第12話 ✕✕月✕✕日
~ある加害者のモノローグ・4~
両親は、私に一緒に来るように勧めた。このマンションにいると、兄さんのことを思い出してしまい辛いから、と。
『真実……真人(まさと)のことはもう忘れよう』
『お父さんの言う通りよ、真実。貴女、最近めっきり食欲もなくなってるし――』
両親は、何とかして私をここから遠ざけたかったらしい。ふさぎ込む私を見る度、兄さんのことを思い出してしまうからだろうか。
『……私は、残る。まだ……気持ちの整理が、着かないから……』
心から思った。
この人達はもう死んだ兄さんのことなんて、どうでもいいんだろうな、と。
無理もない。世間から兄は女子高生に痴漢をした挙げ句、自殺したどうしようもない人間――そういう風に知られてしまったのだから。
勿論、大きな事件ではなかった為、そこまで兄さんのことを知っている人間はいなかった。それでも、居心地が悪いのは事実だ。
だから両親の気持ちも分からなくは、ない。でも――
『真実……』
『大丈夫。気持ちの整理が着いたらちゃんとパパとママの所へ行くから』
私には到底認められることではなかった。両親は好きにすればよい。
ただ、私は違う。兄さんが死んでしまった時に誓ったのだ。必ず復讐を果たす、そう誓った。
……兄さんはずっと無実だって言ってた。自分は女の子の後ろには居たが触ってなどいない、絶対にやっていないと。
でも、そんな兄さんの叫びは駅員にも警察にも友人にも、両親にさえ届かなかった。
唯一届いた私は、結局兄さんを救うことが出来なかった。
だからこれは復讐であると同時に、私の兄さんに対する贖罪でもあるのだ。
『……分かった。でも辛くなったらすぐにこっちに来るんだぞ、真実』
『うん……ありがとう、パパ、ママ』
こうして、私はこの桜山市に残ることを選んだ。
今は何も出来ない小娘かもしれない。だが、いつか必ず奴を、藤塚弥生を見付け出し復讐してやる――
『……兄さん』
そんな私の想いがすぐに現実のものとなることを、この時私はまだ知らないでいた。
桜が爛漫に咲き誇っていた今年4月。
最初に藤塚司に出会った時、不覚にも私は藤塚弥生との関連性に気付けずにいた。
兄さんが死んでから半年。新学年になり、私の緊張の糸も忙しさに追われ若干緩んでいたのかもしれない。
とにかく、クラス委員長として転校生の彼を案内した時も、私は全く気が付かなかった。むしろ私が抱いていた感情は――
『いやぁ、この学校広いな!何処に何があるか全然わかんねぇ!』
『ちょ、ちょっと!廊下をそんな風に走らないで!常識ないの!?』
『あ、ゴメンゴメン!つい夢中になっちゃってさ』
『あのねぇ……』
親近感だった。
その転校生、藤塚司はどことなくおっちょこちょいな私の兄さんにそっくりで似ているな、と思った。
一ヶ月ほどして彼はいつの間にかクラスに溶け込んでいた。
特に学年一のモテ男とまで言われている美少年、小坂晃。
そして何処か近寄り難く以前は全く他人と話さなかった中条雪。
そんな校内でも有名な二人と仲が良いらしく、転校生ということもあり彼自身もちょっとした有名人になっていた。
私は兄さんに少し似ているな、と思うくらいであまり気に留めていなかったのだが。
『辻本さん、知ってる?最近校内で有名な藤塚兄妹』
『ああ、知って……兄妹?』
そのまま知らなければ良かったのだろうか。
新学期が始まってから一ヶ月ほど経ったある日の放課後、私は同じ委員長の大内さんに話し掛けられた。
彼女は以前から私のクラスの小坂君のことが好きらしく、色々と相談に乗ったりしていたのだった。
『あれ?知らないの。妹さんがすっごい可愛いんだって特に有名なの』
『……そうなんだ』
藤塚君に妹がいたなんて知らなかったな。そんな風に軽く聞き流していた。
少なくとも妹の名前が出るまでは。
『そうそう、確か藤塚……弥生、だったかな――』
『や……よい……?』
『ん?どうしたの、辻本さん』
"藤塚弥生"。
その単語が出て来た瞬間、私は思い切り頭を叩かれたような衝撃を受けた。
不意打ちもいいところだ。急に心臓が高鳴るのを感じる。上手く呼吸が出来ない。
そんな私に気が付いていないのか、大内さんはそのまま話を続ける。
『転校してきてまだ一ヶ月なのに、もう告白されたらしいよ。一度見てみたいよね』
『…………転校』
急に私の中で何が組み上がっていく。
転校生の藤塚弥生。
何故、転校してきたか。
確か藤塚君は親の都合と、それから諸事情でとか言ってなかったっけ。
その諸事情が……もし私の想像しているものと一緒だったとしたら。
私の中でどす黒い感情が一気に吹き出そうになる。兄さんの敵。兄さんが死んだ元凶――
見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた
『――さん?辻本さん!?』
『……えっ?』
気が付けば私は大内さんに支えられていた。一瞬意識を手放したようだった。
『大丈夫?身体、震えてるよ!?保健室、行こうか?』
『……大丈夫』
多分、この震えは保健室なんか行っても収まらない。
これは悪寒や恐怖なんかじゃない。私の身体が喜びに震えているのだ。
何年も、何十年もかかると思っていた兄さんの敵。
人生を賭けて復讐すると決めた相手。
その相手が……今同じ学校にいる。今すぐにでも殺したい。殺すだけならすぐにできる。
コロスダケナライマスグニデモ――
『辻本……さん?』
『……私、先に帰るわね。体調、悪いみたい』
『う、うん……』
――駄目だ。落ち着け。そんな簡単に済ませて良いはずがない。
そんな簡単に許されて良いはずがない。焦るな、時間はたっぷりある。
まずは観察だ。藤塚君に近付くのはまだ早い。藤塚弥生を観察して、アイツの一番大切な物を見つけ出す。
そして、それをアイツの目の前で徹底的に凌辱する。
私の大切な、世界で一番大切だった兄さんを奪った思いを、必ず藤塚弥生にも思い知らせてやる。
目の前で許しを請う姿を見てから、殺す。
『……くくく、あはははははははは!』
神様なんてこれっぽっちも信じていなかったけど、でも今は信じてやってもいい。
きっと死神に違いないけど。とにかく私は必ずやり遂げる。だから見ててね――
『……兄さん』
ふと見上げた夕焼け空は兄さんが死んだ日、窓から見えたあの空とそっくりだった。
私が藤塚弥生を観察して、半年が経った。
少し慎重過ぎたかもしれないが、おかけで様々なことが分かってきた。
まずは藤塚弥生の大切な物。一つは同じバレー部の先輩である、中条雪。
そしてもう一人はアイツの兄である、藤塚司。
特に顕著なのが、藤塚君に対する親愛だ。傍目には分からないかもしれないが、私にははっきり分かる。
アイツの藤塚君を見る目は普通の親愛ではない。
……何故分かるのか。それは皮肉めいた話になるが、私と同じだからだ。私も……私も兄さんのことが好きだった。
………………異性として。
だからこそ余計に許せなかった。同じ境遇にありながら藤塚弥生には愛すべき兄がいる。だが私には――
『藤塚……弥生……』
まるで自分のものとは思えないほど、憎しみが篭った声が口から出る。
期は熟した。半年、耐えつづけたこの想いをついに解放出来る。
どうすればアイツを最高に苦しめることが出来るか、答えはもう出ている。
藤塚弥生が慕っている中条雪と、兄である藤塚司。
この二人をアイツの目の前で蹂躙する。そして最後に藤塚弥生を――
『……待っててね、兄さん』
ついに始まる。果たして上手く行くだろうか。
……いや、必ずやり遂げる。その為に私は半年耐えてきたのだから。
まずは藤塚司に近付くこと。これが最優先だった。
彼と仲良くなることで藤塚弥生との繋がりも出来るし、彼を篭絡してしまえば、藤塚弥生を追い詰めることが出来る。
ただ、それには障害もあった。それは特に仲の良い二人の友人、小坂晃と中条雪だ。
彼はこの二人といつも一緒の為、中々近付くことが出来ない。
委員長という立場を使っても精々知り合い程度が限界であることは、容易に想像出来た。
半年という時間は、私に復讐を考えさせる十分な時間であったと同時に、藤塚司に親友を作らせてしまうに事足りる時間でもあったのだ。
しかし彼に近付くことが出来なければ、私の復讐は始まらない。どうするか。
散々考えた結果、私が導き出した答えは――
『何だ……これ……』
藤塚君はただ呆然と、ゴミがぶちまけられた自分の下駄箱を眺めていた。
途方に暮れている彼を見て、私は確信する。この方法しかない、と。
伊達に半年、観察してきたわけではない。藤塚君の性格上、一人で解決したがることは何となく予想出来た。
だからまず、彼を孤立させる。誰にも相談出来ないような悩みを抱えさせて、精神的に追い詰める。
一週間ほど続けると、彼も相当まいっているようだった。
その日も私が屋外プールに投げ込んだ体育館履きを拾って、廊下を歩いていた彼の後ろにそっと近付いて――
『藤塚君、そこで何してるの?』
『おわっ!?』
狙ったタイミングで飛び出し、彼に話し掛けた。
……わざとらしくならないよう、あくまでも心配している気持ちを込める。
『だ、大丈夫?……どうしたの、その体育館履き?』
『えっと……って、委員長か』
"委員長"。それが今の私と藤塚君の距離そのものだ。
この距離を私は今から縮めなければならない。そう思うと少し焦ってしまい、聞き方がどうしても雑になる。
『藤塚君?その体育館履き……』
『ああ、これ?えっと……そう!振り回してたら噴水に落としちゃってさ!馬鹿だよね、俺も!』
へらへらと笑いながら藤塚君はごまかそうとする。
――嘘ばっかり。藤塚君も兄さんと一緒だ。私を頼らず、一人で抱え込む。
『……今日は体育なかったけど、どうして体育館履き何か持ってるの?』
『それは……あーっと晃に悪戯されてさ!』
何故だろう。イライラする。打ち明けて欲しい、助けてあげたいのに藤塚君は私を頼ってはくれない。
その姿が兄さんと重なり、余計にイライラする。
……勝手もいいとこだ。私が、私の行為が彼を苦しめているというのに。それでも私の心は締め付けられる。
『小坂君が?藤塚君と仲が良いのに?』
『仲が良いからだよ。まあ軽い悪戯だからさ。あ、俺用事あるからもう帰る――』
『……クスッ』
無意識に私は笑っていた。
藤塚君は何事かとこちらを見ている。それもそうだ。急に目の前で話し相手が笑うのだから。
でも、これが笑わずにいられるだろうか。私が敵にしている藤塚弥生の兄が、兄の言動や性格が、藤塚弥生に"殺された"兄さんとそっくりだったなんて。
なんて皮肉だ。私はこれから、いや既に兄さんにそっくりな藤塚君を傷付けている。
兄さんが追い詰められたイジメを使って、だ。これが笑わずにいられるだろうか。
『えっと……』
『藤塚君って嘘、下手だね』
『あ、あのさ……』
『とりあえず、話聞かせて?じゃないと……』
藤塚君の手を握りしめる。温かい、彼の体温が伝わってくる。
私の冷たい心を溶かしてくれそうな、彼の温もり。私がこれから……壊さなくてはいけないもの。
揺るがないように、流されないように心に刻む。私は兄さんの敵を取るために、藤塚君に近付いたんだ。
『怒っちゃうよ?』
――そう、これは敵討ちだ。私が生きる目的であり、遂行しなければならない使命なんだ。
私はこれから幾つもの嘘を積み上げて、真実を隠して彼に近付く。
そして嘘と真実を使い分け、必ず私は……藤塚弥生に復讐する。
放課後の教室。藤塚君と接触して一週間ほどが経った。
今日も日常になりつつある、教室での嫌がらせ対策会議を行っている。
この一週間で嫌がらせの回数が少なくなっているおかげか、藤塚君の表情は明るかった。
……蓋を開ければ、私がただ彼に取り入る為、回数を少なくしているだけなのだが。
『……でも、有り得るわね』
『有り得る?』
『藤塚君が嫌がらせをされている原因よ』
『俺の……原因』
藤塚君は難しい顔をして考える。
一週間。以前に比べて彼はある程度の信頼を寄せてくれている。だからこそ、ここで更に追い打ちをかける。
――彼が私しか信用出来ないような状況を作りだす。そして、藤塚弥生から兄を奪う。
『よく考えてみて。藤塚君はいつも小坂君と中条さんといるよね』
『あ、ああ……』
『二人ともかなりの美男美女だし、学年でも噂になってるのは知ってる?』
藤塚君は不安げな表情を浮かべる。
私は知っている。彼がこの半年、何回か二人を紹介して欲しいと頼まれていたことに。
そして彼が二人に対して少なからず、コンプレックスを感じていることを。
『……小坂君はまだしも、藤塚君と中条さんがいつも一緒にいるのを、快く思っていなかった人もいるかもしれないわ』
『……つまり、中条が俺の嫌がらせの原因ってことか』
『まだ可能性の一つに過ぎないわ。でも有り得なくはないと思うの』
『……仮にそれが事実だとしても、俺にはどうしようもないよ』
ゆっくりとうなだれる藤塚君を見ながら、私はタイミングを計る。
……今か?
『……例えば、よ』
『ん?』
『例えば……少し中条さんと距離を置く、とか』
『なっ……!』
私の提案を聞いた瞬間、藤塚君は動揺した。そんなことはしたくない、そんな表情。
……やはりまだ早いか。そう諦めて私は気持ちを切り替えようとするが、何かが心に引っ掛かる。
中条雪は、藤塚君の中でかなり大きな存在なのだと今思い知った。恐らく、私よりも。
その事実が何故か私の心に波を立てる。
……何故?別に当たり前のはずなのに。あくまで藤塚君は、私の復讐の手段でしかないはずなのに。
『ただの例えよ。……でもこのままじゃ中条さんにも被害が及ぶかもしれないわ』
『……少し、考えてみるよ』
藤塚君は心底落ち込んで椅子にもたれ掛かった。俯いているので表情はよく分からないが、きっと暗いに違いない。
……元気になってほしい。何故か私の中でそんな気持ちが芽生えた。
どうかしている。彼を苦しめているのは私だというのに。
この一週間、毎日藤塚君と放課後、一緒に過ごすことが楽しみになっている私がいることに、今更気が付いた。
彼が兄さんと似ているから……?理由は分からない。とにかく私は彼を気に入っている。
まずいと分かりながらも、私は自分の口を止められなかった。
『……うん。まだそうと決まったわけじゃないんだから!ほら、しゃきっとする!』
『いってぇ!?』
『さ、帰りましょ!今日は藤塚君に付き合って貰うとこもあるし!』
私は藤塚君の腕を掴んでそのまま歩き出す。駄目なはずなのに、止められない。今日だけは、今だけは――
『えっ?俺そんな約束――』
『今したの!さ、行くわよ!』
どろどろに混ざった嘘と真実に背を向けて私は歩き出した。
藤塚君も抵抗するのを諦めてくれたらしく、そのまま私の後に続いた。
駅前に最近出来たスイーツ専門店に、私は藤塚君を連れてきた。
狙いは一つ、カップル限定の特大パフェだ。カップルを意識させることによって、より藤塚君に近付く。
これはその為の手段に過ぎない。そう何度も自分に言い聞かせて、私は藤塚君にカップルのまね事を迫る。
『はい、あーんして!』
スプーンを持つ手が微かに震える。
……だって仕方ないじゃない。私だってこんなことするのは、初めてなんだから。
『い、いや、あのですね!』
『私たち"カップル"なんだから!はい、あーん!』
『むぐぅ!?』
恥ずかしがって顔を真っ赤にしている藤塚君の口に、半ば無理矢理パフェを捩込む。
私も今、彼と同じくらい真っ赤な顔をしているに違いない。
『もう一口、あーん!』
『あ、あーん……』
『うん、よろしい!』
……何だろう、この温かい気持ちは。私の冷めきった心をゆっくりと温めてくれる、そんな時間。
いつの間にか私は演技ではなく、自然と笑っていた。藤塚君と過ごす時間が、私を過去から解放してくれる。
彼と過ごす時間が、私の中で少しずつ大きくなっていく。
私たちはそのままお店を出て、一緒に帰る。何気ない日常が、私を癒してくれる。
藤塚君が隣にいると私は安心する。そんなことを思いながら私は彼の隣を歩く。
『今日は付き合わせちゃってゴメンね』
『あはは。まあ辻本さんの違う一面を見られたから俺は満足かな』
『あ、あれはね!つ、つい夢中になっちゃってね!その……』
藤塚君は私をからかってきた。
何処か懐かしい感覚だった。人とこんなに話したのは久しぶり――
『分かってるって。クラスの皆には内緒にしておくからさ』
『あ、ありがとう……』
……どうして久しぶり、なんだっけ。何の為に私は彼に近付いたんだっけ。
私の変化に気付かずに藤塚君は楽しそうに話を続ける。
『俺も……辻本さんの意外な一面が見れて楽しかったしな』
『もう止めてよね、恥ずかしいんだから!』
楽しそうに笑う藤塚君とは対照的に私の心は少しずつ冷えていった。
藤塚君は、確かに良い人かもしれない。私は、彼のことを気に入っているのかもしれない。それでも――
『あ、私こっちだから』
『おう、じゃあまた明日な!』
『あっ!藤塚君っ!』
『どうかした?』
それでも私は、私の真実を貫かなければならない。兄さんは、無実だった。
藤塚弥生の間違いによって、兄さんは追い詰められて……殺された。それが紛れも無い事実であり、私の真実なんだ。
そして私は復讐の為、真実を最期まで貫き通す為に嘘を散りばめる。
だから、今がどんなに楽しくても、どんなに満たされると感じても、それは嘘でしかない。まがい物でしかないんだ。
『……油断、しないようにね』
まるで自分に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いでいった。
せめて藤塚君には宣言しておきたかった。
これから、君と君の大事な妹さんの人生を、私は目茶苦茶にしてみせる、と。
だから、これは宣言。私の復讐の、嘘と真実にまみれた日常の始まり。
『……えっ?』
『嫌がらせ、まだ終わったわけじゃないから』
さあ、始めよう。藤塚君が私の"真実"に気が付くのが先か。それとも私が嘘で塗り潰すのが先か。
――"嘘と真実"を混ぜ合わせ、私は必ず復讐を果たす。
「んっ……」
チャイムの音で目が覚める。どうやら少し寝てしまっていたらしい。
時計を見ると、メールを送ってから1時間ほどが経過していた。
僅か1時間で私の家を捜し当てるとは、正直驚いた。それほど彼女の愛情が深いということなのだろうか。
感心しながら私はドアを開ける。
「はいはーい!……あら、中条さんじゃない。急にどうしたの?」
「……つ、司……居ないかなって思って……」
どうやら外は雨らしい。傘も差さずに探し回ったのだろうか、ずぶ濡れの中条さんは濁った目で私を見つめる。
「司君なら奥にいるけど――」
「あ、会わせて!会わせて……くれませんか……」
真冬の雨はやはり寒かったのか、必死に訴える中条さんの身体は微かに震えていた。
まあ震えている理由はそれだけではないのだろうけど。
「えっと……」
「お、お願いです!ちょっとだけで良いんです!」
躊躇するふりをする私に中条さんは懇願する。
本当は今すぐにでも私を押し退けて司君に会いたいだろうに、よく耐えられるものだ。
……藤塚君はこの子のこういう所に惹かれたのだろうか。
「……別に構わないわよ。さ、上がって?」
「あ、ありがとう……」
ふと過ぎった考えを隅にやって、私は計画通り中条雪をリビングに案内する。
「傘も差さずに来るなんて司君に何か急用?」
「……は、はい」
「そう……ところでよく分かったわね、私の家にいるって」
「司から……連絡があって……」
「ああ、それはそうよね。でも、私の家よく見つけられたわね」
「……前に司が言ってたから」
中条さんの様子を見ながらリビングに向かう。
どうやらかなり探し回ったらしく、歩くのも辛そうだ。冬の雨が身体を芯まで冷やしてしまっている。
――絶好の機会だった。
「私はタオル取って来るから、先に行ってて」
「あ、はい……」
洗面所に行くふりをして、中条さんの背中を捉える。白に近い銀髪が雨粒のせいでいつもより輝いていた。
司君に会いたい一心なのか、背後に忍び寄る私には気付いてはいないようだ。
彼女がリビングへの扉を開けるのを見てから私は――
「……おやすみ、中条さん」
「っあ!?」
隠し持ったスタンガンを彼女の首筋に押し当てた。バチバチと景気の良い音がして、中条さんの身体が軽く震えた。そしてそのまま床に倒れ込む。
リビングには同じように倒れて、手足を縛られている司君が眠っていた。
「……これで、よし」
役者は揃った。計画が上手くいったことに私は安堵する。かなり綱渡りだったが、無事にここまでこぎつけた。
後は最終段階。主賓をここにお呼びして、兄さんが好きだった"あの部屋"で全てを終わらせる。
「もう、少しだよ。待っててね、兄さん……」
私の声はリビングに虚しく響く。雨音だけが私の声に答えてくれているようだった。
「……雨、止まないな」
既に外は闇に包まれていた。
いつもならとっくに帰ってくるはずのお兄ちゃんが、まだ帰ってきていない。
何かあったのだろうか。得体の知れない不安がわたしの中に渦巻いていく。
「あっ……」
探しに行こうと立ち上がった瞬間、わたしの携帯が震える。
急いで確認するとお兄ちゃんからだった。
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From:藤塚 司
Sub:無題
ゴメン!連絡遅れた!今辻本さんの家にいるんだけど、急に雨降ってきて帰れない。
辻本さん家にも傘ないらしくて、悪いけど迎えに来てくれ!場所は――
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「……もう、しょうがないなぁ」
携帯に書いてある住所を見ながらわたしは身支度をする。
傘は……一本で良いかな。二本だとかさ張るし、一本なら相合い傘が出来る――
「……って、わたし何考えてんのよ」
ぶつぶつ言いながらも、わたしは傘を一本だけ持って真っ暗な闇に吸い込まれていった。
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