第6話 11月17日

~ある犯人のプロローグ・2~

計画は綿密に練らなければならない。

途中で頓挫してしまっては意味がないし、アイツを苦しませることが出来なくては成功とはいえない。

まずは孤立させよう。少しずつ侵食していき、恐怖を与える。

そう、まるでばれないよう食卓に毎日毒を盛るように。












「ふわぁ……」

腕時計を見るとちょうど正午を指していた。約束の時間だ。

桜山市はどちらかといえば田舎で、待ち合わせ場所といえば駅前の時計塔の下くらいしかない。

休日ということもあり、時計塔の下は結構な人がいる。

「藤塚君っ!」

「あ……」

「ゴメン、待ったかしら?」

「……い、いや!待ってないよ」

女の子の私服は意外とドキドキしてしまうものだ。しかも相手が学校の中でもかなり美人な女の子であれば尚更だと思う。

肩までかかる黒髪に白いワンピース、目の前の辻本さんは形容し難い程輝いて見えた。

「ん?何か藤塚君、顔赤いわよ」

「えっ!?ま、まあ今日は暑いからさ!あはは……」

「……まあ良いわ。さっ、行きましょ。ここじゃ落ち着かないし」

自然に俺の手を引いて歩き出す辻本さん。

思わずドキッとする俺に構わず進んでいくのは彼女らしいが、少しは俺のことも考えて欲しいものだ。

というか、そもそも今日これから何処に行くのか、俺は全く知らなかったりする。

昨日中条の見舞いに行った後、辻本さんに急に誘われて集合場所と時間だけメールで指定されたのだ。

「そういえば何処に行くんだよ」

「それは着いてからのお楽しみ!」

「はぁ……」

どうやら事前に目的地を教えてくれそうにはない。

俺は溜息をつきながらも、目の前のはしゃいでいる辻本さんを見ながら、まあいいかとか思ってしまうのだった。




桜山市に唯一あるショッピングモール。

この周辺はただでさえ田舎で何もない地域だ。休日ともなれば買い物客でごった返している。

「後は……シャンプーだけね」

「まだ買うのか……」

そんな人の波の中に俺たちはいた。そして俺の両手は溢れんばかりの生活用品が詰まった袋で塞がれている。

……ああ、どう考えても荷物持ちですよ。本当にありがとうございました。まさかこれだけの為に呼ばれたんじゃないだろうな。

「うーん……このシャンプーはちょっと高いわね」

そんな俺を尻目に辻本さんは熱心にシャンプーを選んでいる。

まあどうせ暇だったし荷物を持つだけで一日美少女と一緒に過ごせると考えれば易いものなのかもしれない。

「やっぱりこれにしよっ」

「じゃあレジに――」

「あ、まだ冷凍食品と歯ブラシと、それから――」

「……ガッデム!!」

易いもの……なのか……?




「うん、大体目当ての物は買えたわ」

「さいですか……」

買い物を一通り終えて、公園で一休みする俺と辻本さん。空は快晴で家族連れやカップルで賑わっていた。

「やっぱり男手があると違うわね」

「お役に立てて光栄ですよ、お姫様……」

「まあまあ、そんなにいじけない!さ、用意するから手伝って!」

辻本さんは鞄からビニールシートを取り出して芝生に敷きはじめた。よく分からないが俺も彼女に倣い、手伝いをする。

買った荷物や靴を四隅に置けばあっという間に即席のピクニックの完成だ。

「よし、いい感じね」

「あはは、何か幼稚園を思い出すな」

「さ、今日付き合ってくれた藤塚君にご褒美よ」

「お、おおっ!!」

目の前に並べられたのはサンドイッチや唐揚げ、卵焼きなどの定番メニューがぎっしり詰まったお弁当箱だった。そして――

「こ、これはっ!?ま、まさか"手作り"お弁当でしか見られないという伝説の――」

「タ、タコさんウィンナーがどうかした?」

「それだっ!!どうかしている!!」

ズビシと辻本さんを指差して俺は立ち上がる。

なんということだ。まだこの荒んだ現代にタコさんウィンナーを作ることの出来る女子高生がいたとは……。

「辻本真実、おそるべし……」

「えっ……」

「あ、別に今のはノリだから気にしなくて良いよ」

「……今、真実(マミ)って」

辻本さんは少し恥ずかしそうにしながら俺を見つめる。思わず引き込まれそうになるが、何とか自分を保つ。

そういえば今、つい名前で呼んでしまった。ノリとはいえ、名前で呼ばれるのを嫌がる女の子も結構いると思う。ここはちゃんと謝らないとな。

「……ああ。ゴメンな、つい呼んじまったけど嫌なら――」

「ち、違うの!……えっと、急に呼ばれたからビックリしただけで別に嫌じゃなくて……」

顔を真っ赤にしながら突然話し始める辻本さん。どうやら嫌われてはないようだ。でも、何でそんなに焦っているんだろうか。

「む、むしろねっ!もうそろそろ名前でも良いんじゃないかな、なんて思ったりしてねっ!?」

「あ、ああ……。まあ辻本さんが良いなら俺は構わないけど」

相変わらず顔を真っ赤にしている辻本さん。何だか手元のタコさんウィンナーと似ている気がする。

「じゃあ……私も呼んでいい?」

「えっ?」

「わ、私も……名前で呼んでいい?」

今にも茹でダコになりそうな顔色をしながら辻本さんは俺に言ってきた。

別に名前でも名字でも変わらない気もするが、辻本さんとは結構仲も良いし一向に構わないと思った。

「ああ、中条も晃も"司"って呼んでるから別に構わないけど」

「わ、分かったわ……つ、つ、つ、つ、司……君」

まるで何かの鳴き声のように噛みまくる辻本さんに思わず吹き出してしまう。そうするといつものように辻本さんが怒りながら言い訳をするのだった。




夕暮れの帰り道。結局公園でかなりの時間を過ごした俺たちは、買った荷物を届ける為に辻本……じゃなくて真実の家に向かっていた。

「いやぁ、真実はすぐにテンパるよな。見た目とは大違いだよ」

「な、何よ。人のこと、散々馬鹿にした癖に!」

「あはは。わりぃわりぃ」

自分から呼んでほしいと言ってきた癖に、しばらく"真実"と呼ばれる度に顔を真っ赤にして震え出すのだから、からかいたくもなる。

むしろ俺を"司君"と呼ぶのに果たして何回"つ"を繰り返したのだろうか。

「もう知らないっ!」

「まあまあ、そんな怒るなって」

そんなやり取りを繰り返す内にいつの間にか真実の家に着いていた。

彼女の家はオートロック型のマンションでいかにも高級そうな佇まいをしていた。

「お邪魔します」

「どうぞ。荷物はリビングにお願いね。ちょっと洗濯物取り込んでくるわ」

「了解。よいしょっと……」

はち切れんばかりの袋を持ち上げて真っ直ぐ廊下を進んでいくとすぐにリビングに着いた。

開放感溢れるリビングの向こうにはソファーとテレビがあり、窓からは夕焼けがカーテンをすり抜けて差し込んでいた。

とりあえずリビングにある大きな机に荷物を置く。

「……ん?」

最後の荷物を机に置く時、不意に写真立てが視界に入る。

木製のこじんまりとした作りの中には一枚の写真が入っていた。そこには仲良く写っている男女の姿があった。

「真実……か」

今よりも幼いが女の子の方は真実だということがすぐに分かった。隣には真実の頭を撫でながら穏やかに笑っている男性がいる。多分この人は――

「わざわざ悪かったわね。でもおかげで助かったわ」

洗濯物を片手に持ちながら真実がリビングに入って来る。俺を見た後、すぐに目線は写真立ての方へ向いていた。

「あ、勝手に見てゴメン。この人、真実の兄貴だよな。随分仲良さそうだ」

「……うん。良く分かったわね、兄だって」

真実は俺の横を通り、写真立てを伏せた。表情は影になっていてよく分からない。

「まあ俺も兄貴だし、何となく分かるんだよ」

「……そっか。司君も、妹さんと仲良いものね。弥生ちゃん、だっけ」

冷蔵庫から麦茶を出しながら淡々と真実は話す。何だろう、先ほどまでと空気が違う気がする。

「あ、ああ……。良く知ってたな、妹の名前」

俺の質問に真実はクスッと笑う。そして俺に麦茶の入ったコップを差し出しながら――

「……勿論。忘れるわけないわ」

笑顔で答えた。

俺はコップを受け取ったまま棒立ちしていた。何だろう、彼女から伝わって来るこの感情は。

寒気がする。いつの間にか汗をかいていることに気付いた。もう11月なのに何で汗なんかかいているんだ、俺は。

「…………あんなに可愛い一年生、学校で知らない人の方が少ないわよ」

「……ああ、そういうことか」

「何よ、良いから座ったら」

一気に力が抜けて椅子に座り込む。冷たい麦茶が喉に染みた。何を恐れているんだろうか、俺は。

真実の言ったことは当たり前で、弥生が学内で有名人であることも俺は知っているじゃないか。変に考えてしまうのは俺の悪い癖だ。


だって……真実が知ってるわけないのだから。


「……家族、仲良いんだな」

「そうね。今はこっちで一人暮らしをしてるから家族にはあまり会えないけど」

「ふーん……って一人暮らし!?このマンションでか!?」

俺は思わず立ち上がり辺りを見回す。どう考えても一人では広すぎるリビングだ。だが真実はきょとんとしている。

「な、何でそんなに取り乱してるのよ。普通でしょ?」

さも当然のように答える真実はやはりどこかおかしいに違いなかった。主に金銭感覚が。




しばらくたわいのない話をした後、真実の薦めもあって中条の見舞いに行くことにした。

真実は用事があるらしく、今から晃を誘うのも気が引けるので一人で行くことにする。

「じゃ、お邪魔しました」

「ううん、今日はありがとう。本当に助かったわ。一人だと何かと入り用なのよ」

あの大荷物も今思えば一人暮らしだからこその量だった。妙に納得しながら靴紐を結び立ち上がると、いきなり真実に背中から抱き着かれた。

「うおっ!?」

「…………」

動揺しまくる俺とは対照的に真実は黙って俺をただ抱きしめている。背中越しでも分かるほど甘い香りがしていた。

「ま、真実……さん……?」

「……はい、おしまい!」

「わっ!?」

急に弾き飛ばされてドアまで行ってしまう。振り向くと真実は顔を真っ赤にしていた。

「今日の……お礼よ。お、お礼なんだからねっ!?勘違いしないことっ!」

いきなりまくし立てる真実を見て、一つの言葉が自然と頭に浮かぶ。でも言ったらきっと彼女はまた真っ赤になって怒るに違いない。

「……な、何よ」

「真実って……典型的なツンデレだな」

まあ、言ってしまったが。そして当然のごとく顔を今以上に真っ赤にした真実に部屋を追い出されながら、病院に向かうのだった。

完全に毎回のパターンになっている気がするのは、気のせいではないと思う。




「おう、元気そうで何よりだな」

「つ、司っ!?来るなら来るでちゃんと言ってからにしてよ!」

病院に着いたのは面会終了時間の30分程前だった。どうやらここの病院は休日の面会時間が短いようだ。

急いで中条の病室を訪ねるとパジャマ姿の中条はいきなり髪を整え始めたのだった。

「別にボサボサでも俺は構わないけど」

「あたしが構うの!もう……司の馬鹿!」

「す、すいません……」

よく分からないが怒られたので謝っておく。そのままベッドの横にある椅子に座って中条を眺める。

どうやらだいぶ良くなっているようだ。とりあえず、一安心だな。

「……来てくれて、ありがと」

「気にすんな。言ったろ、出来る限り来るってさ」

「う、うん。でも嬉しいよ……」

俯いて顔を赤らめる中条はいつもの意地悪な彼女と違ってとても女の子らしかった。

……いかん、何を考えてるんだ俺は。さっき真実に抱き着かれて変になったのかもしれない。

「で、どうなんだ体調は?もうすぐ退院出来るのか」

「うん。先生が言うには早ければ来週中に退院出来るって」

「お、良かったな。弥生も喜ぶよ、きっと」

中条とじっくり話したのは久しぶりな気がする。

相談を受けたあの夜から、まだ3、4日しか経っていないのだが、感覚的にはもう随分前のことに思えた。

話は主に中条の病院生活についてで、食事がまずいとか隣がうるさいなど基本的には中条の愚痴だったが、それでも十分楽しいひと時と過ごした。

「おっ、もう時間みたいだな」

「……うん」

「そんなしょんぼりすんな。また来るし――」

立ち上がろうとした瞬間、中条に抱きしめられる。真実といい、中条といい、女の子の間では今抱きしめが流行っているのだろうか。

……まあ中条の場合は、何となく分かる。ずっと病院で一人だと俺だって不安になってくるだろうしな。だから俺は励ましの意味を込めて――

「あっ……」

中条を抱きしめ返した。中条はそれに応えるように俺をより強く抱きしめる。

少しでも中条を元気付けることが出来たら、俺がここにいる意味はあるのかもしれない。

「……中条、頑張れよ」

「うん…………………えっ」

突然、中条が俺を引き離す。流石に強く抱きしめすぎたのだろうか。

「ゴメン、強すぎたか?」

「う、ううん……あ、あのね司――」

「はい、もう面会時間過ぎてますよ!さ、帰った帰った!」

いきなり看護婦のおばさんが病室に入って来る。時計を見ると既に10分程オーバーしていた。いつの間にか話し込んでしまったようだ。

中条は何か俺に言いたげだったが、看護婦のおばさんの勢いに負けてしまい、そのまま追い出されてしまった。

「さ、消灯するからアンタも帰りな!」

「う、ういっす……」

半強制的に病院から追い出されてすっかり暗くなった帰り道を一人歩く。

中条の最後の言葉が少し引っ掛かる。突然抱きしめるのを止めた中条は、とても不安げな表情をしていた。

「……また見舞いに行けば良いかな」

辺りは不気味な程真っ暗で、俺の呟きだけが響いた。

――この時俺はまだ気付いていなかった。これから始まる狂気は、もう既に俺たちを蝕んでいたことに。




――あの香り。司からしていたあの香りは……。

「……司」

――間違いない。あの香りはあの女の……。

「……どうして」

――司は……司は……あの女と……いたんだ……。

「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」

病院にはいつまでも無機質な声が響いていた。




「ふぅ……」

洗い物をしてやっと一息つく。さっきまで伏せていた写真立てを持ち上げると、私が大好きだった兄さんの笑顔が入って来た。

「……司、君か」

どこと無く兄さんに似ている。理由はそれだけだったのかもしれない。

でも気が付けば彼を目で追っている自分がいた。彼ともっと色んな話がしたい。だからこそ――

「上手くいったかしら……」

自分でもぞっとするような笑みを浮かべて、机に置いてある小ビンを眺める。愛用している香水を、ちゃんと"彼女"は分かってくれたのだろうか。

「ふふっ。信じているわよ、中条さん……」

彼女の笑みと同じくらい、今宵の月は不気味にその光を湛えていた。

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