第176話 熟練度カンストの空戦人2

 常上の空に、虹色の輝きが奔った。

 それが、一振りの剣の軌跡が放つ光だと、地上にいる人々の誰が気付いた事だろう。


 突如として発生した暗雲が、太陽の光を覆い隠し、常上の国は闇に飲み込まれた。

 そして表れたのは、国が祀る神……荒御魂たる怪火士尊あやかしのみことであった。


 その姿は伝説に違わぬ、一頭で国の大通りを埋める程の大狐。

 金色の体毛から、白く怪しい妖気がゆらゆらと上がる。


 怪火士尊は全身から放った妖気を、七つに割れた尻尾に集め、これをまるで蛸や烏賊の腕の如く扱った。

 妖気が地上に降り注ぎ、見上げる民たちを拾い上げては、この狐の口元まで運んでいく。


 巨大狐は、己を祀っていたこの国の人間たちを、容赦も無く貪り食らった。

 人を一人噛み砕くたびに、この狐の姿がはっきりとしたものに変わっていく。

 人々から悲鳴があがった。


 逃げねば。

 怒れば病を流行らせ、作物を枯らし、徒に人の命を奪うという荒御魂。

 それが蘇り、伝承どおりの所業を始めているのだ。


 だが、人々は逃げられなかった。

 怪火士尊は幻を操る荒御魂である。

 かの狐は、餌である人間たちが逃げ散らぬよう、下界に向かって幻を放ったのだ。


 それは、例えば家を焼く炎であったり、死に別れたはずの親であったり、降り注ぐ金子の山であったり。


 逃げようとした者は、真っ先に白い触手に掬い取られた。

 そして食われる。


 常上は終わりだ。もうおしまいだ。

 人々が絶望を感じ、天を仰いだときだ。


 虹色の軌跡が、暗雲を裂いたのである。



 ケーンッ、と怪火士尊が叫んだ。

 いや、悲鳴をあげたのだ。

 虹色の光を伴った、何か四角くて輝くものが、この大狐の鼻先にぶつかっていった。


 その一撃で、狐が仰け反る。

 人々を掬い上げていた妖気の触手が、雲散霧消した。

 大狐の目線が、地上から、向かい合った四角く輝くものに向く。


「あ、ありゃあ……人が乗っているぞ……!」


 誰かが叫んだ。

 その言葉の通り、四角く輝くものには人が張り付いており、必死にそれを操作しているようだ。


 そして、その上には、悠然と立つ一人の男。

 腕に下げたものは、剣。

 虹色に輝く剣。


「それじゃあ、狐狩りといこうか」


 男が放った言葉は、まるでこれから、なんでもない事をすると言わんばかりの口ぶり。

 そこへ、怒気を放ちながら大狐が咆哮した。


 狐の周囲に、無数の白い塊が出現する。

 幻に妖気を載せて、作り上げた妖しの炎である。

 これが、次々に男に向けて飛来した。


「ぎょ、ぎょえーっ! し、しぬー!!」


 四角いものにぶら下がっている人影が悲鳴をあげた。

 どうやら女らしい。

 だが、あの悲鳴はあんまりだと、見ている人々は思った。


 男は全く動じない。

 剣を構えると、


「これは、反射するにはちょっとヌルッとした感触すぎるなあ。よし、全部スライスしておくか」


 などと言いながら、まずは一つ目の妖炎を斬った。

 実体などないはずの炎が、その一撃で真っ二つに切り裂かれた。

 幻と妖気がバラバラになり、それはすぐに消えていく。


「二つの、三つの、四つ……」


 男が数えるたびに、飛来する妖炎が切り裂かれて消えていく。


「よし、このタイミングだ。進むのだ」


「ぐえーっ! きちゃま、乙女のお尻を凧越しにとはいえ蹴るとはー!」


 何かやり取りをしつつ、四角いものは突然加速した。

 まだまだ飛来する妖炎に自ら接近したと思うと、一瞬、無数の虹色が空に閃いた。

 そして、全ての妖炎が消滅する。


 大狐は目を見開きながら、僅かに間合いを取ろうとする。

 その鼻先を、虹の輝きが掠めた。

 容赦なき斬撃が、怪火士尊の鼻面を削ぐ。


 この大狐の血飛沫は、漏れ出すと同時に青い炎となって飛び散った。

 ケーンッ!! という叫び声が上がる。


「ああ、そのままそこにいたら鼻先を両断してやったのだが」


「ひいーっ、炎があっしの頭に降りかかったっすー!! お、おいお前ーっ! ちゃんとあっしが安全なように戦うっすよ!」


「清清しいほどに言葉を飾らん人だな。良かろう。では俺単独でも空中を動ける手段を講じるのだ」


「ぐぬぬぬぬ」


 一旦退いた大狐は、じっと念を凝らす仕草をする。

 これを見て、下界の人々は気付いた。

 怪火士尊は、伝承によると幻を自在に操る。


 それどころか、幻として呼び出したものを実体化させ、これで相対する敵を打ち倒すとある。

 上空の狐の周囲には、その眷属と見える空飛ぶ狐の群れが生まれてきていた。

 それぞれが、まるで子牛のような大きさを持ち、吐息は青い炎になっている。


「き、気をつけろあんた! その幻は、本物になるぞ!」


 誰かが上げた声に、空にいる男は気付いたようだ。


「本物とな。それはありがたい」


「ありがたい!?」


 人々は耳を疑った。


「実体があるという事は、即ち足場にできるということだ。空を移動する手段さえ確保すれば問題ない」


 男は嘯きつつ、四角いものを空いたほうの手でべしべしと叩く。


「前に前に」


「ひいーっ、人使いの荒い奴っすー!! 労働条件の改善を要求するっすよー!!」


 四角いものが空をふらふらと飛んでいく。

 そこに、狐の群れが襲い掛かった。

 あわや、自由に動けぬ四角いものの上の男は八つ裂きかと思われた時だ。


 男はひらりと、空飛ぶ狐の一頭に飛び移った。

 その狐を足場にして、すれ違いざまに三頭の狐を連続で叩き斬る。

 一瞬して、足場にされた狐が男に気付いて暴れだす。


 暴れだした途端、男はその狐の脳天に剣を突き刺し、黙らせた。

 そして、死んで消滅する狐を踏み台に跳躍し、また新しい狐に飛び掛る。


 今度は鼻先に剣を突きたてて、それを手がかりに背中へと飛び乗った。

 そして狐が消滅するまでの間に、また何頭かを切り捨てる。


 なんと、飛び石を渡るかの如き要領で、男は狐を切り捨てながら、怪火士尊へとどんどん近づいていく。

 これには荒御魂も仰天したようだ。

 ちなみに男の背後では、狐に袋叩きにされて、四角いものが「ギャピー!」とか悲鳴をあげながら落下していく。


 怪火士尊は天を仰ぎ、吼えた。

 それは、聞き取れぬほど甲高い、しかし大気を震わせるような強烈な叫びだ。

 全身から白い妖気が沸き立ち、空に向かって伸び上がる。


 妖気は天を覆う暗雲と一体化し、雲をより集めて、何か巨大な、恐ろしいものに変じていく。

 果たして、雲がゆっくりと実体化し、寄り集まり、空は晴れていった。

 だが、太陽の光は戻ってこない。


 見上げていた者たちは、それ・・が何なのか気付くと、恐怖と絶望におののいた。

 怪火士尊が空に作り上げたものは、逆さになった山であったのだ。


 これが天を覆い尽くしているがために、陽の光が遮られている。

 妖気を振り絞ったと見える荒御魂は、ややぐったりしながら、しかしその獣貌に歪な笑みを浮かべて男を見やった。


 己を狙って、山が落ちてくると気付いた男。

 彼は剣を肩に担ぐと、


「ふむ、そう言えば、山をぶった切るのはまだやった事が無かったな。良い機会だ、挑戦しておこう」


 そう呟いた。

 担いだ剣が、人の身の丈ほどの大きさに変わる。

 それでも、山と比べれば針の先ほどの頼りなさである。

 何より、落下してきているとは言え、山はまだまだ遠い位置にある。

 これをいかにして斬ろうと言うのか。


「“ディメンジョン”」


 男が呟いた言葉の意味を、誰も理解できなかっただろう。

 だが、言葉と同時に、男は狐の眷属の背から飛び上がった。


 担いだ剣を、振る。

 切っ先が消えた。


「多重に……そう、微細なコントロールで……要を見切って」


 振りぬく。

 剣が出現した。


 同時に、頭上の山に、虹色に輝く亀裂が発生する。

 山の頂上から八合目までが、突如としてずれた・・・


「よし、要領は掴んだ。こいつの要は、ここ・・だ“ディメンジョン”」


 再び、巨大な剣の切っ先が消える。

 そしてすぐに出現した。

 男はそのまま、残心を決める。


 誰も、何が起こったのか理解できなかった。

 だが、次の瞬間だ。

 無音のままに、山に虹色の亀裂が走った。


 一つではない。

 蜘蛛の巣状に、無数の亀裂が走ったのだ。

 そして、轟音が轟いた。


 山が、粉々に瓦解する。

 光が差し込む。

 天を覆いつくしていた山が、その跡形も残さぬほど、粉々に切り裂かれたから。


 既にそこにあるのは山ではない。

 砕け散り、降り注ぎ、地上に落ちる前に妖気へと還って行く幻である。


「でかいものを斬るやり方は掴んだ。いい練習になったよ」


 男は、目線を大狐へと向ける。

 常上を象徴する、この強大な荒御魂は……目の前にいる男を見て、震え上がった。

 荒御魂は、自然そのものの顕現とも言える、神の如き存在である。


 これが、ただ一人の人間を前にして、怯えた。

 逃げようとする。

 体が恐怖で動かない。


 怪火士尊の眼前に迫るのは、虹色の切っ先だ。

 黄金に輝く荒御魂は、その頭から尾の先までを虹色の閃光に叩き割られ、消滅した。


 そして、常上の地から荒御魂が消え、荒業が失われる。




「いやあ、想定どおり、精霊王やら精霊女王どもと同じタイプの相手だったな。おーい、生きてるか?」


 俺は地上に降り立った。

 消滅寸前の狐の一匹をぺしぺし剣で叩き、下まで運ばせたのである。

 そこは常上の城下町で、何やら降りてきた俺を野次馬が囲んでいる。


 で、目の前では地面に頭から突き刺さって、ぴくぴく動いているくノ一がいるわけだ。

 生きている。

 頑丈な奴だ。


「お、おいあんた……。いや、あなた様は何者ですか……!」

「ありゃあ、怪火士尊様じゃろ? あんな、人知を超えた荒御魂をやっつけちまうなんて……人間業とは思えねえ」


 町の連中は俺を取り囲んではいるが、かなり距離を取って近づいては来ない。

 一様に怯えた目で俺を見ている。

 おお、この排他的な感じ、覚えがあるなあ。


 やはり、蓬莱と言う国は日本によく似ているようだ。

 自分たちとは異質な存在を排除しようとする辺りとか。

 何やら、子供が石を拾い上げて俺に向かって投げつけようとした。


 うむ、まあ子供ならやるよなあ、と思う俺。

 地面に突き刺さっているくノ一の腰の辺りを、ガシッと小脇に抱えて引っこ抜く。

 片腕はフリー。


 ヒュッと石が飛んで来た。

 これを、呼び出したバルゴーンで後ろ手に正確に反射してやる。

 硬いものが当たる音がして、絶叫が聞こえた。


「いいか坊主、みんなが排除しようとしてる雰囲気だからって、石を投げたらダメだぞ。世の中、やっちゃいけないことがあるのだ。勉強できて良かったな」


 俺はそれだけ声をかけて、ブラックラクーンの頬っぺたをぺちぺち叩いた。


「うーん、むにゃむにゃ、もう食べられないっす」


「古典的な寝言だ……!! いいから起きろ。帰るぞ。凧を出せ」


「ぬ、ぬうーっ! あんたがいるということは、あの化け物に勝ったっすか! とんだ化け物っすなあんたは! えっ、気絶から目覚めたばかりのか弱い乙女に、また凧を呼び出してタクシーの代わりをしろと!? おにー! あくまー!」


 文句は言いながらも、いそいそと用意するブラックラクーンである。

 さて、俺は民衆に振り返る。

 彼らから、明確な敵意を感じたからだ。


「子供のしたことだろうに、ひでえことをしやがる!」

「あんた、人の心がねえのか!」


「相手に石を投げつけるなら、投げ返されて死にそうな目に遭うことを覚悟するべきだろう。俺は逃げも隠れもしないので、お前たちも石を投げるといい」


 俺は抜き身のバルゴーンをぶら下げながら、ちょっと腰を落として構えた。

 その瞬間だ。

 俺の周囲の空気が凍ったような感覚になった。


 時間が止まったように思えたのだ。そして、気が付くと、民衆は一人残らず、全員が腰を抜かしてへたり込んでいる。

 千人近くはいるだろうに、情けの無い。


「ああ……ありゃ、だめだあ……。荒御魂よりも、もっともっとおっそろしいもんじゃ……!」

「ひいい、お助け、お助けえ」


「おっ! なんか周囲の連中がへりくだってるじゃないっすか!! はーっはっはっは!! ひれ伏せえ! 頭が高いっすぞー! いやあ、こうして他人を見下せるのは最高に愉快っすねえ!」


「ブラックラクーンはぶれないのう。よし、じゃあ帰るか。竜胆ちゃんが心配だ」


「ぬうー! あんた、女子の前で他の女の話題をスッと口に出すとは……さてはプレイボーイっすな!?」


「ボキャブラリーが古いな!? お前本当に俺と年が近いのか!? ローザみたいに実はアラフォーとかじゃないのか!」


「ししし、失敬なー!! こう見えても現役女子大生っすぞ!!」


 そんな会話をしながら、凧はふわりと舞い上がる。

 さて、常上の連中はどうなったことだろう。


 この土地の荒御魂を殺したので、もしかして荒業みたいなものは無くなっているかもしれんな。

 かくして、俺たちは常上の城下町を後にした。


「あ」


 ブラックラクーンが間抜けな声をあげた。

 俺も気付く。


「あー……欠片が残ってたか。荒御魂は殺したはずだが、幻が消えきらずに残ってるってのは流石だな」


 山の欠片だ。

 それが、俺たちの背後で、城下町に降り注いだ。

 あそこの民衆は逃げ切れただろうか。


 まあ、彼らの頑張りに掛かっているだろう。

 そんなことよりも、竜胆を迎えに行くのである。

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