弁当になるために
あし
弁当になるために。
なんということでしょう。なんという不幸なことか。私はこの前まで普通の人間として生きてきました。ひとりの海老川として生きてきたのです。それが何の因果か、目が覚めてみたら自分がカニに変わっていたのでした。あの忌々しいカニめ、どうせ変わるならエビの方がまだ納得できたものを。私は海の中でぷかぷか漂いながら、家族のことについて考えました。妻は元気だろうか、私がこんなふうにカニに変わってしまって大丈夫なんだろうか。それに子供たちのことも心配です。息子は身体が弱いので風邪を引かなきゃいいけど。それに妻の朝のお弁当を作ってくるのを忘れました。なぜ私はこんなに冷静なんだ?自分がカニに変わっているというのに。しばらくゆらゆらしていると、向こうからエビがやってきました。気品のある、腰を振って来るような歩き方で、私はやっぱりエビの方がカニより優れているなって考えます。
「やぁ、最近どうなんだい?」とエビ。
「最近も何も、私はついさっきまで人間だったのです。まだカニになったばかりなのでなんとも。」
「きみ、またそれかい?何回やり直せばいいんだい。きみはカニだよ。人間だったかなんてこれっぽっちも関係ない。身体がカニだったらカニなのさ」
そういうものか。そういうものなのか。いまいち納得出来なかったのだけれど、納得したフリをしました。
「それで本題なんだけれど、もうすぐきみはお弁当の具材になるのだ」
「ええっ」
「何を驚いているんだい、カニだったらまずまずの具材になれるからそんなに心配するな。」
エビは、腰をフリフリ言いました。腰を動かす度に、エビの身体がちょっと後ろに下がります。このエビちくしょうめ、だって、そんなの、なんの慰めになるというのでしょう。
「なぜ、私は、お弁当にならなくては、いけないのですか?」私は波がなくなったので浮いていられなくなって、こっけいに沈んでいきながら聞きました。
「そりゃ、そう決まってるんだよ。他に何があるんだい。なんで俺らが生きてるのかって言うと、弁当の具材になるためだ。交尾をするのも、食べ物を食べるのも、排泄をするのも、全部弁当の具材になるためさ。わかったかい?こんなことを言わなきゃいけないなんて、てめぇほんとに常識がないんだな」
常識も何も、ついさっきカニになったばかりなんだから、エビなんかにてめぇと言われる筋合いはありません。でも……
「それじゃあ、私たちは弁当になるために生まれてきたってことですか?そんなの悲しすぎる」
なんのためにこうやって考えているんだか!悩むのがなんだか馬鹿らしくなってきました。だってどうせ弁当の具材になるのだ。考える意味がどこにあるって言うんでしょう。
「元人間だから分からないのかもな。あいつら、ずっと自分たちは何のために生きてるのか、なぜ存在しているのかについてずっと考えてやがる。どうせ死ぬのによ!なんの意味があるっていうんだ。あいつらに比べたら俺たちの方がずっと賢いぜ。だって俺達には明確な目的がある。それを遂行するために生まれてきたんだ。だから、理由なんてないぜ。なんでもいいから目的があるのが大事なんだ……。では、要件を伝えたから俺は帰るぞ。明後日、具材になるから」
エビが海老反りをしながら少しづつ進んでいくのをぼーっと眺めました。人生の終焉があまりにもあっさり見えて、その衝撃から立ち直れなかったのです。なるほど、死ぬのが明後日なら、考えることも無駄だろう。それにエビが言っていたことが正しいような気もしてきたぞ。確実に寿命がわかった今、何のために生きているのかなんて愚問だ。今生きてる、それでいいじゃないか。
そして二日間、私はひたすらカニに徹しました。海底の砂をただただ這って、見つけたら獲物をとって、食べて、排泄して……。そしてとうとうカニの言っていた日付になりました。私はすっかり頭がカニになっていたので、もう面倒なことも考えません。だって考えるだけ無駄だから……
その時、人間の時の記憶をぱっと思い出しました。自分の脳が花火になって、水面で光りました。俺は人間だろう、人間の誇りを忘れたのか!人間はカニと変わらない、食べて排泄する生き物だだとしても、やっぱり違う!どこが違うのかは分からない。でも何かが違うんだ!それははっきりしている。明確だ!明確!
考えることをやめてはならない!なぜ考えることが必要なのかはあとで考えれば良いのだ。だって分からないから!分からないことを考えるのが大事なのだ!考え続けろ!弁当の反論を考え続けろ!
あるかも分からない心臓が、おれの心を鷲掴み、そのまま天国まで捻りあげた。あとはただゆったりと、人間として地獄に落ちていくだけ
弁当になるために あし @ashiashiasyura
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