第9話 船を橋に見立てる戦場、武侠が舞うこと

 幾艘かの船が、瑪瑙、翡翠の両軍から繰り出してくる。

 彼らは戦ということもあり、互いの寺院から魔法の使い手を借り出して、船を動かしている。


 本来であれば、二国とも原始的な帆船を使っている。

 だが、寺院が独占している魔法の力があれば、専用の軍船を動かすことが出来るようになるのだ。


 大河の上で銅鑼が鳴り響く。

 伝説上の龍や、麒麟と言った獣をかたどった舳先がいくつも並ぶ。

 楽団が戦の音色を奏でて、戦場となるこの水の上は、賑やかな雰囲気に包まれる。


「ほう、この宝珠で船を動かすのか」


「うむ、魔力があつまっておるな。どれどれ」


「こ、こら! 瑪瑙珠をぺちぺち叩くのではない!」


 船長室に据えられた、特大の瑪瑙。

 ぼんやりと薄緑の輝きを放つこれこそが、船の動力源である。

 この船は、舜将軍がクラウドに任せた一隻。


 瑪瑙軍に従う武侠は数多おり、クラウドもその一人として部下を与えられている。

 もっとも、この男、責任感など露ほども感じていないようだが。

 今も、連れの童女と共に船内を物見遊山気分で歩きまわって、最後に船長室へたどり着いた所である。


 だが、瑪瑙側からのこの大盤振る舞いに疑問も感じるもので。


「そもそも、俺たちのような流れ者に権力など与えてしまっていいのか?」


 クラウドはこの船の動力を担当する、寺院の魔法使いに尋ねてみた。

 魔法使いは、僧侶とはまた別系統の位階に属する存在で、かつては仙人などと呼ばれていたらしい。


「それは問題ないわ。そもそも、士官してくる武侠の願いは立身出世。軍において戦働きをし、功を上げて出世することを目指す武侠が、みすみす軍に良からぬ企てなどしないでしょう。それに、我ら魔法使いと軍属の武侠も乗り込んでいる。軍はお前たちに成果を上げる機会を与えるけれど、反乱の意思あらばいつでも止められるのよ」


 ここ担当の魔法使いは、年若い娘であった。

 頭の両脇に、大きなお団子状にまとめた髪が結わえられている。


 身につけるのは、赤色の道服。

 年頃の娘らしく、洒落っ気を感じさせる様々な飾りがついていた。


「……今、私を見て頼りないなーとか思ったでしょう」


「そんなことは無い。俺は正しい意味での男女平等主義者だからな。どちらにせよ、俺の相棒で撃ち抜かれればおしまいだ。だが幼女にだけは手を出さん……。これは鉄の掟なのだ……」


「お……おう」


 魔法使いは少々引いた様子である。

 彼女の名は鈴玉と言い、一応見た目通りの年齢では無いとのことである。

 時代が時代なら、地仙と呼ばれ、天に昇るために修行を行う、仙人としてはそれなりの格を持つ娘であった。


 だが、人と仙は既に混じり合い、神秘はとうの昔に失われた。

 今や、仙骨という仙人としての才能を持った人間も、魔法使いという分類にわけられ、定命の者として生きるのが定めであった。


「クラウドー。わらわは後ろのご本を読んでいてよいか?」


「おお、ジョカ様は勉強熱心ですなあ」


 ジョカに声をかけられて、急にクラウドがデレッとした。

 紙作りの技術が確立されているこの央原において、本とは高価でありつつも、比較的ありふれた存在である。


 表紙の飾りにこだわれば、幾らでも金をかけて作る事が出来るが、この船に備え付けられたものはごく普通の本だった。

 ジョカがその一冊を広げて、朗読し始める。


「んー、うーこーう、せいどくーしてー、ひびー、これーじょうじょうなりー」


「かわいい」


「かわいい」


 クラウドも鈴玉もキュンとなる。

 本来、在野であった武侠と、国家に属する武侠や魔法使いというものは決して仲が良いものではない。


 在野の者たちは品がなく、野心にギラついているからだ。

 だが、この船の人間関係に関しては、ジョカのおかげで良好にいけそうだった。


 現在、戦況は睨み合い。

 瑪瑙と翡翠の国境線は、大まかに河の中に引かれている。


 双方の主張では、国境は互いにもう少し広いとのことだが、当然のことながらこれらの言い合いに決着は付いていない。

 互いに、戦いが始まれば負けるつもりなど無いが、誰がこの戦闘の切っ掛けを作るのかという辺りで一歩目を踏み出せないでいる。


「クラウドー、鈴玉ー、おなかすいた」


「よし、では」


 ジョカが読書の途中で空腹を訴えたので、とりあえず腹ごしらえをする事になった。


「えっ、鈴玉様、この睨み合いのさなかに炊事するんですか!? 煙とか出ますよ!」


「ジョカがお腹をすかせているというのに、冷えたべいを食わせるつもりか。いいから焼くのだ」


「へ、へい」


 鈴玉という魔法使い、こう見えて幼い子どもを溺愛する人物であった。

 かくして、クラウドの船で、突然炊事の煙が上がるという不思議な事態である。


 さては火事でも起こしたかと、早合点した船がいた。

 よりによって翡翠の船である。


 軍は統率されてはいるものの、翡翠もまた、在野の武侠を抱え込み、彼らに船を預けている。

 そんな統率とは無縁の跳ね返り者が、勝手に船を進めだす。


 戦争が始まった。


「外が何やら騒がしいようだな」


 よく焼いた餅を食いながら、クラウドが呟いた。

 しきりに戦いの楽が奏でられ、ときの声が聞こえてくる。

 ちなみに餅というのは、いわゆる米を突いて作った餅ではない。べい、であり、小麦の粉を水で練って、それに刻んだ肉や野菜と言った餡を入れて焼き上げたものである。

 

「おいしい」


 餅にかじりつき、ジョカがとても嬉しそうに笑む。

 それを見て、クラウドと鈴玉がニコニコする。

 そして彼らも餅を食い、温かい茶を飲む。


 甲板で。

 甲板で、である。

 兵士達が、信じられないものを見るような目を向けてくる。


「りっ、鈴玉様!! 敵が! 翡翠の船がすげえ速度で向かってきます!」

「げえ、矢を射掛けてくる!」

「あの船……、なんだ、まるで黒い霧を纏っているような……!」


 そんな報告を受けて初めて、彼らは気づいた。

 戦争が始まっている……?


「こ、これはいけまふぇん」


 餅を口に含んだまま立ち上がる鈴玉。

 その袖を、ジョカが引っ張る。


「なんじゃ鈴玉知らぬのか。しょくじ中にたちあがってはいかんのだぞ」


「あ、ああ、そうね」


 真面目な顔で童女に諭されて、鈴玉はスッと席についた。

 兵士達が悲鳴をあげる。


「何言ってんですか鈴玉様!?」

「ぎゃあ、もうだめだ! 矢が通じねえ! あの霧はなんなんだ!? 鉄でできた霧なのか!?」


 少しあって、衝撃。

 船の舳先と舳先がぶつかりあったのだ。

 似たような光景が、あちこちで繰り広げられている。


 ぶつかりあった船と船はつながり、まるで歪な橋のよう。

 瑪瑙国から翡翠国まで続く、船の橋がそこに生まれようとしている。


 実に不安定に揺れ続け、固定すらされていない足場だが、武侠であるならばこのようなものは、不動の大地と変わらない。

 あちらこちらで、帆柱を飛び回りながら剣戟を交わすもの、はたまた、水上を駆け抜ける者、帆柱の真上から、四方に向けて無数の矢を放つもの。


「うう、まずい、まずいわ、これは」


「どうしたのだ。落ち着いて食事をすればいい。ジョカ様もそう言っている」


 悩む鈴玉は、この黒衣の男が異常なほどに落ち着いている事をいぶかしく思う。

 この男、舜将軍が直々に連れてきたという事だったが、もしや相当な大物なのか。それともただの馬鹿なのか。


 いや、この男が来たからこそ、かわいいジョカが乗り込んできたのではあるのだが。

 待て。

 しかしこの男、もしや……。


「クラウド、あなた、もしや食べ終わっている……?」


「うむ……食後のお茶は実に……いい……。せっせと食べ物を口に運ぶ幼女を見ながら、良い香りの茶を飲む。これは至福ではないのか……」


「ではあなたが率先して敵の武侠と見えては……」


「ええっ」


 クラウドがとても嫌そうな顔をした。


「むっ、鈴玉困っておるのかや」


「あ、ええ」


「クラウド、いくのじゃ」


「御意」


 鶴の一声ならぬ、ロリの一声である。

 一瞬で、クラウドがやる気に満ちた顔になった。

 それが正に、致命的な状況に陥る寸前。


「”我が名を以て命ずる。いでよ双獣”!!」


 立ち上がりざまに、黒と紅の銃を呼んだ。

 既に頭上には、黒い霧が迫っている。

 見えば、霧の上に男の姿があるではないか。


 青い道服に身を包んだ痩せぎすの男である。

 ニヤニヤといやらしい笑みを顔に貼り付けて、己が乗った霧でこの船を押しつぶそうとしている。


「さあ、丸ごと喰ろうてくれよう……!! 行け、我が同胞よ!」


「う、うわああああ!」


 兵士達が恐慌状態に陥りながら、矢を射掛ける。

 だが、これらは霧に到達するや否や、何か硬いものに弾かれて折れ落ちる。

 これは一体何か。


 道服の男は、口をすぼめた。

 その口元から、高く掠れた音色が響き渡る。口笛だ。

 その高い音色で、何かを操っているというのだろうか。


「ぐっ、ぐげええ!」

「ぎゃああ! 中に、口の中にぐべばばらっ」


 霧に巻かれた兵士達は、入り込んできた何かに中から食い荒らされて、全身から血を吹き出しながら倒れていく。

 この阿鼻叫喚の光景の中、目の前に、黒衣の男が立った。

 背後には、この船を操作していると見られる魔法使いと、似つかわしくない童女。


「諸共、喰らい尽くしてやるわ!」


「ほう……!」


 霧に喰われ倒れていく兵士達を目の前にして、黒衣の男は全く動じた様子もない。

 むしろ、ニヤリと笑いながら手にした二丁の得物の引き金を引く。

 重厚な破裂音が響き、男の足場であった黒い霧が、ごっそりと削れた。


「な、なにっ!?」


「貴様、蟲使いか! その口笛で蟲どもを操り、矢は鋼のように硬い蟲の甲で防ぐ……! 足場のようにも用いられる。あるいは、貴様の体内にも様々な種類の蟲が飼われているな?」


「な、なにぃぃぃぃ!?」


 男は驚愕した。

 彼はまさしく、蟲を操る武侠であった。


 同時に仙骨も有し、彼の口笛は蟲を操る特殊な音を発することが出来た。

 彼の技を躱せる者はあっても、瞬時にそれが何かを見抜けた者などいない。

 だが、この男は、一合も見えることなく見切ったのだ。


「な、何故それを! 貴様は一体……!?」


「くくく……ふはははは!! 俺もかつて、蟲を使って戦う闇の戦士の設定を考えていたことがある。貴様のことなど、手に取るように分かるのだよ。だが……!!」


 男が跳躍する。

 いや、銃を足元に放ち、その反動で跳んだのだ。

 帆柱を蹴り、一挙に蟲で出来た霧に迫る。


「設定ではなく、現実にしてしまった貴様には、敬意すら覚える……! かっこいい……!!」


「ぬおおお!! 蟲ども、行けぇ!」


 男は唇に指をあてがった。

 口笛よりも高い音が響き渡る。

 指笛に合わせて、虫達は有機的に、複雑な機動を行うようになるのだ。


「いいだろう、来るがいい! 翡翠には貴様のような武侠が何人もいるのか? ははは! これは楽しみだ! そして申し遅れたな!」


 黒衣の男は、紅い銃を撃ち放った。

 側面から回り込もうとしていた蟲の群れが、ごっそりと抉り取られる。


「俺の名はクラウド……! 闇から舞い降りた漆黒の凶鳥!! 行くぞ、蟲使いよ!」


 かくして、国境線の戦いが幕を開ける。

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