千鶴の涙
千鶴が開いていた本を閉じ立ち上がる。立ち去ってしまうのではないか。そんな考えがよぎった。急いで呼び止める。私は言わなければいけない。千鶴は驚いたように顔を上げた。目が合った。言おうと意気込むが、声が出ない。でも、言わなければ。
「ひどいこと言って、ごめん。」
それだけかと思われるかもしれない。でも、この一言は私にとって大事な言葉なのだ。時間が経てば関係は戻るが、いい加減なまま仲直りはしたくない。
大会の日を思い返す。あの日、私は完璧にできないことに悩んでいて、千鶴の応援の言葉に気が立った。千鶴の切実な思いに気付けず、傷つけてしまった。謝っても謝りきれない。そのくらい私はひどいことをしたのだ。
「私、自分のことしか考えてなかった。弓の調子悪いの、千鶴のせいじゃないのに八つ当たりするなんてひどいよね。」
口から出た言葉に驚いた。それは紛れもなく私が言ったものだが、それに気づかされたのだ。祖母の言葉が懐に落ちた。
私の目指していた完璧は自己中心的なものだった。一つの完璧を目指すと自ずと視野が狭くなり、あたかも自分だけの実力で生きているのだと錯覚してしまうのだ。現に私はたくさんの人のおかげで生きているのに、そのことに気づいていなかった。千鶴を傷つけてしまったのも、そのせいだ。
「千鶴、ごめんね。ありがとう。」
心からの言葉を伝えた。本当に思っていることを口に出すのは感動的なものだ。言葉を表した途端、心が震えた。言葉は美しいものだったのだ。
ぶつかった衝撃に何が起こったのか分からなかったが、温かさを感じ千鶴が抱きついたのだと分かった。千鶴の肩が震えていた。千鶴と呼びかける。
「良かった。嫌われたのかと思った。」
嗚咽が聞こえた。そうか、私はこんなに大切にされていたのだ。独りではないのだ。千鶴の背中を撫でた。あんなに煩かった蝉の鳴き声はもう聞こえなかった。
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