第10話 11月29日

~ある加害者のモノローグ・2~

人が死ぬのに、大層な理由なんていらないのかもしれない。

傍から見たらちっぽけに思えるその理由だって、本人からしたら大問題だからだ。

僕が死んだら、もしその理由を知ったら、多くの人が僕を否定するだろう。

でも、僕にとってはもうこの世は生きるには……厳しすぎる――

「兄さん?ちょっと良い?」

ドアのノックと共に妹の声が聞こえる。

誰もが、両親でさえも信じてくれなかった僕を、たった一人信じていると言ってくれた妹。

その声に一瞬縄にかけた手が止まる。

「昨日も言ったけど、私は信じてるよ、兄さんのこと」

それでも僕は妹の言葉には耳を貸さず、もう一度縄に手をかける。

――もう誰も信じられない。

それが僕の応えだから。確かに妹は本当に僕の無実を信じているのかもしれない。

でも、だからなんだ。妹が信じてくれたってそんなの無意味だ。

もうこの世に僕の居る場所はないのだから――

「……真実(まみ)」

「兄さん……」

妹、真実のほっとした声が聞こえる。

――"真実"。

そんな名前の妹に信じて貰えたのは唯一の救いだったのかもしれない。

「……ゴメン、真実。僕はもう……無理だ。最期まで迷惑をかけて、済まない」

思えば妹には昔から世話になりっぱなしだった。

元々世話焼きな妹と鈍臭い僕。いつも妹に迷惑ばっかりかけていた、色んな記憶が思い出される。

これが走馬灯というものなのかもしれない。

「最期……?に、兄さん!?何言ってるの!?ここを開けて!」

真実は必死にドアを開けようとするが、内側から頑丈に細工したんだ。

しばらく……僕が死ぬ時間くらいは稼げるだろう。

「さよなら、真実…………信じてくれて、ありがとう」

「止めてっ!兄さん!!止めてぇ!!」

ゆっくりと首に縄をかけて、深呼吸をする。

――さよなら、この醜い世界。

僕は思いっ切り乗っていた台を蹴飛ばした。



















「もう……本当に心配したんだから!」

家に帰って散々弥生に説教された後、ようやく夜飯にありつけた。

食卓には俺の好物である、弥生特製のミネストローネを始め、豪勢な晩御飯が広がっていた。

「だから悪かったって。でも連絡はしたろ」

「遅すぎです!昨日の夜中に一回、その後は音沙汰無しなんて!」

散々説教されたがそれでもまだ弥生はお冠だった。

確かにかなり心配かけちまったみたいだな。じゃなきゃ玄関に入った瞬間、抱き着かれたりはしないはずだ。

「悪かったよ。でもありがとな、俺の為にわざわざ好物作ってくれてさ」

「べ、別に……別にお兄ちゃんの為じゃないから!」

何という典型的なツンデレ台詞。思わず吹き出しそうになる。

「な、なによ!?」

「と、とにかく!早く食べようぜ。せっかくのご馳走が冷めちゃうし」

これ以上、弥生を怒らせても仕方ないのでとりあえず一回話を切る。

弥生は文句を言いつつも、席に着いてくれた。いつも通り、二人でいただきますをして飯を食う。

いつもならありきたりな光景も、今はとてもありがたく感じた。

そう、一ヶ月かけて取り戻した平穏な日常がここに広がっているのだ。

弥生特製の晩飯を美味しく頂いた後、すぐに風呂に入って自分の部屋に直行する。

今日は、というか昨日からだが色んなことがあって流石に疲れた。

ベッドに倒れ込んだらすぐに眠れそうだ。

「明日もあるし、もう寝るか」

充電していた携帯の電源を入れながら俺はベッドに向かう。

もしかしたら今日の球技大会の結果が晃から来ているかもしれない。

そんな軽い気持ちで画面を見ていた俺の目に映ったのは――

「……なんだ、これ」


"不在着信、70件"という文字だった。


……70件?どう考えても普通じゃない。だってこの携帯の電池が切れたのは、精々一日くらいのはずだ。

そんな短い間に70件も不在着信があるだろうか。

……何だろう、この悪寒は。異常なことが俺の知らない間に起きているんじゃないだろうか。

「…………」

とりあえずアイコンを不在着信に合わせ、ボタンを押す。すると詳細が表示された。不在着信70件全てに――

「……中条」


"中条雪"と表示されていた。


なんだ、中条か……いや、どうして70件もあるんだ。動揺する気持ちを抑えてひとまず深呼吸をする。

「…………」

……もしかしたら、いや多分中条は俺の携帯が電池切れだったのを知らなかったに違いない。

日付を見ると殆どが昨日の夕方から夜だ。つまり俺が見舞いに行くと約束したのに、来ないから心配でかけてきたに違いない。

「悪いこと、したな……」

中条の行動が腑に落ちて納得する反面、申し訳ない気持ちが沸き上がってくる。

もしかしたらアイツ、ずっと待ってたかもしれないんだ。

……いや、この不在着信の数は中条がずっと待っていたことを示している。

よりによって中条が退院する日にあんなことが起きるなんて、本当にタイミングが悪い。

「……とりあえず謝ろう」

すぐに中条に電話する。しかし呼び出し音が鳴るがしばらく待っても中条は出なかった。

もしかしたらかなり怒っているのかもしれない。もし逆の立場だったとしたら、俺も良い気持ちはしなかっただろう。

「何が"平穏な日常"だよ……馬鹿か俺は」

ベッドに横になり携帯を見つめる。不在着信、70件。

確かに若干異常かもしれないがそれだけ中条は俺を待っていたんだ。お気楽な自分に腹が立つ。


『信じるよ、司のこと』


「……俺は大馬鹿野郎だ」

もう随分昔に感じる、中条との会話を思い出す。

とにかく、明日ちゃんと謝ろう。ちゃんと謝って、幻のカレーパンを献上して、またいつもの俺たちに戻ろう。

もう俺を脅かす存在はいないのだから。




「おはよう司君っ!」

「おお、晃か」

朝、登校して席に着くなり晃が話し掛けてきた。勿論、胡散臭い笑顔付きで。

……俺の経験上、こういう時コイツは大体何か良からぬことを考えてる。とりあえず無難に対応しよう。

「この罪作りな軟派ボーイめ!」

「ん?何か変なもん食ったか。あ、サッカー優勝おめでとう」

俺は教壇に堂々と置いてある二本のトロフィーを指差す。

教室に入った時に見たが、土台のところにはそれぞれ"男子サッカー優勝"と"女子バレー優勝"とデカデカと彫ってあった。

どうやら晃は昨日の公約を見事果たしたようだ。

「ああ、サンキュー!最後は際どかったが何とか勝てたぜ!」

「……中条も、頑張ったみたいだな」

男子サッカーは何となく予想出来たが、女子バレーは正直予想外だった。

ウチのクラスで本職なのは中条と林さんだけのはずだ。その二人がよっぽど頑張らなければ、今あそこにトロフィーは一本しかなかったに違いない。

先程ぱっと教室を見渡したが中条はまだ来ていなかった。謝りたい気持ちがあるだけに、少し焦ってしまう。

「ま、中条も実際かなり上手いし……って違う!」

いきなりツッコミを入れてくる晃と若干距離を取った。朝からテンションが高すぎてついていけない。

「ど、どうした?」

「まだごまかす気かこのチャラ男!昨日のこと、さっさと白状しろ!」

「昨日って――」

晃の言葉で昨日の真実とのキスが記憶に蘇ってくる。

……落ち着け。考えたら晃にまた弄られるぞ。平常心を保つんだ。気が付けば晃が俺の顔を見つめていた。

「その表情は何かあったな!」

「な、何もねぇよ!」

「本当かぁ?」

晃は小さくなった名探偵張りの観察眼で俺を追い詰める。普段は馬鹿なくせに、どうでも良い所で鋭いのは厄介だ。

やはり顔だけではなく、こういう所も晃のモテる理由なのだろう。

「別に……普通に看病してただけだよ」

「看病?……あ、委員長の方か」

晃の口調に若干の違和感を覚える。委員長"の方"……じゃあ晃は一体、誰の話をしていたんだ。

「……他にいないだろ」

「ありゃ?中条が見舞いに行かなかったか」

「中条が……?」

きょとんとする俺を見て、晃も不可解そうな表情をした。

「あれ?司、会わなかったのか」

「あ、ああ……」

「おっかしいなぁ。球技大会の後、一緒にコンビニ行ってさ。ゼリーとか栄養ドリンクとか、司と委員長の為に買って持ってくって言ってたんだけどな」

「……ゼリー?」

「いやさ、どうせ司のことだから何も食ってないんじゃないかって、中条が言ってな。栄養ドリンクは若干ネタだけど」

晃の説明を聞きながら、俺は何となく気が付く。

昨日、真実の病室を出た時に病室の前に何が転がっていたか。それは今晃が言っている内容と同じだった。つまり――

「……アイツ、来てたと思う」

「思うってことは、会ってないのか」

「……ああ」

「そっか。まあ、急に用事が出来たのかもしれないしな」

急に用事が出来たから会えなかったのだろうか。

……いや、それはおかしい。あの病室の前に転がっていた品々が、中条が買ってきてくれた物だとしたら病室の目の前まで来ていたはずだ。

なのにそこまで来て帰ってしまうなんて、どう考えても不自然だ。何だ、何かが引っ掛かる――

「おーし、席着け!今日は緊急でこれから朝礼がある!先生の指示に従うように!」

「やべっ、とりあえずまた後でな!」

「あ、ああ……」

得体の知れない不安を抱えながら席に戻る。一刻も早く気付かなければならないのに、気が付けない。

そんなもどかしさを感じながら、俺は担任の話を聞いていた。


――結局その日、中条は学校を休んだ。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

自分では銀髪と言い張っているけど、むしろ白に近い髪。

あたしは昔から喘息持ちで、ろくに運動も出来ない子供だった。

激しい運動をするとすぐに発作が起きる。この喘息のせいで、あたしは皆と一緒に遊べないことが多かった。

運動会や遠足、そういった学校行事に参加出来なかったあたしは、自然とクラスで浮いた存在になっていた。

別に虐めがあったわけじゃない。ただ、誰もあたしを遊びに誘わなくなった。

そして元々の性格もあってあたしから声をかけることも出来ず、ただじっと凄く小学生時代を送っていた。

だからかもしれない。中学生になる時に、いつも通っていた病院から今までとは違う薬を勧められた時、あたしは二つ返事で了承した。

その薬はかなり強力なものらしく、上手くいけば喘息を抑え普通に運動が出来るようになるというものだった。

ただ、強力ということはそれなりの副作用もあるということだ。

それは薬によって様々だが、その薬の場合は"髪の色素が抜ける"というものだった。

両親がそのリスクに戸惑う中、あたしは二つ返事でそれを了承したのだ。

もう小学生の時のような思いはしたくない、ただその一心だった。

両親もそんなあたしの気持ちに負け、新しい薬を使うことを許してくれた。半ば祈るような気持ちでその薬を使った結果は――


『中条ってばばあみてぇ!』

『えっ……』

『ホントだ!白髪ばばあじゃん!』

『ち、違うよ……これは……!』

『中条さん、白に染めちゃって変なの』

『あんまり男子にちょっかいだされるからって、調子乗らないでよね』

『あ、あたしは別に……』


虐めという代償をあたしに払わせた。

元々中学校なんて、小学校の延長線上だ。メンバーなんて殆ど変わらない。

皆、最初は気味悪がり、段々あたしを虐めるようになった。

……まあそれも頷ける。元々暗かったあたしが急に真っ白な髪になったのだ。

男子は面白がっただし、それを見ている女子の中には不快に思った者も少なくなかったに違いない。

いずれにしろ、あたしは喘息を抑えることの引き換えに、小学生時代よりも辛い学生生活を過ごすことになった。

世界中で自分が一番不幸なんていうつもりは全くない。ただ、その時の環境はあたしを絶望に追い込むには十分だった。


『中条さん、皆はああ言ってるけど……私は気持ち悪いなんて思ってないからね』

『……うん』

『さ、一緒に片付けようよ』

『……ありがとう』


だから、少し優しくされたくらいであたしは簡単に信じてしまったんだと思う。

皆から虐められているあたしに、当時のクラス委員長の女の子だけは優しく接してくれた。

今思えばそれがかりそめの優しさだなんてことは、少し考えれば分かったに違いない。

それでも当時のあたしにはその優しさが有り難かった。

家族以外の誰かと話すなんて久しぶりで……あたしは彼女を信頼しきっていた。


『ねぇ、何で中条なんかと仲良くしてんの?』

『あんたらのせいなんだからね。皆があの子虐めるから、先生が委員長が何とかしろって』

『まあ自業自得じゃない?最初虐めようって言ってたの、アンタなんだし』

『だってムカつくんだもん。皆だってそうでしょ』

『あの白髪女が知ったらビックリすんじゃないの?』

『最後はばらすけどね。ま、それまでは我慢かな』


……どこにでも転がっていそうな話だった。

でもそれが、自分に降り懸かってくるなんて全く考えもしなかった。

結局、あたしは友達だと信じて疑わなかった人は、あたしを苦しめる虐めの首謀者で。

その時、あたしの中で何かが壊れてしまったのかもしれない。

その後も友達なんて出来るはずもなく、あたしは小学生時代よりも遥かに辛い三年間を過ごした。


そして卒業と同時にあたしは桜山市に引っ越した。

家族には直接虐められていることを言ってはいなかった。それでも、何となく察していてくれたらしい。

新しい環境でもう一度最初から、あたしに学生生活をやり直して欲しいと思ったのかもしれない。

その気持ちに応えたくて、あたしも頑張って運動部に入ってやり直そうと思った。

それでも中々心の傷は消えなくて友達は出来たものの、あたしは何となく一定の距離を置くようになっていた。

友達とまで言えないような関係。

あたしは誰も信用出来なくなっていたし虐められさえしなければ、それでいい。本気でそう思っていた。

――少なくとも彼に出会うまでは。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「…………」

ぼんやりと天井を見つめる。嫌な、本当に嫌な夢だった。

まさか、また虐められている時の夢を見るなんて、あたしも相当追い詰められているのかもしれない。

もう冬だというのに、身体中が汗でびっしょり濡れていて気持ち悪い。

時計はもう夕方を示していて、窓の外には夕焼けが一杯に広がっていた。

「……休んじゃったな」

やっと搾り出した声は予想以上に酷いもので、昨日の醜態をあたしに思い出させる。

振り払っても消えないあの光景。どうあがいても背けることを出来ない現実が、ただ心を蝕んでいた。

もう涙も出ない。出るのは掠れた声だけだ。

「……シャワー、浴びよう」

けだるい身体を引きずって一階に下りる。

結局昨日は夜中に家について親に散々叱られた挙げ句、微熱で学校を休んだ。

……でもそれでよかったのかもしれない。

今、司に会ったら、あたしは自分の中にあるどす黒い欲望を全て彼にぶつけてしまいそうだから。

今日は木曜日だ。後一日、学校へ行かなければしばらく司に会わなくて済む。

あたしの中の得体の知れない感情が落ち着くまで、それまでの辛抱だ。

「……ん?」

シャワーを浴びようとリビングに入ったら、インターホンが鳴った。

今日は両親とも朝帰りの為、一人っきりだ。あたしは寝ぼけたまま玄関に向かう。

どうせ宅配か何かだろう。そんな軽い気持ちでドアを開けると――

「はーい…………えっ」

「……よう、中条」

あたしが今最も会いたくて、それと同じくらい会いたくない人が目の前にいた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『いたたた……ゴメン!大丈夫か?』

その日はたまたまぼんやりしていて、何となくよそ見をしながら廊下を曲がった。

瞬間、誰かとぶつかり、まるで漫画のような出会いを果たした。

『……平気』

『悪かったな、転校したばっかで――』

その男子は驚いたような表情であたしを、正確にはあたしの髪の毛を見ていた。

今までに何度も見たことのある反応に思わず溜息が出る。どうせ何で白髪なのか、理由でも聞かれるのだろう。

そんな諦観にも似た気持ちを抱くあたしに対して彼は――

『その銀髪、めっちゃ綺麗だな!』

『……へっ?』

『俺大好きなんだ、銀色』

笑顔で転んだあたしを引き上げながら、そう言った。

一瞬、あたしは何を言われたのか理解出来ないでいた。だって……初めてだったから。

あたしの髪の毛を"綺麗"だなんて言ってくれた人は、彼が初めてだったから。

『あっ、わりぃ!早くしないと手続きに遅れちまう!』

『あ、あっ……!』

『ゴメン!またな!』

そのまま彼は慌て廊下を走って行ってしまった。

……もっと色んなことを聞くべきだったと、彼の姿が見えなくなってからあたしは後悔した。

もっと彼のことを知りたい。気が付けばそう思っている自分がいた。

それからだろうか。無意識に彼の姿を探すようになったのは。あたしが誰かに興味を持つこと自体が久しぶりだった。

幸運にも次の週、その男子、藤塚司はあたしのクラスに転校してきた。更に妹はあたしと同じバレー部に入部してきたのだ。

彼にとってはほんの些細な出来事で、覚えてないのかもしれない。

ただ、あたしにとっては生まれてきて、一番嬉しい出来事だった。

誰もが忌み嫌っていたあたしの髪を、彼は何の躊躇いもなく"綺麗"と言ったのだ。

だからこそ、どうしても彼と仲良くなりたかった。

多少無理矢理でも、今を逃せばもう仲良くはなれない気がする。だからあたしは――

『バ、バレー部の可愛い藤塚弥生の兄は君か!?』

無理矢理口実を見つけて司に話し掛けた。

今思えば自分の必死さに目を背けたくなるが、仕方ない。

それにこれがきっかけであたしは司と仲良くなれたのだから。

それならばあたしが司を好きになるのは当たり前だったのかもしれない。

あたしをもう一度日の当たる場所に連れてきてくれた人。司のおかげで今のあたしがあるのだから――

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




中条は扉を開けたまま固まっていた。どうやら俺が彼女の家に来たことが、かなり予想外だったらしい。

「体調不良で休んだって聞いたからさ。見舞いに来てやったぞ」

「……な、何で家の場所……」

「お見舞い行きたいって言ったら林さんが教えてくれたんだ。中条も喜ぶだろうって」

林さんは中条と同じバレー部で、かなり仲がよいらしい。

当たり前といっちゃあ当たり前だが、中条の家の場所を知らなかった俺は、林さんに教えて貰ったのだった。

……俺に場所を教えてくれる時、林さんは何故かにやにやしていた。晃に少し似ている気がする。

「そ、そっか……」

「ほい、これが今日の分のプリント」

俺は鞄の中から今日配られたプリントを取って中条に差し出す。中条は無言でそれらを受け取った。

「それからコンビニでプリンとか――」

「……なんで」

「ん?」

「なんで……なんで、見舞いに来たの」

中条は俯いたまま、掠れた声で俺に聞く。やはりまだ調子が悪いのだろうか。

「なんでって……心配だからに決まってるだろうが。俺たち親友だろ」

「……じゃあ、委員長も親友なんだ」

「……えっ?」

「だって付きっ切りで看病してあげたんでしょ、委員長のこと」

なぜだろう。久しぶりに見た中条は無表情で、瞳には一切の光が宿っていなかった。

中条はゆっくりと俺の腕を掴む。

「……晃から聞いたのか」

「どうして?どうして看病したの?なんで、なんで来てくれなかったの?」

「……っ」

腕が強く掴まれる。中条は何かを爆発させるように震えていた。

どうして……そう質問する中条に俺は答えることが出来ずいる。

「どうして……どうしてキス……したの……?」

「っ!中条……」

中条は……静かに泣いていた。

いつの間にか掴まれていた腕は離されていて、嗚咽は出さず静かに……泣いていた。

やはり晃の言った通り、中条は昨日病院に来ていたんだ。

でも、病室には入れなかったんだ。なぜなら見てしまったから。

俺と真実が……キスしているところを。

「中条……昨日のことは――」

「ゴメン、もう帰って」

中条は俺の言葉を遮ってそのまま扉を閉めようとする。俺は無意識に中条の腕を掴み返していた。

「……離して」

「待てよ……俺はまだ中条に言いたいことがある」

「聞きたくない」

「聞いてくれ……俺は――」

「離して!もう聞きたくない!もう何も信じたくないの!もう傷付きたくないの!もう……!」

「な、中条っ!?」

「あっ……」

中条は必死に俺の手を振りほどこうとする。それが逆に俺を引き寄せてしまい、俺たちは玄関に倒れ込んだ。

咄嗟に中条を庇う形になり、彼女を抱きしめるような態勢になってしまった。

「……だ、大丈夫か中条」

「……うん」

目の前に中条の顔がある。

泣き腫らした目が昨日から彼女がどれだけ苦しんでいるかを物語っていた。

よく見ると中条はパジャマ一枚で、着崩れして彼女の真っ白な肌が見える。

精神衛生上、健全な男子高校生にはいささか刺激が強すぎる光景が目の前に広がっていた。

「ゴ、ゴメン!俺こんなつもりじゃ――」

「……そのままで、いて」

離れようとする俺を、中条は引き寄せる。

お互いに抱き合うような状態で、中条は俺の胸に顔を埋めた。

「中条……?」

「……司の心臓、ばくばくいってる」

「ま、まあそりゃあ……こんな状態だからな」

この状態を意識したからだろうか。自分の顔が熱くなるのを感じる。

パジャマ一枚越しに、中条の体温や息遣いが伝わってきた。

……コイツ、こんなに細かったんだ。

俺は今まで中条は明るくて強くて、一人でも生きていけるような奴だって、勝手に勘違いしてた。

でも中条も一人の女の子だってことがこうしてるとすごく分かる。

「中条……」

「……雪って呼んで」

中条は上目遣いで俺を見てくる。俺の理性がなければすぐさま襲ってしまいそうなくらい、可愛かった。

「でも――」

「委員長のことは名前で呼んでるんでしょ。だったら……あたしもちゃんと名前で呼んで」

中条の強い眼差しに、思わず頷いてしまう。

「……ゆ、雪……なんか恥ずかしいぞ」

「……慣れなさい」

中条……雪は顔を赤らめてそっと呟いた。

お前も慣れてないじゃねぇか、とか言いそうになったが堪える。

「……もう一回呼んで、司」

「……雪」

「もう一回……司」

そうやってしばらくの間、俺たちはお互いの存在を確認するように抱き合い、名前を呼び合った。




「そろそろ帰るわ。ちゃんと早めに寝て、明日はちゃんと学校来いよ」

「うん。今日はありがとう。プリン、後で頂くね」

気が付けばもう辺りは真っ暗になっていた。雪はだいぶ落ち着いたようで、やっと笑顔を見せてくれた。

「おう、じゃあまたな……ゆ、雪」

「……かっこわる」

「うるせぇ!まだ慣れないんだよ!」

「あはは!冗談。じゃあ、また明日!」

雪に手を振りながら俺は帰り道を歩く。

今日はっきりしたことがある。俺はたぶん……雪のことが好きなんだと思う。

アイツに笑っていて欲しいし、一緒に笑っていたい。

それは真実には抱かなくて、雪だけに抱く感情だ。

だからこそはっきりさせなければならない。確かに真実のことは好きだ。

でもそれは友達としてで、やっぱり俺は――

「……雪」

雪のことが好きなんだ。




「司……」

胸に手を当てる。まだ心臓がドキドキしている。

司にあんなことを言っておきながら、本当は自分の方がよっぽどドキドキしていた。

司に名前を呼ばれる度に身体の奥から暖かくなれる。だからこそ――

「……負けたくないよ」

失うことは考えたくない。

もし司があたしの側にいなかったら、もうあたしは生きていけない。

だって、知ってしまったから。人の温もりや暖かさを。司が教えてくれたから。

だからもう独りのあたしには戻れない。

「…………」

もし司が委員長のところに行ってしまうなら……あたしの中に何かが渦巻くのを感じる。

この暖かさを手に入れる為ならばあたしは何でもするに違いない。たとえそれが――

「……頭を冷やそう」

一瞬、頭を過ぎった考えに蓋をする。

それでも、あたしのどす黒い欲望は決して消えることはなく、まだぐるぐると渦を巻いていた。


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