第13話 天空回廊の暗殺者

 央原を覆う戦乱が広がっていく。

 まず、翡翠の前線をあらかた壊滅させた瑪瑙は、かの新興国の領地を半ばまで奪い取った。

 これにて、瑪瑙は央原最大の国土を持つ国となった。


 だが、これを指を咥えて眺めている事が出来ぬ国がある。

 央原を律する資格を天から与えられたという、皇帝を擁する紅玉の国である。


 さらには、紅玉から瑪瑙への使者が消息を絶ったとの噂がある。瑪瑙は紅玉の使者に何かまずいものを見られ、その口を封じたのだと、人々は囁きあう。

 これが紅玉がこの戦に加わる大義名分の一端となった。


 かくして。

 央原全土に戦火が巻き起こる。


 クラウドが招かれたのは、そんな紅玉との前線にある小国の一つであった。

 かの国は紅玉と瑪瑙に挟まれ、今勢いがあるであろう瑪瑙の国に恭順の意を示した。

 緑青と言う名のこの国は、緑に包まれた山々を擁する山岳国である。


 この地を味方につければ、瑪瑙は紅玉に対し、大きな地の利を得る事になる。

 かくして、緑青は瑪瑙との同盟を祝し、宴を開くとして使者を招いた。

 小国ではあったが、要衝である国へ遣わす使者を、どこの馬の骨とも分からぬものにするわけにはいかない。


 瑪瑙は王子の一人、天宇を派遣。

 この護衛として、クラウドも共に招かれることとなったのである。


「おお……山のうえに宮殿を築いているのか。これはうつくしいな」


 まだ幼さを残した王子は、輿の上で目を細めた。

 馬が引く大きな車に乗せられた輿である。


「はしがわたってるいるな。天宇はああいうものにのったことがあるか」


 隣で馴れ馴れしい口をきくのは、クラウドが連れている童女。

 天宇よりは幾らか年下であろうか。

 大変見目麗しい娘で、王子も彼女のことを憎からず思っているようだ。


 そのためか、彼女が少々無礼なものの言い方をしても、誰も諌める事ができない。

 これはクラウドとやらが、王に取り入ろうとしているのだと、誰もが裏で囁いていた。


「いや、私は都から出たことがあまりないからな。舜将軍につれられて狩りに出たことはあったが……うむ、だが弓の筋はよいとほめられたな」


「そうか、天宇はゆみがうまいのじゃな」


「そう、うまいのだ。今度、ジョカにも見せてやろう」


「おお、それは楽しみじゃのう」


 童女が無邪気に微笑むと、王子もまた相好を綻ばせる。

 そんな姿をじーっと見つめている黒衣の男が、輿に続いた馬に乗っていた。


「クラウド、何と言う目をしているのだ」


 呆れて声を賭けるのは伐である。

 クラウド、伐、そして近頃、黒衣の軍師が食客に加わった、女武侠の楊。

 この三名は、使者一行の中でも異質であった。


 伐は翡翠の出、楊は紅玉の出、そして彼らをまとめるクラウドに至っては、央原の外から来た人間だという。

 そのような素性も知れぬ者たちに王子の警護を任せるなど、普段の瑪瑙であれば叶わない。

 だが、今は平時ではなかった。


 瑪瑙は宣戦布告を行なってきた小国を平らげる事に忙しく、翡翠の地にて頻発する叛乱も治めねばならない。

 正規の将軍に手空きの者はおらず、そして天宇は王子とは言えど、第三位の王子であった。

 即ち、第一位の王子の予備であり、何かあれば失っても痛くは無い王族ということである。


「…………」


 楊が肩をすくめた。

 無口な女である。虎に変じる力を持っており、直接の戦いであれば、男の武侠ですら叶うものは少ない。そんな彼女が万全の状況でありながら、この黒衣の男に敗れている。

 そのため、楊はクラウドには大人しく従う方針のようであった。


「クラウド、お主の連れ子であろうと、王族に見初められるならいいではないか。妾くらいにはなれよう」


「いやだっ! ジョカ様は俺のロリなのだ!」


 わけのわからぬ言葉で否定するクラウドであった。

 どうやら、ジョカを譲る気は少しも無いらしい。

 それに、ジョカも別に天宇を男と見ているわけでは無いようだ。


 (外見的に)年の近い子供が珍しく、それは天宇も同じであったため、仲良くなっているだけだ。

 そもそもジョカの本質を考えれば、人がおいそれと我が物にできる存在ではないことは明らかである。


 そのような道行の後、やがて一行は緑青の都に入った。

 山に暮らす民だが、なかなかどうして、豊かな暮らしをしている。


 町は朱と青に塗られ、鮮やかな色彩の中で、そこここに湯気が立ち上る。

 温泉が出ているのだ。

 この国は旅人を迎え、彼らの落とす金で潤う町でもあったのだ。


「ふむ」


 クラウドがこの光景を見て唸った。


「伐、楊」


「なんだ」

「……」


「観光で暮らしている国がだな。どこか一国に肩入れするなどという事が考えられるか」


「怪しんでいるのかクラウド? この国は瑪瑙につくと宣言しただろうが。それとも、こやつ等は我らのような真似をするとでも?」


 一度、紅玉からの使者を討ったクラウドと伐である。

 この一行に楊がいたのだが、使者たちの目的は瑪瑙の王族の暗殺であった。

 そのため、クラウドたちが行なった行為は表立って明らかにされてはいない。


「ありうるだろうな。どちらにせよ、王子からは離れぬことだ。楊、侍女の格好をしてついていてはどうだ?」


 クラウドの言葉に、楊は顔をしかめた。

 ひらひらした動きにくい格好が嫌いらしい。


「いや、絶対に楊はそういうのが似合うぞ。メイド服なんかは絶対に似合いそうだ。クールビューティチャイナメイド」


 クラウドが呪文を唱えた。

 よく分からない勢いに押されて、結局楊は侍女姿になり、天宇の護衛をすることになった。

 伐としては、己が飼う蟲を王子に付けておく事で監視は万全だと思っていたのだが、クラウドはまた別の考えらしい。


「まあ見ていろ。この土地の形、実に企みごとを実行するには都合がいいんだ。備えておいて備え過ぎということはあるまいよ」


 彼の言葉は予言めいていた。




 使者一行は大いに歓待された。

 地元の宿でも、王族や貴族しか泊まれぬという最高級の部屋に案内され、緑青の名物である温泉も、大きなものを独占できる。


 交代で護衛の任務があるとは言え、兵士たちは大いに喜んだ。

 天宇はジョカ、楊と共に入浴したようだが、伐は護衛をしつつ困惑していた。

 隣にいるクラウドが、壁にピタリと耳を当てて微動だにせぬ。


「何をしている……」


「ジョカ様の言葉や水音を聞き逃さぬようにしているのだ。キャッキャウフフは人類の至宝だぞ……!?」


「俺はお前のいう事が度々分からなくなる……」


 伐は頭を抱えるのだった。

 入浴が終われば、王宮に招かれての晩餐となる。

 これは、緑青が誇る天空庭園にて開催されるのである。


 天空庭園とは、その字の如く、山頂の宮殿から虚空に向かって大きくせり出した人工の庭園。

 見渡す限り、遮るものとてない絶景が広がるこれこそ、緑青という国家の象徴であった。

 庭園を包む欄干を越えれば、そこは目も眩むような千尋の谷。


 絶景であると同時に、ここは開かれた閉鎖空間でもある。

 さらに、ここに続く回廊もまた、天空を歩む道であった。

 この国にやってくる途中、天宇が見た空に掛かる橋がそれである。


「来るならばここだろう」


 天宇王子を守る体勢で、クラウドたちは行く。

 天空回廊は長く、長く続く。

 これは谷底より突き出した、槍の如き岩山に柱を立て、その上に設けられた通路であった。


 谷もまた温泉が流れ、湯煙が視界を隠そうと漂ってくる。

 回廊には天蓋こそあるものの、横は欄干と柱のみ。

 側面の全てが窓のような状況で、湯気がいくらでも入ってくる。


「幻想的な光景だ……。すごい……」


 天宇がぼうっと見とれながら歩いていく。

 湯気の中、遠くで揺らめく町の灯りがにじんで広がる。


 赤や橙、あるいは色つき硝子を通した、青や緑の光が彼方を夢幻の如く彩っていた。

 一方、これに対してはジョカは退屈そうである。


「ふむ、あれがよいのかの? ただの光ぞ?」


 などと言いながら、きょろきょろとする。


「わらわが気になるのは、もっと、それ。そのあたりに隠れている奴ばらじゃの」


 この言葉を受けて、背後を歩いていた伐と楊がギョッとした。

 彼らには、この回廊に自分たちの他にある者の気配など感じ取れなかったからだ。

 だが、かつて楊が虎となって姿を消した時、これを造作も無く視認してのけたジョカである。


 この童女の眼力は、尋常なものではない。

 着慣れぬ侍女姿の楊と、それなりにめかしこんだ伐は身構えた。

 ごく自然体で立つのは、不遜にも王子の前方をのしのし歩いていた黒衣の軍師。


「ジョカ様が見つけたのはこれのことだろう。俺の昔の仲間にな、不意討ちバックスタブが天才的に上手い奴がいた。そう、ちょうどこれくらい……」


 言うなり、クラウドは無言で手の中に、黒い銃を召喚した。

 武器の名前を呼ばないということは、それだけこの男が本気である証拠だった。

 銃の登場と同時に、そこに黄金の球体が叩きつけられる。


「ククク……。よもやこうして、敵と味方になって再会するとはな、クラウド」


 その男が、突然出現する。

 天宇の眼前である。

 つまり、狙おうと思えばいつでも王子を手にかけることが出来た。それでいて、あえてクラウドを狙ったのである。


 彼は、紅いマフラーを纏った痩せぎすの男だった。

 左目ばかりが見開かれ、右目は糸のように細い。

 凶相であった。


「腕は相変わらずのようだな、ハンゾウ」


「いかにも。そしてこの回廊が貴様らにとっての死に場所となる。俺が手塩にかけて育てた忍者部隊がお相手しよう」


 紅い男は、きししし、と笑いながら、また唐突に消えた。

 完全に気配が消え失せる。


「なっ……なんなのだあの男は!」


 伐は戦慄した。

 ただの武侠ではない。


 あれは、まるで、眼の前にいるこの黒衣の異常者のような男ではないか。

 そして、クラウドは彼を、かつての仲間だと口にした。


「諸君、俺から言うことは一つだ。死ぬなよ?」


 実に嬉しそうに告げながら、暗躍者クラウドはもう片手に紅の銃を召喚した。

 視界を覆う湯気の中、無数の殺意が湧き上がる。

 天空回廊の戦いが始まった。

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