第6話 谷での一日目終了
レオナルドの風呂が終わるのを待っていると、オレリアに髪をハーフアップに編みこまれた。
作業が終わるとオレリアは満足気に頷いていたが、無言で突然髪をいじられ始めればさすがに驚く。
せめて通じないながらも一言、声はかけてほしかった。
……まあ、可愛く結ってくれたみたいだからいいけどね。
鏡がないので仕上がりは見えないが、後頭部を触ってみると複雑な編みこみがされているのが判った。
自力では絶対に編めない自信がある。
……髪といえば、髪の毛洗ったせいでレオナルドさんの前髪が全部降りちゃったんだけど。
整髪料か何かで後ろに流して固められていたレオナルドの前髪が、今はふわりと顔に降りている。
少し癖のある長めの前髪が凛々しい眉を隠し、二十代後半に見えた
改めて年齢を聞いてみると、レオナルドはこともなげに二十一歳だと教えてくれる。
やはり髪型のせいで老けて見えていたようだ。
……童顔じゃなくて、ホントに若かったんだね。あと、砦の偉い人って言ってたけど、若すぎない?
こんなに若くて『砦の偉い人』になどなれるものだろうか。
子どもの頃に奴隷にされかけて、騎士になって、砦の偉い人、というのが今のところ判っているレオナルドの経歴だ。
偏見なのは承知だが、出世をするためには本人の能力よりも、上位者へのコネだとか身分だとかいうものが必要になってくる。
奴隷として子どもを売るような親に、身分ある者へのコネや賄賂を渡す財力があるとは思えない。
となると、レオナルドの若さで『砦の偉い人』になるのは相当難しいことだったはずだ。
後頭部を探っていた手を下ろし、オレリアと話しているレオナルドの背中を見つめる。
二人とも私には理解できない言葉で会話をしているので、側で聞き耳を立てていても退屈なだけだ。
「――ティナ」
オレリアとの話し合いが終わったのか、レオナルドが背負い籠を持って私を呼んだ。
ブカブカのサンダルで転ばないよう慎重に、手招くレオナルドへと走り寄る。
「風呂に使った薪の補充に出てくる。ティナは……」
「一緒、行く。お手伝い、する」
レオナルドのように大きな籠は持てないが、私だって多少は薪を運べるのだ。
自分にもできることがあるのなら、可能な限り手伝いたい。
対価も払わずお世話されるだけ、というのもなかなかに居心地が悪いのだ。
「オレリアと待っていてもいいんだぞ?」
「薪拾い、二人でする、早い。あと、オレリアさん、お話しできない」
レオナルドはオレリアの使う言葉が解っているようなのだが、私はこの国の言葉ですらもまだ怪しい。
しゃべることはおろか聞き取ることもできない言語を操るオレリアと、二人きりにされるのは間が持たなすぎるので遠慮したかった。
「ティナに英語は解らないか」
……なんですとーっ!?
今なんと言った? と穴が開くほどにレオナルドの顔を見つめる。
英語と言えば、あれだ。
私の世代では中学生から習ったが、近年では小学生から習うことに変更されたとかなんとか話題になっていた。
日本の児童がほぼ強制的に学ばされる、外国語の入り口ともいえる言葉だ。
世界の共通語だなんだとご大層な触れ込みがあるが、筆記はともかくとして恥ずかしがり屋の日本人には正しい発音が難しく、結局使いこなせる人間は極僅かの秀才か英才教育を受けた発音を聞き取れる耳を持った者、もしくは失敗を恐れずに話しかけられる勇気ある恥知らずだけだ。
そして、私はそのどちらでもなかった一般的日本人である。
当然、英語など話すことはもちろん、聞き取ることもできない。
……じゃあ、オレリアさんの言葉で時々聞き取れた気がする「Famiry」とかの単語って、ホントに英語だったんだね。
英語と思って聞いてみれば、オレリアの言葉はところどころ拾い取れる気がする。
何度も同じことを言ってもらえば、多少何を言っているかは理解できるかもしれない。
「エーゴ、なに?」
私の思う『英語』と、レオナルドの言う『英語』に違いがあっては後々困るかもしれないので、一応確認をしてみることにした。
無邪気さを装って、可愛らしく首を傾げる。
「英語って言うのは……ニホン語の仲間だ。転生者が使う、前世で転生者が生きていた国の言葉だ」
なるほど、やはり『英語』は『英語』らしい。
日本人の転生者がいるのなら、イギリス人やアメリカ人の転生者がいても不思議はないだろう。
……あれ? ってことは、オレリアさんって?
「オレリアさん、なんでエーゴ?」
もしかしてオレリアさんも転生者ですか? と思いついたままに聞いてみる。
私の素直すぎる質問に、転生者とは特に隠すことではないのか、レオナルドもすぐに答えてくれた。
「うん? オレリアは転生者だったんだが、一人で谷に篭っている間にこちらの言葉を忘れたらしい。今では英語しか話せない」
……転生者って、そんなにどこにでもホイホイいるの?
言葉を忘れるほど一人で谷に篭っている、ということにも驚いたが。
二十年前の転生者、その前は二百年遡り、三百年前にはユウタ・ヒラガがいたという。
そこそこ間隔はあると思うのだが、まさかこんなすぐに他の転生者に出会えるとは思わなかった。
本当に、転生者は名乗り出ないだけでその辺にいるのかもしれない。
……あれ? だったら、英語を話せるレオナルドさんも転生者? 親に売られたって言ってたし?
次々に疑問が生まれてしまい、頭が飽和状態になってしまった。
何から聞いていけば良いのか判らず、頭を抱えたい気分だ。
一つひとつ疑問を解いていこう。
何をどう聞けばおかしく思われないだろうか。
そんなことを考えていたはずなのだが、口から出た疑問は『ド』が付く直球だった。
「……レオにゃルドさん、てんせい者?」
「俺が? なんでそう思ったんだ?」
目を丸くして瞬いたレオナルドに、どうやらレオナルド=転生者説は違ったらしいと判る。
レオナルドは心底不思議そうに、思ってもいなかったことを聞かれた、という顔をしていた。
「オレリアさん、エーゴだけ。レオにゃルドさん、オレリアさんとお話し、できる」
英語で会話ができるのだから、レオナルドも転生者なのだろう。
単純にそう考えただけだと思ったのか、レオナルドは苦笑を浮かべた。
「英語は騎士から上の階級では一般教養に含まれる。転生者の世界では共通語だったらしいからな」
有益な知識を持つ転生者は、為政者の庇護下に置かれることが多い。
転生者から知識を得るためにはスムーズな意思の疎通が必須で、異世界に共通語があるのならばそれを覚えておいた方が良い、と王侯貴族の間ではいつ現れるかも判らない転生者に備えて英語の研究が行われたらしい。
もちろん全ての貴族が完璧に身に付けているとは言いがたいが、逆に出自で侮られる場合もある黒騎士は自衛を兼ねて実用レベルにまで身に付けているとのことだった。
……ごめん、レオナルドさん。一応英語は世界の共通語って言われてたけど、みんながみんな話せるわけじゃないから。特に日本人は英語壊滅的だから。
少なくとも、私と話す場合には障害にしかならないだろう。
オレリアの家周辺の森を一時間ほど散策すると、用意した籠いっぱいに薪が集まった。
大きめの薪はサイズを揃えるため、レオナルドが手斧で整える。
私は両手いっぱいに薪を抱えたまま、家の裏手へと回った。
風呂に使った薪は、オレリアの家から持ってきたのだ。追加しておいた方が良いだろう。
先ほど持ち出したところへ積み上げておけば良いのか、他に薪を貯めてある物置へ運び込んでおくべきかと考えていると、背後にある崖の方向からオレリアが包みを持って現れた。
「あ、オレリアさん。薪、どこに置く、良いです?」
丁度良いところに薪を使う本人が来た。
オレリアにとって都合の良い場所を教えてもらうのが一番だろう。
そう思って聞いてみてから、思いだした。
……あ、オレリアさんは英語じゃないと通じないんだっけ。
なんて言ったら良いのだろうか。
とりあえずはジェスチャーか? でも薪の置く場所など、どう動けば通じるのだろうか。
困り果てて薪とオレリアの顔とを見比べていると、オレリアは杖で風呂釜の横を示した。
「……お風呂のトコ、です?」
オレリアからのアプローチに確認を込めて聞くと、オレリアはこくりと頷いた。
「じゃ、お風呂のトコ、置くです」
勝手口から家の中へと入っていくオレリアの背中を見送ってから、風呂釜の横へと薪を積み上げる。
レオナルドの集めた薪を同じ場所に少しずつ移動させ、背負い籠の片付けまで終わってから、ふと気が付いた。
……あれ? オレリアさん、こっちの言葉解ってる?
レオナルドは言葉を忘れたと言っていたが、もしかしたら私と同じなのではなかろうか。
聞き取りはできるが、話すのは難しい。
だからオレリアは英語を使っている。
そんな可能性もあるかもしれない。
夕食はオレリアが作ってくれた。
さっき持っていた包みは、お肉の包みだったらしい。
レオナルドの説明によると、崖に少し空洞があり、そこを貯蔵庫として使っているのだとか。
荷車の荷は、今はそこに収められたとのことだった。
私がのんびりお風呂に入っている間に、レオナルドが一人で全て運び込んだらしい。
きっとオレリアのあの杖で追い立てられたのだろう。
……あまり味がしないね……? オレリアさん、お料理苦手?
用意された薄味の野菜スープを口に含み、内心でだけ伸びやかな感想を述べる。
さすがに口に出すような愚かな真似はしない。
この世界に生まれて料理がマズイと思ったことはなかったが、母とウラリーおばさんの料理の腕が良かっただけなのだろうか。
……や、でもレオナルドさんの作った野菜スープも普通だったし、やっぱりオレリアさんがお料理苦手なだけ?
こっそりオレリアの皿を覗くと、ケッチャップにも見える赤い調味料らしきものをスープの中に投入していた。
それではレオナルドはどうしているのだろう、と視線を向けると、こちらも黄色いマスタードか辛子っぽい調味料をスープに投入している。
……つまり、味付けは各自で、ってこと?
二人の食べ方を観察してから、試しに自分のスープにも黄色い調味料を入れてみた。
……微妙。
思い切りが足りないのだろうか、と今度は少し多めに入れてみる。
……調味料の味しかしない。
これはどう考えても失敗だろう。
では、オレリアが入れている赤い調味料ならどうだろうか、と先の調味料と同じぐらいの量を入れてみた。
……異世界の味がする。
混ぜるな危険という言葉がこれほど似合うものはない。
振り返ってみれば、最初の薄味スープが一番味としてまともだった。
「……明日は俺が作ろう」
異世界味のスープを無理やり飲み込んでいると、レオナルドがボソリと呟いた。
平然とした顔で食べてはいたが、やはり彼も思うところのある味だったのだろう。
「お手伝い、する」
日持ちするようカチカチに乾燥させた固いパンと、塩コショウすらなしで焼いただけの肉がご馳走に思える食卓など嫌だ。
オレリアも自覚があったのか、レオナルドから提案に異論はないようだった。
食後はレオナルドを通訳に挟んでの事情聴取になる。
村の伝染病について、わかる範囲でオレリアの質問に答えていく。
ほとんどの質問はレオナルドたちに聞かれたものと同じだったが、さすがは薬の専門家らしいというか、初めて聞かれる質問もいくつかあった。
……ね、眠い……
話が終わらなければ寝るわけにはいかないと解ってはいるのだが。
幼女の体は大人に比べて体力がない。
自然と一日の活動時間も限られており、早い話が今猛烈に眠い。
……まだ、お話……終わってな……い……
うとうとと揺れる頭に気が付いたのか、レオナルドの大きな手が私の額を覆う。
暖かな体温に引きずられるように、意識が後ろに一歩遠のく。
……あ、だめ……寝る……
まだ起きていなければとは思うのだが、睡魔の誘惑と温かな人の体温には勝てなかった。
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