第12話 唸れトンファーキック、クラウド策謀すること

 楊が変じた虎が、月光に向かい大きく一声吼える。

 聞いたものの臓腑をも震え上がらせるような、凄まじい咆哮である。


 一瞬だが、蟲使いの伐も動きを止めた。

 彼の顔から、どっと汗が流れる。


 なんともない、という顔をしているのは、ジョカという名の童女である。

 調理の手が止まった使者の部下から、食材をつまみ食いしている。

 そしてもう一人。


「ふう……トンファーが無ければ危なかった」


 交差した黒と紅のトンファー。合間から覗くのは、にやりと笑うクラウドである。

 明らかに両腕はトンファーで塞がっており、耳はオープンだ。

 トンファーが何かの仕事をしたようには見えない。


 だが、そういうアレコレは使者や伐には分からない。

 なるほど、そういう武術なのか、と勝手に考える次第である。


 楊は唸りながら、じりじりと間合いを詰めていく。

 動きは虎のようだが、距離の測り方は戦い方を知る、武侠のそれであった。


 円を描くようにクラウドを囲みつつ、その体内に力を蓄えていく。

 押し込められたバネが弾けるように、いつ虎がその力を持って襲い掛かってくるか分からない。


 いつやって来るのか。

 今か。

 それとも、次の瞬間か。


 敵を緊張させ続け、焦燥させる狙いもあるのだろう。


 だが、である。


「破ぁっ! トンファーストーン!!」


 いきなり振り返ったクラウドが、楊目掛けて握った石を投げつけた。

 いつの間に!? と目を剥く楊。


 人間の打撃は、虎にさほど効果をもたらさない。

 だが、投擲となれば全く別である。人間という種が行なう投擲は、全ての動物の中で最強なのだ。


 虎は描いていた弧の動きを諦め、機敏な動きで飛び下がった。

 その地面に石が着弾する。ごす、という重い響き。殺意満点の投擲だったらしい。


(……どこにトンファーが……!?)


 楊は真面目であった。


 トンファーの名を受けて投げつけられた石であるが、あれはトンファーが無くても可能な動きである。

 一瞬真面目に考え込んでしまったために、隙が生まれた。

 そこに、クラウドが飛び込んでくる。


「隙あり!! 地の底よりいずる氷結地獄コキュートスの沼に沈め! 暗黒トンファー・破鎧衝ダイナミック!!」


 背中から突っ込んでくる!

 こいつ、阿呆か!? いや、もしや何かの策が!?

 思いつつ、咄嗟に楊は身を捻りながら、大きく前足を振り回した。


「危ない!!」


 ピタッと寸前で止まるクラウド。楊の前足が宙を掻いた。

 背中から飛び込んできたのは、特に意味は無かったらしい。

 ちょっと振り向きながら、間合いを確認している。


「よし、コートは無事か……!」


 いや、間合いではなく衣装を気にしている。

 さすがにイラッと来た楊は、低く身構えて力を溜め、全身をバネに変えた。


 無言のまま、静かに虎の瞬発力を解放する。

 巨体が月下に踊り、黒衣の男に襲い掛かった。


「くっ……! トンファースルー!」


 クラウドは叫びながら、後ろ向きのまま、前に歩く動作で・・・・・・・後退した・・・・

 これが、央原にムーンウォークが降り立った初めての瞬間であった。


 楊も、傍で見ていた伐も、間合いの感覚が狂った。

 虎の攻撃は空を切り、後退したクラウドに尻を向ける形で降り立ってしまう。

 そこに、クラウドが踏み込んだ。


「好機! 食らえ今必殺の! トンファーキーック!!」


 強烈な蹴りが、楊の尻を痛烈に蹴飛ばす。ちなみに掛け声の大半は蹴った後に叫んでいる。

 人間は非力な動物と言われているが、その脚力は類人猿と比べても段違いに高い。


 二足歩行で常に肉体を支えているのだから、足に蓄えられた筋力が強いのだ。さらに、鍛えている人間の蹴りであれば、大型の肉食獣にも痛痒を与える事ができよう。

 尻尾の付け根を強烈に蹴り上げられ、虎が悲鳴をあげた。


 クラウドが使者に向かって、カメラ目線で何やらかっこいいポーズを決めた。

 使者、困惑。


「クラウドーかっこよいぞー」


 きゃっきゃっとはしゃぐジョカ。

 伐はしきりに首をかしげながら、


「あのトンファーとやらはいつになったら使うのだ……」


 などと呟いている。

 そうこうしていたら、クラウドは、


「ふっ、トンファーの力を思い知ったか」


 などと言いながら得物をどこかに消してしまった。

 結局、格好をつけてクルクル振り回していただけである。


「何か撃ったりせぬのかや?」


「ジョカ様、さすがにトンファービームはハードルが高すぎですぞ」


「トンファー……。トンファーとは一体……」


 哲学的な悩みを得てしまった伐。

 その背後で、怒りに燃える楊が振り返った。

 油断無く身構え、低い体勢から襲い掛かろうとする。


 本来、虎の強さの真骨頂とは奇襲である。

 体毛の縞が枯れ草や木々の色彩、木漏れ日に紛れ込み、気配を察知させぬ接近からの、必殺の一撃。

 向かい合っても強いが、姿を現した虎など、本来の能力を発揮できるものではない。


 だが、楊は武侠である。

 クラウドの目の前で、武侠が変じたこの虎が、スウッと姿を薄くしていった。


「光学迷彩か……!」


 クラウドは不敵に笑いながら、無手となった両腕を天に掲げた。

 彼の周囲で、不可視の何者かが動き回る気配がある。


 消しきれぬ殺気。

 それでも、虎が周囲を駆ける速さのせいで、動きを捉えきれない。

 さすがのクラウドも、万事休すか……と思われた。


 その時、クラウドの視線がジョカに注がれる。

 ジョカだけは、何かをしっかりと見据え、目線と首の動きで追っている。

 ……見えているのだ。


「そこか。”吼えろ、ケルベロス”!!」


 クラウドが右腕を突き出すと、そこに輝きが集まり、黒い銃が生まれる。

 同時に、銃が何かとぶつかり、火花を散らす。


 獣のうめき声が聞こえた。

 どうやら、爪の一撃を繰り出していたようだ。これを、クラウドは銃で受け止めたのだ。


「み、見えておるのですか」


 使者は驚愕というより、焦りを顔に浮かべる。


「見えんさ。だが……見えている子がいるんでね”猛れ、オルトロス”!」


 今度は左側方。

 不可視の爪を、出現した赤い銃が受け止めた。

 トンファーよりも、銃を手にしたほうがよっぽど接近戦をしている。


「虎の攻撃を受け止めながら、体幹が崩れないとは……相当な鍛え方をしているな」


 伐が冷静に分析する。

 攻撃が交差する瞬間、虎の姿が見えるのだが、クラウドはこの攻撃を銃身で受け止めつつ、一歩も下がってはいない。

 インパクトの瞬間、逆方向に銃撃を放つことで虎の力を相殺しているのだ。


「楊の力が通用しない武侠がいるとなると……ぬぬぬっ」


 使者の側で、本人のみならず、それなりの要職らしい者たちが色めき立っている。

 戦いながらも、これらを聞き逃すクラウドではない。


「では終わりにしよう!」


 黒衣の男は、コートの裾を翻しながら大きく跳躍した。

 既に、ジョカの目線は追っていない。

 その必要が無いからだ。


 両手に握った銃を、それぞれ別の下方に向けて構える。

 銃撃音とともに、クラウドの跳躍が上空へ加速した。


 同時に、着弾した地面が大きく抉れる。

 何かが攻撃を回避した気配。草むらが踏み潰され、連続して足跡が駆けていく。


「デッドエンド・シュ……いや! グッドエンドシュートッ!!」


 何故か途中で言い換えて、クラウドは引き金を引いた。

 銃弾が二発。


 それらは、不自然に間隔を伴って放たれた。

 銃撃は足跡が立ち止まった場所を挟み込むように炸裂し……!


「…………!!」


 爆発とともに、楊が高く跳ね上げられた。

 挟み込むように放たれた着弾の衝撃波が、既に彼女の意識を奪っている。

 これを、クラウドはなんと空中でキャッチした。


 楊の姿は、もはや虎のそれではない。

 女武侠に戻っていた。

 銃撃で落下の勢いを殺し、着地したクラウド。


「いかがかな? この俺がいるのだ。君たちの無粋な企みは成功させんさ」


「気付いておられたのですな……」


 使者の背筋を冷たい汗が伝う。

 つまり、話はこうだ。

 宣戦布告をしに行くと見せて、使者は虎に変じる武侠を連れていた。しかも、姿を消す事が出来る虎の武侠である。


 これをもって、瑪瑙の王なり、戦の責任者を暗殺しようと考えていたのだ。

 頭を潰されて混乱した瑪瑙を、大国紅玉が一挙に討ち取る。


「なあ使者殿。戦はな、パーッと大きくやるから面白いのだ」


「お、面白いだと!?」


「いかにも! 戦争など娯楽だよ。国と国が、集団と集団が、武力と知力の限りを尽くして争う! これほど血涌き肉踊るものがあろうか? いや、無い! それを、暗殺などで終わらせてはつまらないだろう?」


「う、うぬ……!! だが、迂闊でしたな。それほどの実力と洞察力を持ちながら、あなた方は少人数で我々の中にいる」


「ほう……! やる気か、あれを……!!」


「クラウド殿が目を輝かせている……。嫌な予感がする」


 伐は顔を引きつらせた。

 そんなものに気付く事などなく、使者が叫ぶ。


「討ち取れ! この武侠は瑪瑙の刺客なるぞ!! クラウドとやら! この私を殺せば、瑪瑙は紅玉の使者を殺した卑怯者として、わが国の正統な介入を招きますぞ! しかも世間の小国が瑪瑙に戦を挑む大義名分となる! さあ、どうされっ」


「デッドエンド・シューッ!!」


「ウグワーッ!?」


 最後まで言わせないよ!! という強い意志を感じるクラウドの割り込み射撃で、使者が粉々になった。

 その背後で、伐が指笛を奏で始める。

 月光の下に、蟲たちが雲を作る。


「周囲の全てが敵……! 燃えるシチュエーションじゃないか。有能な軍師が活躍するなら、それくらいでなくちゃな!」


「やれやれ……。だが、俺は、分が悪くなれば貴様を裏切るからな」


「それくらいでなくては面白くない。……ということで、やっておしまい!」


「おしまい!」


 クラウドが腕を大仰に振り、集まってきた武侠を指し示すと、すぐ横までやって来ていたジョカが真似をした。

 かくして……。

 瑪瑙首都へ向かっていた、紅玉からの使者の一行は、姿を消す事となる。

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