第3話 僧正は言った。この橋渡るべからずと。

 金河流域中ほどに広がる大国、瑪瑙の首都。

 多くの人々が行き交い、道のあちこちには市が立つ。


 一見して賑やかで平和な光景。しかし、瑪瑙は隣りあう二国、紅玉と翡翠との間にいさかいが絶えない。

 間違いなく、遠からぬ内に大きな戦いが起こるであろう。

 口さがない人々は、そう囁きあう。


 そもそも、この央原に存在する国家で、五百年を永らえたものは存在しない。

 豊かな大地である広大な平原は、それを独占しようと願う勢力に事欠かない。

 前の戦が五十年前であり、その戦が築いた平和は今、ゆっくりと腐り始めていた。


「で、ですが、この橋を渡ることが出来ないと、母の薬を買いに行けないのです……!」

「うるさい! この橋は玉髄寺院の持ち物だぞ? 別に通さぬと言っているわけではない。通行料を払えば良いのだ」


 都を抜ける金河の支流。

 それは都を幾つかの地域に分断している。


 王の住まう城と、貴族たちの館が集う石英の領域。

 そして、寺院と豪商、軍人たちが住まう玉髄の領域。

 最後に、貧しい民が住まう蛋白の領域。


 この三つの色が交じり合うが故、この国は瑪瑙と呼ばれるのだという。


 橋の前で押し問答をするのは、年若い娘と、僧服の上に甲冑を着込んだ偉丈夫である。

 かつて、橋は通行符さえあれば自由に行き来できたものだ。


 橋を管理するのは寺院。

 瑪瑙の宗教的権威を一手に引き受け、衆生の救済を謳う組織である。


 戦乱が巻き起これば、人々の心に闇が差す。

 この闇を払い、衆生に安心をもたらすのが寺院の役割だった。

 だが、五十年という平和な時間は、寺院が役割を忘れ、その身を腐らせるには十分であった。


 寺院は橋を建て替えるとの名目で、国から橋の管理権を譲渡された。

 これには、王子に妻として嫁いだのが現僧正の娘だったため、寺院が利権を得ることになったのではないかと疑う目も多い。

 建て替えられた橋は、民にとって狭き門となった。


 十分な賄賂……いや、寺院に言わせれば喜捨をせねば、橋を渡る符は得られない。

 そして、医者も薬師も、腕の良いものは玉髄の領域にいる。


 娘は橋を渡り、薬を得ようとしたのである。

 彼女には病気の母親がいる。


「なに、俺とて鬼ではない。娘、お主が懐に抱えているのは金子きんすであろう? それを払えば良い」

「そんな……! これを払ってしまっては、母の薬が買えません……!!」

「いやいや、そのようなことは俺が知ったことでは無いなあ。それに、喜捨をしたら薬を買えぬほどの金しか得られぬお主が悪いのではないかな?」

「……ッ! 蛋白の領域では、十分にお給金を得られる仕事など……!」

「ならば……」


 男……僧兵は目を細めた。

 その目が、娘の顔から胸、腰から足を眺め回す。

 肉付きはあまり良くないが、まあ良い。


「俺も贅沢は言わん。これも寺院への布施よ。一夜の間、俺の説教に付き合うならば考えんことも……」

「そ、そんな……!」


 娘の顔が青くなった。

 すると、娘の背後で怒りの声が上がる。


「だ、黙って聞いてりゃ生臭坊主め! なんてこと言いやがるんだ!」

「そうだよ! あたしたちは毎日、食うや食わずで働いてるんだ! 戦争が起ころうってのに、寺院はいつまでこんな金の亡者をやってるんだい!」

「橋はもともと通れたはずだろ!? それをこんな風に塞ぎやがって!!」

「医者に薬師まで抱え込んで、許せねえ! 今日という今日は!」


 気づくと、蛋白の領域に住まう貧しい民が集まっていた。

 彼らは日々、娘と同じような怒りを腹の底に溜めていたのである。

 それが、娘と僧兵がやり取りする事を耳にし、ついに爆発したのだ。


「な、なんだお主ら!! 御神の罰が怖くないのか! 寺院の威光に逆らうか! おおい、増援を! 増援を頼む!」

「うるせえ! 明日には飢えか病で死ぬかってのに、神様は何もしちゃくれねえ! 罰なんざ怖くねえよ!」


 民衆と僧兵が睨み合う。

 寺院からは、どやどやと多数の層が詰めかけた。

 そしてその中には、一際豪奢な衣装をまとう、でっぷりとその身に肉を蓄えた巨漢。


「ほほほ、信仰が足りぬ。神への信仰が足りぬから、お主たちはまだその地位にいるのだ。それは修行ぞ? 苦しい暮らしを越えて、魂は磨かれ、それで死すれば神が極楽浄土へ迎えてくれよう」

「あっ、僧正だ!」

「何言ってやがる!」

「お主ら僧正猊下に失礼ではないかーっ!! かーっ!」

「ぐうわああー!!」

「あ、あんたーっ! あんたーっ!」


 橋の入口で、民と僧兵がもみ合う。

 一人が僧兵の持つ棒で殴られ、打ち倒された。


 娘は大事になってしまった状況に、ただ口元を押さえて立ち尽くすのみである。

 僧正はつまらないものを見るように、彼女に目をやると、


「しかし、寺院にも権威というものがあってな。橋とは即ち、神に選ばれた我ら、磨かれた魂を持つ者が住まう土地と、主らを区別するもの。これをわしらが管理して何が悪い? ぬしらが喜捨という形で俗世の欲望を捨てれば、いつでも通してやると言っているものを」

「ほっ、法外なんだよ、通行料が! ああ、畜生、手を出しやがって……!」


 僧兵たちは、次々に武器を抜く。

 民衆は怯え、後退りした。


 彼らに武器はない。

 あっても、棍棒か、刃こぼれした包丁程度のものだ。


 寺院が有する僧兵は、即ち純粋な戦力である。一貴族では太刀打ちも出来ぬ、瑪瑙が誇る第二の戦力であった。

 中には、魔法を使う者までいるというではないか。


 これは寺院から民に対する示威行為であった。

 ……と。


「お、おい」

「なんだ、あれ」

「なんであいつ、あんなところに……?」


 民がざわつき出した。

 僧兵の一人が、その言葉を耳にして首を傾げる。


「うむ? お主たち、何を……」

「う、後ろ……」


 民の一人が指差した先。

 それは己の背後である。

 振り返ると……。


 黒い革の長衣に、黒い下履き。

 膝下まであろう、やはり黒い革の靴を履いた男が、橋の中央に立っているではないか。


「お、お前……」


「皆まで言うな」


 男は朗々と声を発した。

 ゆっくりと、その顔を上げる。

 眉目秀麗な男の顔がそこにはある。


「お前……喜捨はしておらんだろう。誰に断って、この橋を渡った?」


 眉をひそめて、僧正が問う。

 すると、男はふっと笑った。


「このはし、渡るべからず。そう言うのだな?」


 とても得意げだ。

 明らかに民衆や僧正と、纏っている空気感が違う。

 いや、世界観すら違う気がする。


「そうだ。この橋は、未熟な蛋白の領域の魂と、この玉髄の領域を分ける神聖な……」


「このはしを渡るべからず……!!」


 僧正の言葉の途中で、男は指を突きつけてきた。

 これは大変無礼な事である。


「おのれ、貴様猊下に失礼ではないか!」


 突っかかってくる僧兵。

 繰り出したサスマタによる攻撃を、男は踊るような足取りで避ける。

 一瞬で、懐に入る。


「なっ!?」


「刃を向けるなら、己が刃に貫かれる覚悟をせよ……! 破ぁっ!! 暗黒クロスブリッツサンダー鎧衝ライトニングボルト!!」


 僧兵の隙に飛び込みざま、男は橋を強く踏みしめながら、己の背中をすさまじい勢いで叩きつけた。

 鉄山靠という技そのままなのだが、何やら名前がついているらしい。

 これを受けて、


「うわーっ」


 僧兵は体勢を崩して橋から落ちた。

 威力はあまり無いようだが、橋の上では効果は抜群だ。


「な、なにをするーっ!?」


 凄まじい暴挙に、僧正は目を剥いた。

 それに対し、男は髪をかきあげながら、


「ふっ、問われたなら、名乗らねばなるまい。俺の名は……クラウド。闇より降り立った一条の稲妻……!」


「えっ」

「えっ」

「えっ」


 僧正が、僧兵が、民衆が一瞬唖然とする。

 名前なんて聞いていないのだ。


「僧正よ……お前は言った。このはし渡るべからずと。ならば。俺は既に貴様の条件をクリアしていることになる」


「何を言っている……!? お前は、喜捨も払わずに橋の上にいるではないか……!」


「ノウ!! 俺がいるのはどこだ?」


「橋の上であろう」


「ノウ!! ここは……橋の中央だ。分かるか?」


「ま、まさかお前……」


「俺は、橋の端を渡ってはいない。つまり、貴様が出したこの”とんち”、俺の前に脆くも崩れ去ったということだ……! ドゥユーアンダスタン?」


「え、ええい!! なんだこの痴れ者は! お前たち、やってしまえ! この愚か者を橋から突き落とせ!」


 僧正の掛け声に合わせて、さらに僧兵が押し寄せてくる。

 これに対して、クラウドを名乗った男は両腕を交差させた。

 両脇に構えられた左右の掌が輝く。


「”吼えろ、ケルベロス”! ”猛れ、オルトロス”!」


 現れるのは、黒と紅の双子の銃。


「でえい!!」


 襲い掛かってきた僧兵の、左右からの一撃。

 これを銃身で受け止めると、クラウドは受け流すようにくるりと回転する。

 すると、流された僧兵たちは互いに正面からぶつかり合ってしまう。


「ぐわあっ!」

「て、抵抗するか!」


「やれやれ……。この俺がスマートに状況を解決してやったと言うのに、貴様らは己の敗北を認めもしない……! 俺は平和主義者なのだがな」


 言いながら、自ら僧兵の群れに突っ込んでくるクラウド。


「なんでそう言いながらこっちに! ぐわーっ!」


 慌てて戟を構えた僧兵を、武器を蹴り上げてからの連続の蹴りで沈める。

 それを足場にして駆け上がり、空中で回転するクラウド。

 ケルベロスとオルトロスが火を噴く。


「うわっ」

「ぎえっ」

「ひいっ」


 弾丸は、次々と僧兵たちの得物を砕き去る。

 動揺してよろけた彼らの前にクラウドは着地し、


「破ぁっ!」


 回転蹴りが僧兵たちを橋の下へと叩き落とす。

 連続した水音が上がった。


「お、おのれえ!! 神罰を与えてやれい!」

「御意! はっ! ナウマクサマン弾斉射!!」


 神の力を得た光の弾が、僧正を囲む僧たちから放たれる。


「むうっ、遠距離攻撃とは卑怯な!」


 銃を持っているというのに、クラウドは理不尽な怒りの言葉を吐いた。


 光の弾が襲い来る方向に弾丸を放つと、彼の体が射撃の勢いで跳ぶ。

 空中でさらに、他の光の弾に弾丸を浴びせかける。

 光の弾が撃ち落とされていく。


「ま、魔法を撃ち落とした!?」


 クラウドはオルトロスを連射し、空中で方向転換。

 僧正の前に降り立った。


「ひ、ひぃ!」

「猊下を守れー!」


 僧正を守る僧たちが、近接戦闘用の得物を持って襲いかかる。

 これを、クラウドは銃把で受け止めながら、回転させた銃身で相手を叩きのめす。

 

「端があるから渡れないというのなら」


 戦いの中、クラウドは微笑んだ。


「端を消してしまえば問題あるまい」


「な、何を言って……」


「デッドエンド・シューッ!!」


 振り返ったクラウドが二丁の拳銃を横に構え、連射する。

 猛烈な射撃音が響き渡った。

 欄干がことごとく吹き飛ばされ、橋の形状が無残に変わっていく。


 誰もが弾丸が自分に飛んで来ることを恐れ、頭を抑えてうずくまった。

 永遠に続くかと思われた射撃音の後。

 不意に音は消えた。


 民は顔を上げた。

 あの黒い服の男が姿を消している。

 そして……。


 橋からは、端であったはずの欄干周辺がごっそりと消えていた。

 端がなくなったら、またその両脇が端になるのだが、そのような理屈は些細な事である。


「橋が……! 橋が開かれたぞ!」


 誰かが叫んだ。


「俺たちの橋だ! 玉髄の領域に行ける!」

「みんなで行こう!」

「お、おい、待つのだお主ら! ここから先は神の……むぎゃーっ」


 慌てて身を起こし、説教をしようとした僧正が弾き飛ばされて河に落ちた。

 僧兵たちも唖然としている。


 民を止めるにも、彼らが手にした得物は全て砕かれていた。

 数多い民衆が押し寄せるのを、止める手立てが無い。

 かくしてこの日……瑪瑙の都にかかる橋は(物理的に)開放されたのである。


「クラウド……様」


 橋を駆け抜けながら、娘は謎の黒衣の男の名を呟くのだった。


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