第9話 ほんとうはね

目をぎゅうと閉じて味わってもだもだしている猫を見る限り、大丈夫そうだ。

「食べながらいきましょうか。ロープウェーがあるんですよ」

「よく知ってますね」

「調べました」

 元気の良い声で猫が返事をする。

 舗装された道を大股で歩いてアイスを食べつくしたところで、ロープウェーにたどり着いた。驚いたことに一人乗りになっている。

 なんと椅子に腰かけて、そのまま一人でどんぶらこっこと上へとあげられる作りなのだ。むろん、箱型の大勢が乗って移動もできるものもあるが――それより一人で乗るほうが手軽だ。それに二人分のチケットを買うとそこそこの出費になると思っていると、猫はちゃっかり猫に戻って政の肩によじ登った。

「ほらほら、いきましょう」

「……見えないからって好き放題ですね」

「無駄金を使わせない、それも妻の務めです」

 なら食事やアイスはどうする、なんて野暮すぎて政は聞くことはやめた。

 ゴミを乗り場に設置されているゴミ箱に捨てたあと、一人用のチケットを買い、従業員が言うままに乗り込む。これがなんともタイミングが必要だ。あとからあとからやってくる椅子と人を乗り換えさせる。そこはプロの仕事らしく、スムーズだ。

 座り心地は悪くない椅子だが、のぼるとなるとつい体がかたくなる。

 政は無意識に猫を肩から膝に乗せた。

「ん、んん?」

「あなたが落ちたら困ります」

「ネットあるから大丈夫ですよ~」

「その穴から落ちる可能性もあるでしょう」

 政が言い返すと、猫がぷぷっと笑った。

「心配症~」

「……」

 落ちても、心配してやらんぞと政は心の中で思ったが、確かに猫なんだから人間より心配はないかと思ったが地上があまりにも遠く、なだらかだが坂になっているのを見るとこの小さく軽い生き物だと簡単に転がり落ちるんじゃないかと思えてくる。

 政は黙ってぎゅうと猫を抱え込んだ。

 無事に降りて人が賑わう道を歩き、城にたどり着いた。

 門の前で人が騒いでいるので、不思議に思っていると、赤い鎧を纏った武士がポーズを決めている。

 観光客向けのパフォーマンスかと思っていると、頬をむにむにされた。

「にんじゃがいますー」

「ん?」

 見ると、門の横にある松のうえに黒装束の忍者が立っている。それに気がついた人々がここぞとばかりに写真をとっている。

「すごいな」

「ええっ」

「写真をとりますか?」

 人に化ければ認識される猫が写真をとりたいなら、スマートフォンはあるので出来る。

 その提案に猫がきょとんとした顔をしたあと、ふるふると首を横に振った。

「カメラは命がとられるってききました」

「あなたみたいな存在ってどうなるんでしょうね」

 

 猫を抱えて、道を歩いて、城に入ると、思ったよりもしっかりした作りで、景色もそうだが、作りを楽しむことが出来た。大勢と騒ぐよりも、静かに眺めていることが好きな政にとっては、いい楽しみだ。

 一番上に登り着くと、松山の景色が遠く眺めることが出来る。

 まるで丹念に作られたおもちゃみたいだ。

「……昔」

「はい?」

 肩にいる猫が相槌をうつ。

「ああいうものを全部怪獣になって潰してやりたかった」

 自分は化け物だから。なにもかも壊してやりたかった。今も、ときどき壊してやりたいと願ってしまう。

 けれどここにきて、食べ物を味わって、少しだけ、それはいけないことではないのかと思えてきた。

 頬に柔らかな毛が当たる。

 猫が頬すりをしてくれているのに政は静かに笑った。

「そういえば、城下の道に鯛飯を売る店ががありましたね。あれを今日は買って帰りましょうか」

「はい」

 とても、沈んだ猫の声が、泣いているように聞こえた。


 暗いはずの家に帰ると思っていたが、灯りがついていた。怪訝な顔をした政が玄関を開けようとする、先に戸があいた。

「おかえりー」

「……どうしてあなたが?」

 三太が立っていたのに政は不思議な顔をする。ちょうど、買った弁当と猫を両腕に荷物は山となっていたので開けてもらったのは助かったが、どうしているのかがわからない。

「ここの合鍵、もってるもん」

「なぜですか」

「それは猫ちゃんが、って寝てるし~」

 ははっと三太が腕のなかですやすやと眠っている猫を見て笑うとなかにはいる。まるで勝手知ったる自分の家みたいな態度だ。それも鼻につかないので政は気にせず、居間に行くと、荷物を下ろして猫を座布団に寝かせた。

 松山城を観光し、道を歩いて帰る車のなかで疲れ果てた猫はうとうととしていると思ったら気がついたら眠ってしまった。起こすのも可哀想で寝かせたままにしておいた。

「楽しそうだね。これさ、消すなんて出来ないでしょ。むしろ、いっそ、こっちで暮らすとかさ」

「……あなたは仲間作りたいんですね」

「んー。そりゃあ、憑き物筋はだいぶ減ったからね。だってぇ、仲間はほしいよ」

 当たり前のように三太は口にする。

「対価があまりにも重すぎるから大概のやつは耐えれないだよねぇ」

 対価と言われて政は思い出した。

 三太は五感の視覚だと口にしていた。

「あなたは、あの蝶が」

「せつえね」

 やんわりと三太が訂正をいれる。

「視覚が奪われるといいましたね。本当に見えないんですか」

「見えなかったよ。生まれてからずっと、せつえと契約して見えるようになったもん。代々、うちの家の男はみんな目が弱いんだ。その分、別の所が強いけど、せつえの前の主……じいちゃんが死んだとき、一族の男たち、みんな目が見えなくなった。俺は生まれて十年は見えなかった。せつえはわりとあれで好みがうるさいからさ、……俺が契約するまでの十年、一族は目が見えなかったよ」

 あっけらかんと三太は口にする。

「だからさ、俺の一族はみんな俺がせつえに嫌われないかってはらはらしてる。同時に俺がひどいことしないかって、せつえを得るってことは、一族の男たちの命を握っているのと同じなんだ」

「……それは」

「わりと寂しいんだよね」

 なにが、と三太は口にしないが、彼の孤独は見ればわかる。

「犬憑きどもはわりと攻撃的だし、狐憑きは陰気なの多いし、鵺筋のやつらはちょっと特殊っていうか危険なんだよねぇ。だから、この家の猫ちゃんみたいに一途なのって可愛いなぁと思ってさ。その主さんになる人なら、仲良くできるかなって」

 それは呪いと同じではないのかと政は思ったが口にしなかった。

 自分が孤独だから、同じ孤独をわけあえる仲間がほしい、という。

「アンタもいやでしょ。今更、罰に戻るのなんていやじゃない?」

 三太のものを試すような言葉に一瞬、政は考えた。

「罰は受けている感覚がないのでわからないですが」

「え、感じないなんてことないでしょ。だってさ、味覚でしょ」

 その言葉を理解するのに、たっぷり一分ほどの時間が必要だった。

「なんですか、それは」

「いや、だからさ、対価は確か、味覚でしょ。猫ちゃんに自分の味覚をあげる。だから猫ちゃんは味がわかる。そういう罰と捧げ物だって俺聞いたよ?」

 政は動きを止め、三太を見つめた。

「では俺が味覚がないのは、すべては猫のせいなんですか」

「え、いや、だって、宿主は……猫ちゃん、話さなかったの」

 三太の少しばかりやってしまったという、後悔の声とともに視線が政の背後を向かったのに政はぎくりとして振り返った。

 眠っていた猫が起き上がり、丸い瞳が自分のことを見ている。

「あ、あの、私」

「あなたが俺からに奪ったんですか」

「私、あの」

「俺からっ」

 つい声をあげていた。

 ぎくりと猫が震えた。

「十代目だから、だから奪われたんですかっ。過去の知らない奴らのせいでっ。そのせいで俺が」

「ストップっ」

 肩をつかむ三太が必死の顔で見つめてくる。

 もっとひどい言葉を吐き出しそうな政は息を飲んで猫を見る。

 猫が見開いた瞳から音もなく涙をこぼして、素早く逃げていくに、傷つけてしまったと政は遅まきに理解した。

 同時に、どうしてそんな被害者みたいな顔をするんだと詰りたくなった。

 自分が奪ったくせに。

 そのせいで自分は母に失望され、父に嫌われ、妻にだって逃げられた。奪われ続けてきたのだ。

「……政さん、大丈夫」

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