第8話 二国開戦の狼煙、闇の狩人、童女と飲茶を食べる

 領土侵犯に対する翡翠国の抗議があり、これに対する瑪瑙の返答は私掠船を利用した翡翠側の謀略、というものだった。

 互いの国の思惑もあり、もともと国同士の仲が良かった訳でもないから、すぐに互いに険悪な関係となる。

 一触即発、という状況。


 既に国境では、二国の軍隊が小競り合いを繰り広げている。

 徐々にその規模は増す。やがてやって来るであろう大きな戦乱の気配に、二つの国の民は不安を感じていた。


 そして、それを傍らで眺めるのは、今上皇帝を擁する大国、紅玉。

 未だ沈黙を守っており……。


「おい姉ちゃん! 俺が頼んだ麺はまだかよ!?」

「ちょっと待っておくれよ! 今日は繁盛してるんだから、出来上がりが遅れるって言ったじゃないかい!」

「ああ、仕方ねえなあ……。しかし、なんだって今日はこんなに人が多いんだ」


 ここは、最前線にほど近い、瑪瑙の国のとある街。

 戦の気配が漂うせいか、街の人々もどこか張り詰めている。

 店の一角では、そんな街の空気とは全く関係がない二人組が、央原の食に舌鼓を打っていた。


「ほふぉお、これは美味いのう! ハチミツがかかったこの甘いつるつるしたのが、なんとも堪らぬ。クラウドークラウドー! これはなんじゃ?」


「杏仁豆腐のようですな。俺が知るものよりは少々目が粗いが。おおっ、ジョカ様が甘いものを食べる時、なんと至福の表情をなさるのか」


「おおおー! 揚げパンというのか? これにハチミツをかけたものもまた……たまらぬー」


 足の付かない椅子の上で、童女が足をばたつかせて悶える。

 対面する黒衣の男は、大変だらしない顔をして幼女を見つめている。

 だが、彼の前にある刀削麺の器はどんどんとその中身を減らしているではないか。


「ああ……幼女の笑顔をおかずに食する飯は美味い……!!」


 危険極まりない言葉を呟く。

 だが、不穏な喧騒につつまれたこの食堂では、たかが一人の変態の言葉など紛れて消えてしまうのだ。

 二人連れは、店の名物である飲茶を中心に、軽食を頼んでは消費していく。


 明らかに街の姿からは大きく浮いた二人なのだが、全く物怖じというものをしていない。そのため、二人を見た店員は、違和感を覚えはするものの、二人がこうしてここにいることが正しいのだと思い、疑問を感じることは無い。

 やがて、童女が二杯目の揚げパンと杏仁豆腐を注文しようとした時である。


「た、大変だ!!」


 叫びながら飛び込んできたのは、常連の男性である。

 男ながら、甘いものに目がない彼は、街の守りを担当する兵士の一人である。


「と、とうとう、翡翠の連中が仕掛けてきやがった!」


 ざわっ、と店内がざわめく。

 店内ばかりではない。

 街中を、兵士達が開戦の知らせをもって駆け回る。


 つい先程まで、不穏な空気を感じる程度だった街が、今やすっかりピリピリとした緊張に包まれていた。


 切っ掛けは、両国間で睨み合う緊張に耐えきれず、翡翠側が放った一本の矢である。

 誰かを傷つけたわけではないが、向かい合った船舶に矢が突き刺さり、これが開戦を告げる嚆矢こうしとなった。

 後に言う、三国大戦の始まりである。


 翌日、翌々日と、徐々に戦の様相は深まっていく。

 街には瑪瑙の軍勢が集まり、厳しい連中がむやみやたらと増えた。

 だが、そればかりではない。


 人集まる所に商機あり。これを見逃さぬ商魂たくましさこそ、央原を股にかける商人という存在だった。

 あちらこちらから、食べ物や武器、弾薬、ものをかき集めて、商人が集まってくる。

 街はほんの一週間ほどで、その規模を倍にしたように思えた。


「おうい、女給! こちらも雲呑だ!」

「こっちはまだか! 腹と背中が今にもくっつきそうだ!!」

「はーい、ただいま!」


 店は外側の広場まで空間を広げ、新たに仕入れた椅子や卓を並べている。

 そして、その全ての席が埋まっているのだ。


 新たに給仕を雇い入れたが、それ以上に客が増える。

 嬉しい悲鳴だが、目が回りそうな毎日だ。


(あれ、あの二人、今日も来てる)


 女給は、いつもの二人がいつもの座席につき、いつものように飲茶を頼んでいるのに気付く。

 暑苦しい黒い革の上着に、同じ色の下履きと長い革の靴。


「ここの品書きは、食べても食べてもまだあるのう。わらわはもう、全部食べきるまでこの街からうごかんぞ!」


「ははは、ジョカ様はお口もお腹も小さくてらっしゃいますからな。お付き合いしよう」


 親子というわけではない。

 さりとて、兄妹というには、どうも纏っている雰囲気が違う。

 一言でいうなら、主人と従者。だが、随分と心の距離は親しいようだ。


 そんな二人を見る日々が続く。

 街の有様は徐々に戦時のそれに変わって行き、店が仕入れられる物資なども少なくなっていく。

 それでも、二人組はやってきて、楽しげに飲茶を口にしていくのだ。


 ある日。

 店の扉を開けて、物々しい格好をした大男が登場した。


 顔は良く知らないが、凝った意匠の鎧を着込んでいるから、瑪瑙の軍の恐らくは偉い将軍か何かかもしれない。

 彼は、いつものように飲茶を口にする二人組の前に立つと、


「これにあるは、かの商船を救い出し、逆さ山からの帰還を遂げたと噂に伝え聞くクラウド殿とお見受けする。いかに?」


 などと言うのだ。

 店の女給には、何のことなのか見当も付かない。

 だが、クラウドと呼ばれた黒衣の男は、大変面白くもなさそうな顔をして、


「いかにも俺はクラウドだが、何用か? いや、言わなくてもいい。当てて見せよう。君は瑪瑙の地方を預かる将軍だな? しかもある程度情報を収集する力を持ち、それらを取捨選択して、信じられない情報だろうと一考するだけの見識がある。そんな将軍と言えば、瑪瑙軍の舜武壮将軍の他にあるまい」


 と一息に口にした。

 目を丸くしたのは、鎧の大男である。

 口をパクパクさせたかと思うと、慌てて跪いた。


「なんたる慧眼!! おみそれ致した! 確かに我輩は瑪瑙の国境方面軍を統括する舜。あざなは武壮。名を岳と申す! かの逆さ山から一人帰ってきたという兵士が、貴公の名を口にしておった。我輩、藁にも縋る思い出ここに来たのだが……なんと、何故に我輩のことを知ったのか……!」


「なに、簡単な推理だよワトソン君」


「わと……そん……?」


「いや、失礼舜将軍。あなたの言葉には一切の迷いが無かった。仕草にもだ。これは今行なっていることが、己の意思か、疑う事も許されないより上位の命令によるものなのだと判断できる。そしてあなたの目は実に理性的で、盲信に曇っている様子はない。身分については、あなたの鎧とその見た目。俺たちがどれだけの間、この街にいると思っている? 軍の将軍の背格好と名前くらいは知っていて当然だろう。無論、情報うんぬんに対する話も、あなたが舜将軍だと分かっているからの後付だ」


「ははあ、なるほど……! これは間違いない。クラウド殿はどうやら相当な傑物の様子」


「まあそこで膝を突いていられるのも店が困るだろう。共に飲茶などどうであろう」


「いただきまする」


 二人組と同じ卓に座席を足し、大男がどっかりと座り込んだ。

 童女がしげしげと、彼を見やっている。


「ほお、大層食いそうな大男じゃのう。それ、わらわの饅頭を馳走してやろう」


「おお、かたじけないな! わっはっは、よくできた娘御じゃ」


「ジョカ様だぞ。貴いロリ様だぞ」


 クラウドなる男の言葉は難解である。

 だが、舜将軍はこの男、只人ではないと判断し、用意していた言葉を掛けた。


「クラウド殿、わが軍は、今まさに翡翠と戦端を開いたばかり。かの新興国の勢いは強く、決して我が軍は劣っておらぬが、お主のような優秀な人材を求めてやまぬ。どうだ、瑪瑙に仕官せんか」


「ほう」


 クラウドが目を細めた。


「なるほど、想像通りの申し出だ。だが……」


 彼はここで言葉を止め、茶を飲んだ。

 ジャスミンティーである。


「こういうのはパターンとして三回来てもらってだな。それで俺が了承するという流れが美しい」


「さ、三回?」


「うむ……。俺としても将軍の申し出を即快諾できんのは残念なのだが、これはこういう決まりなのだ。あと二回来てくれ」


「難儀な決まりだ……」


 結局、その日は将軍は帰り、果たしてこの奇妙な男のどこが気に入ったものか、翌日、翌々日と舜将軍は店に現れた。

 そして三日目の事である。


「うむ、ではこれだけ礼を尽くしてもらったので、俺は舜将軍の側につくことを約束しよう」


「おお。なんだか訳の分からない決まりごとを重んじる面倒な男だと思ったが、仕官してくれるならありがたい」


 そういうわけで。

 闇の狩人クラウドは、瑪瑙軍の食客となったのである。

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