第13話 12月14日・2
「……っ」
気が付くと目の前には壁が広がっていた。ベッド以外には目立つものは特にはない、簡素な部屋。
まだはっきりとしない意識のまま、立ち上がろうとするが出来ない。
よく手足を見ると、今座っている椅子に縛り付けられていた。
「……なんだ、これ」
状況が理解出来ない。縛られた手足に見慣れない部屋。
そもそも何で俺はこんな所にいるんだ。確か俺は真実の家にいたはず――
「あ、起きたんだ司君。おはよう、ってもう夜だけどね」
壁と同じような灰色をした扉が重苦しい音を立てて開き、真実が部屋に入って来た。
笑顔の真実を見た瞬間、ぼーっとしていた頭がはっきりとした。
そうだ、俺は真実に……薬入りのゼリーを食べさせられたんだ。
ということはここは真実の家なのだろうか。
「……ここは、何処だ」
「ここは私の家だよ……兄さんが、よくいた部屋なの」
真実は愛おしそうに壁を撫でる。まるでそこに兄を感じるかのように。
真実の兄貴……写真立てに飾られていた、あの人のことか。
「ウチの両親はこのマンションのオーナーでね。この部屋は特別仕様なの」
「特別、仕様……?」
「うん。兄さん、楽器が好きでね。両親が兄さんの為にこの部屋だけ、防音仕様にしたの」
一見普通の部屋のようにしか見えないが、確かに窓は一つもない。
出入口は真実が入って来た分厚い扉一つだけだ。
「今考えると親バカな話だけどね。でもこの部屋は……兄さんが生きていた証だから」
「……"生きていた"ってことは――」
「もういないわ……兄さんは死んだ。……司君の、妹さんのせいでね」
先程とは打って変わって、真実は無表情で俺を見つめる。でも、その瞳は何処か悲しみを帯びているように思えた。
「妹……弥生の、せい?……一体どういうことだ!?」
「……答えは後で教えてあげるわ。まずは準備を整えないとね」
真実は入り口に戻り、ゆっくりと何かを中に運び込んで来る。
ちょうど俺と対面するように置かれた椅子には気絶していて、俺と同じように手足を縛り付けられている――
「雪っ!?おい、雪っ!」
「……つ、つか…さ……?」
「あら、お早いお目覚めね」
雪がいた。ゆっくりと目を開き俺を見つめている。一体何が起きているのか、俺には全く理解出来ない。
分かるのは俺達を見下ろす真実が、この状態を作り出しているということだけだった。
「雪っ!俺だ!分かるか!?」
「つかさ……!司!会いたかった!あたし――」
「さ、始めましょ」
意識の戻った雪に向かって、真実は素早く鈍く光るナイフを突き立てた。
「なっ!?」
「あ……」
「どう、痛い?」
「っ!!あぁぁぁあ!!」
「ふふっ、良い叫びね」
雪の右肩が赤く染まっていくのを、俺は呆然と見つめていた。
雪が刺されたことを、痛みを理解して叫ぶが真実はお構いなくナイフを深く深く突き立てていく。
……なんだ、これ。意味が分からない。
「や、止めろっ!!何してんだ真実っ!!」
「あーあ、途中までは上手くいってたんだけどな」
「あっ!!……はぁはぁ……!」
真実が思いっ切りナイフを抜くと、雪の右肩から血が溢れ出し、彼女の髪を赤く染めはじめた。
雪は泣きながら痛みに耐えていて、真実はそれを無表情で見つめている。
俺は必死に抵抗するが固定されているのか、椅子はびくともしなかった。
「真実っ!!止めろっ!!何してんだ!!」
「やっぱり中条さんには勝てなかったわ。残念、私の負け」
「うっ!?……あぁ…ま、負け……?」
「そうよ。あのメールは嘘。本当は司君は……貴女を選んだのよ」
「うぐっ!?うぁぁぁぁぁぁあ!!」
「止めろっ!!止めろよっ!!真実っ!!」
真実は容赦なく、今度は左肩にナイフを突き立てる。
防音仕様の無機質な部屋に雪の悲鳴と血の臭いが溢れていく。
まるで俺の声など聞こえていないかのように、真実は雪を傷付けていった。
「大内さんをけしかけて貴女を殺そうと思ったのに……結局、司君が貴女を意識するきっかけを作っちゃったわ」
「大内さんを……けしかける?」
「私がね、入れ知恵したのよ。自転車の仕掛け。それ自体は上手くやってくれたみたいだけど」
俺の声にやっと反応して、真実は俺の方を向く。大内さんに入れ知恵……?
あれは、雪の自転車に細工したのは大内さんだったはずだ。
……まさか――
「ふふっ、やっと気が付いたの?私がけしかけたのよ。中条さんが死ねば、司君の妹さんは悲しむでしょ?」
「う、嘘だ……」
「嘘じゃないわ。『小坂君が好きなのは中条さんだ』なんて言ったら、簡単に信じちゃって。……まさか反撃されるとは思わなかったけど」
真実が言っていることが理解出来ない。だって真実は俺達の仲間であり、友達なはずだ。
でも、これじゃあ……これじゃあまるで真実が――
「薄々気が付いてると思うけど、司君に嫌がらせしたのも全部私よ」
「う、嘘だ!嘘だっ!そんなこと……!」
「嘘じゃないわ。真実よ。この光景を見ても、まだ嘘だって言い切れる?」
真実はまるで当たり前のことのように、自分は犯人であることを話す。
真実の思い出が走馬灯のように思い出される。
楽しかった日々が……俺は……俺はっ!!
「何で!!何でこんなことすんだよ!!あんなに一緒に笑ったのに!!一緒に過ごしたのに!!」
「……っ」
いつの間にか、俺は泣いていた。悔しかった。
俺が掛け替えのないと思っていた真実との日常は、彼女にとっては嘘でしかなかったのだろうか。
それが……悔しかった。
「俺は楽しかった!真実が居てくれて良かったって、本気で思った!!」
「止めてよ……」
「真実と一緒に食べたパフェや作ってくれたタコさんウインナー、めっちゃ美味かった!!」
「止めて」
「お前が刺されて目を覚ました時、俺は心の底から良かったって思った!!」
「止めろっ!!!」
真実が怒鳴りながら俺にナイフを向ける。その瞳には……涙が溜まっていた。
……何泣いてんだよ、泣きたいのはこっちだっていうのに。
「……真実」
「もう、戻れないのよ……もう、決めたのよ……藤塚弥生を殺して、それで終わりって決めたのよ……」
「……まだ、戻れる。終わりなんかじゃない」
震える真実に俺は語りかける。このまま終わりなんて悲しすぎる。こんな惨劇、俺は認めない。
「駄目だよ……私、いけないのに。好きになっちゃいけないのに……君のこと、好きになっちゃったから……」
「真実――」
真実はゆっくりと俺に口づけをした。彼女の切ない想いが込められた、そんな口づけだった。
真実は雪に向き合ってナイフを構え直す――
「止めろ真実っ!」
「っ!……良いタイミングね」
その時、急に電子音が部屋に木霊した。
真実はポケットから携帯を取り出し、画面を確認する。よく見るとそれは俺の携帯だった。
嫌な予感がする。さっき真実は言っていたはずだ。弥生と殺して終わりにする、と。
理由は分からないが真実は弥生を憎んでいる。それも尋常ではないほどに。
俺への嫌がらせも、大内さんをけしかけて雪を殺そうとしたのも、全て弥生を苦しめる為ならば、おそらく今の電子音は弥生に違いない。
「真実っ!」
「主賓の到着よ。少し待っていてね。中条さんも、良い子にしてるのよ」
「…………」
俺の叫びも虚しく、真実は扉の向こうに消えていった。残されたのは何も出来ない俺と、血だらけの雪。
「雪っ!大丈夫か雪っ!?」
「うぅ……へ、平気……肩…だし……」
明らかに平気じゃない量の血を流しながら、それでも雪は気丈に振る舞おうとする。
真っ白な髪は血で真っ赤に染まっていた。肩だから致命傷ではないだろうが、このまま血を流し過ぎたら雪は死んでしまう。
「くそっ!解けろよ!」
「……司、さっきの話……本当……?」
「……さっきの話?」
「委員長が言ってた、あたしを選んだって……話」
「なっ!?い、今はそれどころじゃ――」
「お願い……答えてよ」
切れ切れになりながらも雪ははっきりと口にした。
こんな状況でいうのも変な気はするが、聞かれてしまった以上は仕方ない。どの道、言うつもりだったんだ。
「……分かった。い、一回しか言わないからよく聞けよ」
「うん……」
……言うと決めたら決めたで緊張してしまい、上手く頭が整理出来ない。
今更何を怖じけづいてんだよ、俺。晃に散々言われて分かってるだろうが。
「あ、あのな……えっと……そのだな……」
「…………」
「お、俺はな……その……お、お前のことがだな……」
「…………」
何と言う根性なしだろう。ややこしいことはもう考えるな。そのまま素直に伝えれば良い。当たって砕けろだ。
「お、お前が好きだ!雪!ずっと一緒にいてくれ!」
無機質な部屋に俺の若干裏返った声が木霊した。
「……格好悪い」
「し、仕方ねぇだろうが!こんな状況でいきなり――」
「でも、好き。司のそういうとこ」
「ぐっ!?」
恥ずかしがりながらも雪は俺の目を見てそっと呟いた。
……破壊力ありすぎだろ。こっちまで恥ずかしくなる。おそらく俺の顔は真っ赤に違いなかった。
「ふふっ……死んでも……後悔……ないか……な……」
「雪っ!?おい、雪っ!しっかりしろ!!」
「…………」
「雪っ!!くそっ!死なせてたまるか!!」
雪は笑顔のまま目を閉じて、そのまま動かなくなった。
まだ息はあるだろうが、相当際どい状況に違いはなかった。
折角想いが通じたのに、雪に告白出来たのにこれじゃあ何の意味もない。
必死に抵抗するが手足の縄はびくともしなかった。部屋が少しずつ雪の血で染まっていく。
「そんなに騒がしくしなくても、すぐに解放してあげるわ」
「真実っ!!……や、弥生っ!?」
再び部屋に入って来た真実は、先程と同じように椅子を運び込んで来た。
先程と違うのは座っている人が雪ではなく、弥生だということだ。
「……お……兄ちゃん……?」
「弥生っ!」
「さ、メインイベントの始まりよ」
真実は弥生を縛り付けている椅子を俺と雪の横に設置した。
俺達と弥生とには2mほどしか距離がない。弥生はそんなにやられなかったのか、すぐに目を覚ましていた。
「お、お兄ちゃん……ゆ、雪先輩っ!?な、何で!!」
「何で?貴女のせいに決まっているでしょ、藤塚弥生さん」
真実は俺達と弥生の間に立ってゆっくりとナイフを構える。その切っ先は弥生に向かっていた。
「止めろ真実!弥生は関係――」
「大有りだよ、司君」
「ひっ!?い、いやぁ……」
突然の事態に訳も分からず首を横に降る弥生を、真実は静かに見下ろしていた。
一体どういうことだ。弥生が何をしたって言うんだ。
「……覚えてる?弥生さん。私のこと」
「お兄ちゃんの、ク、クラス委員長の……辻本さん……?」
「正解。……以前に辻本という苗字に、聞き覚えはある?」
「と、特には……」
ナイフを突き付けながら、真実は意図の不明な質問を弥生にする。
弥生も相当困惑しているのか、すがるような目で俺を見てくる。
やばい、弥生も相当追い詰められている。このままじゃあの時のトラウマが再発してしまうかもしれない。
「真実!止めてくれ!弥生にはトラウマが――」
「電車で痴漢されたこと?そっか、トラウマになっちゃったのね」
「えっ!?」
真実の言葉に心臓が止まりそうになる。弥生も信じられないといった表情をしていた。
それもそうだ。だって弥生の事件のことは、ごく一部の人間にしか知られていないはずだ。
それを真実が知っているわけがない。あてずっぽう……にしては的確過ぎる。
俺達の表情を見て、真実はうっすらと笑みを浮かべた。
「っ!」
「う……ぁ……」
その表情に俺達は思わず寒気を覚える。
怒りや憎しみ、様々な敵意が混ざったその笑みに俺は震え上がった。こんなに深い憎悪を、俺は感じたことがない。
「あはは……やっぱり覚えてないか。覚えて……ないか」
「ま、真実……?」
急に俯いた真実はゆっくりとナイフを掲げ――
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!」
「……ぁ」
「……っ」
狂気じみた笑い声が部屋一杯に広がっていく。
ぞっとするような恐怖を、本能的に感じる。
真実は笑いながら弥生の左腿を思い切りナイフで突き刺した。
飛び散る血と弥生の悲鳴で、ようやく俺の意識は戻ってくる。
「や、弥生っ!?」
「うぅ!?ぁ、あぁぁぁあ!」
「たった一年しか経ってないのに、覚えてないんだ……兄さんを殺した癖に……」
真実は虚ろな目をして俺に近付いてくる。
――怖い。素直にそう思った。真実は、もう俺が知っている真実じゃないのか。そんな考えが頭の中をぐるぐると巡る。
「真実……どうして……」
「……どうして?そんなに知りたいなら教えてあげるわ。貴方の妹さんの罪をね」
真実は俺の膝に乗っかって肩に頭を乗せた。
密着した体勢の為、真実と俺の身体はぴったりとくっついている。
血生臭さと共に、以前も嗅いだことのある甘い香りが俺を包んだ。
「ま、真実……」
「私の兄はね、私より5つ上なんだけど、とにかく頼りなくて……いつも私が心配する側だったの」
何処か懐かしげに話す真実からは、さっきまで感じていた狂気はないように俺には思えた。
少し落ち着いたのだろうか。真実の表情は分からないので、定かではない。
「本当に情けなくて、頼りなくて……それでも、いつも笑顔で優しい兄さんが、私は大好きだった……」
「真実……」
「……ある日ね、知らない番号から家に電話が掛かってきたの。親が出たんだけどね、兄さんが……」
真実は俺をより強く抱き寄せる。彼女が小刻みに震えるのを肌で感じた。
「……痴漢の容疑で捕まった、って」
「………………えっ?」
「………………ぁ」
"痴漢"。その言葉が思い出したくもない記憶を無理矢理呼び起こさせる。
ちょうど一年前、弥生が心に傷を負った原因であり、俺に依存するようになった原因でもある、あの事件。
俺の中でまるでパズルのピースを埋めていくかのように、次々と話が繋がっていく。
「ま、まさか……」
「……気付いた?そのまさか」
真実はうっすらと笑みを浮かべる。信じたくない。
でも真実の表情が、言っていることが全てを物語っていた。
つまり、弥生が痴漢だと、犯人だと言った相手は――
「私の兄さん。辻本真人(つじもとまさと)は……そこの女に"痴漢"の罪をなすりつけられて、自殺したのよ」
「っ……」
真実の瞳はもう何も映さない。どろどろとした感情が今の真実を動かしているようだった。
「……な、なすりつけたんじゃないもん」
「……何かな、弥生さん?」
「なすりつけたんじゃない!わたしは……わたしは本当に痴漢に遭ったんだ!!」
「弥生……」
真実の言葉に刺激されてしまったのか、弥生は泣きながら必死に叫ぶ。
一年前と同じで、心が軋んでいた。このままじゃまずい。弥生が、弥生が壊れてしまう。
「……そう。別に弥生さんが痴漢に遭ってないなんて、言ってないわ」
「わたしは嘘なんか、嘘なんかついてない!!」
「でもそれが兄さんだとは、証明出来ないでしょ?錯乱していた貴女には」
「わ、わたしは間違ってなんかない!!そうだよね、お兄ちゃん!?」
「弥生!落ち着けっ!」
「お兄ちゃん……助けて……!」
弥生は泣きながら訴える。本当にまずい。
今まで、あの事件以来弥生が錯乱することは何度かあったが、今回はそれらを遥かに上回っていた。
「ふふっ、結局それ。"お兄ちゃん"って言えば助けて貰えるって、そう思ってるんでしょ?」
「わ、わたしは別に……!」
「…………好きな癖に」
「……えっ?」
「"お兄ちゃん"のこと、好きなんでしょ?自分の気持ちが抑え切れないくらい。だから告白されても断ってるんでしょ?」
「や、やめてっ!!やめてっ!!」
「や、弥生……?」
狼狽する弥生を追い詰めるように、真実は立ち上がり弥生に近付いていく。
……真実の言っていることが理解出来ない。何で弥生はあんなに焦っているんだ。
「本当は誰にも渡したくないんでしょ?本当は自分の物にしたいんでしょ?本当は"お兄ちゃん"と一緒に――」
「やめてっ!!やめて……!」
段々語気が弱くなって来た弥生を見て、真実は……思わず震えてしまいそうな程、冷たい笑みを浮かべた。
このままじゃまずい。そう思っているのに声が上手く出せない。状況が飲み込めない。
「でも知ってる?貴女の大好きな"お兄ちゃん"はね、同じく貴女の大好きな"雪先輩"と、付き合うらしいわよ」
「…………えっ」
「ね、司君?」
真実は満面の笑みを浮かべて俺に話し掛ける。
対して弥生はまるで死刑宣告でも受けたかのような表情をしていた。
「……何のつもりだよ」
「別に。大好きな二人が付き合うんだから、祝福して当然かなって。ねぇ、弥生さん?」
「………や、だ」
「や、弥生……?」
弥生は虚ろな目をして俺を見ていた。まるで何かを否定するように小さく首を横に振る。
「やだ……やだよ、お兄ちゃん……弥生を……弥生を独りに……独りにしないで……!!」
「弥生……」
「ごめんなさい……駄目だって分かってるのに……でもお兄ちゃんを想うと……心が苦しくて……!」
心に秘めていた、絶対に言ってはいけない感情が弥生の中で爆発したようだった。
大きな目から涙を流しながら、弥生は俺に心の叫びを訴える。
真実は笑みを浮かべたまま、俺達のやり取りを見ていた。
そしてゆっくりと再度俺に近付いて来る。
「これで分かったかしら」
「……何がだよ」
「司君の妹さんが、いかに変態なのか」
「……弥生は変態なんかじゃねぇ」
「実の兄に恋する妹の、何処が変態じゃないわけ?どう考えても――」
「真実もそうだったんじゃないのか!?」
「……っ」
俺の言葉に真実の表情が凍りついた。
どうして真実がこんなにも弥生を憎んでいるのか、俺には分からなかった。
肉親を死に追いやった敵だから……それだけでは説明が出来ない彼女の憎悪と兄への想い。
それはまるで今目の前で俺への想いを吐露した弥生にそっくりだった。だから――
「……真実だって本当はこんなことしたくなかったんだろ?」
「……何言ってるのよ。私は最初から復讐目的で司君に――」
「もう、嘘は止めろよ」
「……嘘なんかじゃないわよ」
「新しい生活を受け入れたら、兄貴を裏切ったように感じるから、だから止められなかっただけだろ」
「違う!!私は、私は……!」
真実は必死に首を振って拒絶を示す。
俺にはもう真実が、嘘に堪えられなくなった少女にしか見えなかった。
もっと早く気付いていれば彼女を止められたのかもしれない。
「真実は嘘だって言ったけど、助けてくれた時、俺は本当に嬉しかった」
「そんなの嘘よ……!」
「嘘じゃない。真実が居てくれたから、俺は色んなことに気付けたんだ」
真実が居なかったら、雪が事故に遭うこともなかったに違いない。そうしたら俺は、雪の大切さに、雪を想う気持ちに気が付かなかった。
真実が居なかったらあんなにも晃が頼もしく感じることはなかった。
真実が居なかったら……俺は弥生の気持ちに向き合うことが出来なかった。
誰が何と言おうとも、それは俺にとっては紛れも無い"真実"だから。
「そんなの……そんなのこじつけよ」
「……別にこじつけだっていい。俺は真実が居てくれて、本当に良かったって思ってるし……また皆で一緒に居たい」
俺は真実の目を見て答える。
この一ヶ月、真実と過ごした日々は確かにかけがえのないものだった。
真実だって、そうではなかったのだろうか。
「司……君……」
「嘘も、真実も、関係ない。一緒にいた時間は、思い出は――」
「………………もう、遅いよ」
真実はゆっくりと俺の目の前に来て、そっとキスをした。
先程とは違ってひんやりとした感触が唇に残って、今の真実の気持ちを表しているようだった。
とても悲しそうな、だけど何処か穏やかな表情を浮かべながら真実は俯く。
「……もっと早く……出会えていたら………………ううん、何でもないわ」
真実は一瞬微笑んだ後、ナイフをもう一本ポケットから取り出して俺の後ろに回り込む。
俺の喉には血がこびりついたナイフが突き付けられている。
「お兄ちゃん……!」
「動かないで……チャンスを、あげるわ」
「ま、真実……?」
手足の縄が切られ、俺は椅子から解放された。
呆然とする俺に真実は新品のナイフを放り投げる。
俺がナイフに気を取られている隙に、真実は気絶している雪の首筋にもう一本のナイフを押し当てていた。
「さあ、フィナーレよ。司君、そのナイフで……妹さんを殺しなさい」
「なっ!?」
「でなければ……分かるわよね」
真実は雪の首筋に押し当てたナイフを見る。
もう少し力を入れてしまえば、雪はあっという間に死んでしまうだろう。
「……お、お兄ちゃん?」
弥生は怯えながら俺を見上げる。俺に弥生を殺すことなんて出来るはずがない。
だが、もししなければ――
「……弥生を殺すなんて出来ないし、したくない」
「そう、ならこの子が死ぬだけだわ」
真実がほんの少し、ナイフに力を入れると、雪の首筋から血が少し流れた。
何の躊躇もない。先程の、苦しそうな表情の真実はもう何処にも居なかった。
「止めろっ!!」
「じゃあ早く妹さんを殺して」
淡々と真実は俺に命じる。まるで作業でも頼むかのように、早くしろと俺に迫る。
どうすればいいのか、俺には分からない。弥生を殺せるわけがない。
でもそうすると雪が……真実に殺されてしまう。
「…………っ」
「……お、お兄ちゃん。い、いいよ……」
「や、弥生……?」
「わたしを、殺していいよ……」
弥生は震えながらも、しっかりと俺の目を見て話した。
「馬鹿っ!自分が何言ってんのか分かってるのか!?」
「分かってるよ!!わたしのせいで……わたしのせいで雪先輩が死にそうなの、分かってるもん!」
「それは弥生のせいじゃねぇよ!」
「わたしのせいだよ!今だけじゃない!わたしのせいでお兄ちゃんに迷惑かけてきたの、知ってるもん!」
「弥生……」
弥生は目に涙を溜めながら、それでも俺を見上げつづける。
「あの事件からわたしがお兄ちゃんに……お兄ちゃんに依存して、たくさん迷惑かけたの……知らないわけないよ……」
「弥生、俺は――」
「わたし、自分が怖い。お兄ちゃんと雪先輩が付き合うって聞いた時……嫌って思った。血を流してる先輩を見て……死んじゃえって思った!」
自分の中の何かを吐き出すように、弥生は俺に話し続ける。
「きっとわたしは二人を祝福出来ないよ……二人とも大好きだけど……だから、わたしが死んで解決するなら――」
「……ばーか」
「いたっ!?」
俺は思いっ切り弥生の頭にげんこつをする。
何か知らんが人生を悟った気になっている妹にお仕置きをしてやった。
「祝福出来ない?当たり前だろうが。だって弥生は……その、俺のことが好きなんだろ?」
「……お兄ちゃん、普通自分ではそういうの言わないよ」
「うるせっ!」
「いたぁ!?」
こんな状況でも突っ込んでくる妹に制裁を加えながら話を進める。
「好きな人が他の誰かと付き合ったら、祝福出来なくて当然だろ。死んじゃえって思うのが、自然だろ。俺だって雪だって、誰だってそう思うよ」
「お兄ちゃん……」
「だから簡単に死ぬとか言ってんじゃねぇよ。苦しくて、辛いけど……いつか生きていて良かったって思える日の為に、頑張って生きるんだろ?……一年前の時みたいにさ」
「…………うん」
弥生の頭を撫でながら俺は改めて誓う。
そうだよ、俺が望んでいたものは?それは平穏な日々だったはずだ。
平穏な日々って何だ?それは皆で楽しく馬鹿をやることだ。
お調子者の晃も、兄想いの弥生も、大好きな雪も……そして世話焼きな真実も、誰か一人でも欠けたら駄目なんだ。
ゆっくりと真実に振り向くと、真実は辛そうな、何かに堪えている表情をしていた。
「……真実」
「な、何よ!早く妹さんを殺してよ!?」
「俺は誰も死なせないよ。勿論、真実も含めてな」
「何を馬鹿なこと言ってんのよ!この状況を見てもまだそんなことが――」
「言えるよ。真実は、絶対に誰かを殺したりしない……俺はそう、信じてるから」
ゆっくりと真実に近付いて行くと真実はナイフを俺に向けてきた。
「と、止まって!何が信じてるよ!?都合の良い言葉でごまかして!アンタなんかに、アンタなんかに分かるわけない!!」
真実は俺にナイフを向けながら……涙を流した。
「真実……」
「わ、私には……私には兄さんしかいなかった!今の私にはもう、もう復讐しか残ってないのよ!!」
「俺が、俺達がいる!真実のことを必要としてる!」
「嘘だっ!そんなの嘘だっ!皆、嘘ばっかりついて都合が悪くなったらすぐに裏切るんだ!誰も、誰も兄さんを助けてなんてくれなかった!!」
俺は全ての感情をぶちまける真実に近付く。そして――
「ち、近付くな!!」
「もういい!もう……いいから……」
「………………ぁ」
俺は真実を抱きしめた。
抱きしめて分かる、とても小さくて華奢な身体。
こんな身体に真実は色んなものを抱え込んでいた、そう思うと俺はより一層彼女を強く抱きしめた。
「手遅れなんかじゃない。また、皆でやり直せばいい」
「…………でも……私は皆を……」
「誰だって間違えるさ。もし不安なら一緒にいれば良い……絶対誰かが止めてくれる」
真実は俺の胸に顔を埋める。
「……司君って兄さんみたい」
「兄さん……真実の、か」
「うん。兄さんみたいに温かくて……安心する」
「真実……」
「もし、もっと貴方と早く会えたら……もっと早く貴方を好きになれたら……。でも、復讐を決意しなかったら貴方とはこんなにも仲良くなれなかった……」
真実はゆっくりと顔を上げて俺を見つめる。
そこにはこの一ヶ月、俺を支え続けて来てくれた真実の顔があった。
「悔しいけど…………………大好きだったよ、司」
「真実……」
「………………だから、ゴメンね」
「えっ――」
突然真実は俺を突き飛ばす。
バランスを崩して倒れそうになった俺の隙をついて彼女はナイフを自分の腹部に突き立てた。
血に染まる部屋で、真実の血が新たに床や壁を染めていく。
そのまま真実は床に崩れ落ちた。
「ま、真実!?真実!おいっ!」
「…………ぅぁ」
「何してんだ!?くそっ!」
「お兄ちゃんっ!!」
弥生の呼び掛けてほんの少し冷静になった俺は、まず急いで弥生の縄を持っていたナイフで切る。
「弥生!救急車頼む!後、晃にも連絡してくれ!それと救急箱探してくれ!」
「わ、分かった!!」
弥生は携帯を取り出しながら、切られている腿も気にせず、急いで部屋を出ていった。
俺は真実に近寄り腹部の傷口を抑えるがそれでも血は中々止まらなかった。
「真実っ!!しっかりしろよ真実っ!!」
「…………司、君。もう……十分だから」
「何言ってんだよ!!」
「十分……幸せだったから……一ヶ月……」
「逃げてんじゃねぇよ!!このままで良いわけないだろ!」
「……司を好きになって……良かったよ……」
「何勝手なこと言ってんだ……!」
「…………ありがとう……ゴメン……ね……」
真実はゆっくりと目を閉じた。そしてそのまま眠ったように何も話さない。
「真実っ!?くそっ!死なせて、死なせてたまるか!!」
俺は必死に真実の傷口を抑える。
こんなの、あんまりだ。やっと分かりあえたのに、これからだっていうのに。
絶対に真実は死なせない。雪もかなり際どい。二人とも絶対に死なせちゃいけない。
何が復讐だ、何が惨劇だ。そんなもの、俺が認めない。
もう一度俺達が皆で笑い合う為に、絶対に俺が誰も死なせない。
「嘘も、真実も関係ない……絶対に、死なせない……!」
真っ赤に染まった部屋に俺の声が静かに響いた。
そして一年の月日が過ぎる――
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