閑話:レオナルド視点 恩人の娘 3

 夕食ができたので、休ませているティナを呼びに寝室へと向かう。

 音を立てないようにドアを開けると、ベッドの端で眠るティナの姿が見えた。


 ……ベッドの中央までは持たなかったか。


 毛布の上にうつ伏せで寝こけている姿は、どちらかと言えば行き倒れているように見える。

 ベッドへ乗ったはいいが力尽き、ベッドの中央へ移動することも、毛布の中へ入ることもできなかったのだろう。


「ティナ、夕食ができたぞ。一緒に食べよう」


 軽く肩を揺すってみるが、ティナが目を覚ます様子はない。

 ティナは一度寝てしまうとなかなか起きない。

 揺すっても、くすぐっても、抱き上げても目を覚まさないのだ。

 子どもの体力で一日中働いているので、無理のない話かもしれなかった。


 ……寝かせておくか。


 寝こけているティナを抱き上げて、毛布を捲る。

 ベッドの中央にティナを寝かせ直して、肩まで毛布をかけた。


 ……よく寝ているな。


 柔らかい髪を撫でて、しばし寝顔を観察する。

 あどけない寝顔が可愛らしかった。

 丸くて柔らかい頬に、つい指でつつきたくなる。


 ……あまり突きすぎると寝ぼけたティナに噛まれるけどな。


 無意識のティナは、容赦が無い。

 意識して噛む時はとにかく痛みを与えようと前歯で勢いよく噛んでくるのだが、無意識のティナは奥歯で噛み砕くように噛み締めてくる。

 一度食い千切られそうになったこともあるぐらいだ。


 ……そういえば、ここに来た次の日か? 一緒に寝たくないから床で寝る、とかティナが言い出したのは。


 俺と一緒に寝たくない理由は、単純だった。

 ティナが女の子で、俺が男だから、という物だ。

 年頃の男女ならば寝所を別にしたいという主張もわからないではないが、俺はともかくとして、ティナはまだほんの子どもだ。

 ベッドを別にする理由にはならない。

 では床で寝る、と主張するティナに、妹を床に寝かせてベッドに寝る兄貴がいるか、とおかしな話だが床の取り合いになった。

 最終的には同じベッドに寝ることになったのだが、風呂でも似たようことがあった。

 ティナはまだ子どもだし、風呂を使ったこともないという話だったから、一緒に入って洗ってやろうとして、嫌がられたのだ。


 ……女の子は難しいな。こんなに小さくても、女扱いしろってんだから。


 ぷにぷにと頬を突きながら、溜息をはく。

 舌っ足らずで幼い印象が強いのだが、ませた子だ。


「……ばーぐ」


 むにむにとティナの唇が動き、小さな声が口から漏れた。


 ……しまった。突きすぎたか?


 何事か寝言をつぶやき始めたティナに、頬を突いていた指を引っ込める。

 これ以上頬を突けば、確実に噛まれる。

 すでに何度となく噛まれた経験から、そう学んでいた。


「ぷ、ぷ、ぷりん。ぷりん。ぷりんガタベターイ。生くりーむタップリノセノセ、ぷりんガタベタイ。ばけつぷりんあいらーびゅー。好キ好キぷりん。ぷっちんぷっちん、ぷっちんぷりん、愛シテルー」


 聞き取れないが寝言で何事かをつぶやき、最後に幸せそうな顔をしてティナは笑う。

 何を言っているのかはまったく聞き取れないが、ティナは眠っている時間が一番おしゃべりだ。

 夢の中では舌っ足らずで恥ずかしい、という制止が働かないのだろう。


 ……どんな夢を見てるんだ?


 耳を澄ませてはみるのだが、他者ひとの寝言など聞き取れるものではなかった。


「や……野菜スープ……野菜スープのへびろてハモウ嫌ァ……」


 幸せな笑顔が一転して苦悶の表情に変わる。

 野菜スープまでは聞き取れたのだが、後に続いた言葉は解らなかった。


 ……毎回好き嫌いを言わずに食べてるが、本当は嫌いな野菜でも入っているのか?


 自分でスープを作る時、ティナはなんとか違う味にしようと四苦八苦している。

 小麦粉とバターとミルクでシチューを作った時には驚いたが、それだけだ。

 少し薄味だったが、実に美味しかった。

 ティナも首を傾げながらも普通に食べていたので、味はいまいちだが嫌いな野菜が入っている、という様子ではなかったと思う。


 ……シチューは母親が教えたのか? こんなに小さくても、もう料理ができるんだな。


 母親が教えたのか、見て覚えたのか。

 シチューの味には納得がいかないようなのだが、ティナの作ったフレンチトーストは美味しかった。

 何が『フレンチ』なのかは判らないが、固いパンが見事に柔らかくなり、オレリアも食べやすそうにしていたのを覚えている。


 ……ティナの料理は、成功と失敗が半々ぐらいだな。


 俺からしてみれば、ほとんどが成功といって良いできだ。

 味が無かったり、逆に濃かったりすることはない。

 ただ本人の目指す基準が高すぎるのか、ティナ自身は不満そうに首を傾げている。


 ……ティナの失敗といえば、さすがにパンケーキは微妙だった。


 ティナの料理に対して甘口採点であるという自覚はあるが、その俺でも微妙に思う料理は、ティナにしてみれば許しがたい失敗だったらしい。

 パンケーキはあれ以来テーブルに上ったことがない。

 ただ、研究は続けている形跡がある。

 食後にオレリアが引っ張り出してきた膨らまし粉に、失敗の理由も解ったらしかった。


 ……大失敗をすると次はなかなか出さないとか、結構負けず嫌いだよな、ティナは。


 これも恥ずかしがり屋の一端だろうかとは思うのだが、元気よく「ほっとけーきみっくすガ欲シイ! こんびにガ来イ!!」などとよく解らない言葉を発していたので、負けず嫌いは間違いない。


 体が小さなティナは、食事の量も少なかった。

 成人男子である俺とは比べるまでもなく、老女であるオレリアの半分ぐらいの量しか一度の食事では腹に入らない。

 当然、一日中働いていては夜まで腹が持つわけはなく、一人で留守番を任されることの多い昼間にパンケーキの改良をしているようだった。


 ……一人で留守を任せるのは心配だったが、ティナには心配いらなかったな。


 昼間は俺とオレリアが薬の材料を採取しに出かけているため、ティナは一人で家に残される。

 最初は一人で留守番など出来るのだろうか、と心配だったのだが、杞憂に終わった。

 ティナはもともと利発な子なので、手間がかからない。

 薬研に夢中で夕飯を作れなかったという失敗もしたが、翌日にはもう工夫をして夕飯を作れるようになっていた。


 ……俺が八歳の頃って、どんなだったか。


 親元にいた頃の自分を思いだし、頭を抱える。

 ティナと同じ歳の頃の俺は、家の手伝いなどろくにせず、近所の子どもと暗くなるまで外を走り回っていた。

 留守番など任されようものならば、親が出かけて背が道の向こうへ消えると同時に遊びへ出ていたはずだ。

 ティナのように行儀よく、手伝いもして、夕食の支度までする留守番などできなかった。


 ……これが男児と女児の違いか?


 過去の己を思い返してみると、たしかにティナが主張するように幼児といえども女性扱いをした方が良い気がする。

 少なくとも、男児と同じ扱いは無理だ。


 ……男児との違いといえば、女の子はいいな。着飾らせる楽しみがある。


 近頃のティナは、女児用のワンピースを着ている。

 オレリアに借りたダボダボのシャツも可愛かったのだが、体格に合う服が一番だろう。

 体格に合うといえば元からティナが着ていたものが一番なのだが、病への感染を警戒して燃やしてしまったし、粗末なものだった。

 可愛らしいティナと粗末な服とで違和感があったので、これはこれで良かったのだろう。

 性別と年齢から適当に用意されたワンピースではあったが、ここまで着てきたものと比べれば中身と多少つりあいが取れて可愛らしい。


 ……街に戻ったら、まず服と靴を揃えないとな。


 服はワンピースを着ているが、靴はまだ大人サイズのサンダルを履いている。

 足のサイズは千差万別で、年齢で適当に集めることができなかった。


 ……ユルゲンめ、ティナに余計なことを吹き込んでくれたな。


 ワンピースを運んできた男の顔を思いだし、眉を顰める。

 ティナが突然「オレリアの弟子になった方がよいか」と言い出すとは思わなかった。

 魔女の弟子などと、何も知らないからこそ言える子どもの戯言だ。

 ティナの考えとしては、『孤児の世話をしなくて良くなるので俺が楽になるだろう』というものらしい。

 オレリアの弟子になりたいのではなく、俺の負担になりたくはない、という考えだ。


 ……俺はそんなに頼りなく見えるのか?


 体は大柄で、鍛えているので腕力もある。

 騎士は商人や兵士より稼ぎがあるので貯えもそこそこあるし、学もそれなりに修めていた。

 俺にとってはティナ一人養うぐらい、負担でもなんでもない。


 ……いつになったら信頼してくれるんだろうな。


 内心のやるせなさを誤魔化すようにティナの頬を突くと、次の瞬間ガブリッと噛み付かれた。






 途中になっていたティナの擂り残した葉を、すり鉢で粉に変える。

 オレリアは夕食が終わるとまた大鍋の見張りをしていたが、そろそろその作業も終わるのだろう。

 台所の奥から物音がしはじめた。


 オレリアが認めるレベルで粉にしないとまた食事に混入される恐れがあるので、力を込めて丁寧に葉を擂る。

 結構力がいるのだが、これをティナは留守番の間ずっとやっていたのだ。

 何かコツでもあるのかもしれない。


 ……そういえば、ティナの仕事には文句を言わないな。


 俺の擂った葉は食事に混入されたが、ティナが擂った葉は別の容器に入れられていた。

 他にも、小石を粉に変えた時はティナが粉にしたものは別の箱へ移し、俺が粉にしたものは「粉々ではあるが、粉ではない」と言ってティナに続きを任せていた。


 ……結構仲がいいよな、ティナとオレリア。


 兄貴分として若干面白くない。

 面白くないといえば、ティナが黙することでオレリアの悪戯に協力したことも面白くない。

 舌触りの悪い色の違うパスタを「妹が兄のために特別に作った」などとオレリアに言われ、真偽を問おうと視線をむければ、目の合ったティナがニパッと可愛らしく笑ったのだ。

 あれにはすっかり騙された。

 俺に対してはまだ『お兄ちゃん』と呼びかけてはくれないが、オレリアには俺のことを『兄』と呼んでいるのか、とちょっと嬉しかった。

 かなり嬉しかった。

 嬉しかったから、舌触りがゴリゴリするパスタも美味しく食べた。


 ……美味しかったよ、と言った時のなんとも言えない微妙な顔をしたティナを、俺は一生忘れない。


 全て食べ終わってから、あの緑のパスタへはオレリアが悪戯をしたのだと聞いた。

 出来たばかりの妹に裏切られた瞬間だった。


『相変わらず雑だね。明日の朝食はまた舌触りの悪いパスタにしてやろうか』


 いつの間にか台所から出てきたオレリアが、すり鉢を覗き込んでそう言った。


『おまえの妹の方は飲み込みが早くて、仕事も丁寧なんだけどね』


 粉にしろと指示をして、粉にした者は久しぶりだ、とオレリアは言う。


『三ヶ月前に教会が弟子を送っただろ。その弟子は粉にできなかったのか?』


『どいつもこいつも仕事が雑で、言われたこともできやしない半端者ばかりだ。ちょっとばかり指導してやると、すぐに弱音を吐いて逃げ出す』


『ちょっとの指導じゃないから、弟子が逃げ出すんだろう……』


 オレリアはこの国の言葉こそ忘れてしまったが、口が達者で、手の方も早い。

 畳み掛けるように英語で指示を出し、少しでも聞き返せば鈍間のろまと杖で殴られる。

 魔女の弟子として谷に送り出されるほどの優秀な薬師であっても、これには逃げ出したくもなるだろう。


『……あの子ならモノになるかもね。私が引き取ってやってもいいよ。本人も望んでいるようだし』


『両親は亡くしたが、ティナにはまだ親戚がいるはずだ。谷に置くつもりはない』


 成人したティナが全てを承知で魔女の弟子になりたいと言うのなら応援もするが。

 ティナはまだ子どもだ。

 魔女の弟子になるということがどういうことなのか、本当の意味で理解しているわけではない。


 要望をきっぱり断ると、オレリアは珍しくも解りやすい表情で落胆してみせた。

 どうやら本当にティナが欲しかったらしい。


『惜しいねぇ……あの子なら続きそうなんだが』


『惜しくない。ティナは全てを承知で谷の魔女の弟子になる候補者たちとは違う――』


 コトンっと勝手口から音がして、続いてドアの開く音がする。

 軽い足音が続いたかと思ったら、台所のドアからティナが顔を覗かせた。


「……お腹すいた」


 結果として夕食抜きで寝ていたためだろう。

 情けない顔をして、ティナはそう呟いた。

 また半分寝ているのか、眠たそうに何度も瞬きをしている。


「喧嘩、してた?」


 微かに眉を寄せ、ティナがオレリアと俺の顔を見比べた。

 そして、ティナの中でどんな判断をしたのか、ティナはポテポテと俺を迂回してオレリアの元へと歩く。


「ティナ? こっちにおいで」


 判断基準は謎だったが、俺よりオレリアを選ばれたことがショックで、ティナを手招いてみる。

 手招かれたティナはというと、じっと俺の顔を見たかと思ったら、ぷいっと顔を背けた。


「レオにゃルドさん、怖い顔してる。


 そう言ってティナはオレリアの腰に抱きついた。

 普段見せない甘えた仕草に、ティナが寝ぼけているのは解ったが、寝ぼけているからこその素直な言動にショックを受けるなと言うのは無理だった。

 ティナに抱きつかれたオレリアはと言えば、普段は絶対に見せないような満面の笑みを浮かべて勝ち誇っていた。


「Is good. Make scones for you.」


「スコーン!?」


 聞き取れた単語にだけ反応したのか、意味が解ったのか。

 ティナは「きゃあ」っと喜びの声を上げてもう一度オレリアに抱きついたあと、台所へと引っ張るようにオレリアの手を引いた。

 手を引かれるまま台所へと歩くオレリアは一度だけこちらを振り返ると、勝ち誇った笑みを浮かべる。


 ……食べ物か? 食べ物に釣られるのか? そう言えば、最初に台所で調味料を探している時、砂糖を見つけた時に見たことない笑顔で喜んでいたな。


 やはり甘いものに弱いのか。

 子どもだから甘いものが好きなのか、女の子だから甘いものが好きなのか。

 そんなことはどうでもいい。


 ……街に戻ったらまず甘いもので餌付けしてみよう。


 妹を餌付けというのは微妙だが。

 まず兄と認められるためには、妹の好物の把握ぐらいはしておきたかった。

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