナルドに肩を捕まえられた。


「レオにゃルドさん? 柵のとこ、あける。お馬さん、はいってこれない」


「危ないからティナはじっとしていような。あのぐらいの柵なら、大丈夫だ」


 レオナルドが言い終わるのと、それはほぼ同時だった。

 黒騎士を乗せた馬はポンっと高く飛んで、柵を軽々と飛び越える。

 そしてスピードを緩めながら、レオナルドの前へと黒騎士はやって来た。


「グルノール砦にて伝染病が発生しましたっ!」


 挨拶もなく告げられた要件に、一瞬意味が理解できなかった。が、それは私だけで、レオナルドはすぐに行動を開始する。


「ティナはランドルを脇屋の風呂へ案内しろ。水だが、騎士ならそれぐらい我慢できる。俺はオレリアに伝えてくる」


「ユルゲンさん、丸洗い、する?」


「ユルゲンはレストハム騎士団所属だ。感染が確認された村とも街とも方角が違う」


 だからユルゲンの感染は疑わなくて良いらしい。

 簡単に納得をして、指示されたように脇屋へと黒騎士を案内する。

 浴槽にはまだ水を張っていなかったが、ユルゲンが水を運ぶ手伝いをしてくれた。







 レオナルドには水で良いと言われたが、それでも一応はと風呂釜に火を入れていると、オレリアが工房から出てきた。

 水と小さな丸薬を「念のために飲んでおけ」と言って渡される。

 同じように薬を渡されたユルゲンは、他にいくつかの包みと薬の説明をされていた。

 なんの薬だろう、と考えていると、レオナルドには私が薬を嫌がっているように見えたらしい。

 あとで蜂蜜を舐めてもいいから薬を飲むように、と念を押されてしまった。

 完全に子ども扱いである。


 ……いや、今は幼女なんですけどね。


 体は幼女だが、中身は成人済みの記憶を持つ女性であると自負していた。

 飲む必要のある薬ならば、蜂蜜などで味を誤魔化さずとも飲める。


「むふっ!?」


 何の疑問も持たずに薬を口に入れて、すぐにせる。

 調味料の味しかしないスープなど問題にならないほど強烈に異世界の味がした。

 いっそ異次元の味だ。

 文字通り、不味さの次元が違う。


 ……なんで、こんなに不味いの……?


 あまりの不味さに水を一気に飲み干す。

 大人なのだから口直しなんて必要ないと思っていたが、蜂蜜での口直しは重要だ。

 必要すぎる。

 この酷い味はどこからと考えて、糖衣という単語が頭に浮かんだ。

 前世にて、薬の外箱に書かれていた『糖衣錠』という文字だ。

 前世では特に気にも留めていなかったが、『糖』と『衣』という漢字をそのまま読むのなら、薬を甘い砂糖の衣で包んで飲みやすくしてある、という意味だったのだろう。


 ……そんなこと、まったく意識したことなかったよ。


 いつまでも舌の上に残る強烈な味に悶絶していると、先ほど貰ったばかりの缶をレオナルドが開けてくれた。


「ティナ、あーん」


「あーん」


 ぽいっと口の中へと投げ込まれた飴に、早く激マズ薬の味を上書きしてしまおうと舌で飴玉を転がす。

 甘さが引くとすぐに激マズ薬の味が戻ってくる気がするので、飴を楽しむ余裕などない。


 ……ヒラガユウタさん! お薬開発するなら、糖衣もちゃんと開発しておいてっ!! 不味いっ! これ不味すぎるっ!!


 一人静かに心の中で聖人に文句を言っていると、オレリアのユルゲンへの説明が終わった。

 これは今広がりつつある伝染病の極初期段階ならば効く薬で、ユルゲンに渡したものは、彼が街へ病気を持ち帰らないために必要らしい。

 砦で感染が出たという報せを持ってきた黒騎士と接触したため、念のために薬を与えるということらしかった。

 私が薬を飲まされたのも同じ理由だ。

 ちなみにレオナルドはオレリアを呼びに言ってすぐに飲まされたらしい。


 ……激マズ薬で悶絶するレオナルドさんが見たかった。


 渋面を浮かべつつも薬を飲むユルゲンに、噎せるといった失態を見せたのは私だけらしいと悟る。

 先ほどは断られた飴をユルゲンに差し出したところ、今度は申し訳なさそうに受け取ってくれた。


 ……やっぱり大人でも不味いんだ。


 ユルゲンが飴玉を口の中へと放り込むと、レオナルドの手も伸びてきた。

 顔には出ていなかったが、彼もやはり口の中が大変なことになっていたらしい。


 全身を丸洗いした黒騎士が風呂から出てくると、オレリアは彼にも薬を渡し、新しいマスクを付けさせた。

 ここまでしてきたマスクは感染を防ぐためと、万が一感染していた場合に病を広げないように、と病を閉じ込める目的で使われていたようだ。

 極初期ならば効果のある薬を飲ませたが、念には念をいれた方が良い。


「……最初に発病したのはジャン=ジャックでした」


 マスク越しのくぐもった声で、黒騎士から砦で発生した伝染病の詳細が語られる。

 時折飴が歯に当たるカラカラとした音が混ざるのは、黒騎士も飴玉で薬の凶悪な味を誤魔化しているからだ。


「ジャン=ジャックか……すぐに馴染みの娼館を閉鎖させる必要があるな。娼婦に感染すれば、あっという間に街中に広がる」


「アルフ副団長の指示で、すでに娼館の閉鎖は完了しております。ジャン=ジャックの馴染みの食堂、酒場も閉鎖済みです」


 二人の会話からジャン=ジャックの顔を思いだす。

 確か、村に来た騎士の中にいたはずだ。

 威圧的な……いい言い方をすればヤンチャな騎士だった。


 ……あの人、あれでちゃんと感染警戒して私を抱き上げたりしなかったけど、なんで感染してるの?


 それでなくとも、感染を警戒して谷に来た私たちには何の症状もでていないと言うのに、ジャン=ジャックが発症するのはおかしい。

 彼はどのようにして病へ感染したのだろうか。


「How many medicines were completed?」


「None has been completed. There is only stock.」


 英語でのやりとりはいつものことだったが、交わされている内容が解らなくて落ち着かない。

 なんとなく不安になってオレリアとレオナルドの顔を見比べていると、レオナルドの大きな手が私の頭へと載せられた。


 ……安心しろ、ってことかな?







 あとで聞いたことなのだが、砦の急を知らせに来た黒騎士には以前に作ってあった薬全てを渡したらしい。

 オレリアの読み上げる材料をリストにして書きとめ、彼は砦へと戻っていった。

 購入できる材料ならば、探すよりも買った方が早い。

 今はとにかく、早急に薬が必要だった。

 ユルゲンもオレリアに材料のリストを託されて街へと戻っている。


 ……続報が来ないね。


 急使を送り返してまだ二日だ。

 この国の交通網がどうなっているのかを知らないし、砦までどのぐらいの距離があるのかも知らない。

 気がいているだけだとは解っているし、私がやきもきしても何の足しにもならないのも解っている。

 だが、どうにも落ち着かない。

 落ち着かないのだが、こんな私にもできることはある。

 小さなお手伝いでしかないが、オレリアの指示に従って薬研で砂を粉に変えたり、なんらかの薬品の入った鍋の火加減を見たりと、素材を材料にする過程だ。

 オレリアが全てを一人で作るよりは、ほんの少しでも作業が早くなるはずである。


 そう自分に言い聞かせ、今日もじっと鍋を見張る。

 外ではレオナルドが黙々と石臼を使って砂を粉に変えていた。

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