第8話 11月27日

~ある犯人のプロローグ・4~

……自分は何を期待していたのだろう。最初から理解していたはずだ、敵だと。

「…………」

鏡をじっと見つめる。何て情けない顔をしているのだろう。そんな顔に冷水をたたき付ける。

しっかりしろ、今更後戻りなんて出来やしない。

「……もう少しだ」

あの時決めたはずだ。何をしても絶対に復讐するって。これはあの人がくれたチャンスなんだから。









「おっす」

「おはよう我が最愛なる友よ!おっ、今日は委員長も一緒か」

「おはよう、小坂君」

早朝の通学路。

俺は真実と晃と一緒に学校へ向かう。今だに規模は小さくなったものの、俺への嫌がらせは続いている。

だから最近はよく真実と一緒に通学して、対策を考えたりしていた。

晃が朝練のない日は一緒に登校することが多いので、最近は自然と三人で登校することも多くなった。

「そういえば中条、今日退院だっけ」

「ああ、昨日メールしたら今日の夕方には退院出来るらしい。放課後病院に行くけど二人とも、空いてるか?」

真実も晃もすぐに了承してくれた。

中条が入院してから一週間ほどが経っていた。ようやく中条が帰ってくる。

なんだかんだ言ってやはり一週間は入院してしまったが、これでまた一緒に馬鹿をやれる。

そう思うと浮かれてしまう自分がいた。

「まあちょうど良いタイミングだよな、中条も」

「ちょうど良い?」

「ああ、球技大会か」

俺の言葉に晃は思いっ切りガッツポーズをする。いや、それガッツポーズするところか。

「そういうこと。中条が入れば女子バレーはこっちのもんだしな!そして男子サッカー!」

「ふふ、期待してるわよ二人とも」

「おう!司、フットサルじゃないからって手、抜くなよ!」

「分かってるつーの」

運動部の球技大会への熱の入れようは異常だと思う。まあ気持ちは分からないでもないが、この暑苦しさは何とかしてほしい。

「気の無いフリしてるけど司君、昨日も一生懸命シュートの練習してたのよ」

「お、おい真実っ!」

思わず顔が赤くなるのを感じる。晃は目を輝かせて俺に抱き着いてきた。真実はそんな俺たちを見てクスッと笑うのだった。

……最近、真実に良いようにからかわれているような気がしてならない。

「……司君、そろそろ」

「あ、ああ。そうだな……」

真実に耳打ちされて時計を見ると既に結構な時間になっていた。今日は俺が先に行って、嫌がらせがされているかどうか確認する日だ。

「ちょっと俺、職員室に用があるから先に行くわ」

「何だ司、最近多いな。また委員長と二人で登校だよ……」

溜息をつきながらやれやれというポーズをする晃。

言われてみれば確かにここ一週間、晃と一緒に登校する日は必ず俺が先に行っている。

まあローテーションの関係、つまり俺と真実が交互に先に行っているから固定になるのは当然なのだが。

「何かな、小坂君は私と一緒だと嫌なのかな?」

「いやぁ……流石に毎回歩きながら説教されるのは――」

晃の鳩尾辺りに強烈な蹴りが炸裂する。思わずうずくまり悲鳴をあげている晃を真実は笑顔で見下ろしていた。

「何か言った?」

「……ぐふっ」

「……委員長ってこんな仕事だったっけ?」

「はいはい、司君はさっさと行く!」

「うぃーす。無事でいろよ、晃」

「…………」

物言わずうずくまっている晃を一瞥して、俺は通学路を走る。

晃に言われて改めて気付いたが、真実と晃は端から見ると二人きりで登校するカップルのように見えたのかもしれない。

「……ちっ、晃め」

そして何となく晃にムカつく自分はかなり器の小さい人間なのかもしれない。




昼休み。

真実は委員会の仕事があるらしいので、晃と二人で飯を食う。やっぱり晴れた日は屋上、ということで隅のベンチに座って青空を眺めていた。

「何か二人だと、やっぱ物足りないぜ……」

「晃が物思いに耽っている……うん、キモいな」

「うるせぇな。司だって中条がいなくて寂しいだろうが」

「……まあな」

雲一つ無い青空を眺めながら晃に同調する。確かにこの一、二週間は何処か物足りなさを感じた。

勿論晃や、そして真実との時間も大切だが、やはり中条も欠けてはいけない俺の大切な仲間なんだ。

「まあ中条は今日退院だろ?放課後行って今まで分散々いじってやろうぜ」

「……返り討ちにあうのが関の山だけどな」

うへへと変態な笑みを浮かべる変態と少し距離を置く。うん、今日も弥生の弁当は美味いな。

「それより、ですよ!そろそろ話してくれてもいいんじゃない?司くぅん」

「な、なんだよ……」

晃の言葉につい緊張してしまう。まさか嫌がらせのことか……いや、ばれるはずが――

「惚けやがって、司と委員長のことに決まってんだろうが!」

「……そっちかよ」

ほっとする俺などお構いなしに晃はまくし立てる。

「なんだなんだ!?最近一緒に登校するようになったらお互いに名前で呼んでるしよぉ!」

「いや、それには訳があってな……つーか何でそんなに悔しそうなんだよ」

「くっそこのリア充が!俺たち親友じゃなかったのかよぉぉお!」

目に涙を浮かべながら擦り寄って来る変態ほど気持ち悪いものはない。とりあえず近寄られた分だけ距離を取ることにする。

「リア充って……その気になれば晃なら、彼女くらいすぐに出来るだろうが」

「三次元には嘘しかないっ!!」

根っからのダメ人間ぶりを露呈する台詞を瞬時に言えるのはある意味称賛に値すると思う。

付き合っていると時間がいくらあっても足りないので無視するが。

「例えば……そうだ、この前告白してきたえっと……あのポニーテールの子……」

「……ああ、大内(おおうち)さん?」

「そうそう!彼女なんてどうだ?如何にも可愛らしい――」

「駄目だ。金髪ではないし巨乳でもない」

どっかの不思議な冒険に出て来そうなポーズをしながら、ビシッと言い放つ晃は本当にただの変態なんだなと確信した。

一応色々な意味で可哀相なので突っ込んではおく。

「……それなんてエロゲ?」

「とにかくっ!大内さんはない!それより問題は君だよ司くぅん!」

変態にガシッと肩を組まれてしまった。マズイ、近距離過ぎて吐き気すらするぞ……。

「近寄らないでくれますか」

「君と委員長が仲が良いのはよーく分かった!」

全く聞いていないよこの変態。

「でもな、うかうかしてると誰かに取られちまうぞ」

「……別に俺には――」

「関係なくないだろ?俺と委員長が二人きりで登校してるの、気にしてる癖にさ」

あまりの驚きで言葉が出ずに晃を見る。晃はやっぱりかという表情をしながら少し笑っていた。

「いや、司は分かりやすいからさ。今日とか、思いっ切り顔に出てたし」

「そ、そうか……」

まさか顔に出ていたとは思わなかった。ってことはもしかしたら真実も気付いていたのだろうか。そう思うと今朝以上に顔が赤くなるのが分かった。

「ま、別に強制はしないけどよ。決めるなら早くした方が良いぜ?中条も帰ってくることだしよ」

「ん?何でそこで中条が出て来るんだよ」

「……はぁ、この朴念仁が」

何故か晃は溜息をつきながら俺の肩をポンポンと叩く。

……何だこの良く分からない敗北感は。

「まあ司の好きにすれば良いけどよ、あんまり待たせるなよな」

「待たせるって――」

「さ、飯だ飯!早く食わねぇと昼休み終わっちまう!」

「お、おう」

どうやら自分で気が付けということらしい。

もしかしたら顔だけではなく、こういう俺が気付けない箇所に敏感になれるから晃はモテるのかもしれない。




晃君は爽やかに隣の男子に話しかける。

……忌ま忌ましい。あの男子が羨ましくて仕方ない。

男子に嫉妬するなんておかしいと言われるかもしれないが、人の感情を勝手に"常識"という名のただの多数派意見でカテゴライズしないで欲しい。

相手が誰であろうと自分以外の人間に好意や笑顔を向けて欲しくない。それが恋をしている人間が抱く、ごく当たり前の感情なのではないか。

少なくとも私はそうだ。それ程に私の小坂晃君への気持ちは強い。

「晃君を一番好きなのは私なのに……」

何度も何度も告白した。それでも晃君は応えてくれなかった。

晃君はこの高校に入ってから色んな人から告白されているけれど、それらを一度も受け入れたことはない。

……何故なのか。私には全く分からなかった。けれど――


『きっと小坂君は、藤塚君と中条さんと一緒にいたいのよ……大内さんよりもね』


「……っ」

悔しいけれど事実だと思った。

他人に言われて初めて気が付いた私も私だけど、確かに晃君はあの二人、藤塚司と中条雪と一緒にいる時が一番楽しそう。

ずっと晃君を見てきた私だからこそ、すぐに分かった。つまり晃君にとって私、大内翠(おおうちみどり)は少なくともあの二人より重要ではないのだ。

「……忌ま忌ましい」

本当に忌ま忌ましい。一番晃君のことを考えているのは、想っているのは他でもないこの私なんだ。

なのに……なのにあの二人の存在がそれを邪魔する。そして更なる裏切り者までが私の心を今、掻き乱している。

「次は……あの女……」

中条雪の時は予想外に上手くいった。

……若干やり過ぎてしまったかもしれない。いや、今更もう遅い。私は後戻りなんか出来ないんだから。

藤塚とかいう男子は最後でいい。今はすぐに始末しなければならない奴がいる。

「……許さない」

散々私の味方を気取っておいて、結局晃君を盗ろうするメス豚。

「待っててね、晃君……」

誰も近付かせはしない。私は私のやり方で、晃君を守ってみせる。それが今の私の存在理由のように思われた。




放課後、いつものように教室で真実と嫌がらせに対する会議を開く。

「じゃあ、今日は何もなかったのね……嫌な予感がするわ」

「確かにな。中条の自転車の部品が壊されていた時も、朝は何もなかったし」

「中条さんの所にはこれから行くけど、一応連絡しておいたら?」

「ああ、そうするよ」

晃は部活なので終わるまで教室で待つことにしている。

中条は夕方といっても色々と退院の準備で時間が掛かっているらしく、晃の部活が終わってからでも十分間に合うようだ。

「……よし、中条にはメールしといた」

「そう……じゃあ、小坂君のとこに行きましょうか。そろそろ終わっているかもしれないし」

「おう……それなんだ?」

真実は可愛らしいピンクのリボンが付いた小袋を持っていた。中には同じく可愛らしい形をした、様々な種類のクッキーが入っている。

「ああ、いつも司君に虐められてる小坂君に見舞いと思って」

「虐めてるのは俺じゃなくて――」

「何か言った?」

笑顔で俺に詰め寄って来る真実。

こないだと同じ甘い匂いがしたが、それよりも笑顔だけれど決して笑っていない方が気になって仕方ない。というか恐い。

「……いや、何も」

「うん、よろしい」

今度は満面の笑みではにかむ真実を見ていると、女性という生き物の恐さが少し分かった気がした。

「…………」

そして同時に自分にはクッキーがないというしょうもない理由で、晃を羨ましく思う自分の小ささにも気付いた。

……自分で思うよりも俺は女々しいのかもしれない。

晃の様子を見に行くと、ちょうど練習が終わったところらしく、邪魔にならないよう正門近くで待つことにした。

「クッキーの感想が楽しみだわ」

「あいつは何食べても基本的には『美味いっ!』って言うぞ」

正門に向かうため、中庭を歩きながら真実と話す。夕焼けが校舎を真っ赤に染めていて中庭も薄く赤に染まっていた。

「だから、小坂君に渡したのよ」

「ん?」

「毒味よ、毒味。普段使わない色々な調味料を入れてみたの。……ちょい足しってやつかしら」

真実は意地悪そうににやりと笑う。何か中条に似てきたなと思いつつ、その毒味クッキーを満面の笑みで受けとった晃に心の中で合掌する。

……うん、クッキー貰わなくて良かったな。

「何でそんなことを……」

「この前テレビでやってたのよ、ちょい足しは以外とイケるって。でも自分じゃ試す気にならないし――」

「こんにちは」

ふと呼び止められて、振り返るとポニーテールの少女が立っていた。

顔は少し強張っており、両手を後ろに組んでいる。夕日がちょうど彼女を染めていて、日陰にいる俺たちからみるとポニーテールは真っ赤に染まっていた。

何処かで見たことがある気がする。確か……。

「どうしたの、大内さん。何か用かしら?」

真実の言葉で記憶が蘇る。そうだ、確かこの前晃に告白した女の子だ。今日の昼休みも、たまたま彼女の話題を出した気がする。

「……真実の知り合い?」

「そうよ。1組の委員長だからよく委員長同士の集まりで会うの」

「…………辻本さん、ちょっと来てくれないかな」

「ええ。司君、ちょっと待っててね」

夕焼けに染まる中庭に大内さんの声が通る。呼びかけられた真実は"無警戒"に彼女の元へ歩いていく。

……無警戒?何を言っているんだ俺は。何故警戒する必要があるんだ。真実の知り合いなんだろ。何も警戒する必要なんて――

「……っ」

何だろう、この胸騒ぎは。真実を見る彼女の目は一切の光を宿しておらず、夕日に染められたポニーテールはまるで血のように真っ赤だ。

そして何より異質なのはさっきまで組んでいた右手に握られている、鈍く輝いて――

「ま、真実っ!!」

「……くんは、誰にも渡さない」

「えっ……」

叫んだがもう遅かった。大内さんは真実の腹部に深々とナイフを突き立てる。

刺された真実は傷口を抑え、そのまま地べたに倒れ込んでしまった。辺りに真実の真っ赤な血が広がり、草や地面に染み込んでいく。

「真実!大丈夫か!おいっ!?」

「う……あ……」

真実を抱き寄せるが、傷口を抑えるのがやっとで見る見る内に刺された腹部から血が出ていくばかりだ。

「まだ生きてる」

「止めろっ!!」

また真実を刺そうとする大内さんを咄嗟に組み伏せる。早くしなければ出血多量で真実が……!

「何でこんなことっ!」

「離せっ!お前も殺してやるっ!晃君は……晃君は渡さないっ!!」

女子とは思えない力で抵抗する大内さんを、何とか抑える。

やはり晃をまだ諦めていないのか。だが何故真実が指されなければならない。何故俺まで殺そうとする――

「あの銀髪と同じ目に遭わせてやるっ!」

「なっ!?」

いきなり力の緩急を付けられて突き飛ばされる。しまったと思った時には既に大内さんはナイフを構えていた。

……"あの銀髪"?まさか……まさか、中条を……中条をあんな目に遭わせたのは――

「ふふ、あはは……何を驚いた顔してるの、藤塚司君、だっけ」

「くっ……!お前が、お前が中条の自転車に細工したのかよ!?」

目の前にナイフを突き付けられ、立ち上がることも出来ない。こうしている間にも真実は命は消えてしまうかもしれないのに……!

「ふふ、よく気が付いたじゃない!そうよ!私よ!嬉しい?お友達の敵が見つかって」

「ふざけるなっ!何でこんなことしやがった!中条を……真実をどうして刺した!」

「……邪魔なのよ、あんた達。あんた達がつるんでるせいでいつまで経っても晃君は……晃君は!」

大内さんは震えながら俺たちを睨みつける。

単なる恋愛感情を越えた、狂気とも取れる得体の知れぬ感情が彼女を支配しているようだった。

自分の身体が震えるのを感じる。べったりと血に濡れたナイフと狂気を突き付けられれば誰だって恐怖してしまうだろう。

「……ふざけんなよ」

「……何よ!?」

……それでも、俺は負けるわけにはいかない。ついに見つけた、中条をあんな目に遭わせた犯人。真実を助ける為にも恐怖なんかに負けている暇はないんだ。

「ふざけんなって言ってんだよ!そんなに晃のことが好きなら、諦めてんじゃねぇよ!」

「私は諦めてなんてないっ!!」

「いいや、諦めてるね!中条や真実に勝てるわけないって思ってるから、だから殺そうとしたんだろうが!」

「っ!!……ち、違う……私は……私は……!」

大内さんはナイフを構えたまま何かをぶつぶつと呟いている。

このままじゃ、後ろにいる真実の命が危ない。かといってここでいきなり動けば間違いなく大内さんに指される。どうすれば――

「司っ!?おい、司!大丈夫か!?」

「あっ……」

「晃!そうか、部活終わったのか!」

九死に一生だった。晃が部活を終えて駆け足で中庭を走ってくる。

「お、大内さん……い、委員長!?おい、どうしたんだよ司!」

晃は血だらけの真実を見て愕然としながら俺に駆け寄る。

そして大内さんが握っているナイフを見た。目線に気付いたのか、それとも狂気が弱まったのか分からないが、大内さんはナイフを落とした。

俺はすぐに後退し真実に近付く。息はしているが依然危険な状態であることに変わりはない。

すぐに携帯を開き、病院にかける。一方で晃はゆっくりと大内さんを見つめた。大内さんは相変わらず何処か虚ろな目をしている。

「……大内さんがやったのか!?」

「わ、私……その……私は……!」

大内さんは晃の怒鳴り声に思わず後ずさる。目には涙を溜め、首を小さく横に振っていた。

「何でこんなこと……!」

「っ!!」

晃の悲痛な叫びに耐えられなくなったのか、大内さんはその場を逃げ出す。

「ちょ、待て!司、わりぃ!俺あいつ追い掛ける!すぐに捕まえて先生呼んでくるから!」

「分かった!こっちも緊急だ急いでくれ!」

晃はすぐに校舎に消えていった大内さんを追い掛けた。晃の足ならすぐに捕まえられるはずだし、先生もすぐに来るに違いない。

とにかく今は真実の側に居てやらないと……!

「あっ、もしもし!」

長いコール音が終わりやっと病院に繋がる。すぐに状況を伝えると今すぐ向かうと言われ電話を切られた。

しかし目の前の真実は今にも息絶えてしまいそうにしている。果たして救急車が来るまで持ち堪えることが出来るのだろうか。

「すぐに救急車来るから!頑張れ真実っ!絶対に死ぬな!」

「はぁ……はぁ……」

傷口をハンカチで抑え、簡単な止血を行う。完全な止血は無理だが未使用なハンカチだし、無いよりはマシだ。

「真実……頑張れっ……!!」

地面に広がっている真っ赤な血が今の状況を嫌でも俺にありありと物語ってくる。それでも俺は必死に真実に呼びかけ続けた。

しばらくして人が集まって来る気配がする。晃が呼んでくれたのか、それとも誰かが中庭の異常事態に気が付いてくれたのか。

いずれにせよ、後は時間との戦いであった。

「死ぬな……真実っ!!」







「退院おめでとうございます!」

「こちらこそありがとうございました。さ、行くわよ雪」

「……うん」

携帯を開く。

これで何度目だろうか。電話をする。画面には"藤塚司"と表示されている。

何度かコール音がした後に、さっきからずっと聞いているアナウンスがまた流れてきた。

『ただいま電話に出られません。ご用の方は――』

「司……」

「ほら、雪!早く行くわよ!」

母親に急かされて車に乗る。すれ違いで救急車が病院に入って行った。急患なのかもしれない。

……司は来てくれなかった。もしかしたら何か急用が出来たのかもしれない。でも連絡くらい、してくれても良いのに。

約束、したのに――

「……司、何処にいるの」

車の窓ガラス越しに呟いても誰も答えてはくれない。ただあたしの中には疑念が渦巻くばかりだった。

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