2 跳べ

 夕方になっても暑さが和らぐことが無い。

 立っているだけでも汗が噴き出す。

 通勤で使っている車の駐車場は歩いて10分程度の場所だ。

 そこまで歩くだけでもこの暑さには参る。

 趣味でやっていたボクシングをやめて以来だいぶ体力が落ちたように感じる。

 先ほどの叫び声があったビルの前を通り過ぎてしばらく歩くと駐車場がある。

 ビルの真正面に立つ形になったが違和感はない。

 

 このビルは人の出入りが多いところだ。

 ケンカやトラブルなんか起こっていたらそれだけで人は集まるだろう。

 何かを期待している自分を笑う。

 俺には関係ないだろ、何か起きていたとしても起きていなかったとしても。

 でもいつもの日常の繰り返しにうんざりしていて何か起こってほしい気持ちがあるのは俺だけじゃないだろう。

 今の現状に不満らしい不満はないけどこのまま年を重ねていくのもぼんやりとした不安があるんだよ。

 かといって大きく現状を変えることは何かのスターターが必要だよな。

 そんないつも頭の中だけで考える取り留めないことを思いながら再度ビルを見上げる。


 女性が屋上の柵を越えジャンプしていた。


「えっ?」

 スカイダイビングのような格好で両手と両足を広げジャンプした。

 時間がゆっくり動いているような感覚になる。

 彼女は体勢を崩さず、長髪とブラウスとロングスカートをなびかせながらまっすぐ下を見つめ、ゆっくりとゆっくりと降りてきて、俺の目の前に叩きつけられた。

 ゴバンと鈍い音が鳴り、地響きが響く。液体が俺の服に飛び散る。


 息ができない。

 脳みそ自体に何かが直撃したような感覚、現実感がない。これは夢ではないのか、何故関係ない俺の前でこんなことが起こるのか、何故こんなことものを見せられるのか。

 周辺のざわつきで気持ちが戻る。


 彼女は大丈夫なのか?

 大丈夫なわけがない


 見たくはない。結果は分かってる。どういう状態か想像がつく。

 でも確認せずに立ち去るなんてできるわけがない。

 なんとか目をやると、彼女は動いていた。

 しかも起き上がろうとしている。

 体全体を震わせながら転んで起き上がろうとする老婆の様に半身を起き上がらせると、ほとんど平らに陥没した顔をこちらに向ける。

 目があれば目が合っていただろうが今は無い。


 ゆっくりと震えながら手を伸ばし、血だらけの人差し指で俺を指さした。

 そして手を伸ばしたまま倒れる。

 指は俺の右足先に触れている。


 寒くてたまらない。耳鳴りがする。

「救急…」「…丈夫ですか!?」「…か」

 ざわめきがはるか遠くに聞こえる。

 俺はその場に立ち尽くし動くことができなかった。

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