第10話 黒衣の軍師気取り、戦場を俯瞰すること

 鋼の甲を持つ蟲は、主ならざる者が立っても小動こゆるぎもしない。

 まさか、蟲使いと並び立つ人間がいるなど、想定されてすらいないからだろう。

 事実、この蟲を自在に操る武侠も、今起こっている事態に狼狽していた。


「ば、ばかな!」


 黒衣の男が目の前に立っている。

 紅い銃口が蟲使いに向けられ、だが男の目は、周囲の光景を見回していた。

 なるほど、蟲が高らかに飛び上がっているから、この大地の場所は周囲の帆柱よりもなお高いところにある。


「蟲の見晴台か! こいつはいいな。しばらく利用させてもらいたいところだ!」


「ばっ、馬鹿か!? 何を言っている!? これは私の蟲たちだぞ!? それに、お前がその音が出る筒を使えば、驚いて蟲たちは散り散りになり、お前は海へ真っ逆さまだ!」


「そうだな。だが、貴様は死ぬ」


 チャキッと引き金で音を立てると、蟲使いは鈍い汗をかきながら押し黙った。

 彼には、多少の攻撃をされたところで、死なない備えがある。

 蟲は目に見えるように操るばかりではない。肉体の一部と同化させ、己を強化しながら使うことも出来るのだ。


 この蟲使いは、そういった蟲を多数、体の中に飼っている。

 相手が並の兵士であれば、どれだけ切られて刺されたところで、やられる気がしなかった。

 だが、鋼の蟲を軽々と蹴散らした、あの火を噴く筒が目の前にある。


 これで撃たれて、自分は無事でいられるのか。

 未知の武器だ。

 これを耐えられる自信はない。


「鈴玉、聞こえるか? ここから指示を出したい!」


 男が声を張り上げると、下からふよふよと、魔法使いの娘が浮かび上がってきた。

 何やら、紙の幣を何枚も繋ぎ合わせたものの上に立っている。横には、まだ口をもぐもぐ言わせている童女。


「指示と言うと? クラウド殿に任せられているのは、あくまでこの船のみのはずだけど」


「フッ……。実は俺は、集団を指揮して戦をしていた時期があってな。デスブリンガーと言う俺のギルド……いや、軍隊は、あの戦場において敗北を知らなかった」


「なんと!? ではあなたは軍師でもあるということなの!?」


 瑪瑙における軍師とは、将軍職に対するある側面からの呼び名である。

 一軍のみに縛られず、より多くの軍隊を統率し、戦場を俯瞰しながら戦争そのものをコントロールする。


 かつて、瑪瑙、翡翠、紅玉の三国が成った、五十年前の央原大乱。

 無数の小国がまとまり、あるいは滅び、最後に残ったのは今にある三国。

 この大戦争において、軍師と呼ばれる将は、奇想天外、縦横無尽の用兵術で戦場を支配したと言う。


 今でも伝説として、軍に関わる人間たちの間では語り継がれているほどだ。

 それほど、軍師と言う存在が持つ意味は重い。

 生半な人間であれば、例え武侠であろうと、気安く軍師を名乗る事は無い……のだが。


「そう、その通り……! やはりばれてしまったか……。漆黒の軍師とはこの俺のことよ……!」


「な、なんと……!!」


「貴様、あの軍師だと言うのか!! い、いや、馬鹿な!」


 鈴玉も虫使いも、驚愕の余り目を見開く。

 軍師である事を公言するなど、本物か、さもなくば後先考えぬ馬鹿者のどちらかである。

 売名行為であったなら、真実が明らかになった時点で殺されてしまっても仕方ない詐称だからである。


「だが……まだそれを大々的に伝える時ではない。俺は舜将軍に雇われた身だからな。真の軍師とは、歴史の表舞台に現れず、影からその時代の英雄を支えるもの……! ということで鈴玉」


「え、ええ、分かったわ。”符を以って著す。是、伝えの理”」


 魔法使いの女が、袖口から取り出した黄色みがかった紙幣を眼前にかざし、どこからか取り出した筆で文言を書き付ける。

 書きながら、力ある言葉を告げると、紙幣はかすかに輝いた。

 これを中空に投げ上げると、彼女は筆をどこかに消し、自由になった両手を用いて指先を連続して組み合わせ、最後に人差し指のみを伸ばした合掌の形で、


「”結”!」


 と発した。

 その瞬間、瑪瑙側に属する全ての船の一部がぼんやりと輝く。

 何か、不可視のチャネル(データの通路)が結ばれたようである。


「これで、あなたの言葉は全ての船に届くわ。一体何をやるつもり?」


「おっと。いや、こうして戦場を見ると、俺が知ってる戦場とは違った光景だと思ってな」


 身じろぎした蟲使いを銃で威嚇しながら、男は戦場を睥睨する。

 そこでは、数珠繋ぎになった船の上で、あるいは船の周りで、まるで鳥やバッタのように跳ね回る武侠たちが激しく切り結んでいるではないか。

 兵士たちは彼らを援護するように、弓を射掛けたり船の周りを槍で固めたりしている。


「武侠のワントップで戦争をやるのか? 随分変わったやり方だ」


「古い時代には、兵士たちをもっと有効に活用できる軍略なる方法があったそうだけど……。それらを行使する有能な軍師たちは、平和な時代では才覚を疎まれてね」


「足を引っ張られたか、或いは無実の罪を被せられたか」


「そう言う事。あらゆる戦うための方法は失われてしまったわ。だから今は、武侠の腕に頼るのが一般的なの」


「なるほど……逆さ山で会った連中が不甲斐なかったはずだ。よし、では俺が軍略を授けよう!」


「出来るの!?」


 黒衣の男はニヤリと笑った。

 これより、三国大戦の裏で暗躍する事になる、漆黒の軍師クラウドの初舞台となる。





「武侠はミサイルだ。飛んでいったら捨てろ。どうせ連中、勝手に空を走って戻ってくるし、戻ってこない時は死んでいる。船は独自に動き、武侠を失った敵対する船を沈める方策をとらせる」


「武侠を見捨てる……!?」


「どれだけ強大な人間でも、一人で突っ走られたら戦争ってのはやっていけないのだよ。この舞台は、彼らの為にあるのではない。自らが戦の駒の一つでしかないと、思い知ってもらおうか」


 命令は即座に通達される。


「武侠ごと火矢で攻撃するだと!?」

「いや、俺たちが攻撃するのは、手前にある翡翠の船じゃなくてだな」

「は? 斜向かいのを挟み撃ちしろだと?」


 疑問を感じながらも、兵士たちは実行する。

 戦力を武侠任せにした戦争は、どこか兵士たちに緊張感が欠けていた。

 命がけで戦うのが武侠同士なのだから、自分たちはこの戦いに巻き込まれないよう、身を守っていればいいのだ。


 そもそも、集団で戦闘を行なう方法など知らない。

 そのため、彼らは散発的に相手側に攻撃を仕掛けるばかり。翡翠国側も同じようだった。


 戦争の指揮を執ることが出来る有能な指揮官が欠如しているのだ。

 だが、彼らは自分の頭で考える事をしない。そのために、クラウドが下した命令に疑問は感じても、従わないという選択肢は無かった。

 命令が実行される。


 油を塗られ、魔法使いの手によって火をつけられた矢が、幾本も翡翠の船に集中して降り注ぐ。

 一本が帆を射抜くと、大きく燃え上がった。


 武侠の一人が、帰るべき船を失って狼狽する。

 その隙を、瑪瑙側の武侠が突く。

 戦場で、戦力の拮抗が崩れていく。



「一箇所拮抗が崩れたら、それはもう脆いもんだ。強固な堤も、蟻の穴から決壊する。穴を開けてやればいいわけだな」


「なるほど……。言われて見ればそうね。どうして私たちは、そんな発想も出てこなかったのかしら」


「考える頭が無いほうが、支配する側にとっては都合がいいものさ。さあ、蟲使い」


「な、なんだ!」


「君に選択をやろう。ここで俺に撃たれて死ぬか、裏切って俺の側に付くか」


「な、何!? 武侠である俺に、翡翠を裏切れというのか! 誇りを捨てろと!」


「うほー! かっこいい! う、うむ。君は、翡翠に忠誠心を持っていたのか? もしや、戦果を上げたら栄達は思いのままだとか言われてるだけじゃないのか?」


「む、むむ」


 図星だったようだ。

 蟲使いは黙ってしまった。

 そもそも、武侠に誇りとか、そういう感情は薄い。


 彼らは天才的な資質を持って生まれ、武術に開眼した人間であるというだけである。

 個々の拘りはあれど、彼らの中で最も尊ばれるのは、己の力を使ってのし上がるという野心だった。


「俺につけ。瑪瑙は勝つぞ。君は必ず、俺の元にいれば栄達を遂げる事ができる」


「む、むっ」


「なに、俺のパトロンはかの舜将軍だ。君のことは、在野の武将として俺が見出したと紹介しておこう。見ろ、翡翠の軍は総崩れだ。初戦で大敗するわけだぞ。これは実に苦しいことになるな……」


 クラウドが嫌らしい笑みを浮かべると、蟲使いは大変な渋面になり、


「わ、分かった……。貴様の元につこう」


「快諾してもらえて嬉しいよ。俺は闇の狩人……いや、黒き軍師クラウド」


「……快諾……?」


 鈴玉が首をかしげている。

 クラウドは手を差し出し、蟲使いはその手を握り返した。


「私は伐。だが、貴様が気を緩めれば、いつでもその首は我が蟲たちが食い破るだろう」


「いいねいいね」


 大変物騒な協定が結ばれ、クラウドの幕僚たる武侠が誕生した。

 そんな背後で、均衡を失った戦場は、追い立てる瑪瑙、逃げる翡翠という様相を呈していく。


 翡翠は初戦で、実に所有する船の二割を失うという大損害を被ったのである。

 瑪瑙は戦勝に沸いた。

 何より、兵をもって敵武侠が乗る船を狩るという策略に注目が集まった。

 だが……。


「さすがは舜将軍ですな。ご指示の通りに動きましたよ」


 黒衣の武侠が、集まる将軍と武侠たちの前でそう告げたことから、この戦の最大の功労者は舜将軍ということになった。

 さては、かの将軍は軍師の再来ではないのか。

 瑪瑙は伝説に謳われた軍師を手にしたり。


 勝利の追い風が吹いている今、この勢いに乗り、翡翠を一挙に攻め滅ぼしてしまえ。

 戦勝がもたらす昂揚が、瑪瑙を戻ることが出来ない戦禍へと導いていく。


 故に、ただ一人を除いて気付いていない。

 二国の争いを傍観していた大国、紅玉が、ゆっくりとこの戦へ参戦すべく、手を伸ばしている事実に。




「クラウドー。なにをにやにやしておるのじゃ?」


「ああ、うん、ジョカ様。俺はですね、ついに……ついに軍師になりましてね……。しかも影で糸を引くという……」


「なっとうかの?」


「あー、近いなあ、惜しいなあ。ま、これだけ大勝したら、黙ってない勢力もあるだろう。戦は拡大するぞ。どんどん広がっていく。さて、いつまで向こうさんたちは愚かな敵のままでいてくれるかね。平和な時代に腐れて消えた軍略を、さっさと取り戻さないと」


「むつかしいことを言っておるの。ひとりごと?」


「ええ、まあ、俺が残らず平らげてしまうぞって思ってですね」


 黒き軍師、あるいは央原に降り立った疫神の化身か。

 クラウドは笑うのだった。

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