第7話 11月18日

~ある犯人のプロローグ・3~

いくつもの偶然が重なり、この状況を作り出した。

ただの偶然か、はたまた天が味方をしているのか。

いずれにしろ、今を逃す手はないと思う。こんな機会、二度と来ないに違いなかった。










「……ん?」

日曜日。それは誰にも平等に訪れる休息の日だ。

だからこそ俺は惰眠を貪ろうと意気込んで、昨夜ベッドに潜り込んだのだが――

「すぅ……」

「……おいおい」

何故か隣には我が最愛の妹がすやすやと寝息を立てて寝ているのだった。

やはり弥生は可愛い……じゃなくて何でこんな状況になってるんだよ。

いやでも弥生は可愛いしな、って話を逸らすんじゃねぇよ、と一人問答をしていると弥生が目を覚ました。

「ふわぁ……」

「……おはよう、弥生」

「あ、おはようお兄ちゃん」

まだ眠たげに瞼を擦りながら穏やかな笑みをこちらに向ける弥生。

弥生はやっぱり可愛いなぁ。

……ちなみに決して俺はシスコンではない。断じて、ない。

「……何かあったか?」

俺の質問に弥生は少し困った顔をする。

まあ、俺のベットに来た時点で大体は察しているのだが、自分で自覚しなければいつまでも治らないこともあるものだ。

「うん……。また……あの夢……見た…から……」

「そっか。よく言えたな、弥生」

震えながら言い切った弥生を優しく抱きしめる。弥生は無言で俺をギュッと抱きしめていた。

そんな弥生を見ながら俺は思う。

いつからだろうか、弥生が時々"異常"に俺を必要とするようになったのは。

元々仲が悪かったわけではないが、この状況は少なからず普通ではない。

まあ、思い返した所で理由は一つしか思いつかないのだが。

「……落ち着いたか?」

「うん。もう大丈夫。ありがとお兄ちゃん」

「よし、じゃあ俺はもう一眠り――」

「さ、せっかくの休日なんだから起きようねお兄ちゃん!」

弥生の明るい声と同時に俺が愛用している水色のタオルケットが無情にも奪い取られてしまう。可愛い顔して何たる悪行だ。

「休日だからこそ寝たいんだがな……」

「はい!お兄ちゃんも洗濯手伝って!」

「はーい……」

笑顔で手伝いを要求してくる弥生に仕方なく従い、俺は早朝から洗濯に励むのであった。




あれはまだ東京にいた時のことだったか、特に面白いこともなく惰性で毎日を過ごしていた。

少なくとも今のような充実した毎日は過ごせていなかったと思う。そして俺自身もそんな変わらない毎日を受け入れていた。

その時は変わらないことは平和な証だと思っていたし、今だって東京での日常が最悪だったなんて思ってはいない。

だから俺は、いつまでもこんな日常が続くんだろうな、なんて呑気に思っていたんだ。




「やっと終わった……」

「ご苦労様。今お昼作っちゃうね」

「おう……」

ソファーに倒れ込む俺を尻目に、弥生は台所に向かっていた。

家は両親が共働きの為、俺たち二人だけの時は弥生が家事をしている。

俺も力仕事は出来るが料理はからっきしなので弥生に任せてしまっている。

「適当にあるもので作っちゃうよ!」

「うぃっす……」

薄い桜色をしたエプロンを着けてせっせと料理をし始める弥生の姿は、中々様になっていた。

流石半年で6人に告白されることはあるなと、謎に感心してしまう。

「ふわぁ……」

本当によく立ち直ったものだ。

あの事件があってから、弥生はしばらく外は勿論のこと、自分の部屋からすら出られなくなっていたのに。

親父が転属の命を受けて引っ越してきたおかげでもあるが、一番は弥生の精神力か。

弥生は華奢だが打たれ強い。まだ一年も経っていないのにもう無かったことのように振る舞っているし、電車にもちゃんと一人で乗れる。

「お兄ちゃん!生姜入れちゃうよ!」

「はーい」

だからこそ心配でならない。今の生活を保つ為、弥生も無理をして気丈に振る舞っているのではないのか、と。

「もうすぐ出来るからコップとか運んで!」

「りょーかい」

ソファーから立ち上がり台所へ向かう。幸い無理をしているような様子は今の弥生からは微塵も感じられない。

白い山の中に所々、稜線のように緑や赤が走っている素麺、いや冷や麦を運びながら俺はあの時のことを思い返していた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「あ……お兄ちゃん……」

「弥生っ!大丈夫か弥生っ!」

たまたま当時通っていた学校が創立記念日で休みだったのが運が良かった。

いつもの時間に起きてしまい、もう一眠りしようとしていると、突然家の電話が鳴ったのだ。

訝しながら出てみると最寄りからは少し離れた駅からで弥生が痴漢に遭ったという話だった。

訳が分からず、とにかく弥生が心配で一目散に現場の駅に駆け付け、駅員室に通されると顔を真っ青にして弥生が震えながら座っていた。

「……うん、大丈夫。わざわざありがとね」

「大丈夫なわけねぇだろ!?」

すぐに壊れそうな作り笑いをして弥生は気丈に振る舞おうとしていたが、身体は小刻みに震えていた。

「大丈夫。犯人はもう捕まったみたいだし……大丈夫。大丈夫だよ」

「弥生……」

「学校にはお休みするって連絡済みだからもう帰ろう、お兄ちゃん。」

弥生は精一杯の笑顔でそう答えた。そんな弥生に、俺は頷きタクシーで一緒に家まで帰った。そして玄関に入った瞬間――

「……もう、我慢しなくていいぞ」

「……う……ん……」

弥生は俺に抱き着いて、震えながら泣いた。

声にならない叫びが俺にも伝わってやり切れない気持ちになった。

本当は弥生だってその場で泣きたかっただろうに、一度泣いてしまったらしばらくはどうしようもなくなってしまうから。

だから弥生は必死に我慢したのだ。身体を震わせながらただ泣き続ける弥生を、俺は抱きしめることしか出来なかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「この芸人も消えちゃうのかな」

食後の昼下がり。

俺はリビングで弥生とテレビを見る。弥生は一生懸命にワイルドさを伝える芸人に無慈悲な一言を呟く。

「おいおい、それは言っちゃいけないんだぜぇ?」

「…………」

「痛っ!?無言でつねるな!」

「無言でつねっちゃうんだぜぇ、ワイルドだろう?」

「…………」

「いたぁ!?ちょっと急にデコピンしないでよお兄ちゃん!」

「あ、暴れるな!テレビが見えん!」

あの事件から弥生は確かに立ち直ったのかもしれない。

でも確かに深い傷痕を残したのは事実だ。でなければ今俺の膝の上に弥生が乗っかったりはしていないのだから。

「うがぁ!」

「俺が悪かった!だから落ち着け!」

しばらくまともに男と話せなかった弥生の為に、毎日部屋の扉越しに話し掛けたりした。

最初はふさぎ込んでいた弥生も、環境の変化も重なって何とかまともに会話することが出来るようになった。

「……じゃあ、いつものお願い」

「……弥生、そろそろ止めないと――」

「お兄ちゃん……」

泣きそうな顔で俺を見つめる弥生。

それはまるであの時の表情のようで、俺には無視することなんで出来やしない。

俺が干渉し過ぎたからか。立ち直りはしたものの、弥生はたまに俺を異常に求めてしまう。

ベットに入って来たり膝の上に座ったり。そして――

「……目、つむれ」

「うん……」

目をつむった弥生にそっと口づけをする。

それに応えるように弥生は俺を軽く抱きしめる。向かい合ってキスをする兄妹。

これが……これがあの事件が引き起こした異常な日常だ。果たして弥生は本当に立ち直ったのだろうか。

俺には、弥生があの事件を忘れられないからこそ、俺に依存してしまっているようにしか思えない。

だからこそ、俺が弥生を拒んだりしたら……そう考えると、どうしても断れないのだった。

「お兄ちゃん……もう一回……」

「やよ……んっ」

いつか弥生は立ち直ることが出来るのだろうか。




夜も更け、ようやく一日が終わる。わたしはベットに腰掛けながら窓の外を覗く。

そこには真っ暗な闇が広がっていた。

「……お兄ちゃん」

昔からだった。不安なことがあったりすると無意識にそう言ってしまう。

それを聞いたお兄ちゃんは、必ずわたしを助けてくれた。あの時だってそうだ。

お兄ちゃんはわたしの為にわざわざ駅まで来てくれた。その後ふさぎ込んでしまったわたしに、毎回話し掛けてくれた。

今、わたしがこうやって生活出来るのはお兄ちゃんのおかげなんだ。

「…………」

だから、不安で仕方ない。

お兄ちゃんと離れてしまうのが不安で仕方ないんだ。

まだわたしはあの事件を完全には忘れられずにいる。いけないと思っても、お兄ちゃんを頼ってしまう。

……依存してしまう。でも、もしお兄ちゃんに……お兄ちゃんに恋人が出来たら……。

「わたしを……見てくれるのかな……」

きっと見てくれないに違いない。そうしたらわたしはどうなってしまうのだろう。

わたしは……あの悪夢に耐えられるのだろうか。

「……自分のこと、ばっかり」

呟きながら自覚する。わたしは本当に自分勝手なんだ。

お兄ちゃんに恋人が出来ることは、妹のわたしからしたら喜ばしいことのはずなのに。

「……考えるのは、止めよう」

……たまにこうなってしまう。お兄ちゃんに甘えていると考えちゃいけないことを考えてしまう。頭がぐるぐるするのだ。

「……お兄ちゃんと話してから寝よう」

こういう時はお兄ちゃんと少し話せばすぐに落ち着く。思い立ったわたしは部屋を出てお兄ちゃんの部屋へ向かう。

扉が少し開いていて中からお兄ちゃんの声が聞こえてきた。覗いて見ると電話で誰かと話しているようだった。

「あー、なるほど。でも辻本さんの言う通りかもな……」

「……っ」

楽しそうに話すお兄ちゃんを見ていたら、何故か切なくなってその場を離れてしまった。

部屋に戻り、ベットに飛び込む。

「……辻本……さん」

何だろう。頭がぐるぐるする。あんな楽しそうに話すお兄ちゃん、久しぶりに見た。

――頭がぐるぐるぐるぐるする。

わたしには絶対にしない、あんな笑顔を。

――ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

もう寝よう。大丈夫、今夜はぐっすり眠れるはずだから。


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