第6話 黒い鎧の男たち

 無人になった空き家に残る薪を求め、村中を回る。

 少しずつ暖かくなっているので、そろそろ春がやって来るのだろう。

 長い冬だった。

 例年と変わらない長さのはずだが、今年の冬はとても長く感じた。


 ニコラが死に、マルセルが死に、村長が死に、村人が死んだ。

 母も死に、良くしてくれたダルトワ夫妻も死に、今度は父の番だろう。

 村人と比べれば長くもった方だが、もう会話をすることも難しい。

 口を開けば声よりも先に咳が出て、とても言葉を拾い取ることはできなかった。


 ……お父さんが死んだら嫌だな。


 本当に一人になってしまう。

 右も左も判らぬ異世界に転生し、子どもとして両親に庇護されながらこの世界で生きていくすべを学んでいくはずだったのだが、まだたったの八年だ。

 言葉は聞き取れるが、十分には話せず、村ではほとんど使わなかったので文字も読めない。

 孤児院を頼りなさい、と一応の方向性は示されたが、村から出ること自体が不安でいっぱいだ。

 道は判るのか、漫画やアニメのようにモンスターなどの魔物が出るのか、そんなものが存在しないとしても害獣はいるだろう。もしかしなくとも、山賊や盗賊に出くわすこともあるかもしれない。村長はダルトワ夫妻の子どもを売ったという話だった。ということは、子どもは商品として取引される対象なのだ。親のいない子どもなど、人買いには鴨が葱を背負って歩いているようにしか見えないはずだ。


 ……村を出るとか、無理。外がどんなところか判らなさすぎて、怖くて絶対出れないよ。


 せめてあと五年、両親が健在であってくれたなら。

 贅沢を言うのなら今が一番辛い時なだけで、明日になったら回復へと向かい始めてくれないものだろうか。

 もっと言うのなら、家に帰ったらケロッと病気なんてどこかへ吹き飛んでいて、勝手口のドアを開けたら父が「おかえり」と夕食のスープを作ってくれていたりしてほしい。


 ……そんなこと、叶うわけないんだケド。


 両手に抱えるだけの薪を集め終わり、ふと視線を村の入り口へと向ける。

 視界の端で何かが動いたような気がした。

 現在の村で、自由に動ける人間など私以外にはいない。

 何か小動物でも通り過ぎたのだろうか? と一瞬思ったが、違った。


 ……え? 誰? 何事?


 村の入り口に馬に乗った五人の男と、荷馬車を引いた男がいた。

 目をらしてよく見ると、男たちは全員が鎧に身を包んでいるようだった。


 ……西洋ファンタジー!? 鎧だ! 初めて見たっ!?


 全身を覆うような鎧ではなく、簡易な黒い鎧だ。胸当や肩当はあるが、『実は排泄に難があり、垂れ流しである』とネタにされるような重装備ではない。

 中央の男は深紅しんくのマントを纏っており、その横の男も同色のマントを纏っているが、中央の男の物より少し丈が短い。


 ……隊長、副隊長、マントがないのは下っ端、って感じかな?


 遠目に男たちを観察していると、マントを纏っていない赤毛の男がこちらに向かって指をさした。

 それに促されたのか、隊長クラスと思われるマントの男が振り返る。


 ……やばいっ。見つかった!?


 咄嗟に隠れようと左右を見渡すが、動揺しすぎて足が動かない。

 あたふたと薪を抱きしめたままうろたえていると、マントの男が近づいてきた。


 ……顔、怖っ!?


 整った精悍な顔つきをしていたが、第一印象はこれだった。

 視線が鋭すぎて怖い。

 黒髪を整髪料かなにかで固めてオールバックにしているため、余計に表情が判りやすく、凛々しく鋭い印象がある。


 ……殴られるっ!?


 目の前に来た強面の男が、籠手ガントレットに包まれた大きな手を持ち上げる。

 咄嗟に首を竦めて目をきつく閉じると、大きな手は意外な優しさをもってポフっと頭に載せられた。


「メイユ村の子だよな? 大人はどこにいる? 姿が見えないようだが……」


 ポンポンと頭を撫でられて、驚いて顔をあげる。

 顔つきは鋭すぎて怖いのだが、男の黒い目は優しそうな色をしていた。

 子どもに対するものとしては当たり前すぎる優しい声音に、一瞬で視界がゆがみ――


「ふえぇ……ええぇええええええええ……んっ」


 ――自分の物とは思えないほど盛大な泣き声が口から漏れた。


 今生で初めて、子どもらしさだとか、演技だとか、サービスだとか、何も考えずに泣いた。

 気が付いたら泣いていた。

 わんわんと泣いた。

 前世では成人をすぎた大人である、という自負がどこかへ吹き飛んだ。

 一見怖そうな大人の集団ではあったが、久しぶりに見た健康な大人でもある。

 警戒するべきなのだが、安堵の方が先に来てしまった。


「なんだ? なんで突然泣くんだ?」


「おまえの顔が怖いからじゃないか?」


 泣き出した私に困惑する男たちには悪いが、そう簡単には泣きやめそうにない。

 意図して泣いているわけではないのだ。

 今の私にはどうしようもない。


「怖くない、怖くないぞ。ホラ!」


「ひゃわっ!?」


 不意に黒髪の男は、私の脇へと手を入れて抱き上げる。

 おかげで抱えていた薪が全て地面に散らばってしまった。

 突然高くなった視界と黒髪の男の行動に驚き、涙は一瞬で止まる。

 直前まで泣いていた名残のように、ヒクっと小さなしゃっくりが漏れた。


 ……こ、子どもと同じ扱いされて、子どもみたいに涙ひっこんだ……よ?


 元・大人としては結構ショックである。

 子どもの体には、強制的に泣き止むスイッチでも存在するのだろうか。

 色んな意味で混乱していると、もう一人の青年が少し屈み込んで私と目線を合わせてきた。


「きみはこの村の子?」


「ぁい」


 短いマントの青年に問われ、反射的に答えてしまい、すぐに口を押さえる。


 ……「あい」じゃないよ、「はい」だよ。なんで咄嗟だとちゃんと発音できないかな、私っ!


 内心で自分にツッコミを入れつつ、失敗を誤魔化すようにムニムニと頬を揉み、改めて口を開いた。


「……はい、そうです」


 よし、今度はちゃんと言えた。

 そう内心でガッツポーズを決めて、子どもらしく振舞いつつ男たちの様子を探ることにする。


「お兄さん、たち、商人さん、ですか?」


 とてもそうは見えないが。

 自分を抱いたままの男と青年を見比べて、可愛らしく首を傾げる。

 相手が何者であるのか判らないので、こちらは出来る限り子どもらしく、頓珍漢とんちんかんなことを言ってみた。


「俺はレオナルド。こっちはアルフ。商人ではなくて、騎士だ」


「きち?」


「騎士だ、き・し。言ってみろ」


 レオナルドと名乗った黒髪の男は、顔は怖いが気は優しいらしい。

 何度か『きち』を『騎士』とただし、私が発音を覚えるまで付き合ってくれた。


「お兄さんたちは、騎士。レオにゃルドさん……しゃま? と、アりゅフ……」


「レオナルドだ。レ・オ・ナ・ル・ド」


「レオにゃルド」


 発音を間違える度にレオナルドに訂正をされ、しばらくそれを繰り返す。

 何度間違えても付き合いよく言い直してくれるレオナルドに、見た目の印象とはまるで違う人間だと判った。


 ……悪い人じゃ、なさそう?


 そんなことを考えていると、地面に散らばってしまった薪をアルフと教えられた金髪の青年が拾い集めてくれていた。


「……もうレオでいい」


 どうしても『レオナルド』と発音できない私に、レオナルドことレオは白旗を上げた。

 名前を正しく発音させることよりも、優先すべきことがあったと思いだしたのかもしれない。


「きみの名前は?」


「ティナ、です」


「じゃあ、ティナ。村長はいるか? 大人の姿が見えないようだが……」


 私を抱き上げたまま、レオナルドは周囲を見渡す。

 結構な時間漫才をしていたが、大人はおろか他の子どもすら顔を見せないことが不思議になったのだろう。

 普通であれば、村の子どもが知らない大人と会話などしていようものならば、誰の子どもであろうとも村の大人が警戒して顔を覗かせる。


「村長……村長、は……」


 ああ、ヤバイ。

 そう思うより先に鼻の奥がツンと痛み、一度は止まった涙が再び溢れ始めた。

 こうなってしまうと、自分の意思では止まらない。

 心は成人済であっても、この体はまだ子どもだ。

 中身大人の嘘泣きならともかく、我慢できない子どものマジ泣きはどうしようもない。


「村長も、村の人も……みんな、死んだ……死に、死にました……」


 嗚咽おえつとしゃっくりで時折つっかえながら、この冬に村で起こったことを伝える。

 秋の終わりに病人が出て、その子どもが死に、病気で寝込む人間が増え、次々に村人が死んでいった。自分たち家族とダルトワ夫妻はしばらく平気だったが、村人の看病をするようになると母が寝込み、ダルトワ夫妻も寝込み、今は父まで寝込んでいる、と。


「……じゃあ、ティナの両親と、その夫妻は生きているんだな?」


「今は、とーさん、……だけ。かーさんと、おじさんたち、……死んだ、です」


 村人が全て死んだことを話すと、さすがに騎士たちの顔色が変わった。

 レオナルドの指示で、確認のために仲間の騎士が村の家々へと走り出す。その背中に、アルフが「触るものに気をつけるように」と注意を飛ばした。

 確認に奔走する他の騎士たちを見送ると、ようやく地面へと下ろされる。

 私を下ろしたレオナルドは、父の元へ案内してほしい、と言った。







「とーさん、騎士さん、来たよ」


 寝室のドアを開けてベッドに近づくと、父は相変わらず苦しそうに咳をしていた。

 息をするたびに咳が出るので、今ではほとんど眠れていない。

 ただ横になっているだけだ。

 これでは病気でなくとも、近いうちに睡眠不足で死んでしまうだろう。

 そうは思うのだが、どうすることもできない。

 薬も治療法もないのだ。


 薄く目を開いた父を確認し、引き出しの中のマスクモドキを手に取る。

 客人に父の病気が移ったら困る、とマスクを渡すために入り口を振り返ると、レオナルドは寝室の入り口で硬直していた。

 黒い目を見開き、顔には驚愕の表情がありありと浮かんでいる。


 ……あれ?


 なんか変だな、と思うより早く、レオナルドは硬直状態を脱した。

 止める間もなくベッドに近づくと、膝をついて目線を落とし父の様子をまじまじと見つめる。


「サロモン様、何故このようなところに……っ」


 ……え? サロモン様って、何? うちのお父さんサロじゃなかったの?


 それでなくとも、騎士が『様』を付けて呼んでいる。

 この世界の騎士が単純に貴族出身の軍人のことをさすのか、騎兵というだけの意味なのかは判らないが、他者ひとに『様』をつけて呼ばれる人間など、初めて見た。

 それも、呼ばれているのは今生の父親だ。

 何が起こっているのか、と混乱する思考はとりあえず無視することにして、レオナルドと父を見守ることにした。


「サロモン様、サロモン様っ!」


「……懐かしい、名だ。きみは……」


 少し視線を彷徨わせたあと、父の視線はレオナルドを捉える。

 ほんのわずかに記憶を探るような顔をして、父は柔和な笑みを浮かべた。


「レオナルドか。……立派な騎士になったね、見違えたよ」


「はい。全てはサロモン様のおかげです」


「私は……何もしていないよ。全ては……きみの努力の、賜物だ。……ティナ、マスクを」


 会話の邪魔をしないように脇へ避けていたのだが、父に手招かれてしまった。

 レオナルドに渡す予定で取り出したマスクを父に渡すと、父がそれを身に付ける。

 咳によって感染源が含まれていると思われる唾や痰を撒き散らすのは父なので、父がマスクを付けるのは正しい。

 しかし、父は喉を刺激して咳き込まないよう、気をつけて小さな声で話すようにしているので、マスクをしてしまうと声は普段よりも聞き取り難くなってしまう。


「マスク、お客様がする。とーさん、マスクする、声聞こえない」


「ああ、そうか。ちゃんと、考えていたんだね。ごめんよ」


「……まだある。とーさんはマスクとる。お客様、別の出す」


 マスクを取りにベッドを離れようとすると、父に手を握られて引き止められた。

 父の手は意外なほど力が込められており、簡単には振りほどけそうにない。


「とーさん?」


 何か変だな? と父を見つめると、父は真剣な顔をして私を見つめていた。


「ティナ、彼はレオナルド。昔、私が名前をつけた。……いわば、私は彼の名付け親だ」


「なづけ親……?」


 お父さん、今おいくつですか? そんな場違いなツッコミが浮かんだ。

 多く見積もっても三十代に手が届くかどうかといった外見の父と、二十代半ばぐらいに見えるレオナルドは親子と言えるような年齢差ではない。


「私を親とするならば、おまえたちは兄と妹ということになる」


 それはちょっと無理があると思います。

 そうは思うのだが、空気を読んで突っ込むのはやめた。

 父にとってこじ付けであっても、何かとても大事なことを言おうとしているのだと判ったからだ。


「レオナルド、この子は私の娘で、名をティナと言う。妻と二人で名前を付けた。同じ親を持つ兄として、ティナのことを託されてはくれないだろうか」


「はい。お任せください」


 一瞬の迷いもなく、父の無茶な頼みをレオナルドは受け入れる。

 驚いているのは、今日会ったばかりの男に預けられることとなった私だけだった。

 レオナルドの答えに、父は安心したように微笑む。


「ああ、今日は……良い日だ。あの時の少年が、約束どおり……立派な騎士になって、訪ねて来てくれた。そればかりか、躊躇いもなく、私の無茶な望みを叶えてくれると言う……」


「サロモン様に受けた恩は、このぐらいのことでは返しきれません。それに彼女は……ティナは私の妹なのでしょう? 兄が妹を庇護するのは、当然のことです」


「きみは昔からそうだった。妹を守る、良い兄だ……」


 きみに任せられるのなら安心だ。

 そう笑ってから、父は静かに瞼を閉じた。


「……とーさん、寝た? お客様の前で、突然寝たら、ダメだよ」


 咳のせいで満足な睡眠を取れない父は、昼間であろうと眠れる時に眠っている。そうしなければ体力が持たないからだ。

 また突然睡魔に襲われ、寝落ちたのだろう。

 そう思って、しかし客人の前で突然寝るのはまずかろう、と父を揺り起こそうと手を伸ばしたら、レオナルドの大きな手が私の手を包んだ。

 驚いて見上げると、レオナルドは何かを堪えるように唇を引き結んでいた。


「……寝かせてさしあげよう。ティナを託す相手が見つかって、安心なされたんだ」


 レオナルドの表情に違和感を覚え、視線を父へと戻す。

 しばらく見つめていたが、父の胸が呼吸で上下に揺れることはなかった。

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