第11話 賢女と魔女

 ベッドの中で目が覚めると、口の中が甘かった。

 夕べは夕食前に少し休むつもりでベッドへ入り、そのまま寝てしまったようなので夕食は食べられなかったはずなのだが。


 ……夢の中でオレリアさんがスコーンを焼いてくれた気がする。


 作りたてのジャムとその場で焼かれたスコーンがあまりにも美味しくて夢中で食べた覚えがあるのだが、あれは夢ではなかったのだろうか。

 サービスの良いオレリアがありえなさすぎて夢だとしか思えないのだが、口の中にジャムの甘さが残っている気がした。

 やはり、あれは夢ではなかったのかもしれない。


 ……スコーン、美味しかった。


 そんなことを考えながら身支度を整えて台所へ行くと、いつもは野菜スープを作っているレオナルドがオーブンとにらめっこをしていた。

 実に珍しい光景だ。


「それ、なに焼いてる? クッキー?」


 皿の上にある狐色に焼けたドーム状の焼き菓子を見つけ、オーブンの中身を推測してみる。

 ついにレオナルドも野菜スープのヘビロテに疑問を覚え、新しいメニュー開発に乗り出したのだろうか。


「いや、昨日ティナが喜んで食べてたから、オレリアに習ってスコーンを焼いてみたんだが……」


 ……オレリアさんの作ったスコーンを食べたの、あれ夢じゃなかったんだね。


 焼いているのはスコーンと教えられ、皿に載っているスコーンらしきものへ視線を戻す。

 言われてみればスコーンにも見えるのだが、オレリアが作ったものとは焼き上がりの形状が違う。

 オレリアのスコーンはオーブンの中で縦に膨らみ、横から割れるように亀裂がはいってサクサクと美味しかった。

 しかし皿の上に載ったレオナルド作のスコーンは、縦に膨らむどころかドーム状に中央が少し膨らんでいる程度だ。


「味見してみるか?」


 レオナルドに一枚差し出され、食べてみる。

 サクッとした歯ごたえはあるのだが、サクサクとした軽くてホロホロと口の中で解けるようなオレリアのスコーンとはまるで違うものだった。


「……オレリアさんに、教えてもらった?」


「ああ、材料も作り方も同じだ」


 何が違うんだろうな? と首を捻りながらレオナルドもスコーンを口へと運ぶ。

 彼自身不満の残る出来だからこそ、私に味見をさせたのだろう。


 ……昔何かで聞いたことがあるよ。スコーンはイギリス人が唯一日本人より美味く作れるお菓子だ、って。


 生地を雑に捏ねるのがコツで、つい丁寧な作業をしてしまう日本人には逆に難しいのだとか。


 ……前世でミックスを使って作ったことあったけど、レシピに従うのがすごい不安だったの覚えてる。


 たしか、生地を捏ねるのは十回だったか、二十回だったかまで、と回数の目安があり、粉が残っているぐらいで丁度いいという解説が載っていた。

 粉が無くなるまで捏ねなくていいの? と不安になりながらも解説に従って作ったスコーンは絵に描いたような「これぞスコーン!」と叫びたくなるような焼き上がりで、サクサク食感の素晴らしいできだった。

 日本人としては信じがたいのだが、本当に粉が残るぐらいで丁度良かったのだ。


 ……でも、こういうスコーンもあるよね? ぺったんこで、中にドライフルーツとか入ってるの。あ、そうだ!


 ふと思いつき、踏み台を設置する。

 上の棚に、保存用と思わしき干し葡萄が入っているのを思いだした。


 干し葡萄を取り出して、小さく切り刻む。

 それをまだ残っていたスコーン生地に混ぜ込んで、麺棒で伸ばして三角に切る。

 あとは焼くだけで完成だ。

 プレーン味の失敗スコーンが山盛りになるよりは、多少味があるものの方が良い。


 オーブンに張り付いているレオナルドの横で、いつもの野菜スープを作る。

 ヘビロテは嫌だと思ってはいるのだが、野菜の栄養がたくさんれているとも思うので、外すことも躊躇われるメニューだ。

 なにより肉でダシを取って野菜を切って煮るだけ、と手間がかからないところが大きい。

 塩と胡椒以外の味付けを見つけるまでは、もう少しだけ野菜スープのヘビロテも我慢だ。


 ……芋があるし、ポタージュスープっぽいものも作れそうなんだけどね。


 幼女の体ではあまり手間のかかることは避けたいし、そもそも『こうすればポタージュスープになるだろう』という作り方は想像できるのだが、美味しいと感じる味付け方法はさっぱり思いつかなかった。


 ……前世でもう少し本格的なお料理しとけばよかったよ。ミックスとか、レトルトだけじゃ、いざって時に何も作れないね。







 朝食が終われば、今日もオレリアと交代で大鍋の見張りを始める。

 ここ数日はずっと鍋を火にかけているので、薪の消費が激しい。

 そのため、今日のレオナルドはオレリアとは別行動で、朝食を食べ終わると薪の追加を集めに森へと出かけた。

 オレリアはいつもどおり、何処かへと薬の素材を探しに出かけている。


 ……えっと、今日で谷に来て一週間?


 ここしばらくの出来事を思いだしつつ、指折り数えてみる。

 もう一度数え直してみたが、今日で谷に来て一週間で間違いはなかった。


 ……私が感染してるなら、そろそろ熱で寝込んでいそうなんだけど?


 特に体がだるいだとか、熱があるだとか、そういった変調は感じない。


「ティナ、そろそろ薪が無くなるだろう」


 いつの間に戻ってきていたのか、レオナルドが薪の束をもって来てくれた。

 お願いする前から行動してくれる、素敵な兄貴分である。


「レオにゃルドさん、今日はおうち。オレリアさんと一緒、行かなくて、いい?」


「オレリアの薬術は秘匿されてるからな。一緒には行っても、素材を探すのはオレリアだけで、俺は荷物運びぐらいしかできないぞ」


 なんと、いつも一緒に出かけていると思っていたが、レオナルドの仕事は荷物運びだけだったらしい。

 言われてみれば、毎回帰ってくる時に籠を背負っているのはレオナルドだけだ。


「ひとく、秘密? なぜ? みんなでお薬作る、早い、いっぱい」


 オレリアの薬術が貴重だと言って頼るぐらいなら、なぜ秘匿するのか。

 秘匿などせず広くひろめれば、谷に篭る必要などそもそもなかったかもしれない。

 オレリアが毎日どこかへと出かけ、一人で材料を集めてくる必要もなくなるはずだ。


「オレリアの薬術はとにかく精密な……すごく難しい方法で作られていて、完全に覚えることが難しいんだ」


 子どもにも理解できるように、と途中で言葉が柔らかくされたのがわかった。

 何をどこまで説明していいものか、とレオナルドが困惑しているのがわかる。


 子ども向けに噛み砕かれた説明は、こんな感じだった。

 聖人ユウタ・ヒラガが生きていた時代には、薬術をユウタ・ヒラガ本人から直接指導を受けることのできた賢女や賢人が多くいた。

 その多くは技術を確かに受け継ぎ、各地で薬師として活躍したが、その弟子、孫弟子、と代を重ねるごとに正しい手順や求められる精密な作業がおろそかになり、いくつかの薬術が失われていった。

 失われるだけならばまだ良いのだが、出来上がった粗悪品の中には薬とは真逆の作用をするものもあり、何百もの人の命を奪った。


 賢女が魔女とも呼ばれるようになったのは、この時代のせいだ。


 薬と思って飲んだものが毒であったということが頻発するようになり、薬術の神セドヴァラを崇めるセドヴァラ教会も賢女や賢人を野放しにできなくなった。

 これをきっかけに、賢女や賢人をセドヴァラ教会で管理するようになったようだ。

 技術を確かに残した賢女や賢人の下へ、セドヴァラ教会の認めた才ある薬師を弟子として送り込み、その技術を代々正確に継承することにした。

 しかしユウタ・ヒラガの作り出した薬術は、効果は高いが精密すぎて作成が難しく、才ある継承者を用意しても緩やかに失われつつある。

 正確に薬を作れる者が一人減り、二人減り、と代を重ねて、ついにはオレリア一人になってしまったらしい。


「……オレリアさん、一人。大変。すごく大変」


 それに、オレリアはもう老女と呼べる年齢だ。

 早急に弟子を鍛えなければ、技術が完全に失われてしまうだろう。


「そろそろ代替わりを意識して、セドヴァラ教会も何人か弟子を送り込んでいるみたいなんだけどな」


 指導が厳しすぎて、モノになる前に弟子が逃げ出してしまう。

 単純に考えれば、指導を少し緩めてやれば良いのではとなるのだが、人の命を預かる技術の継承に手を抜くことなどできない。

 指導を緩めていい加減な継承が行われた結果、賢女が魔女と呼ばれるようになった時代に逆戻りするわけにはいかないのだ。


「……難しいね」


 指導の手を緩めれば継承が正しく行われず、正しく継承させようと指導を徹底すれば、弟子が逃げ出して継承そのものが不可能になる。

 そういった意味で『難しい』と言ったのだが、レオナルドは違う意味に受け取ったようだった。


「オレリアは気難しいからな」


 溜息混じりにそう零すレオナルドだったが、私には同意できない。

 まだたった一週間の付き合いではあったが、オレリアに対して気難しいと思ったことは無い。


「オレリアさん、気むずかしくない、よ?」


「そりゃ、ティナは会話らしい会話なんてしてないからだろ」


 レオナルドのいる場所では、オレリアは英語しか使わない。

 そのため英語が理解できない私では、オレリアとの会話は不可能ということになる。

 少なくとも、レオナルドの中ではそう理解されているはずだ。


 ……レオナルドさんがいないところでは、結構お話してくれるけどね、オレリアさん。


 鍋の火加減や薬研を使うコツなど、無駄話は一切しないのだが。

 それなりに会話をしていると思う。


「もう少しこう……無駄話というか、冗談というか……必要最低限のことしか言わないのは問題があるだろう。班単位で行動する時、談笑等の会話のやり取りは大切になってくる」


「おしゃべり、大事、わかる。けど、むいてない人、いる」


 会話というコミュニケーションでお互いを知るのも良いが、その方法が致命的に向いていない人間というのは確実に一定層いる。

 例えば、私だ。

 前世で日本人であったという記憶があるためか、過剰なボディタッチは未だに苦手だ。

 両親からの頬や額へのキスは慣れたし、自分からもできたが、同じことをレオナルドにはできない。

 しかし、レオナルドはボディタッチが平気な性質たちなのか、出会ったばかりでも自然な仕草で私の額へとキスをしてきた。

 個性というか、なんというのか、本当に人それぞれだ。


 レオナルドと同程度のコミュニケーション能力を、他人にまで求められては困ってしまう。


「おしゃべりと言えば、ティナは結構しゃべれるよな。少し長くなると舌が回らずに『にゃ』とかなるけど」


 寝言では聞き取れないながらもガンガンしゃべっている、とレオナルドに指摘されてしまった。


「ねごと、きいてる? レオにゃルドさん、すけべ」


「いや、スケベじゃないだろう。寝言を言ってるのはティナだし、聞こえるのは不可抗力だ……って、そうじゃない」


 話題を横へ逸らそうとしたのだが、レオナルドには見事にそれを阻止されてしまった。


「舌が回らなくてもしゃべれるんだから、普段からちゃんとしゃべった方がいい。そのうちちゃんと舌が回るようになるから」


。ちゃんとしゃべれない、舌っ足らずかわいい、レオにゃルドさん、いじわる言う」


 完璧に話せるようになるまでは、笑われるので嫌です、と頬を膨らませて抗議する。

 何度となく私の舌っ足らずを笑ったことがあるレオナルドは、こう反論されては黙るしかない。


「……それについては俺が悪かった。二度と笑わないから、おしゃべりの練習をしよう」


 まずは俺のしゃべりを真似ることから始めてみようか、と諦めずにレオナルドが私を口説くので、言われた通りにレオナルドの真似をしてさしあげた。

 一語一句、丁寧に。

 レオナルドのを。


 ……さすがに自分のしゃべり方を真似ろ、とは言わなくなったね。


 谷の外では謎の伝染病が潜んでいるようなのだが、こんなにのんびりしていても良いものだろうか。

 そうは思うのだが、谷での日々はゆっくりと過ぎていく。

 ほとんどは材料作りと薪拾いの日々だ。


 結局私やレオナルドが高熱を出すことはなく、谷に来てから十日が過ぎた。

 ある程度材料が揃ったのか、オレリアは貯蔵庫と同じように崖の横穴に作られた工房へと篭り始める。

 オレリアの調薬は門外秘とのことで、私もレオナルドも手伝いのために工房へ入ることはできない。

 ただ言われるままに薬研で砂を粉にしたり、オレリアの用意したものが入れられた鍋を煮込んだりと、出来る範囲の手伝いを続けた。

 オレリアの弟子ではない私たちには、それぐらいのことしかできないのだ。

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