第11話 12月14日・1

~ある加害者のモノローグ・3~

兄さんが、死んだ。

葬式はひっそりと行われて、兄さんの友達は殆ど来なかったらしい。

両親は早く式を終わらせたかったらしく、私が寝込んでいる間に全てが終わっていた。

「…………兄さん」

もう兄さんがいない部屋で、兄さんの使っていたタオルケットに包まれる。

……許せない。ただそれだけが私の感情を支配していた。

私がもっと兄さんを支えることが出来たら……無力な自分が許せない。

両親が兄さんを信じてあげられたら……ろくでなしな両親が許せない。

周りが兄さんをおとしめたり苦しめなかったら……無慈悲な周囲の人達が、許せない。

そして何より――

「…………許せない」

頭の中を反芻する名前。駅員がメモしていた、痴漢の"被害者"とされている……兄さんを死に追いやった"加害者"の名前。

「藤塚……弥生……」

見たのは一瞬だったが私はこの名前を一生忘れないだろう。

非力で無力な、兄さんを救うことの出来なかった今の私では無理かもしれない。

でも、必ず見つけ出す。私の生涯を賭けても必ず見つけ出す。

……そして復讐する。兄さんに痴漢の濡れ衣を着せてのうのうと生きている藤塚弥生に、復讐する。










――藤塚弥生を××する。




























『なるほどねぇ……それで最近、中条のことを雪とか言っちゃってるわけだ』

電話越しでも伝わる、晃のやれやれみたいな態度に思わずぶん殴ってやりたくなるが、これは電話だ。

残念なことに晃を殴る手段は存在しない。だから冷静に対応しなくてはならない。

「……まあな」

『俺というものがありながら中条にまで手を出すなんて……酷い!鬼畜!鬼!悪魔っ!』

「そもそもお前とそんな関係じゃねぇよ!」

……やはり晃相手に冷静でいられるはずはなかった。まあ何となく分かっていたことだが。

『とにかく、君の気持ちは分かったよ司君。多いに青春しているみたいで結構だ』

「そりゃどうも……」

あれから、中条を雪と呼ぶようになってから二週間程が経った。

少しずつ雪と呼ぶことにも慣れてきたが、俺が意識するせいか。以前のように気楽に話せなくなっていた。

どうしても雪のことが気になってしまう。今まで体験したことのない感覚に、正直俺は戸惑っていた。

最近、無事退院した真実が俺達のグループに入ってくれたおかげで、何とか雰囲気は平穏に保たれてはいたが、このままではよくない。

そう思って俺は晃に相談することにしたのだった。

『で、結局中条のことが好きってことでいいのか』

「……ああ」

『じゃあ付き合いたいのか?』

「……多分」

『キスしたい?イチャイチャしたい?セックスしたい?』

「お、おいっ!?」

詰問からの超展開に思わず俺は戸惑いを隠せなくなるが、そんなことはお構いなしに晃は話を進めていく。

『いや、付き合うってそういうことだぞ。恋人同士でしか出来ないことが出来るんだから。司は中条をどうしたいんだ?』

「俺が……どうしたいか」

『それが曖昧な内は告白なんて止めとけ。怪我するだけだぞ、お互いに』

「……別に告白なんて――」

『考えてないわけじゃないだろ?』

晃は俺の心を見透かすように話を続ける。確かに晃の言う通りなのかもしれない。

……俺は雪と、どうなりたいんだろうか。

「……もう少し、考えてみるわ」

『おう、あんまり難しく考えるなよ。思った気持ちを素直に言葉にすりゃあいい』

晃が友達で、親友で良かった。こんなこと相談出来る奴なんて、そうそういない。現金かもしれないが、晃がいることのありがたさを改めて感じた。

「……ありがとな、晃」

『っ!司君がデレた!!』

「うるせぇ!」

結局こうやっていつも通りのノリにはなってしまうのだが。

『……後は委員長だな』

「真実?真実がどうかしたのか」

『お前は……お前って奴は何処まで朴念仁なんだ』

晃は呆れ果てたような口調で話しながら、溜息をつく。電話越しでも分かる、大きな溜息だった。

『後は自分で考えろよな。あんまりグズグズしてると修羅場を迎えるぞ?』

「ど、どういうことだよ」

『不用意な優しさは誰かを傷付けることに成り兼ねないからな……ま、健闘を祈る!』

「おいっ、晃!おいっ!」

晃に呼び掛けるが既に通話は切られてしまっていた。仕方なく携帯を机に置いてベッドに腰掛ける。

……俺だってそこまで鈍感じゃない。晃が何を言いたかったか、大体分かる。真実との関係をはっきりさせなければならない。

俺は雪のことが好きだ。この気持ちに偽りはない。

具体的にどうしたいのか、それはまだ分からないが少なくともアイツが他の誰かと付き合ってるのを見たくない。

だからこそ、真実にもはっきりそれを伝えなければならない。

この一ヶ月、嫌がらせにあっていた俺に協力してくれた、真実。

彼女がいなかったら俺はこの一ヶ月で起きた出来事に耐えられなかったかもしれない。

真実がいたからこそ、俺は嫌がらせの犯人を見つけることが出来たんだと思う。

このまま親友としてやっていけたらどれだけ良いか。勿論、俺はそれを望んでいる。しかし――

「……真実」

真実はそうじゃないかもしれない。俺の思い違いだったら、勝手な自惚れだったら全然構わない。

……ただ、もしそうじゃなかったとしたら。

「それでも……俺は……ちゃんと言わなきゃ…ならない……」

それが真実に対する礼儀だから。ちゃんと言って、そして雪にも俺の気持ちを伝えなければならない。

ふと壁にかけられたカレンダーが目に入った。もうすぐクリスマス、そして今年が終わる。

「……明日、言おう」

もう時間はない。グズグズしていたら来年になってしまう。

まずは明日、真実に言わなくてはならない。机にあった携帯を取り、メールを作成する。


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To:辻本 真実

Sub:明日


放課後ちょっと時間あるか?話したいことがあるんだけど。

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「……送信、っと」

少し躊躇いはあったが、いつまでもこうしていても仕方がない。俺は強くボタンを押した。

すると数分後、返信が来ていた。多分世話焼きの真実のことだ。間違いなく――


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From:辻本 真実

Sub:何かあった?


了解。

大丈夫?詳しくは明日聞くわね。

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了承してくれると思った。嫌がらせにあっていた時だって、元々真実のお節介のおかげだった。だから真実が断るはずはない。

「……後は、ちゃんと言えるかどうかだ」

身勝手なのは分かってる。それでもはっきりさせないといけない。今夜はあまり寝れそうになかった。

















「つ、司おはよう!」

「お、おはよう……」

次の日、教室に着くと同時に雪に話し掛けられた。

「今日なんだけど……放課後ちょっと付き合って欲しいな、なんて……」

何故か段々小さくなっていく雪の声。でも最近少し気まずかっただけに、誘ってくれていること自体はとても嬉しい。嬉しいのだが――

「あー、わりぃ。今日は……その……無理なんだ」

放課後は真実と会う約束がある。自分から呼び出してキャンセルするわけにもいかない。

「……どうしても、無理?」

雪は懇願するように俺を見る。今日じゃなければ……自分の運の悪さを恨みたくなる。

「ゴメン。今日はどうしても無理なんだ」

「……そっか」

雪は静かに呟いた。よく見ると目の下にはうっすらと隈が出来ており、まぶたも少し腫れていた。

「雪?」

「き、急にゴメンね!また今度誘う!」

「あ、おい!」

そのまま雪は鞄を持って教室を出ていってしまった。もしかしたら何かあったのかもしれない。

何より気になるのは、雪の瞳が……何て言えば良いのか。光を宿していない、という表現が正しいのか。とにかく普通ではなかった。

昨日までは俺が意識しているせいで気まずさはあったが、その他は普通だったはず。何かあったのだろうか。

「おはよう、司君」

「……おはよう、真実」

追い掛けようか迷っているとちょうど教室に入って来た真実に話し掛けられた。

今から追っても雪を見つけられそうにはない。俺は諦めて真実に向かう。

「今日はいつもより遅いな」

「ちょっと用事があったの。あ、今日の放課後でしょ?空けてあるから」

「あ、ああ――」

「そろそろホームルーム始めるぞ!全員座っとけ!」

真実に何かを言う前に、担任が教室に入って来てしまった。ぱらぱらと生徒達が席に着きはじめる。

「詳しい話はまた放課後にしましょ」

真実も駆け足で自分の席に戻って行った。晃のような朝練組もぞろぞろと教室に入り座りはじめた。そんな中――

「雪……?」

雪は姿を見せず、ホームルームも出席しなかった。




結局雪は朝早く早退してしまったらしい。

その連絡は昼頃クラスに届き、俺の不安は余計に募っていた。

メールも電話も反応が全くなく、本当に体調が悪いのかもしれないが、今朝の様子がとにかく気になった。

もしかしたら無理にでも雪の誘いに乗るべきだったのでは……そんなことを考えている内に気が付けば放課後になっていた。

「……余計なこと考えてても仕方ないか」

とにかく今は真実と話すのが先決だ。しばらく教室で待っていると真実が入って来た。

「ゴメンね!委員会の方が長引いちゃって……」

「お疲れ様。そんなに待ってないから大丈夫だよ」

真実は自分の席に戻り鞄を持ち上げると、近付いて俺の手を掴んできた。

「よし、行きましょ」

「い、行くって何処へ?」

学校の屋上で話をしようと思っていた俺を引っ張りながら、真実はどんどん昇降口に向かっていく。

「誘ってくれてちょうど良かったわ。司君に食べて貰いたい物があるのよ」

「食べて貰いたいって……またいつぞやのパフェか!?」

一ヶ月ほど前。

まだ真実と親しくなって間もない頃、一度特大ジャンボパフェを出す店に連れていかれたことがある。

確かに味は文句なしに美味かったが、あんなもんはそうそう食えやしない。

「違うわよ!とにかく行くわ、ついて来なさい」

「お、おいっ!?」

有無を言わさず真実は俺を連れていくらしい。

……とりあえずパフェじゃなくて良かった。何処に行くか知らないが、俺が言うことはもう決まっている。

後は真実に伝えるだけだ。そう思って、俺は真実についていくことにした。


















「適当に座っておいて。すぐに用意しちゃうから」

「お、お邪魔します……」

真実は俺を家に連れてきたかったようだ。

一度来たことがあったけれど、やはり女の子の家は自然と緊張してしまうものだ。

本当は真実の家は避けたかったが、真実は頑なだった。まあそういう強引な所も彼女らしいのかもしれないが。

とりあえず落ち着こうとリビングにあった椅子に座り、辺りを眺める。

前回来た時と変わらず、清潔感ある部屋だ。そして仲睦まじい兄妹の写真が、リビングにある写真立てに収まっていた。

……そういえば真実は一人暮らしって言ってたな。両親から離れて暮らしているみたいだが、兄貴はどうしているんだろう。

写真から見るに大学生くらいだろうか。仲睦まじく写っている二人の写真が夕日に照らされていた。

「はい、どうぞ」

エプロン姿の真実が持って来たのは色とりどりなゼリーだった。

ガラスの器に一口サイズの球状になったゼリーが綺麗に並んでいる。

「おお、綺麗だな。まるで――」

「宝石みたい?」

真実は微笑みながらスプーンを俺に渡してくる。真実の前にも同じようなゼリーが器に入って置かれていた。

「そうそう!」

「……本当に似てるね」

「ん?」

「……私の兄もね、最初に私がこれを作った時、宝石みたいだって言ったの」

真実は写真立てを眺めながら呟く。何だか聞かなければいけないような気がして、俺は黙ることにした。

「……食べてみて?」

真実に勧められるがままにゼリーを一つ口に運ぶ。ちょうど良い甘さとイチゴの風味が口に広がる。美味いな、と素直に思った。

「美味い!サイズもちょうどいいし」

「ふふっ、気に入ってくれてよかった……兄も凄く好きだったの。司君もきっと気に入ると思って」

真実も緑のゼリーを口に運んでいく。エプロン姿の彼女は、何だか新鮮だった。

「それぞれ味が違うんだな。全部美味いよ」

一口ということもありとても食べやすく、すぐに全て食べてしまった。

「ご馳走様。こないだの弁当といい、真実は料理の才能あるよ」

「ありがとう。あ、そういえば司君の話って?」

「あ、ああ……真実、真剣に聞いて欲しいんだ」

まさかこのタイミングで聞かれるとは思わなかったが仕方ない。俺は真実を真っすぐ見て深呼吸をする。

「俺、実は……好きな人がいてさ」

「……そうなんだ」

真実は微笑みを崩さないまま俺を見つめる。唐突な話のはずなのに何だろう、全てを見透かされている気がする。

「あ、ああ。それで、そいつに……告白しようと思ってるんだ」

「…………」

何と言うのが正解だったのか、俺には分からなかった。

とにかく自分の気持ちは伝えているつもりだ。真実は相変わらず静かな笑みを湛えている。

……何だろう、頭がクラクラする。よっぽど緊張しているのだろうか。

「……そ、その相手ってのが――」

「中条さんでしょ?」

「……えっ」

「ふふっ、司君って本当に分かりやすいよね。すぐに顔に出るから。よく言われない?」

真実はすっと立ち上がって俺を見つめる。つられて俺も立ち上がろうとするが、力が上手く入らない。

「……っ!?な、なんだ……?」

「まあ、それだけ食べたら効くわよ。睡眠薬がたっぷり入ったゼリーだからね」

真実の声が反響して耳に残る。視界もいつの間にかぼやけてしまっていた。

……睡眠薬?一体何を話しているんだ。まさか俺の食べたゼリーに……。

「どうしてって顔してるわね……私からしたら、こっちの方がどうしてって感じだけど」

「な……んだっ……て……」

もう一度立ち上がろうとするが、力が入らず床に倒れてしまった。起き上がることも出来ず、段々意識が朦朧としていく。

「そういう鈍感な所も……兄さんそっくり……だから、許してあげようと思ったのに」

……許す?真実は何を言っているのか、さっきから皆目見当がつかない。

足音が近付いてくる。力を振り絞って見上げると、真実が無表情で俺を見下ろしていた。

「馬鹿な司君。中条さんを選ばなきゃ、こんなことしなかったのに……」

「ま……み……」

真実は屈んで優しく俺の胸を撫でる。もう視界はぐにゃぐにゃに歪み、意識は飛ぶ寸前だった。

結局、何で真実がこんなことをするのか。そして何をしようとしているのか。俺には全く分からないままだ。

……俺は許されないことをしたのだろうか。

「ま……」

「今はゆっくり休んで。じゃないと――」

意識が深い闇に落ちていく。逆らいたいがどうしようもない。

真実に言われるがまま、俺はゆっくりと意識を手放していく――

「……怒っちゃうよ」

クスッと笑いながら彼女は俺に囁いた。何処かで聞いたことのある真実の台詞が、俺が最後に聞いた言葉だった。























暗闇の中、あたしは一人膝を抱えて縮こまる。頭の中は今朝の出来事がひたすら反芻していた。

「嘘だよね、司……」

今朝、委員長に言われたことが頭から離れない。


『今日、司君に大事な話があるって言われたの……中条さん、何か知ってる?』


「嘘だよね、司……」

委員長は、あの女はどうしてこんなにもあたしの心を蝕んでいくのだろうか――


『そう、ごめんなさい。中条さんなら何か知ってると思って……だって司君の――』


「嘘……だよね……」

吐き気がする。司が隣に居てくれたら。こないだみたいに抱きしめてくれたら。あたしはあたしで居られるのに――


『"親友"でしょ?』


「っ!?」

突然、無機質な電子音が真っ暗な部屋に響く。机の上にある携帯をゆっくりと掴む。

メールが一通届いているようだった。こんな時に誰が――

「……っ!」

差出人には"藤塚司"と表示されていた。あたしが今一番会いたい人。思わず携帯を持つ手が震える。とりあえず落ち着こう。

逸る気持ちを抑えつつゆっくりとボタンを押すと、本文が表示された。あたしはそれを目で追う――

「う……そ……」


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From:藤塚 司

Sub:報告


真実と付き合うことにした。

いきなりだけど、今日告白したんだ。

中条のおかけで付き合えたよ、ありがとな。

今、真実の家で料理をご馳走になってる。

とりあえず、取り急ぎ報告した。小坂にもよろしくな。

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「……うそ」

あたしの中の何かが音を立てて崩れ落ちたような気がした。

気持ちが上手く整理出来ない。ただ呆然と本文を見つめるしかなかった。

「…………………あはは、あははははははははははははは!」

何だろう。何であたしは笑ってるんだろう。なんで笑っているのに、こんなに悲しい気持ちになるんだろう。何で……涙が止まらないんだろう。

……なんとなく、恋愛に異常に執着する人の気持ちが分かった。好きな人の幸せは必ずしも自分自身の幸せとは繋がらないんだ。

「あはははは……」

ゴメンね、司。もう限界みたい。今までずっと我慢してきたけど、もう抑えきれない。

あたしは何かに支配されたようにゆっくりと立ち上がった。

さあ、行かなきゃ。間違ってるんだから、止めなきゃ。

だって司は……司は、あたしの司なんだから。

「待っててね、司。すぐに……行くから」

もうあたしを止めるものは何もない。枯れてしまったのか、涙はいつの間にか止まっていた。

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