第5話 11月16日・2
~ある犯人のプロローグ・1~
許せないと思った。あの人はあんなにも苦しんでいたのに。
だから同じ目に……いや、それ以上の苦しみを与えなければならないと思った。
あの人の代わりに私が思い知らせてやるんだ。
学校が終わってすぐ、俺と晃と辻本さんは市内の中央病院へ向かった。
中条が意識を取り戻したのだ。一刻も早く会いたい。それに――
「なあ、委員長。中条が俺たちに会いたいって、言ってたんだよな」
「うん。だから今日は私たちだけで行くことになってるわ。私はクラスの責任者として、だけど」
「中条……」
どうやら中条も俺たちに会いたいらしい。だからこそ一刻も早く病院へ向かわなければならないんだ。
それなのに俺は怖かった。果たしていつも意地悪くて何処か憎めない中条は、俺の知っている姿をしているんだろうか。
「…………」
首を振って嫌な想像を隅に追いやる。大丈夫さ、そう何度も自分に言い聞かせて。
電車から見える夕焼けは、街全体を真っ赤に染め上げていた。
気が付けば視界には真っ白な天井が広がっていた。
しばらく何が起こったのかも理解出来ず、とりあえず起き上がろうとすると激痛が体中を駆け巡る。
堪え切れなくて、起き上がるのを断念して天井を見つめていると扉の開く音がした。
「な、中条さん!?意識が戻ってるわ、すぐに先生を!」
よく分からない内に周りが騒がしくなり、あたしは自分がどんな状況だったかを少しずつ理解した。
正直、頭の包帯だけでよく済んだなと思った。
聞けば司と別れたあの日、あたしは坂のすぐ下にある交差点で事故に遭ったらしい。
全身打撲はあるものの、骨折などは一切ないようだった。
代わりにバラバラに砕け散ったあたしの自転車が事の凄惨さを物語っていたらしい。
「頭を強く打っていたのでどうなるかと思いましたが――」
どうやらあたしは2、3日昏睡状態にあったらしく、頭に巻いてある包帯がその証のようだ。
医者はもう歩けるなんて奇跡だと言っていた。
……あたしの運もまだ捨てたもんじゃないのかもしれない。
「何か欲しいものはあるかな?」
しばらく入院は続くらしく、医者はあたしに気を遣ったのか、こんな質問をしてきた。
"欲しいもの"、そう聞かれてあたしの脳裏に浮かんだのは一つだけだった。
それが無意識に言葉が出て来る。
「つ、司……あの、クラスメイトで会いたい人がいるんです」
司だけでは……恥ずかしかった。晃に会いたいのも事実なので、あたしは二人に今すぐ会いたいと伝えることにした。
司に会えれば、あたしはもっと早く元気になれる、何となくそんな気がしたからだ。
医者はすぐに学校へ連絡を入れてくれたらしく、今日の放課後に司たちはあたしに会いに来てくれる、と言われた。
何故かドキドキしてしまう。別に今まで通り、何も変わらないのに。
司があたしが目を覚ましたらすぐに駆け付けてくれるからか。
あたしってそんな単純だったかな。
あ、髪の毛とかボサボサじゃないかな。
咄嗟に鏡を見たあたしの目に映ったのはいつも通り、銀髪をなびかせている中条雪だった。
「……どうしちゃったんだろ」
司に抱く気持ちは、晃に対するそれとは何となく違う気がしてしまう。
今までは悪友、親友で十分満足していた。
それが司に打ち明けたあの夜から、あたしの中にあった得体の知れない感情が少しずつあたしを蝕んでいっているようだ。
「……司」
蝕む、という表現は間違っているかもしれない。
あたしは司に会いたい。それは決してマイナスの感情なんかではなく、むしろ強いプラスの感情のように感じられた。
友情ではない、別の何か……。ただ、それが具体的に何なのか。今のあたしには分からなかった。
「あっ……ど、どうぞ!」
そんな考えはノックの音に掻き消えて、不意をつかれたあたしは間抜けな声で返事をしてしまった。
少しの静寂の後、ガラガラとドアが開き、そこには確かに司がいた。
「中条……!」
「あ、司――」
司は険しい顔であたしに駆け寄り――
「良かった……本当に良かった……」
「へっ!?つ、司!?」
気が付けばあたしは思い切り司に抱きしめられていた。
自分でも分かるくらい顔が真っ赤になる。あまりの恥ずかしさに抵抗しようとするが、司はあたしを抱きしめたまま微動だにしない。
……司の体温が、心地好い。いつの間にか抱きしめ返している自分がいた。
「おう、無事で何よりだな中条!」
晃も病室に入って来てくれた。本当は晃にも感謝するべきなのだが、今のあたしは司を抱きしめるので精一杯だった。
また、得体の知れない感情があたしを満たしていく――
「……藤塚君、そろそろ中条さんを離してあげたら?」
「あ、わりぃ」
「あ……」
そんなあたしの気持ちを踏みにじるような冷たい声が病室に広がる。
司は恥ずかしくなったのか、あたしから離れていってしまう。そして代わりに委員長が目の前に来た。
……なんで委員長がここにいるのだろう。彼女はあたしが呼んではいないはずだ。医者の手違いか。それとも――
「中条さん、本当に無事で良かったわ。クラスの皆も心配してたのよ」
「あ、ありがとう……」
どうしてだろう。彼女の笑みが……怖い。
張り付いたようなその笑みが、怖くて仕方がない。
でも、司も晃も全く気にしていないようだ。……あたしの思い込みなのだろうか。
「もう、退院出来そうなの?」
「えっと……もう少し……かな」
「交通事故に遭って一週間程度で退院出来るなんて、流石は中条だな」
「あはは、違いねぇな」
あたしをおちょくってくる司たち。思わず自然と笑顔になる。
そうだ、あたしにはこんなにも暖かい仲間がいるじゃないか。あたしは一人なんかじゃないんだ。
「まあ安心しろよ中条。退院するまでは、出来る限り来るからさ」
「う、うん……」
そんなあたしの気持ちに応えるように司は一番言って欲しかった言葉をくれる。
雑に頭を撫でられながら、あたしは自分の気持ちに芽生えた感情が一体何なのか、やっと分かった気がした。
「流石に中条といえども他の患者を弄るわけにはいかないしな」
「べ、別に弄らなきゃ生きていけないわけじゃないわよ!」
あたしを気遣って励ましてくれる司のことが、あたしはきっと――
「じゃあ今日はこの辺にしとくか」
「ああ、あんまり遅いと悪いしな」
「うん、今日はありがとね」
気が付けば外は暗くなっており、そろそろ面会時間も終わりが近付いてきていた。
司たちと別れるのは名残惜しかったが、また会えるしあまり拘束しても気が引ける。
何より、久しぶりに誰かと話して、あたし自身が少し疲れていた。
「あ、私、中条さんに色々渡す物あるから、先に外で待ってて」
「おう、了解」
「じゃあな、中条」
「あ……うん」
司と晃はいなくなり、病室にはあたしと委員長の二人になった。
鞄からプリントなどを取り出しはじめる委員長。
……なぜだろう、とても不安な気持ちになる。
さっきのあの笑みのせいかもしれないが、早く彼女が帰ってくれたら良いのにと思ってしまう自分がいた。
「これが昨日の分で、こっちが一昨日の分。これは提出期限が来週だから気をつけてね」
「……ありがとう」
笑顔で説明してくれる委員長。
何も恐れる必要はないのに何故かあたしはその笑顔が好きになれない。
ただの思い込みに違いないのだが、どうしても彼女を受け入れられないのだ。
「……中条さんって、藤塚君と小坂君と仲が良いよね」
「う、うん……まあ」
委員長は急に作業をしながら話し始める。あたしに気を遣ってたわいのない話をしてくれているのか。それとも――
「特に藤塚君とは仲良いわよね。さっきも抱き合ったりしちゃって」
「あ、あれは!その……不可抗力っていうか……」
「顔、真っ赤よ?」
「っ!?」
クスクスと笑う委員長。
何となくいつもあたしにからかわれている司の気持ちが分かった気がした。委員長はそんなあたしの顔をじっと見つめる。
「……もしかして、中条さんは藤塚君のこと、好き?」
「…………えっ」
「やっぱり好きなのね」
「ち、ちがっ!あ、あたしは!そ、そのっ!」
委員長の言葉に思わず反応してしまうが上手く言葉が出てこない。
そしてこんなにもうろたえる自分を見て、同時にはっきりと自覚してしまう。
あたしは……あたしはやっぱり司のことが好きなんだ。
「ふふっ、お似合いだと思うわ。藤塚君と中条さん」
「えっ!?……そ、そうかな」
「ええ、お世辞じゃなくね」
「あ、ありがと……」
自分でも顔が真っ赤になるのを感じる。自覚してしまうと何だかとても恥ずかしくなる自分がいた。思わず下を向いてしまう。
「……でも気をつけなくちゃね」
「へっ?」
見上げると目の前に委員長がいた。雰囲気は先程とは打って変わって、あの張り付いたような笑みであたしを見ている。
……あたしは何を浮かれていたんだろう。
ずっとあたしの本能は警告していたじゃないか。委員長は、この女は決して味方なんかじゃないって。
「藤塚君、今大変じゃない?だから助けてあげないと」
「た、大変?一体何を言って――」
「嫌がらせ、されてるでしょ。……もしかして、知らない?」
「い、嫌がらせ?」
委員長が何を言っているのか、全く見当もつかない。司が嫌がらせに遭ってる?そんなわけない。仮にそうだとしたら――
「……もしかして中条さんは相談されてないんだ。藤塚君に、このこと」
「あ、あたしは……」
そうだ。もしそんなことが司の身に起きているなら、司はあたしや晃にまず相談するはずだ。
だってあたし達は親友なんだから。なのに何で委員長が、委員長だけがそんなことを知っているんだろう。
「私には話してくれたから、"親友"の中条さんにはてっきり話したものだと思ってたんだけど」
「あ、あたし……あたしは……」
「……この話はもう忘れて。藤塚君も――」
止めて。それ以上しゃべらないで。あたしの中の大切な何か軋んでいく。
もうこれ以上、あたしと司の絆を壊さないで――
「"信用できない人"には話したくないみたいだったから」
「……あ」
――あたしの中で大切な何かが壊れる音がした。
「じゃあお大事に。……また来るわ」
辻本さんが病室から出て来たので俺たちはそのまま帰ることにした。
「結構長かったけど、何か大事な話でもしてたのか」
「うーん……女の子だけの秘密の話、かな」
クスッと笑いながら話す辻本さんに思わずドキッとしてしまう。普段とのギャップというやつなのかもしれない。
「へいタクシー!」
少し前で既に道路に向かっている晃が大袈裟にタクシーを呼ぼうとしていた。
アイツもアイツでかなり中条のこと、心配してたからな。もしかしたら安心していつもよりはしゃいでいるのかもしれない。
「…………」
無意識で抱きしめてしまった中条は、俺が想像していたよりもずっと華奢で、何だか甘い香りがした。
当たり前だが中条もやっぱり女の子なんだな、と改めて感じる。
「良かったわね、中条さんが元気そうで」
「ああ。最初聞いた時は本当にどうしようかと思ったけど、安心したよ」
「……藤塚君、明日暇?」
「ん?まあ部活やってないし土日は暇だな」
「じゃあ明日付き合って欲しいところがあるんだけど」
辻本さんは少し申し訳なさそうな顔をして俺を見つめる。
明日の予定は特には決まっていないし、辻本さんにそんな表情をされて断れる男の方が少ないと思う。
「良いよ。別に予定ないしさ」
「やった!……あ、ありがとね」
「……そんなに喜んで貰えると嬉しいよ」
「う、うるさい!」
恥ずかしそうにそっぽを向く辻本さん。何だか最近、色んな辻本さんの表情が見れて、それが凄く嬉しい自分がいることに気が付いた。
我ながらなんとも現金な奴だと思う。
「おーい!タクシーゲットだぜっ!」
「はいはい……」
いつもよりテンションの高い晃の捕まえたタクシーに乗り込みながら振り返る。
本当に怒涛の一週間だった。色んなことがあったけど、中条が無事で本当に良かった。
後は捕まえるだけだ。中条をこんな目に合わせた犯人を辻本さんと一緒に。
既に明かりの消えた病室で少女は膝を抱える。
――大丈夫。
ぶつぶつと何かを呟きながら時折震え出す。まるで見えない何かに怯えるように。
――大丈夫。司はあたしを信じてくれてる。
彼女の目には一切の光は宿っておらず、ただ漆黒を写すのみ。
――大丈夫。だって抱きしめてくれた。凄く嬉しかった。
少女の想いに応えてくれる者はもう誰もいなかった。得体の知れない感情が、彼女を蝕んでゆく。
――大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。
病室にはいつまでも少女の呟きが木霊していた。
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