葛藤

 千鶴の部屋へ赴く。冷房の効いた部屋から出ると、夏の暑さが染み込んだ。微かだが、蝉の声が聞こえた。いつも千鶴はこの時間、部屋で自由に過ごしている。今もいるはずだ。


 ドアの前に立ち深呼吸する。痛いほど心臓が脈打っているのがわかる。ノックしようとするが何故かできない。このままでいいのではないか、と誰かが囁いた。

 確かに仲直りしなくても困るわけでもないし楽だ。そこまで考えて首を振った。迷ってはならない。その隙に魔が入る。


 意を決してドアをノックする。千鶴の声が聞こえた。緊張に心臓が飛び跳ねる。もし千鶴が許してくれなかったら、認めてくれなかったら。そう考えると、手先が冷たくなる。


 ドアを開けた途端涼しい空気が漏れた。机で小説を読んでいたようだ。振り返った千鶴は気まずそうな顔をした。その顔に胸が痛くなった。やはりこのまま帰ったほうがいいのではないか。彼女も困っている。これ以上困らせるのは申し訳ない。この部屋から外の音がそんなに大きる聞こえるはずがないのに、蝉の音が煩い。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る