第4話 聖人ユウタ・ヒラガ

 オレリアからは、谷にこもる間の宿として脇屋わきやを借りたらしい。

 もともと弟子の生活空間として用意された脇屋なので、生活のための設備は一通り揃っていた。

 脇屋とはいえ、物がないだけオレリアの家よりも広く感じる。

 寝室と居間ぐらいしか部屋はないが、台所と嬉しいことに風呂がついていた。


 ……お風呂!? なんであるの!?


 今生では初めて見る風呂に、浴室の入り口で固まってしまった。

 浴槽の形は丸いが、洗い場まである完璧な風呂だ。

 さすがに水道の姿は見えないので、台所で湯を沸かして運ぶのか、薪で湯を沸かせるのだろう。


 思いもよらなかった風呂との出会いに呆然と立ち尽くしていると、頭の上から浴室を覗いたレオナルドが『風呂』という単語と用途を教えてくれた。


 ……そういえば、村にはお風呂がなかったから、お風呂って単語も知らなかった。


「お風呂、なんで? 村に、なかった」


 内心の興奮を誤魔化すように身振り手振りを加えてそう伝えると、レオナルドは苦笑した。


「ティナの村には定着しなかったのか。今は小さな町でも普通にあるぞ。さすがに一家に一つとはいかないけど、街には銭湯ってデカイ風呂屋もある」


 ……なんと!? お風呂なんて、ファンタジーな世界には存在しないって、勝手に諦めてたよ。


「入浴文化は、聖人ユウタ・ヒラガが広めた習慣だ。肌を清潔に保って病気を寄せ付けないとか、体を温めて血流をよくするだとか、様々な効果が――」


 などとレオナルドが解説を始めたのだが、先に気になる単語がありすぎて、続いた解説は聞き流してしまった。


「せいひん、ユウタ・ヒラガ、誰? へんな名前」


 もしかしなくても、それ日本人の名前ですよね? と内心でだけ突っ込む。

 レオナルドは『せいひん』となった『聖人』を正しく発音できるまで付き合ったあと、改めて説明を聞かせてくれた。


「聖人ユウタ・ヒラガは、三百年ぐらい前にこの国に現れた転生者の名前だ。本当は違う名前なんだが……前世の名前がユウタ・ヒラガといったらしい。前世の知識で様々な薬を開発し、当時この国では不治の病とされていた病気の薬を幾つも生み出した偉人だ」


 ……つまり、『現代知識で俺スゲェ』をやったんですね、そのヒラガユウタさん。


「前世の知識で多くの人を救ったので、調薬の功績で後世に名を残すことになるのなら前世の名前で、とユウタ・ヒラガの名前が残ることになった」


 今ではセドヴァラ教会で聖人として崇められている、とレオナルドのユウタ・ヒラガについての説明は終わった。


 ……セドヴァラ教会、ってのはさっきも聞いた名前だね。薬を作った人を聖人扱いするってことは、宗教とは違うのかな?


 いくつか気になる言葉は出てきたが。

 まず一番に聞いておかなければいけないことがある。


「……てんせい者って、レオにゃルドさんが、村に来た、変な人?」


 ただしくは、『買いに来た』だった気がするが。


「転生者が変人ってわけじゃないぞ。変わった人物が多い、ってだけだが……。そうだな。俺がメイユ村を訪ねたきっかけが転生者だな。村長からの手紙で転生者の買取依頼があって向かったんだが……」


「残念だった、ね」


 村が全滅してしまっていては、転生者もなにもない。

 いや、その目当ての転生者はすでにレオナルドの庇護下にいるのだが。

 転生者がどのような扱いを受けるのかが判らない以上、馬鹿正直にそれを教えてしまうのは色々とマズイ気がする。


「……まあ、本物である可能性は低かったと思うが。転生者にも当たりとハズレがあるからな」


「あたりとはずれ?」


「有用な知識を持っていれば当たり、そうでなければただ前世の知識があるってだけの普通の人間だ」


「……前に村にいた、って人は?」


 ダルトワ夫妻の売られてしまった子どもについて、私はなにも知らない。

 転生者だったらしい、売られてしまった、という大雑把な情報しか聞いたことがなかった。


「メイユ村の二十年前の転生者は聖人ユウタ・ヒラガと同じニホン人だった、と聞いたことがある」


 なんと、ダルトワ夫妻の子どもは私と同じ日本人の転生者だったらしい。

 ということは、ダルトワ夫妻が他の村人と違って清潔だったのは、やはりその子どもが植えつけた衛生観念だったのだろう。


「にっぽん人は、当たり? ハズレ?」


 元・日本人として、これだけは確実に知っておかなければならない。

 当たりとハズレでは、転生者とばれたあとの扱いが大きく違ってくるはずだ。


「……ニホン人は大当たりだ」


「え? そなの?」


 当たりどころか、大当たりらしい。

 それならば日本人の記憶を持った転生者とばれても、そう悪い扱いは受けないのかもしれない。


「嘘か真か、ニホン人は国民全員が読み書きできるよう教育されている、って話だからな。ニホン語が読めるだけで、この国では価値がある」


「……どうして? ちがう国の、言葉、価値ある?」


 異世界において日本語の読み書きができることが、どう価値のあることなのだろうか。

 日本語など読み書きができても、言葉の違うこの世界ではなんの役にも立たないはずだ。


「ニホン語が読めるのなら、聖人ユウタ・ヒラガの書き残した物が読めるだろう?」


 ユウタ・ヒラガが現れたのは、今から三百年ほど前になる。

 彼は薬師くすしに師事せず、独自の方法で病や薬術を調べ、研究し、何冊もの研究資料と結果を残した。が、識字率が高くないこの国で彼が使える文字は日本語のみであり、その研究資料のほとんどは日本語で記載されている。

 彼の生前は口伝や代筆で薬の調合方法を広めることができたが、さすがに三百年も経つといくつもの薬が失われてしまった。

 その失われた薬の復活も、彼が残した研究資料を読める者が現れれば夢ではない。


「……昔メイユ村で売られてしまった転生者が本当にニホン人だったら、買い戻すことができれば、村の病気も治せたかもしれないな」


「てんばつてきめん、だね。オーバンさんの子、売った、なければ、村長、死ななかった、かも」


「可能性の話だけどな。二十年も前の話だ。それだけ時間があったら失われた薬の十や二十ぐらい復活させることが出来ただろう、ってだけの」


 さて、まずは風呂に入るぞ、と言ってレオナルドは風呂の蓋を開ける。

 湯船を覗き込むと、湯船より一回り小さな板が入っていた。


「使っていないわりには綺麗だな。これならすぐに使えるか?」


「中の板、出さない?」


「あれがないと風呂に入れないぞ。水を入れて鍋のように下から火で温めるんだ。足場の板っていうか、そっちが風呂の蓋だ、これが無いと熱い」


「レオにゃルドさんが持ってるの、蓋違う?」


「これはしばらく使わなかった風呂だから、埃除けに使っていたんだろう」


 レオナルドが手にした蓋がてっきり風呂の蓋だと思ったのだが、どうやら違うらしい。

 形状としては、五右衛門風呂だ。

 漫画や時代劇では見たことがあるが、本物は初めてだ。

 蓋を脇によけてレオナルドは排水溝の確認をする。

 特に何か詰まっていて、今から掃除をする必要はないようだ。


「……オーバンさんたちの子、見つけて、けんきゅうしりょう、読んでもらえる?」


 日本人の転生者が貴重ならば、買取先も手放したくはないだろう。

 買い戻すことが不可能なのだったら、研究資料だけを渡してそれを読んでもらう、ということはできないのだろうか。

 単純な思いつきを口にしただけなのだが、浴室の設備を点検していたレオナルドの背がピクリと震えた。


 ……あれ? 何か変なこと言った?


 すぐに返答がないレオナルドを不審に思っていると、ややあってから少し固い声で答えがあった。


「その転生者は、たぶんもう生きてはいない」


「え?」


「グルノール砦の当時の資料にあった。オーバン・ダルトワの娘アルメルは隣の帝国に売られた。帝国とは今でも小競り合いがあるが、特に目立った動きはない。おそらくは――」


 ――拷問の末に殺してしまったのだろう。

 そう続いたレオナルドの言葉に、なまりでも飲み込んだかのように胃が重くなった。

 一瞬で血の気が引き、思わず痛くもないお腹を押さえる。


「てんせい者って、殺されるの……っ!?」


「この国では絶対にそんなことにはならないぞ。アルメルは運が悪かったんだ。価値も解らないジャコブが隣国に売り渡し、あの国での奴隷の扱いは……」


 と、そこまで言ってレオナルドは口をつぐんだ。

 奴隷などと、幼女に聞かせる言葉ではないと思ったのかもしれない。


 ……この世界、奴隷とかいるんだ。


 漠然とした不安に襲われていると、側まで戻ってきたレオナルドに抱き寄せられた。

 安心させようとしているのか、何度も頭を撫でられる。


「ニホン語の読める転生者は、この国ではとても大事にされる。読んでもらいたい資料は多いし、その内容は人を生かす薬の作り方が主だからな。ただあの国は……隣の帝国は、とても好戦的な国だ。兵器の開発でもさせようとして、抵抗されたんだろう」


「……へいきの作り方、知ってる、人だった?」


 名前も今日初めて知ったダルトワ夫妻の子どもは、兵器の作り方など知っていたのだろうか。

 普通の日本人であれば、そんな物は知らないはずだ。

 ミリタリーオタクだとか、クイズ王のような知識を貪欲に取り込む人間など、ホイホイ存在するものではない。

 知識を得るだけならば、図書館を利用するだとか、電子書籍で集めるだとか、いくらでも方法はあるが、それを実際に理解して活かせる人間などそうはいない。

 アルメルがどのような知識を持っていたかは判らないが、兵器開発ができるような知識を持っていた可能性は低いだろう。

 そんな人間に、隣国は兵器作りを強制したのだろうか。


「アルメルがどんな知識を持っていたのかは判らない。ただニホン語が読めるだけで、有益な知識は持っていなかったのかもしれない。この国ではそれだけでも十分価値があるが……ニホン人には色々伝説があるからな。それをまるっと信じる奴にとっては、不可能という概念が存在しない種族だとかなんとか思われている」


「……ソレハチョット無理ガアルヨ」


 レオナルドの口から語られる日本人の記憶をもった転生者の伝説に、気が遠くなるのを感じた。

 さすがに二十四時間は戦えないし、一度何かに嵌ると素人でもすぐにその道の第一人者になっちゃうぐらい嵌りこむ偏執狂だとか、心当たりがなくもないが、基本的には無理がある。

 不可能を可能にする人間はいるかもしれないが、日本人の誰もができることではない。


 ……とりあえず、日本人の記憶がある、ってのは黙っていた方がいいね。


 日本語を読むぐらいならば協力しても良いが、用が済んだらおかしな国に売却処分とか遠慮したい。

 売られた先で知識もなしに兵器開発の強要とか無理だ。

 お断りしたら拷問死とか、考えるまでも無くお断りすぎる。


 ……ってか、たぶん私と同じ結論出して黙ってる転生者がいるんじゃないかな、わりとその辺に。

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