第3話 11月15日

翌日の昼休み。俺は何だか清々しい気分でいた。理由は簡単だ。昨日あれだけ心配した俺に対する嫌がらせが、今日初めて何もなかったのだ。

下駄箱にゴミもなければロッカーも汚されておらず、体育館履きもずぶ濡れではない。つまり何も起きていなかったのだ。

これからという可能性もあるだろうがそれならば逆に犯人を捕まえるチャンスだと思った。こちらも警戒出来るし犯人も迂闊に手出しは出来ないはずだからだ。

「司、何だか今日は嬉しそうね」

「何か良いことでもあったのか、親友」

晃も中条も俺がテンションが妙に高いのが気になるようだ。とにかく俺の思い過ごしだったのだ。何も怯える必要はなかった。

そう思うと急に眠気が襲ってきた。やはり昨日あまり寝付けなかったのが響いているらしい。

「ふわぁ……」

「残念だな、司。次は井上の古文だぜ。もし寝たりしたら――」

「50分立ちっぱなしで授業を聞かないといけないわね」

いつものように嫌味に笑う中条。立たされたら笑えねぇっつーの。

井上は怒らせたらかなり厄介な先生だ。生徒たちの中でも"鬼の井上"なんていうあだ名で呼ばれたりしている。

「頑張って寝ないようにはするよ」

「藤塚君、ちょっといい?」

「あ、辻本さん。晃、中条、わりぃ。ちょっと席外すわ」

辻本さんは心配そうか顔をしている。おそらく今日何か嫌がらせをされてないか聞きたいのだろう。

ここでは二人に聞こえてしまうので場所を移動する。辻本さんも分かってくれたようで俺たちは教室を出た。




「司の奴、委員長に呼び出し喰らって……また変なことしたのかね」

面白がって司と辻本を見る晃に対して、中条は少し不機嫌そうな顔をしていた。

「……あたし、ちょっとトイレ」

「おう、早く戻って来ないと井上怖いぞ~」

「司みたいなヘマ、あたしはしないわよ」

晃とふざけあってから、中条は小走りで近くの女子トイレに向かう。何か良くない気持ちが沸き上がるのを中条自身も自覚していた。

――あたし、こんなに心狭かったっけ。

都合よく女子トイレには誰もいなかった為、中条は蛇口を思いっ切り捻って出て来た冷水を――

――頭、冷やそう。落ち着けあたし。

顔に何度もぶつけた。ぶつける度に身体が縮こまるほどの冷たさを感じる。

……これでいつも通りの"中条雪"に戻れただろうか。

「……落ち着け、あたし」

声に出して中条は確認する。別に委員長は自分たちの仲を引き裂こうとしてるわけじゃない。

どうせ司がまた悪戯でもして今頃生活指導室辺りで怒られているに違いない。晃もそういってたじゃないか。

――こんな些細なことで動揺するあたしがおかしいんだ。

「……司と晃は、あたしの一番の親友だよ」

だから心配する必要なんてない。"あの時"みたいに裏切ったりするわけないんだ。だってあれはもう昔の話だし、司と晃には関係のないことなんだから。

中条は何回も繰り返す。まるで魔法の呪文のように。

「司と晃は、あたしの一番の親友だよ」

――大丈夫。委員長はあたしの居場所を奪おうなんてしてないから。だから大丈夫。

「司と晃は、あたしの一番の親友だよ」

――だから……疑ったりしてはいけないんだ……!

「……よしっ!」

冷え切った自分の頬を軽く叩いて、中条は女子トイレを後にした。大丈夫、もう元通り。サバサバしてる中条雪に戻れたはずだから。




屋上が解放されている学校は、現実では中々ないと思う。少なくとも前の学校は屋上へ行くことは出来なかった。

いわゆる"青春"と呼ばれる部類の一つが屋上だと思い込んでいる俺にとっては、この学校の屋上解放というのはかなり魅力的な点の一つなのだ。

「それじゃあ、今日は何も起きてないのね」

「ああ。俺も用心して今日はいつもよりも早く登校したけど到って平和だよ」

そんな屋上に俺と辻本さんはいた。

いつもなら昼休みともなれば結構な数の生徒で賑わうのだが、今日は生憎の曇り空。屋上には殆ど生徒はおらず俺たちにとっては都合が良かった。

「……諦めた、のかしらね」

「まあまだ分からないけどな。やりづらいのは確かなんじゃないか」

屋上の隅っこにあるベンチに座りながら俺たちは話を続ける。辻本さんは考える時の癖なのだろうか、手を顎に当てて難しい顔をしていた。

「……辻本さんの言いたいことは何となく分かる」

「えっ?」

「まだまだ油断大敵ってことだろ?」

今日はまだ終わってはいない。これから犯人が何か仕掛けて来る可能性は十分にある。

それにたまたま今日しくじっただけで、明日になったら嫌がらせをされているという可能性だって十分ある。

「……油断はしない方が良いと思うの。私たちに出来ること、まだあると思うし」

「そうだな。とりあえず警戒は最大限しておくよ。何かあったらすぐに連絡する」

「それもそうだけど――」

辻堂さんの話を遮って予鈴が鳴り響いた。そろそろ井上が教室に来て、今日当てる生徒を品定めするに違いない。

最後に教室へ戻ったり、立っていた者がよく当てられてしまうのだ。

「とりあえず予鈴が鳴ったから急いで戻ろう。俺も用心しておくからさ」

「う、うん……」

辻本さんは何か言いたげだったが黙って俺の後について来た。大丈夫、俺がしっかりと警戒していればそう簡単には嫌がらせは出来ないはずだ。




「明日はホームルームに球技大会の組分けをするからな。どれが良いか各自考えてこい。それでは、また明日!」

担任の礼を期にクラスメイトたちは帰り支度をしたり、部活へ行く準備をし始める。そんな中俺は――

「あらあら、この机に突っ伏して動かないのは一体誰かな?」

「晃くん、これはさっきの古文の授業で恐ろしくも居眠りをしてしまった藤塚司じゃないかしら」

完全にノックダウンしていた。嫌味を言いながら近付いてくる晃と中条に構う力すら今はない。

……あの時、睡魔に負けず打ち勝てていたら、井上の怒りを買ってしまい一人で黒板に同音異義語をひたすら書き続けるという罰を受けずに済んだのだろうか。

「いや、実際司は頑張った方だぜ?"たいしょう"なんて漢字、よく7個も思い出せたもんだ」

晃はよくやったと言いながら俺の肩を叩いてくれた。そう、俺は頑張って抵抗したんだ。無い脳みそを振り絞って7個も同音異義語を書いたんだぞ。

「まあそのせいで余計に井上の怒りを買って、"ほしょう"、"こうてい"、"きょうい"……それから何だっけ?」

「えっと……確か"こうしょう"、"こうせい"、"しこう"……くらいかな」

「そうそう。それらも追加で書かされる羽目になっちゃったわけだけどね」

クスクスと笑う中条の声さえも今は気にならない。とにかく黒板にあんな大量に漢字を書いた疲労感で一杯だった。

「ふ、藤塚君……大丈夫?」

心配げな声に思わず顔を上げると、辻本さんが立っていた。目の前にいる晃と中条に気を使いながらも、俺が心配で話し掛けてくれたようだった。

「ああ、別に大したことじゃないよ。まあ良い勉強になったしさ」

辻本さんを安心させる為に明るく答えると、彼女も微笑んでくれた。

……我ながら現金な奴だなと呆れてしまう。晃と中条も半分は心配して声を掛けてくれたのに対応があからさまに違うからだ。

「おいおい!俺たちが心配してやってた時は無視してた癖に、委員長の時はすぐに返事かぁ!?」

「うるせぇ!お前らは心配半分、からかい半分だろうが!」

ふざけてからかってくる晃。まあ、こいつらと辻本さんとじゃ関係が違う。晃と中条とはもう半年も一緒につるんでるんだ。

これくらいじゃないと照れ臭い。晃もそんな感じらしく、怒ったふりをして俺に絡んで来ていた。

「こんなこと言ってるぜ、中条?もう司と遊ぶのはやめようかねぇ」

「えっ……と、あはは……」

「ん?どうした中条?」

中条の反応が悪かったのが気になったのか、晃は中条を見る。つられて俺も見ると、少し複雑そうな表情をしている中条がいた。

「あ、あはは!あたしも、もう司と遊ぶのはやめようかな!」

「そうだよなぁ。何か司君、素っ気ないし?」

「晃の恋人なのにね?」

「お、お前らいつまでも引っ張り過ぎだろ、そのネタ!」

二人の掛け合いにいつものように突っ込む。中条を見るが、俺が知っている意地悪そうな中条に戻っていた。俺の見間違いだったのだろうか。

結局、いつも通り騒ぎ出した俺たちを辻本さんが注意するのだった。




「未記入は何処だっけ?」

「右端に置いておいて。……手伝わさせちゃってゴメンね、藤塚君」

放課後の教室。夕焼けが差し込む中、俺は辻本さんの仕事を手伝っていた。

クラス委員は色々と雑務が多いらしく、今日は二学期中のクラス全員の提出物をチェックしている。

「いや、いつも放課後時間取らせちゃってるしさ。俺、部活やってないから暇だし」

「そう?でも本当にありがとね。凄く助かるわ」

「しかし、こんな量を辻本さん一人に任せるなんて先生も先生だよな」

二学期分、しかもクラス全員ともなれば結構な量の用紙が机の上には広がっていた。

これを一人で仕分け、整理までするのはかなり骨が折れるに違いない。辻本さんは苦笑しながら作業をこなす。

「まあ先生もお忙しいから。それに意外とこういう仕事も楽しいものよ?」

「楽しい……ね。俺には分からないけどなぁ」

こんなアンケートや進路調査の整理の何処が楽しいのか見当もつかない。

「例えば、藤塚君は将来公務員になりたいんでしょ?」

「えっ?」

「でも警察官や国会議員とかもあるから、恐らく安定した仕事、もしくは国関係の仕事が良いのかな」

ニッコリと微笑む辻本さんに対して俺は呆然としていた。何で彼女が俺の将来の夢を知っているんだ。一体彼女は――

「まあこんな風に皆の進路調査を見て、その人が何を考えてるのか推測できるじゃない?」

「あ、ああ、そういうこと。つーかそれって勝手に見ちゃいけないんじゃ……」

「別に見てるわけじゃないわよ。チェックしてる時に見えちゃうんだもの、仕方ないわ」

「あはは……」

当然のように話す辻本さんに頼もしさすら感じる。

……何を考えてるんだ、俺は。自意識過剰にも程があるだろ。

「さ、ちゃっちゃと終わらせましょう。出来れば今日中に職員室に持って行きたいし」

「了解しました、お嬢様」

「頼んだわよ、じいや」

ふざけながら夕焼けに染まった教室でせっせと作業をする。この時、俺は嫌がらせのことなんてすっかり忘れていた。




「じゃあ私、職員室に寄っていくから」

夕日も沈みかけた頃、ようやく作業が終わり辻本さんと教室を出た。一緒に帰ろうと誘ったが職員室に整理した用紙を届けるので、近くで別れることになった。

「おう、暗くならない内に帰れよな」

「あっ!藤塚君!」

「ん?」

昇降口に向かおうとする俺を辻本さんが呼び止める。

「今日はありがとね。それから……気をつけて」

「あ、ああ。気をつけるよ」

「うん。じゃあまた明日!」

明るく手を振りながら辻本さんは小走りで職員室に向かって行った。

「……そうだ」

辻本さんに言われて思い出した。まだ今日は終わってないんだ。夕焼けに染まる階段を降りながら俺は自分の甘さを改めて思い知った。




「お、中条」

「……司」

帰る途中に正門で偶然中条と会った。制服に自転車を押している中条に若干の違和感を覚える。

「あれ、帰りか?部活はどうした?」

「ちょっと手、捻っちゃってね。今日は早退」

中条の右手首には包帯が巻いてあった。どうやら練習中に捻挫したらしい。

「そっか。俺も今帰るとこなんだ。途中まで帰ろうぜ?」

「う、うん……」

中条と一緒に暗くなり始めた通学路を歩く。

そういえば中条と二人きりで帰るのは、初めてのことだった。晃も中条も部活組だったので帰りはいつも一人だったのだ。

「中条ってセッターだっけ?」

「……そうだよ」

「セッターってかなり難しいんだろ?どっちに打たせるかとか、瞬時に判断しなきゃいけないんだもんな」

「大袈裟だよ……」

中条は女子バレー部で弥生の先輩だ。たまに家で弥生から中条の話を聞いたりするが、かなり優秀なセッターらしく弥生たち一年生の憧れらしい。

たまにその話をすると中条がこれでもかと言うぐらい自慢話をするので、普段は話さないのだが……今日は食いついてこないな。そんなに手首が痛むのだろうか。

「弥生……えっと、妹も言ってたぜ?中条は凄いセッターだってさ」

「……うん、ありがと」

中条はずっと俯いたままだ。俺の方を一切見ずに歩き続けている。いつもの中条ならもっとふざけたり、俺を困らせようとするのに。

……何かあったのだろうか。

「……どうかしたか?」

「えっ!?な、何が?」

「何かあったんじゃねぇのか。さっきからずっと俯いてるし」

「そ、そんなこと……」

中条は明らかに動揺しているようだった。暗くなっているせいで表情はよく分からない。でも何となく昼間のあの表情が思い出された。

「……ちょっと時間、あるか」

「……うん」

いずれにしろ心配だ。俺は中条と近くにある公園に行くことにした。




通学路の途中にある小さな公園。公園内には設置物が殆どなく、ブランコが二つあるだけだ。そんなブランコに俺と中条は座っていた。

「ほい、コーヒーで良かったか?」

「……ありがと」

中条にコーヒーを渡してブランコに座る。音を立てながら揺れる感覚が何だか懐かしかった。

「あったけぇな、コーヒー」

「…………」

ホットコーヒーを飲みながら中条が何か言うのを待つ。きっと俺から聞いても答えづらいだろうし、中条のペースで話をして欲しかった。

中条はしばらくずっと俯いたままだったが、観念したのか少しずつ話をし始めた。

「……あたし、変なんだ」

「変?」

「うん。あたしとさ、司は親友だよね?」

真剣に俺を見つめる中条。改めて見るとかなりの美少女なのがよく分かった。この質問はちゃんと答えなければならない。

「ああ、勿論だ」

「……どうやってあたしたちが仲良くなったか、司は覚えてる?」

忘れるわけがない。俺にとって中条は晃の次に出来た友達だからだ。

「当たり前だろ。お前がいきなり、バレー部の可愛い藤塚弥生の兄は君か、とかいって突っ掛かってきたんだよな」

「あはは、まさか一字一句覚えてるなんてね」

「あんなに印象的な出会い、忘れる方が難しいな」

急に俺に突っ掛かって来たのが中条だった。

学校が始まって一週間、晃と友達になりようやくクラスにも少しずつ溶け込めるようなっていた4月中旬。中条は嵐のように現れたのだ。

理由はどうあれ、それから何かと中条は俺に絡むようになり気付けば三人で馬鹿をやるようになっていたのだった。

「覚えててくれて……嬉しいよ」

中条は照れ臭そうに話を続ける。

「正直、引かれたらどうしようかと思ってたよ。でもあたし……不器用だから」

「だからって妹ともっとお近づきになりたいから仲良くしろとか、ないわな」

「う、うるさいわねぇ!あたしだって必死だったんだから!」

中条はすっかり恥ずかしがっていた。

それが普段の中条とあまりにも掛け離れていて、俺はつい吹き出してしまう。暗くてよく分からないがきっと中条は今顔を真っ赤にしているに違いない。

「わ、笑うなっ!!」

「ゴメンゴメン。で、それがどうしたよ?」

「と、とにかくね!司と晃には……その…………しゃしてるの」

「えっ?」

急に声が小さくなったので思わず聞き返す。すると――

「か、感謝してるの!!こんなあたしを受け入れてくれてすっごく嬉しかったの!!」

公園内に響き渡るくらいの大声で中条は叫んでいた。

……めっちゃ照れること大声で言いやがって。

「だから!!……だから不安になっちゃったのよ」

「不安?」

「……委員長がさ、最近司とよく話したりしてるじゃない?」

「あ、ああ……」

少し、ドキッとした。

確かに辻本さんとの時間が最近三人で遊ぶ時間よりも長くなりつつあるからだ。

それでも俺が晃と中条を親友と思う気持ちは変わらないが二人はどうなのか、考えなかったわけではない。

「あたし、変に勘繰っちゃってさ。委員長が、あたしたちの仲を引き裂こうとしてるんじゃないかって……」

「委員長が?いや、それは――」

委員長は俺が頼んだから協力してくれているだけだ。

「分かってる。そんなことないって分かってるよ。……でも凄く不安になって」

中条はまた俯いてしまった。そうか、だから中条は俺と委員長が話してる時、口数が少なかったんだ。

……中条も俺と同じだ。三人の関係を崩したくなくって、それが崩れるのが怖かったんだ。

「……中条、その気持ち分かるよ」

「司……?」

中条が俺を見つめる。俺も今の日常を守りたくて辻本さんと一緒に戦っているんだから。

「……俺も不安だからさ。今が楽しすぎて、いつこの日々が壊されてしまうのかって」

「うん……」

「でも辻本さんは別に俺たちの仲を引き裂こうとはしてないから」

「……信じて、いいんだよね」

いつの間にか中条の顔が目の前にあった。これだけ近ければ周りが真っ暗であっても関係ない。不安げな中条の顔がはっきりと見えた。

今彼女を安心させられるのは、俺だけなのかもしれない。だから俺は中条の目を見てはっきりと答える。

「……ああ!信じろ。俺たち、親友だろ?」

「……うん、分かった。信じるよ、司のこと」

中条はゆっくりと微笑んでくれた。それは俺の知っている意地悪なものじゃなくて、つい見とれてしまった。

「あっ、ゴメン!」

「い、いや……俺こそわりぃ」

至近距離だったことにお互い気付いて急いで距離を取る。何だか恥ずかしかったが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。




「あ、司そっちなんだ」

「おう。中条は下り坂か」

すっかり暗くなった帰り道。

さっきのこともあり、少し照れ臭かったがいつも通りの中条に戻っていた。今日付き合わせたお詫びに、コイツなりに気を使ってるのかもしれない。

「じゃ、あたしはこれで。……今日は、ありがと。司の言葉、嬉しかったよ」

中条はこちらを向かず、ぶっきらぼうに自転車に乗る。きっと恥ずかしがっているのだろう。

「気にすんな、親友だろ。下り坂、気をつけてな」

「うん。また明日ね!」

「おう、またな!」

中条はそのまま下り坂を自転車でかけていった。俺はそのまま帰り道を歩いて行く。

「……信じる、か」

改めて思う。俺はこの日常を、大切な仲間たちとの日々を失いたくない。中条をこれ以上不安にさせないためにも、俺は一刻も早く犯人を突き止めなければ――

「……今日は結局何も起きなかったな」

本当に何も起きなかったのだろうか。今までずっと、辻本さんと一緒に警戒しても続いていた嫌がらせ。果たして今日突然止むことがあるのだろうか。

「……大丈夫」

何も起きなかったんだ。自分自身にそう言い聞かせて、俺は家への道を急いだ。




「今日も元気か、司君?」

次の日の朝、ホームルーム前に晃が話しかけてきた。いつもは朝練で疲れているせいか席で爆睡しているのだが、今日は気持ち悪い笑みを浮かべて近付いて来る。

「どうした?ちなみに金なら貸さん」

「違うっ!親友よ、分かっているとは思うが今日のホームルーム、議題は覚えているかな」

「確か……あー、球技大会――」

「そうだ親友っ!勿論司君はサッカーに出てくれるよな!なっ!」

俺が言い終わる前にガシッと手を握ってくる変態が一名。

せっかく解いた誤解が一瞬の内に水の泡になるような行動は止めて欲しい。現に不審なものを見る目でこちらを伺っているクラスメイトも2、3人いる。

「わ、分かったからその手を離せ!」

「よっしゃ!頼むぜ親友!いやっほぅ!!」

爽やか系変態男子が思いっ切りガッツポーズをした瞬間、教室に予鈴が鳴り響いた。晃をなだめて席に返しながら俺は考えていた。

「今日も……か」

今朝も嫌がらせは起きていなかったのだ。まだ油断は出来ない。しかし本当に犯人はもう諦めたのではないだろうか。

辻本さんはしばらくは油断しない方が良いと言っているが、昨日のこともある。中条も――

「……あれ?」

そういえば中条の姿が見当たらない。

いつもは朝練が終わった後には教室にいるんだが。バレー部は朝練が長引いているのだろうか。でもアイツ、怪我したんじゃなかったっけ。

「ホームルームやるぞ!席につけ!」

そんなことを考えている内に担任が教室に入って来た。

まあ俺の考えすぎなのかもしれない。単純に風邪を引いたって可能性だって十分あるわけだし。そんな俺の疑問に答えてくれるかのように担任は口を開く。

「最初に……皆にも知っておいて欲しい話だ。ちゃんと聞くように」

教室がしんと静まり返る。何だろう、皆はそんな不思議そうな表情をしていた。

「今日休んでいる、中条なんだがな――」

その瞬間、急に鼓動が激しくなるのを感じた。何で中条の名前が出てくるんだ……。そして俺は、俺は何でこんなに震えてるんだ。

「昨日交通事故にあって……重態だそうだ。今朝保護者の方から――」

頭がガンガンする。吐き気が止まらない。

交通事故って……何だよ?重態?昨日あんなに笑ってたじゃねぇかよ……。何だよ、それ。今日も何も起きてないって?起きてるじゃねぇかよ!!

「今はまだ……おいっ、藤塚!!」

気が付けば俺は教室を飛び出していた。何でもっと気をつけなかった!?辻本さんにも言われてたんじゃないか――


『ただの例えよ。……でもこのままじゃ中条さんにも被害が及ぶかもしれないわ』


俺は………………大馬鹿野郎だ。

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