第4話 外典1:クラウド、国産みの女神を拾うこと
異形の山々が連なる光景であった。
岩山が、急角度で盛り上がり、大地を凸凹と埋め尽くしている。
その合間は、金河へ流れ込む源流の水で満たされ、船が無くば行き来することも出来ない。
この辺りは、曰くつきの場所だ。
百年ばかり前に、山が落ちてきたのだと言う。
山は天から突如降り注ぎ、大地に激突した。
地は割れ、水が噴出して河となった。
大地は壊れ、盛り上がってこれら岩山となった。
そして、落ちてきた山は大半が砕け散ったものの、まだ一部はこの
ほれ、あのように。
「なるほど……。俺の冒険心をくすぐる形をしている」
船頭は、今朝拾ったこの風変わりな客が、一体何をするつもりなのか計りかねていた。
つい昨日、船頭の仲間たちが大口の客を連れて、山奥へ向かったばかりである。
それは、瑪瑙の国の軍人たちであった。学者も連れていただろうか。
山が落ちてきてより、深陰の地には妖怪と呼ばれる化け物が闊歩するようになっている。
腕に覚えのない人間が深入りできる場所ではない。
軍隊であればあるいは向かうことも出来るのだろうが、それでも、噂に聞く水と同化した虎やら、天を覆い尽くすほど巨大な、一枚紙の怪物などが現れたならひとたまりもあるまい。
それを、この男は一人で向かうと言うのだ。
黒ずくめの男は、眉目秀麗。
見たことも無い加工を施された、皮の上下に身を包み、驚くべき事に丸腰であった。
「実に絵になる光景だ……。グググールマップで上空から見たことはあるが、ストリートビューだとここは車が入れないからな……。まんま中国の……ええと、ええとなんだったか。け、け、桂林……! そうだ。桂林ではないか。なあ?」
なあと言われても船頭は困る。
そもそも中国とはどこなのだ。
ここは輝石大陸の東方に広がる、央原である。
だが、この黒ずくめの男、それなりの年齢をして深陰の光景にはしゃぐ様、不愉快ではない。
深陰にて長く船頭をしている男は、河を遡上していくところで眺められる、この岩山が連なる光景は美しいと自負している。
これを、こうてらいもなく美しいと喜ぶ男は好ましく思えるのだ。
それに金払いもいい。
相場を知らないのではないかと思えるほど金払いが良い。
「おっ、何か跳ねた。あちらで跳ねたものがいるぞ」
「旦那、そいつはもしかして、あの山間から流れ落ちてくる渓流が跳ねて見えましたかね」
「ああ、そうだ。随分大きかったようだが」
「悪い事は言いません、近づかないほうがよろしい。ありゃ
「水虎? マンガで読んだ事があるな」
「何を仰ってるんだか分かりませんが、ありゃあ、意思を持った水なんです。近づいた奴を取り込んで、入り込んで成り代わろうとする。だけど水虎は地面の上じゃあたちまち染み込んでしまうんで、一生船に乗って、この河の上をうろうろすることになりますよ」
「ほう……それはゾッとせんな」
「でしょう」
だが、恐ろしい妖怪の話を聞いたと言うのに、男の顔に浮かんでいるのは好奇心に満ちた笑みである。
怖いものが無いのであろうか。
「だがな、船頭よ。俺の愛しき地獄の猟犬どもであれば、実体無き妖怪であろうと穿てるかもしれんぞ」
「仰る意味がよく分かりはしませんが……」
もしかすると、この黒ずくめは狂人かもしれない。
でなければバカであろう。
多分後者だ。ちょっと前者も混じっているだろうか。
船は半日ほどをかけ、ゆるりと上流へ向けて遡っていく。
周囲に
夕刻になる前に、早く停泊地についてしまわねばならない。
何故なら、夕べから夜は、妖怪たちの時間だからだ。
金河の流域で勢力争いなどをしている、大国の人間たちは知るまい。
自分たちのすぐ頭の上に、人ならざるものが
やや日が傾いてきたかという時間で、船は停泊地へと到着した。
何やら揉めているではないか。
あれは、瑪瑙の軍人たちである。
さては夜通し船を出せとでも、無茶な命令をしているのではないだろうか。
船頭は溜め息をついた。
「ほう、随分と繁盛しているんだな。だが、態度の悪い観光客だ」
黒ずくめが軍人たちを見て呟いた。
カンコウキャクとは何のことかよく分からないが、彼も軍人たちの態度を面白くは思っていないようである。
さて、どんな騒ぎが起こっているのかと言うと……。
「夜に船を出せぬというのは道理が通らんではないか。割り増しの金は払うと言っているのだ」
「ですが軍人様、金をもらったから、はい出します、というものでもございませんで……。夜の河は魔境でございますから。手前ども、河に子どもの頃から親しんだ船乗りでも、日が暮れて水に乗り入れようとする馬鹿はおりゃしません」
「なに!? 俺たちが馬鹿だと言うのか! これは大臣様の命なのだぞ!? 宮廷の偉い占術士が、逆さの山に異界の神ありと託宣を得たのだ。それがあれば、我らが王は紅玉に捉えられている皇帝を取り戻す事も出来ようし、玉璽を得て央原の正式な王にもだな……」
「いや、ですから何と仰られても船はお出しできません」
「うぬ、いう事を聞かぬ船頭どもめ。ではこれでもか!」
「あっ」
刃傷沙汰である。
腰から光り物を抜いた軍人が、
水面に血の花が咲くか、と青ざめたこちら側の船頭は、すぐ横にいたはずの黒衣の男が消えているのに気付いた。
「やれやれ……無粋な男だ。我が猛々しい紅き猟犬に名乗る隙すら与えぬとはな」
日没の光に照らされて、黒衣の男が手にした銃が紅く輝く。銃そのものが紅いのだが、まるで流されるはずだった血を、因果を無視して吸い上げたようにも思える圧倒的な紅であると、船頭は感じていた。
軍人が振るった刃は受け止められている。
銃身にいささかも食い込むことなく、むしろ刃先を欠けさせ、哀れな姿をさらしていた。
「なぁっ……何者だ!?」
船頭は、軍人がこのセリフを発した瞬間、黒衣の男が大変嬉しそうな顔になったのを見た。
「俺は誰かと問うか。名乗られて応えるもおこがましいが……俺の名は……クラウ」
その瞬間、向こうで水が跳ねた。
滝の水が一度に零れ落ちたような量だった。
「ありゃあ、水虎がこっちまでやって来てるな。こりゃあダメだよ軍人様」
「む、うむむ」
目の前で、夜の河に生息する怪異を見てしまった軍人も、これには頷かざるを得ない。
何も無い水面で、大量の水が跳ね上がる光景などありえるものではないからだ。
一人、名乗りをあげられなかった黒衣の男がしょんぼりしていた。
一晩おいてから、上流へ出発する事になる。
軍人たちは、自分たち以外にも上流へ向かおうとするこの黒衣の男に不信感を抱いているようだ。
「ここから先は瑪瑙の大臣様の命令で我々が向かうのだ。どこの馬の骨とも分からんお前はついてくるな」
「フッ……。俺はあんたたちの狙っている何かが欲しいわけじゃない。そう、言うなれば、山があるからそこに行く……。それだけだ」
軍人たちは、なに言ってんだこいつ、という戸惑った顔になった。
結局、こいつは何を言っても聞かないなという事になり、しかも丸腰の男が一人だけである。
昨日何も無いところから出した、紅い銃のことは覚えているが、軍人たちはそもそも銃がどういう武器であるかを知らない。
ということで、後ろから来るなら勝手にしろ。
ただし、邪魔をしたらひどい目に遭わせるぞ、ということになった。
この時、誰も黒衣の男を殺そうなんて提案をしなかったのは、この男に底知れぬものを感じていたせいかもしれない。あとは、明らかに頭のネジが一本ゆるんでおかしくなっていそうな男だったので、深く関わりたくなかったからか。
「ふんふふーん、ふふーんふふふーん♪」
男が謎の鼻歌を歌いながら船の中ほどに陣取っている。
船頭には聞いた事もないメロディなのだが、まあそういう歌なのだろうと納得しておく。
ここから少し行った所で、船頭はお役御免となる。
河はまだ続いているのだが、その先はまさに魔境。
山河の全てに、人ならざる者どもが蠢き、終点である逆さ山までは休むところとて無い。
正直、船頭は軍人たちも、この黒衣の男も帰ってこないものだと見ていた。
「到着しましたよ、旦那」
「ああ、ご苦労さん。助かったよ」
気さくに声をかけて、黒衣の男は船を下りた。
長時間船の上にいたというのに、軽々とした身のこなしである。
それに対して、向こうの船から次々に降りる軍人たちは、強張った体をほぐすかのように伸びをしたりしている。
「旦那、こう言うのも何ですが……無理をなさらんで帰ったほうが。ここから先に行って、戻った者はおりはしませんで」
「ほう……帰らずの山か……。何だか格好いいじゃないか」
船頭、ああ、だめだこの人。と、諦めの境地に至る。
かくして、船頭はこの風変わりな黒衣の男と別れたのである。
もはや、この男の命運は尽き、逆さ山を求めて上流へのぼっていった、数多の帰らぬ人々と同じ道をたどるかと思われた。
だが、である。
ほんの数日後、この黒衣の男はひょっこりと戻ってくる事になる。
それも、隣に男の着物と思われる、だぶっとした白衣を纏った、美しい童女と共にだ。
船頭は黒衣の男を家に迎え入れ、初めての生還者を祝った。
そして、酒の席で男は語り始める。
無駄な装飾に満ちた、だが、恐らくはこの世界の根幹を揺るがすことになる、とある女神との邂逅を。
外典2へ続く
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