第11話 大国の策動、それはそれとして月見をする

 瑪瑙の都では、王族や官吏が今頃恐慌状態であろう。

 南にある大国、紅玉より、宣戦を布告する書を持った使者がやって来たのだ。


『瑪瑙が引き起こした戦乱、朕は天下泰平を乱すものと懸念する。央原に乱を呼ぶもの、朕は誅する所存なり』


 というような、皇帝の言葉を記した書である。

 いかな大国であろうと、紅玉の口出しなど何をか言わんや。

 しかし、それが玉璽を有する今上帝の言葉であるならば別なのだ。


 皇帝が一言発すれば、近隣の小国が義勇軍となり、瑪瑙に攻め寄せてくるかも知れぬ。

 だが、瑪瑙の言い分としては戦を始めた側が翡翠なのだから、自分たちが責められるのはおかしい、というものである。

 つまり翡翠国が全部悪い。


 それはそれとして、このまま放置していると確実に紅玉からの使者は暗殺されかねない状況であった。

 使者なる者を消して、「翡翠の仕業です」「間違いなく翡翠からの刺客がやったんです。証拠はここにある」なんてことをしたら、とりあえず勅宣に対する小国の動きに混乱をもたらすことが出来るのである。


 後々事実がばれれば、瑪瑙の首がキュッと締まるのだが、そんな可能性段階で未来の話をするのはこの世界の文化ではない。

 少なくとも、先を見通せるほど頭がいい文化人は、長い平和のうちに皆堕落してしまって、瑪瑙王朝の言葉に頷くだけの存在になってしまっている。

 ということで。


「俺が護衛に来たのだ」


「物好きですな。だが、我らも紅玉選りすぐりの武侠を護衛につけているのです。お気遣いなど無用ですが。そもそも貴方が刺客ではないという証拠がありますまい」


「それはもっとも。では行動を示そうじゃないか。それを見て判断してくれ」


 使者の前に現れたのは、黒衣の男と彼に従うらしい道服の男である。

 言わずと知れた、クラウドであった。

 今回の護衛を申し出たのは、深い理由が存在し……。


「クラウドよ、これは瑪瑙にとっては己の首を締めることになるのではないか? 私はどちらでも良いが、間違いなくこの仕事を請け負えば、味方と戦うことになるぞ」


「うむ、いいんだよ。翡翠だけでは弱いだろ。それに、やはりこういう大戦と言ったら、世界中を巻き込まないとな」


「面白半分ということか……。お前が何を考えているのか知らんが……退屈はしなさそうだな」


 仕官してでもいない限り、武侠とは基本的に無頼漢である。

 クラウドに従う形になっている伐にしても、彼と共にあることで、己が益を得られるだろうという唯一つの理由があるから付き従うに過ぎない。

 ともあれば、主が鈍り、安定を求めれば、この蟲使いは躊躇無くクラウドの首を狙うだろう。


「しかし良かったのか? お前は隊を任されていたと聞いたが」


「そこは策を書にしたためてだな。舜将軍に預けてきたのだ。だから今頃、瑪瑙は紅玉側の空気も読まず、イケイケで翡翠を攻めているぞ。ああ、紅玉側の間者らしき奴がいたので、それは処置しておいた」


「瑪瑙の動きは、紅玉に伝わっていないというわけか。むむむ……。恐ろしい男よ」


 伐が唸っていると、道服の袖をくいくい引くものがいる。


「ばつー」


「なんだ、童か。どうした? 腹でも空いたか」


 長い黒髪を、頭の両側で輪を作るように結わえた、見た目も愛らしい童女である。

 クラウドと常に共にいる、ジョカという娘であった。


「蟲ちょうだい」


 彼女は言うなり、伐の袖に無造作に手を突っ込んだ。


「お、おい!」


 ひょいっと、蟲の一匹を取り出してしまう。

 鋼の羽を持った、人肉を食らう凶悪な蟲である。

 だが、それがジョカにつままれると、まるで甲虫か何かのようにジタバタ暴れるばかりで、無害になってしまう。


「私の蟲も、この童にかかれば形無しだな……」


 あーん、と口を開けて蟲を口に入れたりしているジョカを見て、伐は薄ら寒いものを感じる。

 蟲を手懐けたわけでなく、ただ単純に蟲が通用しない相手である。

 ひょっとすると、見た目どおりの童女ではないのかもしれない。


 クラウドはと言うと、


「こらジョカ様! ばっちいから口に入れちゃいけません! ペッしなさい!」


「もむー」


 童女と戯れている。

 そこでまた、紅玉の使者たちと合流する。

 幾人かの武侠がおり、彼らは皆、警戒した目でクラウドと伐を見ている。


 流石にジョカを警戒しているものはいないようだが、それこそ節穴ではないかと伐は思う。

 本当に底知れないのは、この場違いな童女だ。


「やあ、使者殿、月が出てきましたな」


 そこで、空気を読まずに話しかけるのがクラウドだ。

 黒衣の男は、紅玉の使者だという壮年の男へにこやかに声をかける。


「ああ、そうですな。これはなかなか、見事な月だ」


 見上げると、なるほど、やや雲がかかりながらも、ぽっかりと空いた雲間の夜空に、明々と満月が輝いている。

 ここは央原、金河からは離れた道の半ばである。

 舗装するほどの技術はまだ無いから、人や馬が無数に通り過ぎ、土が踏み固められて道となったものだ。


 周囲に、夜空を遮るほど大きなものは無い。

 遥か遠方には山脈もあるのだろうが、この辺りからは見えない。

 央原は広大である。


「どうだろう、このあたりで月を愛でながらキャンプと行かないか?」


「キャンプ……? 野営のことか。そうだな、そろそろかもしれん」


 使者たちは急ぎ足であった。

 そのため、普段であれば野営の準備を行なう日暮になっても、道を行く事を止めなかった。

 だが、いい加減日も落ち、今日はここまでと判断したらしい。


 使者の一群が連れている荷馬車から、野営の為の道具が下ろされてくる。

 すぐさま、柱が立てられ、風除けの布が張られた。

 天蓋に布を被せようとしたところ、


「よい、よい。月が見えるようにしておこう」


 使者の判断で、今宵は天蓋なしとなった。

 そこで、伐が外へと出て行く。


「見張りは蟲どもにやらせよう」


 言うなり、高い指笛を奏でる。

 すると、伐を取り囲むように黒い霧が湧きあがる。


「蟲使いの技か……!」

「おぞましい」


「あのむしは揚げたらおいしそう」


「ジョカ様、食べられない虫かもしれませんぞ!」


 クラウドと童女のことは放っておこう、そう心に決め、伐は己の目であり、耳である蟲を辺り一帯へと放つ。

 あちらこちらで、かすかに鳴り響いていた虫たちの声がぴたりと止んだ。


 自然なものではない、凶悪な蟲が周囲に広がった為、彼らは息を潜めたのだ。

 耳が痛くなるような静寂が、央原の夜を支配した。


「さて、護衛の方。一つ余興を見せてくれませんかな」


 夕食を作る煙が上がる中、暇を持て余したのか使者が提案してきた。


「我が紅玉の武侠もなかなかのものと自負してはいるが……噂に聞くと、瑪瑙の武侠の強壮さは他に比べるものも無いとか」


「ほうほう。ええ、確かにそうだ。その通りだ。中でも俺は強い」


 クラウドが腕組みをして頷く。

 この際、クラウドが瑪瑙の武侠というわけではない事実は話さない。


「ははあ! それは楽しみですな! では、うちの武侠と手合わせ願えんかね? 静かな月夜の原で武侠の勝負、実に絵になりますな」


「おおっ、それはいいな。断然カッコイイ……! 俺ならば、白黒だけの水墨画で描くところかもしれない。攻撃エフェクトはこう、筆でズハーッと書いた感じで」


「……? 言っている事はよく分からないが、気に入ってもらえたようで結構結構。これ、楊」

「はっ」


 現れたのは、肩をむき出しにした衣装の女である。背は高く、クラウドと変わらない。肩幅があり、体格も堂々たるものだ。


「この男と仕合なさい」

「はっ」


「ふむ……。俺は基本的に女性を大切にするタイプだが、向かって来るのならば女であっても手加減できないぞ?」


 ちょっと不満げなクラウドである。


「男キャラが全力を使って女キャラに勝つとか、絵的にちょっとなーと思うときがあるんだ。だから君にはもっと強キャラ感を出して欲しい」


「……?」


 楊と呼ばれた女が首をかしげた。


「クラウドはいつもむつかしいことをゆう。気にするでないぞ」


「そ、そういうものなのか」

「よし、楊、護衛殿はお前をたかが女だと見ているようだ。本当の力をみせてやりなさい」

「はっ」


 使者に命じられ、楊は戦場へと向かう。

 そこだけ、風除けの布が取り払われ、観客席のようになっている。


 目の前に広がる央原は、一面が戦の舞台だ。

 向かい合うのは、黒衣の男クラウドと、軽装の女、楊。


「行くぞ」


 楊は告げると、不意にその腕を地面につけた。


『ウォォォォォッ』


 喉から、人ならざるものの雄叫びが上がる。

 変異は一瞬。

 楊がいたであろうそこには、堂々たる巨躯を月下に見せ付ける、一頭の虎がいた。


「なんと……!!」


 クラウドの目が驚愕に見開かれる。

 使者の口に、意地悪な笑みが浮かんだ。

 相手をただの女と見くびったのか。それとも、武侠であっても女ならば勝てると踏んだのか?


 甘い。

 楊は虎に変じる事が出来る、仙骨を持った武侠だ。

 並の武侠など、彼女の相手にもならない。


「やってしまいなさい、楊。その男の鼻柱をへし折ってやりなさい」


 人は一人では、虎には勝てない。

 武侠であれば別であろうが、それが武侠としての力を持った虎ならば、また話は変わる。


 使者はこの勝負の行く先が、楊の勝利であると疑わない。

 だが、である。


「シェイプチェンジャーというやつか。いや、ライカンスロープか!? どちらにせよ、満月で変身するというのは絵になっていいな! それに……これなら、俺が勝っても弱いものいじめには見られまい!」


 嬉々とした表情で、クラウドは身構えたのである。


「”吼えろ、ケルベロスact2”!! ”猛れ、オルトロスver2”!!」


 彼が奇怪な呪文を唱えると、無手であった両手が金色に輝く。

 そこに生まれたのは、黒と金の色を宿した棍と、紅と金色の色彩をした棍である。

 棍の先端近くから、真横に取っ手が突き出している。


「そう、これはトンファー……!!」


「な、なんだその技は……!?」


 驚愕する使者。

 楊もまた、飛びかかろうとした目の前で、クラウドが未知の武器を呼び出した様に度肝を抜かれたらしい。


 虎が動きを止め、毛を逆立てている。

 ちなみに、トンファーの端、肘側には何故か銃口がある。


「このクラウド、ガン=カタだけが能ではないというところ、見せてやろう!」



___________________

 次回、クラウドのトンファーキックが唸りを上げる!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る