第5話 レオナルドの恩

 レオナルドは風呂に水を溜めながら、今日の予定を教えてくれた。

 まず、私たちにはやまいへの感染の疑いがあるので、全身を綺麗に洗う。

 これが第一だ。

 そのあとは着替えて、オレリアの往診。しばらく谷で暮らして、発病することがなかったら街へ帰って良いとのことだった。

 

 早速風呂に使う薪を集めようと外にでると、風呂釜の横に薪を積み上げているオレリアの姿が見える。

 目が合うと手招きされ、オレリアの住んでいる家から薪を運んで来るように、と指示された。


 ……ジェスチャーだったけどね。たぶん、そう言ってた。


 新たに薪を集めるより、まず体を洗えということだろう。

 促されて薪を運び始めると、オレリアの姿は消えていた。


 オレリアが籠を小脇に戻ってきたのは、浴槽に水が溜まり、風呂釜に火を入れる頃だった。

 籠の中には麻のような手触りの服と、石鹸だと思われる薄茶色の塊とタオルが入っていた。

 オレリアから渡された籠をレオナルドに見せると、入浴の準備は完了だ。


「……よし、丸洗いだ。頭のてっぺんから、足の先まで洗うぞ」


 そう言ってレオナルドの手が私へと伸ばされた。

 そのまま服を脱がせようとするレオナルドの手に、驚いて数歩下がって距離を取る。


「一緒にはいりゅの!?」


 噛みながらも早口でそう言うと、レオナルドは不思議そうな顔をした。


「ティナ、風呂に入ったことは?」


「……ない、です」


 五右衛門風呂などテレビでは見たことがあるが、沈めた板の上にのる入浴方法などやったことがない。

 ただ板にのって入るだけだというのは判るのだが、他にもなにかコツがあるのだろうか。


「じゃあ、一緒に入るしかないだろう。風呂の使い方とか、わからないだろ?」


「う~」


 実に正論である。

 正論ではあるのだが、いかに今は幼女といえど、成人男性と、それも家族でもない赤の他人と裸になって一緒に風呂など遠慮したい。

 というか、無理だ。人としても、女子としても。


「お、男の人と、お風呂、。はずかしい」


 こちらとしては正論でしかない主張をしてみたのだが、レオナルドは一瞬だけ瞬いたあと、盛大に笑った。


「子どもがいっちょ前に恥ずかしがらなくてもいいぞ」


「女の子、ですから! はじらいまふっ!」


「そう言う恥じらいは、大人になって胸とか尻がおっきくなってからにしろ」


 現時点では何も感じないから恥らうだけ無駄だ、とレオナルドはのたまう。

 幼女相手に何かしら感じる方が問題だと思うのだが。

 ただ一つ確実に言えることは――


「わたしが、なのっ!」


 そう叫んで、伸ばされたレオナルドの左手の小指におもいきり噛み付いた。


「痛っ!?」


 ピクリとレオナルドの頬が引きつるが、噛む力は緩めない。

 それどころか歯を肌へ食い込ませるように、顎をギリギリと動かした。


「ティナ、わかった。わかったから……手を……」


「小さくれも女の子はおんにゃのこなんれすから、男の人はごえんりょくらさい」


 一応主張を受け入れてくれたようなので、レオナルドの小指を開放する。

 開放された左手を裏返したりしながら噛み跡を確認したレオナルドは、さらなる失言をもらした。


「舌が回らずに噛みまくる幼女だが、幼くとも女は女という……痛っ!?」


 最後まで言わせずに、開放したばかりの小指に噛み付く。

 一度目は横から小指全体を広範囲に噛み付いたが、今度は小指の第一関節までの先端のみを、カチンと歯を鳴らして噛み付いてさしあげた。


「ティーナーっ!」


 幼女の小さな体ぐらい、殴り飛ばせばすぐにでも開放されるだろうに、レオナルドはぷるぷると震えて痛みに耐えるだけで、それをしない。

 そんなことをすれば、私のような幼児は簡単に死ぬと解っているのだろう。

 少々デリカシーはないが、自制心はあるようだ。


「わかった、俺が悪かった。ティナは一人でお風呂。舌っ足らずは可愛い……痛っ!?」


 もういいか、と開放したそばからの失言に、もう一度レオナルドの小指に噛み付いた。

 きりがないので今度は噛み締めるようなことはせず、一度ガチリと噛むだけで開放する。


「ティナ、暴力はいけない。口があるんだから、言いたいことがあるのならちゃんと……」


「わたし、まだ、ちゃんとしゃべれない、知ってる。レオにゃルドさん、笑った。いじわる」


 カチカチと歯を鳴らしながら睨むと、レオナルドはようやく己の言動を思いだしたのか、頭を下げた。


「確かに、それは俺が悪かった」


「ん、わかればよし」


 レオナルドから謝罪の言葉を引き出し、勝利を確信する。

 腕を組んでない胸を張ると、レオナルドの逆襲が始まった。


「隙ありっ!!」


 レオナルドはガバとワンピースの裾を掴み、そのまま一気に裾を持ち上げる。

 私はレオナルドの腕につられてバンザイをしてしまい、気がついた時にはスコーンとワンピースが首から脱げた。

 あっという間に肌着姿である。


「いやあぁぁああぁあっ! へんたいっ! ろりこんっ! ゴーカン魔っ!」


 犯されるーっと大声で叫んで浴室から逃げ出そうとすると、背後から脇に手を差し込まれて持ち上げられてしまった。

 これでは逃げようもない。


「強姦魔だなんて言葉、どこで覚えてきたんだ? 子ども相手にそんな真似するわけがないだろ」


 大人相手にならするんですか? なんてことをバタバタと足を振りながらつい考えてしまった。


「ほら、おとなしく風呂に入るぞ。おっぱいもお尻もぺったんこなんだから、まだ恥ずかしくない、恥ずかしくない」


「おっぱいもおしりも大きくなくれも、はずかしいものははずかしいにょっ! おんにょこなんれすからっ!! おとこのことはちがいましゅっ!」


 往生際おうじょうぎわ悪く暴れていた足のかかとがレオナルドのに入るのと、オレリアの杖がレオナルドの頭を叩くのは同時だった。

 二箇所を同時に強く叩かれたはずなのだが、レオナルドは股間を押さえてうずくまる。その隙に浴室の壁まで逃げると、オレリアが杖を巧みに使ってレオナルドを浴室から叩き出してくれた。

 ほっと安堵の息をはくと、今度はオレリアがむんずと私の肌着を掴む。


「自分で、脱げる、です」


 少し落ち着いたのでそう答えたのだが、オレリアには通じないのかそのまま肌着を脱がされた。

 レオナルド以上に会って間もない人物だったが、同性であるというだけで先ほどまでのような強い拒否感はない。

 ただ、幼児として扱われて少し恥ずかしいぐらいだ。


 言葉は通じないし、暴れたばかりで疲れたし、で世話をされるがままに任せた。

 オレリアは風呂の入り方と石鹸の使い方を身振り手振りで教えてくれると、髪と自分では手が届かない背中を洗って浴室から出ていった。


「オレリアさん、いい人……」


 一人浴室に残されて、のびのびと今生で初めての入浴を楽しむ。

 目的は体を洗うことらしいが、垢を落とすためには皮膚を湯でふやかした方が良いらしいので、のんびり風呂に入っても問題はない。

 十分にふやけてから体を洗ったら、恐ろしいほど垢が取れた。


 ……私、結構頻繁に体洗ったりして綺麗にしてたつもりだけど、こんなに垢だらけだったんだね。地味にショックだ。


 風呂から上がり、用意されていた服に袖を通す。

 突然訪ねてきた子ども用の服などオレリアの家にある理由わけもなく、大人用のシャツだった。

 だぼだぼであちこち余るが、仕方がない。

 パンツはカボチャパンツなので、大きいことは大きいが、あまり問題はなかった。

 胸までたくし上げて紐でしばれば、なんとか裾をずることなく穿くことができる。


 ……あれ? 靴は?


 さすがに靴は大人用では無理だろう、と履いてきた自分の靴を探すのだが、靴どころかここまで着てきた服も見つからなかった。


 ……体と同じように丸洗いされるのかな?


 おそらくは靴の代わりであろう大人用のサンダルを籠から取り出し、穿いてみる。

 少しブカブカと踵部分が浮くのが気になるが、走らなければ転ぶこともないだろう。

 

 浴室から追い出したレオナルドを探すと、風呂釜の横に新たな薪を積み上げているのを見つけた。

 今日の入浴目的は伝染病を警戒しての物だから、空いたからといってそのまま次の人間が入るわけにはいかない。

 薪と水は勿体無い気がしたが、これも病気に対する自衛のためだ。







 新しく水を張りなおし、せっせと薪をくべて風呂をたく。

 レオナルドを浴室へと送り出すと、私の復讐タイムの始まりだ。


 ……相手が幼女であっても、一緒にお風呂は恥ずかしい、って思い知っていただきます。


「レオにゃルドさん、頭、洗います」


 入室許可も得ず、問答無用に浴室へと突撃する。

 今の私は幼児なので、幼児らしく、大人なら当然する気遣いなどしない。

 恥ずかしいポーズで秘密の毛抜きなどしていようものなら、今回の目的はそれだけで達成できるだろう。

 もちろん、私がやられた日には指を噛むどころのお仕置きでは済ませられない所業でもある。


「じゃあティナに頼もうか」


 不意打ちで入浴中を襲撃し、恥ずかしがらせてやろうと思っていたのだが。

 浴槽に浸かっていたレオナルドは、実に平然としてこれを受け入れた。


 ……お風呂でばったり☆きゃあ、いやぁん! って漫画の中の女の子だけだね。


 自分で言いだした手前、レオナルドに受け入れられてしまえば「やっぱり裸の男の人になんて近づきたくないです」とは言えない。

 少々目のやり場には困るが、言ってしまった以上はレオナルドの髪を洗うしかないだろう。


「……レオにゃルドさん、恥ずかしがらない、変」


 むすっと頬を膨らませながら、浴槽に浸かるレオナルドへと近づく。

 髪を洗いやすいように、と背を向けたレオナルドは、私がさっきの仕返しに来たと気がついたようだ。

 自信ありげにニヤリと笑う。


「俺の体に見られて恥じる場所はないぞ」


 見てみろ、と二の腕を上げて力瘤ちからこぶを作ってみせる。

 騎士というだけあって、鍛えられているのは腕だけではない。

 背中や首筋にも逞しい筋肉がついていた。


「……恥らって。女の子に、裸、見られてる」


「恥ずかしがって縮こまる騎士、ってのも情けないだろう。それも、こんな子ども相手に」


「むう、それは、たしかに?」


 恥ずかしそうに股間を隠して丸くなるレオナルドを想像し、あまりに滑稽な姿に納得してしまった。

 これだけ立派な体つきをしていたら、全裸であろうとも堂々と振舞わなければ情けないだろう。


 ……全裸で仁王におう立ちも、それはそれでどうかと思うけどね。


 桶で浴槽の湯をすくってレオナルドにかける。

 十分に髪が濡れたら、石鹸で髪を洗う。

 前世ではシャンプーを使っていたので、固形の石鹸で髪を洗うというのはなかなか新鮮な気分だ。

 指の腹で丁寧に頭皮を洗っていると、指先に少し違和感があった。

 こめかみの近くに二箇所、肉の盛り上がった部分がある。


「ここ、きずあと?」


 気になってぷにぷにと肉の盛り上がった部分を撫でていると、レオナルドは少しだけ遠い目をして笑った。


「昔、狼の餌にされかけた時の傷跡だ」


「え? 狼? 餌?」


 狼がいることに驚くべきか、人間を餌にしようとしたところに驚くべきか。

 困惑していると、レオナルドが体の向きを変えて正面から私の顔を見つめてきた。


「……今のティナと同じ歳ぐらいだったか? 俺は親に売られて、奴隷にされかけた」


 サラッと語られている重すぎる内容に、自分がどのような顔をしているのかは判らない。

 ただ気遣うようにレオナルドの腕が伸びてきて、自分の手が濡れていると思いだしたのか、いつものように髪を撫でることはなく、丸い頬をむぎゅっと摘まれた。


「集められた奴隷は一度市場に運ばれるんだが……その移動中に俺たちを乗せた荷馬車が狼の群れに襲われてな。何人かの奴隷を餌として撒いて、商人たちは逃げたんだ」


「それで、大丈夫だった、です? 他の人、とか」


 レオナルドが今目の前にいるので、彼が無事であったことは確かなのだが。

 何人かが残されたということは、狼の餌にされたのはレオナルドだけではない。


「餌にされかけた人間は、みんなサロモン様が助けてくださったから無事だぞ。俺もこめかみに傷跡が残ったぐらいだしな」


「……サロモン様、おとーさん?」


 村では『サロ』と呼ばれていたが。

 レオナルドはずっと父を『サロモン様』と呼んでいる。


「ちょうど辺りを巡回していたサロモン様が、人買いの荷馬車を見つけて追跡してくれていたんだ。そのおかげで、俺は今も生きている」


「おとーさん、なんで、サロモンしゃま? わたしのおとーさん、サロ」


「あの頃のサロモン様は騎士だったんだよ」


 なんと、初めて聞く父の意外すぎる過去だった。

 村ではお人好しで、村人に良いように使われていた父だったのだが、昔は騎士として働いていたらしい。


 ……騎士には基本的に『様』をつけるってアルフさんが言ってたし、それでサロモン『様』になるんだね。


 父の名前に『様』が付くことについてはなんとなく納得し、もう一つ気になることがあった。


「……人買い、騎士追う、悪いこと? でも村長、オーバンさんたちの子、売った。レオにゃルドさん、村に来た。てんせい者、買いに来た」


 騎士が追跡して来るということは、人を商品として扱うのは悪いことなのだろう。

 そう理解できるのだが、村長はダルトワ夫妻の子を売り、今回も私を売ろうとして騎士を村に呼びつけていた。

 そもそも禁止されていることならば、騎士が人を買いに来ること自体がおかしい。


「あの当時は禁止されていたと言うか、法の整備がまだだったと言うか……この国で人身売買が条件付で認められるようになったのは、メイユ村の転生者が隣国に売られてしまったのがきっかけだ。国外に売られるぐらいなら、奴隷として隣国に攫われるぐらいなら、といくつかの条件つきで認められるようになった」


 正直、メイユ村で転生者を買うことにならなくてホッとした、とレオナルドは溜息混じりにこぼす。

 人間の売り買いなど、好ましいことではない、と。


「……でも、レオにゃルドさん、買いに来た」


「ニホン人らしい、という話だったからな。俺個人の好む・好まざるは関係が無い。知らせを受けた以上、動かないわけにはいかなかった」


「ニホン語読む、そんな、大事?」


「ユウタ・ヒラガの失われた薬の数々が復活する可能性があるからな。薬の作り方だけならドイツ語のレシピが残っているんだが……」


「ドイツ語?」


 なんですか、それ。今初めて聞きましたよ、と首を傾げる。

 ここまで日本人がほしいと散々言っていたのに、何故突然ドイツ語が出てくるのか。


「ドイツ語ってのは、異世界のどこかの国の言葉だ。なんでもカルテはドイツ語という文字で書く、という刷り込みがユウタ・ヒラガにはあったらしくて、研究資料とそれを纏めた処方箋は使われている文字が違うらしい」


「読みにくいね」


 なんでそんなことをしたんだろう? と考えながら、止まっていた手を動かす。

 前髪の生え際を丁寧に指の腹で洗うと、レオナルドは気持ちよさそうに目を細めた。


 ……それにしても、ドイツ語で書かれた処方箋か。


 そんなモノ、読める気はしないので、私が元・日本人の転生者である、ということは一生黙っていた方がいいだろう。

 日本語ならば旧字や余程難しい漢字以外は読めると思うが、ドイツ語まで読めと言われてしまったら困る。

 なんでもこの国には、日本人に不可能はない、とかおかしな伝説があるようなのだ。


 ……一生、黙ってよ。


 日本人を求めている人には悪いが。

 この国のことは、この国に生まれた人間同士でなんとかしてほしい。


 ……や、これで言うと今生の私も『この国に生まれた人間』になるんだけどね。

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