第5話 外典2:クラウド、国産みの女神を拾うこと2
「クラウドークラウド―」
「は、なんですかねロリのジョカ様!」
「これ使い方が分からぬのじゃ。教えてたもれ」
「は、これは匙と言ってね、このように……あーん」
「あーん」
「旦那、随分懐かれましたね……」
卓の周りには、船頭の家族が座しており、供されている料理は大皿に盛られた川魚の煮込みである。辛い餡が絡んだ魚は、生臭さも消えており、これを赤米に乗せて食う。
野趣あふれる味であり、この辺りでは一般的な客をもてなすご馳走だ。
「旦那、一つ、その娘さんを連れてきた話を聞かせちゃくれませんかね」
軍人たちは、誰ひとりとして帰っては来なかった。
だが、黒衣の男は行きと同じ無手のまま、船頭の家族が暮らす停泊地まで戻ってきたのである。
男の隣には、彼の下に着込んでいた衣類だろう。白い衣をだぶっと被った童女が佇んでいる。
目を見張るほどの美貌で、どこか人間離れした印象を見るものに与える。
黒衣の男は彼女をジョカと呼んだ。
「俺とジョカ様との出会いか。良かろう……。長い話になる。心して聞くがいいぞ……!」
かくして、黒衣の男が語り始める。
金河上流にある岩山は、人の侵入を拒むかのように険しく切り立ち、あちらこちらに危険な崖や滝、昼なお暗い繁みが存在していたという。
軍人たちは、そこをおっかなびっくり周囲を警戒しつつ、ゆっくり進んでいく。
対する黒衣の男は鼻歌交じりで、ポケットに手など突っ込みつつ付いてくる。
「お、おいっ」
「何かな」
「なんでついてくるのか! 我々は大臣の命を受けて、任務の最中であるぞ!」
「そもそもここは一本道だ。同じ方向に行くしかないだろう」
「うぬ、ならばお前は帰ればよかろうっ」
「船はもう行ってしまったからな。なに、気にするな。俺は大臣とやらが望むものに手は出さんさ。ただの物見遊山だ」
悪びれずにそんな事を言う男に、軍人も毒気を抜かれたようだ。
何より昨夜、割り込んできたこの男に怒り任せに及んだ暴挙を止められた弱みがある。
例え軍人と言えど、この土地の船頭をむやみに殺した事が知れては、都に戻って罰を与えられよう。
この辺りを利用する人間は案外多く、船頭の顔も知られているのだ。
「では、我らの邪魔をするなよっ」
「だから邪魔はしないと言っているだろう。ほら、さっさと進まんと日が暮れるぞ。こんな崖でキャンプする気か」
キャンプという言葉は良く分からないが、確かにこのような細く、岩に囲まれた崖で日暮れを迎えるのは避けたい。
軍人たちは自然と無言になり、先を急ぐようになった。
「よし、ここを野営地とする!」
やや開けた岩場で、軍人のまとめ役らしき年かさで髭面の男が宣言した。
適当にその辺りに広がると、めいめい勝手に座り始めた。
常ならば、地元民の案内役などを連れてくるものなのだが、この土地は魔境。
地元の人間とて寄り付かない。
軍人たちはそれなりに手際よく、雨よけの幌を立ててそれらしい野営の準備を行なった。
黒衣の男は、いつの間にか姿を消している。
周囲を見回すと、彼は少し離れたところにある、やや大きな木の根元に寝転がっているではないか。
「獣が出たらどうするのだ。木の下など、見晴らしも利かぬだろうが」
「放っておけ、旅の素人なのであろう」
そんな事を言い合いながら、軍人たちは持って来た干し米を水で戻して粥にする。
薪になる枯れ木などはありふれているのが救いである。
水ならばそれこそ、辺りの渓流などに浴びるほどある。
「獣でもいればな。飯にも彩が出ただろうに」
「よせよせ。このあたりは妖怪が出るというぞ。獣と思ったら、怪物で、逆に食われてしまうこともあるだろう」
冗談を口にはするが、それを作り話と笑い飛ばすにはいささか、この環境は薄ら寒いものを感じる。
何より、勘が鋭いものは、この岩場に入ってよりずっと誰かに見つめられている気がしているのである。
ややもすると、とっぷりと日が暮れた。
木の根本にいる黒衣の男も何らかの方法で火をつけ、何か食っているようである。
「あやつ、肉を食っているのではあるまいな。どれ、俺が取り上げてこよう」
一人、気の強い軍人がいて、黒衣の男の下に向かおうとした。
その時である。
闇夜を裂いて、『ギャアアアアアアアッ』と叫ぶ声がある。
軍人たちはギョッとして振り返る。
何もない。
だが、少しするとまた、『ギャアアアアアアッ』と声がした。
「獣の声か……?」
「鳥の鳴き声かもしれん。だが、なんとも不気味な……。赤子の泣き声のようではないか」
そこで、彼らは気付く。
夜だというのに、虫の声ひとつ、鳥の声ひとつしない。
不自然な静寂に包まれている。
それを破るように、『ギャアアアアアアアッ』という声が響き渡る。
さきほどよりも、大きく。
「ち、近づいてきている」
「何だ、何者だ!」
「噂の妖怪というやつか……!」
一休みするどころではない。
軍人たちは青くなり、身を寄せ合って武器を抜いた。
お互い背を預けあい、死角が無いように身構える。
黒衣の男は寝そべりながら、それを面白そうに眺めている。
ふと、軍人は、黒衣の男の目線が自分たちの頭上に向けられたのを見た。
ハッとして見上げる。
軍人たちの直上。
そこには、まるで身を乗り出すように木々が集まり、枝が重なり影を作っている。
影の中に二つ、爛々と輝くものがある。
星ではない。
目だ。
拳ほどもある目玉である。そのすぐ近くで、真っ赤な口腔が開いて、『ギャアアアアアアアアアッ』と赤子のような叫び声をあげた。
「う、うわああああああ!!」
その軍人は腰が抜けてしまい、転がるようにしてその場を離れた。
故に、彼だけが生き残った。
そいつは、次の瞬間には覆いかぶさるよう、軍人たちの上に降ってきたのである。
一見して、翼を持つ鷲のような姿。
だがその大きさは西方に住まうという象ほどもあり、頭には牛のような角が生えている。
「ぎええええ」
軍人の一人が、くちばしに腹を食い破られながら持ち上げられた。
くちばしは、かの男を引き裂くと、その断末魔ごと飲み込んでいく。
「ひ、ひぃぃ」
なす術もない。
あっという間に、軍人たちは全滅してしまった。
このわけの分からない妖怪一匹にである。
鷲に似たこの化け物は、あらかた軍人を食い尽くすと、一人残って腰を抜かした男に顔を近づけた。
頭だけでも、人の胴よりも大きい。
「おた、お助け……!」
そこへである。
ぷぅん、と香ってくる、良く焼けた肉の匂い。
黒衣の男であった。
この状況で、持ち合わせていた肉を焼いていたのである。
怪物が振り返った。
『ギャアアアアアアッ』
「うむ」
男は応えた。
うむじゃない。
何を言っているのか分かっているのか。
「たまにはモンスターハントも良かろう……! お前、確か山海経に載ってたな。
のっそり、男が立ち上がった。
『ギャアアアアアッ!!』と叫びつつ、怪物が襲い掛かった。
だが、くちばしは何か甲高い金属音を発し、途中で受け止められてしまう。
腰を抜かした軍人が見たのは、黄金の輝きだ。
怪物の動きが止まると同時に、黒衣の男の手に輝きが生まれた。
「モンスターが相手なら名乗りはいらんな! 久々に、暴れさせてもらうぜ!」
男の足が、怪物の目の辺りを蹴りぬく。
『ギャビッ!?』
衝撃に思わず顔を背けた怪物に、男は腕と得物を交差させる不思議なポーズを取り、黒と金色が入り混じったその得物……銃を押し当てた。
「”吼えろ、ケルベロス”!!」
それらしい事を言って引き金を引くだけなのだが、耳をつんざく破裂音と共に、怪物の巨体が傾ぐ。
人間であれば当たった部位を吹き飛ばされてもおかしくない衝撃。
だが、怪物はそもそも肉体のスケールが違う。タフネスも常識の範疇ではないらしい。
どうやら頭の半分を吹き飛ばされながら、そいつは慌てて空に飛び上がった。
「よ、妖怪が人から逃げた……!?」
軍人の男が驚きに声を漏らす。
だが、本当の驚愕はそこからだった。
「”猛れ、オルトロス”!!」
いつの間にか出現していた紅い銃が、男と逆の方向に向けて打ち放たれたのだ。目に見えて分かるほどの炎が一瞬吹き上がり、周囲の空気が圧力に押されて爆ぜた。
その勢いで、黒衣の男が宙に舞い上がる。
これには、怪物も残された方の目を丸くする。
まさか、自分を追って人間が飛んでくるなど想像もしていなかったに違いない。
反射的に、怪物は鋭い爪を男に向けて振るった。
「はっ!」
黒衣の男は、振るわれた爪に向かって靴の踵を叩き込む。
そこを足場として、空中で反転。
次の瞬間には、黒と紅の銃が二丁、怪物の前に突きつけられている。
「死出の旅に向かう貴様に聞かせてやろう。冥土の土産に覚えておけ! 俺の名は!」
銃が火を吹いた。
「俺の名は、クラウド! 漆黒の暗闇より降り立った一条の光! 地獄を照らし出す煉獄の堕天使!!」
怪物は肉体の半分を消し飛ばされ、急速に落下していく。
無論、男の名乗りなど聴いてはいない。
だが、黒衣の男は妙に満足げなのだった。
「ほう、そこで旦那は、そっちの娘さんと出会ったんですかね」
妖怪を倒したなどと、にわかには信じられぬ話である。
だが、こうして無事に黒衣の男が戻ってきているのだから、それこそが何よりの証拠であろう。
男の名はクラウド。
今初めて知った。
クラウドは満足気に微笑みながら、
「いや、これでプロローグが終わりでな。あとちょっとだけ続くのだ」
「もったいぶらないでくださいよ!?」
船頭の子供たちも、目をきらきらさせて話に聞き入っている。
例え作り話だとしても、ここまで臨場感がある物語などなかなか聞けたものではない。
山奥ゆえに娯楽に乏しい土地である。
日々妖怪たちの脅威を感じるような場所でも、心に潤いは必要だ。
「では、ちょっと端折ってジョカ様との出会いをだな……」
「うん? わらわの事を話すのかや?」
匙の使い方を覚えたらしい童女が、口の周りを餡でべとべとにして振り返った。
さて、この娘、一体何者なのか……。
謎の男、クラウドの話が続くのである。
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