第3話 ワイヤック谷の魔女
左右を切り立った崖に挟まれた渓谷の底は、少し不思議な場所だった。
渓谷の外には葉が落ちた木々しかなかったのだが、谷底の木々には深緑の葉が生い茂り、春先というには少々暖かい。
空を見上げると、岩壁は白く霞んで先が見えなかった。
雲と考えるよりは、濃霧だろう。
ここまでの道も、濃い霧に包まれていた。
……崖と崖の間って、どのぐらいあるんだろう? 橋かけるの難しそうだね。すごく広い。
物珍しくて周囲をキョロキョロと見回しているのだが、レオナルドにとっては珍しくもなんともないらしく、まっすぐに前を見つめて馬を進めていた。
ほとんど森に近い林を抜けて反対側の崖にたどり着くと、崖を背にした一軒の家が見えてきた。
谷底という辺鄙な場所にある家なのだが、小さな庭や菜園らしき畑、家畜小屋や物置らしい脇屋まである。
……うちの村長の家より立派な家だ。
真っ先に浮かんだ感想がこれだった。
村で一番立派な家だ、と村長は自身の家を自慢していたが、目の前にある谷底の一軒家にも劣る『立派な』家だった。
一軒家に着くと、レオナルドは馬を下りる。
そのまま勝手に柵の扉を開け、馬ごと敷地内へと入った。
「オ邪魔シマス……」
不法侵入をしているという気まずさを誤魔化すように、日本語で小さくつぶやく。
マスクをしているため、私の小さな声は誰にも拾われることはなかった。
家の前まで来ると、荷車から馬が外される。
ここまで一緒に来てくれた荷車の騎士も、荷物を降ろして砦へと戻るらしい。
「……ごめんなさい」
馬に乗って走り去る騎士を見送り、レオナルドの背中を見上げて小さな声で謝る。
突然私に謝られたレオナルドは、不思議そうな顔をして視線を下げてきた。
「レオにゃルドさん、本当は、お仕事、帰りたい。わたしのせい、帰れない。ごめんなさい」
恥ずかしくも子どものように大泣きをした私を慰めようと、つい抱き上げてしまったせいでレオナルドは病気への感染を疑って谷に篭ることとなった。
私がうっかり羽目を外して泣き出さなければ、避けられたかもしれない事態だ。
騎士として、砦で指示を出す中心にいるべき人を、中心からは外れた辺鄙な場所へと閉じ込めることになってしまい申し訳ない。
本当に申し訳ないと思っているのだが。
……一人じゃなくて、少しだけ心強いとか思ってます。ごめんなさい。
申し訳なくも、頼もしい。
なんとも複雑な心境でレオナルドの顔を見つめた。
「……まあ、ティナとはゆっくり話をする必要があるからな。その時間ができたと思えばよし。砦のことはアルフに任せておけば大丈夫だ」
「お話?」
「ティナのこれからについてとか、サロモン様についてとか……色々相談しておくことはあるだろ」
レオナルドが指折り数える話し合うべき案件に、この人は本当に私の人生に責任を持つつもりだったのだな、と驚かされる。
こう言っては失礼なのだが、核家族化が進み個人主義の人間が増えてきた現代日本で生きた記憶がある私には、レオナルドの
『恩人の子ども』とレオナルドは言っているが、要はただの他人である。
恩人である父亡きあとは、適当に言い含めて放り出すのが普通だろう。
……赤の他人の面倒を、本気で見るつもりだったんだね、レオナルドさん。私は助かるけど、それでホントにいいのかな? 子ども一人面倒見るって、かなり大変なことだと思うんだけど。
もちろん、私はただの子どもではないので、聞き分けよく言いつけを守る、という程度のことはできるのだが。
自分で出来ること以外は、どうしても私が障害となるだろう。
……レオナルドさん、結婚とかしてるのかな? いきなり子ども連れ帰ったら奥さん怒るよ、絶対。
結婚はまだだとしても、恋人がいた場合でも、突然子持ちになるのは色々と問題があるだろう。
はたしてレオナルドはそこまで考えているのだろうか。
心配になってレオナルドを見つめていると、その視線に気がついたレオナルドが相談事を数え上げるのを止め、くしゃりと私の髪を撫でた。
「オレリア、少し相談があるんだが……」
ノックをしたかと思ったら、中からの返事も待たずにレオナルドは扉を開ける。
中に人がいると確信していたようなのだが、何よりもその
返事も待たずに扉を開けても良い間柄の人間なのだろうか? と考えて、気がつく。
……いや、ダメでしょ。魔女とか賢女とか言ってたから、女の人だよ。女の人の家を訪ねるのに、返事も待たずにドア開けるのはマナー違反だよ。
驚いてレオナルドを見上げると、レオナルドは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「……あれ? いないな? いつもなら勝手に開けるな、って皿の一枚も飛んでくるんだが」
……怒られるって解っててやってたの!?
余計にダメじゃん、と内心で憤慨しているのだが、レオナルドは私の表情になど気づかずに家の中へと入る。
私はというと、勝手に
外から見ると村長の家より立派だと思った家は、中を見てみると意外に狭く感じる。
ところ
小さな引き出しがついた棚が壁を
……草の匂い。なんだろう? ハーブとかかな?
枯れ草とも、花とも違う匂いがする。
匂いの元を辿って室内を見渡せば、壁際にいくつかの植物が吊り下げられていた。
……ドライフラワーとか、ああやって作るんだっけ?
昔の少女漫画で、ヒロインの部屋に飾られていたのを覚えている。
今は電子レンジで作る方法などがあった気もするが、テレビも冷蔵庫もないこの世界では、昔ながらの方法をとるしかないはずだ。
「……おかしいな、三ヶ月前にセドヴァラ教会が新しい弟子を送り込んだはずだから、オレリアが不在でも弟子はいるはずなんだが……?」
簡単に家の中を探し終え、玄関へと戻ってきたレオナルドに、私も室内観察を切り上げる。
家主不在の家の中を、あまりジロジロと見るのも悪いだろう。
……セドヴァラ教会って何? 宗教?
耳慣れない単語に首を傾げていると、一瞬だけ黒い影が顔にかかった。
次に濃い緑色の物体がバラバラと周囲に舞い落ちる。
「え? え? 何!?」
動いている物を無意識に視線が追い、視線は地面へと散らばった緑色の物へと移される。
地面に落ちて静止した緑の物体は、名前はわからないが植物の葉っぱだった。
形が違う何種類かの葉を見つめ、それが落とされたと思われる上を見る。
見上げた先には、竹か籐のようなもので編まれた
……あ、わかった。家から出てきたトコを狙われたんだ。
ぷるぷると肩を震わせているレオナルドに、勝手に家へ入ったことへの報復であろう、と理解する。
少なくとも、家の中へ入らなかった私にまで笊が落ちてくることはなかった。
数歩下がって玄関から距離をとり、上を見る。
一階建てだと思っていたのだが、どうやら二階があるようだ。
厳しい顔をした老女が、笊を被ったレオナルドを見下ろしていた。
「She ran away in a month」
老女の薄い唇からもれた言葉は、なんと言っているのか解らない。
……え? 何語? どこの言葉??
聞いたことがあるような、たまに聞き取れる単語があるような気はするのだが、老女が話している言葉は
……この世界の外国語とかかな? まいったな。まだこの国の言葉だって聞き取るのがやっとなのに。
老女に対してなんと声をかけたら良いのか判らず、とりあえずレオナルド周辺に散らばった草を拾い集めることにした。
レオナルドの手から笊を受け取り、その上に拾った草を載せていく。
知らない言葉でレオナルドが老女に文句を言い始めたようだが、口を挟めるわけもないので黙々と葉を拾い集めた。
ひとしきり言葉の応酬が終わると、レオナルドに促されて改めて室内へと足を踏み入れる。
笊を抱いたまま室内を見渡していると、奥から先ほどの老女が現れた。
……何語だろう?
老女に笊を返したあと、テーブルへと案内されて今に至る。
レオナルドと老女が話しをしているのだが、どこかの国の言葉が使われていて私には何を話しているのかさっぱり解らなかった。
話の腰を折るわけにもいかないのでしばらくはお行儀良く座っていたのだが、いい加減暇だ。
……子どもじゃないから、じっとしてることは出来るんだけど。
暇には勝てない。
普段であれば聞き耳を立てて会話の流れを把握することもできるのだが、言葉が解らないためそれもできない。
今の私にできて、二人の邪魔にならないこと――と考えて、こっそり老女を観察することにした。
年齢は判らない。
顔どころか手や指にまで皺があるので老齢であることは判るのだが、背筋はスッと伸びていて、背も高い。
白髪の混ざった赤毛を綺麗に編みこんで上げている。
後れ毛を見る限り、髪質は柔らかい猫毛なのだろう。ふわふわとした赤毛がうなじを飾っていた。
……魔女って言うから、髪の毛ボサボサの外見気にしない老婆を想像してました。ごめんなさい。
絵本の魔女像とはまるで違う老女オレリアの姿に、『魔女』ではなく『賢女』だと言ったアルフの正しさを知る。
……厳しい教頭先生って雰囲気だよね、オレリアさん。
背筋を伸ばして座るオレリアの姿勢は美しい。
時折テーブルに立てかけた杖を持ち上げ、レオナルドに殴りかかる姿は毅然としていた。
……レオナルドさんには悪いけど、ちょっとカッコいいと思ってしまった。
コクリと出されたハーブティーをいただきながら、オレリアの茶色の瞳を見つめる。と、レオナルドとオレリアが同時にこちらへと視線を向けた。
「あ、あい きゃん のっと すぴーく いんぐりっしゅ」
咄嗟に口から出た言葉は、前世で中学時代に考えた英文だった。
これで「道端で外国人に遭遇しても逃げられる!」と、級友と笑いあった半分冗談でできている英文だ。
なお、実際に使われる機会などなかった。
突然何を言い出したのか、と瞬くレオナルドに、自分でも突然でてきた英文モドキが不思議だった。
何故いきなり前世でも使わなかった英語が? と考えていると、会話を再開したレオナルドとオレリアにその理由が解った。
……オレリアさんの言葉、時々『She』とか、『Family』とか英語っぽく聞こえる単語が混ざってるんだよね。
ほとんどは聞き取れないのだが。
それでも時折前世で習った英単語に似た言葉を耳が拾う。
そのせいで、とっさに前世での「道端で外国人に遭遇した場合」というイメージトレーニングが発揮されてしまったのだろう。
……なにも、今突然発揮されなくてもいいのに。
絶対に変な子どもだと思われた。
先ほどまでは歯牙にもかけられていなかったのだが、チラチラとこちらへオレリアが視線を寄越すようになっている。
これ以上変な失敗はすまい。
そう心に決めて、退屈であろうがなんだろうが、二人の話が終わるまではお人形に徹することを決めた。
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