第2話 秋の終わりに

 相変わらず村長からの嫌がらせは続いているが。

 両親とダルトワ夫妻に庇われて、私は今のところ無事に過ごしている。

 この夏で八歳となり、自分で出来ることが少し増えた。

 最近の楽しみは、料理の手伝いである。

 気分的には八年も外国に暮らしているようなものなので、そろそろ和食が恋しい。

 とはいえ、味噌や醤油があるわけではないので、和食そのものを作ることは不可能だった。

 それでも、自分で料理ができる機会が巡ってきたことは嬉しい。

 自分で料理ができれば、少しでも和食に近いものを作ることができるのだ。


 ……そういえば、オーバンさんとウラリーおばさんって、少し変だよね。村の人と違うっていうか。


 芋の皮を剥きながら、ダルトワ夫妻の姿を思い浮かべる。

 ダルトワ夫妻は、とても身奇麗だ。

 村人は爪の間に何か挟まっていたり、風上に立たれるだけで異臭がしたりと、とにかく不潔な人間ばかりなのだが。

 ダルトワ夫妻にはそれがない。

 いつも身奇麗で異臭はせず、爪も清潔に切り整えられている。

 私の両親が清潔なのは私がうるさく衛生観念を叩き込んだ賜物たまものだが、さすがに他所よその家族にまで衛生観念を押し付けることはできない。

 ダルトワ夫妻が清潔なのは、元からだ。







 幼女は幼女というだけで、ただ愛らしい。

 それが可愛らしい顔立ちの幼女となれば、さらに可愛いだろう。

 清潔で身奇麗な愛らしい顔立ちの幼女ともなれば、つい抱きしめたくなるのも解る。


 いや、家族以外がそのような暴挙に出れば事案の発生だったが。


 両親は相変わらず村でけ者にされていたが、その娘である可愛い(……可愛いらしい。家には鏡がないので自分では確認したことがないが)幼女わたしには村人も構いたがる。

 とはいえ、私としては不潔な手で触られたくはないので、手が伸びてくるたびに逃げ回っていた。

 大人は良い。

 やんわり逃げると、自分たちが私の両親を除け者にしているという自覚があるので、嫌われていると理解して手を下ろしてくれる。

 けれど、自覚も考えも足りない子どもが相手になると最悪だ。


 ……臭い。汚い。風上に立つな。


 村長の孫であるマルセルに進路を塞がれ、不快である、という感情を露骨に表情おもてへと出してさしあげる。

 普通の大人はこれだけ判りやすい顔をしてやれば引くのだが、子どもに空気を読むという技能はない。

 とくにマルセルは村長の孫として甘やかされ、まともな躾けもされていないようで、他人の感情の機微を読むなんて器用な真似はできない。


 そして、私を相手に絶賛初恋こじらせ中である。


 物心ついて以来、散々邪険にされ続けて、まだ私を好いていられるのが理解できない。

 ことあるごとに誘いに来るので、そのたびに素気すげ無くお断りしているのだが、マルセルからの誘いが止むことはなかった。


「裏山で桃がなってるトコ見つけたんだ! 教えてやるよ!」


「疲れるから


 我ながら酷い対応だな、とは思うが、これまでの短い人生で学んだ正しい対処法である。

 ちなみに、マルセルの言葉は「裏山で桃がなってるトコ見つけたんだ! 教えてやるよ!(ただし、桃を食べるのは自分だけで、おまえに分けてやるとは言っていない)」という意味である。

 今より幼い頃は騙されて何度かついていってしまったが、そのたびにマルセルは自分だけ木にのぼって実を食べ、下で見ている幼女に対し「うらやましいだろう? 取ってほしかったら「わたしにも取ってくださいマルセル様」って言え」などとり返っていたのだ。

 私の対応も大概酷いとは思うが、すべてマルセルのこれまでの行いから学習した結果である。


 ……私、悪くないよ。マルセルの自業自得だよ。


 内心の嫌悪を隠すことなく睨みつけてやると、何故自分が嫌われているのかを未だに理解しないマルセルは、自分の方こそ傷ついた、という顔をして唇を尖らせる。


「仕方がないな。おれが連れて行ってやるよ」


 どうやらマルセルは私に力自慢をしたい、という思考に切り替わったらしい。

 同年代の中では一番体が大きいので、腕力を誇示したいのだ。

 自信満々なドヤ顔をして、マルセルの手が私へと伸ばされる。

 いつ洗ったかも判らない手だ。

 薄汚れていて、垢の臭いが纏わり付いたマルセルの手に、咄嗟に手にしていた薪を全て投げつけていた。


「触ンナイデヨ、汚イ。チャント手洗ッテル? 爪ノ間ニ何カハイッテンダケド、見エテナイノ? ナニソレ汚イ。鼻クソトカジャナイデショウネ。ソンナ手デ他人ひとノコト触ロウトスルトカまじ止メテ。冗談デショ。ッテイウカ、毎回毎回誘ウノヤメテヨ。嫌ワレテンダヨ、イイ加減解ッテヨ。散々ブッタリ殴ッタリ無視シタ後デ、ナンデ好カレルト思ウノ? イイ加減話シカケンノ止メテ!!」


 出会ってからずっと溜め込んでいた不満を吐き出す。

 自分がどれだけマルセルを不快に思っているのかを伝えたくて、でも未だに発音には自信がなく、この世界の語彙もまだまだ少ない。

 結果として口から飛び出してきた罵倒は全て日本語だったが、口から出しただけでも少しスッキリした。

 よく考えたら日本語などマルセルには解るはずがないのだから、通常使いで普段から罵倒し続けても人間関係に支障はない。

 我慢して溜め込む必要など、どこにもなかったのだ。


 今まで片言で返事をする程度しか反応を返さなかった想い人に機関銃マシンガントークで罵倒され、マルセルはポカンと口を開いて固まっている。

 その隙に投げつけた薪を拾い集め、さっさと帰路についた。







 ……失敗した。完全に失敗した。


 どうせ日本語なんて通じないのだから、何言ってもいいんじゃね? と開眼したあの日。

 機関銃トークでついにマルセルをやり込めた、すっきりした……と気分良くいられたのは、その日の夜までだった。

 翌日、実は自分がそれなりにしゃべれると学習したマルセルは、他にもなにか言葉を引き出そうとして――つまりはいじめが悪化した。


 マルセルは私の反応を引き出そうとしているのだから、では反応しないのが仕返しになるだろう。

 そう考えて、マルセルを無視する。

 話しかけられても返事をしない。

 顔を合わせれば、顔を背けて別の方向へ行く。

 これまで以上に徹底して視界からマルセルを追い出した。

 しかし、そうなると相手は『察する』ということなど出来ない子どもだ。

 意地になって何らかの反応を得ようと考えるのか、いじめは悪化の一途を辿る。

 その結果としてマルセルは私に嫌われ、さらに無視を徹底される。

 そしてまたマルセルからのいじめが悪化する。

 完全に負のスパイラルに嵌っていた。


 ……マルセルも村長もマジうざい。死ねばいいのに。


 殺人犯になるつもりはないので、具体的には何もできないが。

 今生こんじょうで明るく正しく生きていくためには障害物でしかない二人の存在に、辟易としながら木の実を拾う。

 秋の終わりに山で取れる、どんぐりに似た木の実だ。

 大きさはどんぐりの半分もないが、って食べると美味しい。

 冬の間の貴重なおやつになる。


 ……なんだろう? 珍しく人だかりなんてできてる。


 手提げ籠いっぱいに木の実を拾って山から帰ると、村の小さな広場に人だかりができていた。

 数人の大人と、子どもたちが群がっている。

 近づいてみると、人だかりの中心には荷馬車が見えた。


 ……行商人? 珍しい。


 基本的にはほとんどが物々交換で補われる村に、行商人が寄るのは珍しい。

 村の作物以外で必要になるものを売りに、年に一回。多くて二回立ち寄ってくれるかどうかだ。

 行商人が来ると子どもたちは親を引っ張ってきて珍しい菓子や玩具をねだり、大人は大人で村では手に入らない様々なものを手に入れる。

 けれど、今回の行商人は少し商品が違うようだ。

 子どもに引っ張られて来た大人の姿もあるにはあるが、ほとんどを子どもが占めている。

 荷馬車に詰まれた商品は、子どもの気は引くが、大人はなんの魅力も感じないものなのだろう。

 荷馬車に群がって少しでも奥を覗こうとしている子どもたちに、商人は商品を売り込むような真似はせず、荷馬車を引く馬に水をあげていた。


 ……商売に来た、っていうより、馬の休憩に寄っただけ?


 時折子どもを追い払う仕草さえ見せる商人に、そう判断して遠巻きに眺める。

 なんとなく商品が気になって眺めていると、村長の腕をひっぱりながらマルセルが広場へとやって来た。


「なあ、じいちゃん。買ってくれよ。愛玩動物ペットなんて飼ってるやついないだろ!?」


 子ども特有の甲高い声があたりに響き、荷馬車の中身がようやく判った。

 判ってしまえば、私の興味は急速に失われていく。


 動物を飼うという意味では、どこの家も多少家畜を飼っている。

 我が家でも鶏を飼っていた。

 ただ、愛玩用となると、飼っている家などどこにもない。

 貧しい農村では、どの家でも自分たち家族が食べていくだけで精一杯であり、無駄な食い扶持を増やすような真似はできないのだ。


 ……愛玩動物が飼えるおれスゲェ! ってやりたいのかな。メンドクサイ。


 荷物の正体が判ったため、広場に背中を向ける。

 愛玩動物など飼う予定はないし、長居しても良いことはない。

 マルセルと村長に見つかれば、また付きまとわれて面倒だ。

 同じ時間を使うのだったら、手提げ籠の中身を家において、もう一回山へ木の実を拾いに行く方が有意義でもある。

 マルセルの甘え声と商人と交渉を始めた村長の声を背後に、広場を後にした。

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