第165話 熟練度カンストの待ち受け人

 夜である。

 竜胆が何やら俺を睨んでいる。

 俺はむつかしい顔をして彼女の前に座っている。


 互いの膝の下には、布団。

 一枚である。

 そう、つまり、同衾前提の夫婦用のお布団……!


「こ、こ、こ、こんな、嫁入り前の妾が男と同衾するなどっ……! ははははは、破廉恥なっ」


「俺としても想定外であった」


「つっ、連れ込み宿なのじゃぞ! こうなることは分かっておっただろうに!」


「実は俺もこういうお宿は初めてでして……」


「妾もじゃ! こ、これは城の女中から聞いた知識じゃ!」


 そして、二人とも向かい合ったまま、うーむ、と唸るのだ。

 灯りは、雰囲気満点の柔らかな光を放つ行灯(あんどん)のみ。


 なんか色々な用途に使えそうな布とか、紙とかが置いてある。

 ……この、明らかに動物の皮とか内臓みたいなのを薄くなめした、ちょうどよいサイズの長い袋はなんなんですかねえ……。


「もう、もう、もうよい!! 妾は寝る! 寝るぞ! おいユーマ!」


「へい」


「手を出したらひどいからなっ!! 妾、命がけで抵抗するぞ!!」


「そんな度胸はござりません」


「むきー! 妾には押し倒す魅力もないと申すかー!」


「俺にどうしろというのだ!?」


 大変な状況である。

 結局、布団は一枚だし、布団なしで寝るには寒い。

 ということで、お互いに背中を向けて寝ることになった。


 女子と同じ布団と言うのはなかなか得がたい経験……あ、いや、巫女の面子は割りと俺と同じベッドにもぐりこんでくるのが多かったから、いつも通りといえばいつも通りかもしれない。

 それでも一切、手を出さなかった俺の鋼の自制心というか、豆腐並の軟弱ハートというか。


 俺は割りとすぐにうとうとして、ぐうぐうと寝てしまう。

 だが、背中側の竜胆がもぞもぞ動くので、ハッと目覚めるのである。


「ユーマは心臓に毛でも生えておるのか……」


 ぶつぶつ言っている。

 俺は斬った張ったに関しては、鋼どころかアダマンタイトの心臓だと自負しているが、男女関係に関しての強度はあれだぞ。豆腐とかプリン並みだ。


 ただ諦めが良いだけである。

 避けられない状況なら、諦めて寝る。

 これだ。


 また俺がぐうぐう寝始めたら、また背中で竜胆がもぞもぞ動いた。

 なんか、首筋に吐息を感じるぞ。

 えっ、竜胆ちゃん何してるんですか。


 彼女の腕が俺の肩に回されてきて、何やら荒い吐息が漏れるのが聞こえる。

 俺までちょっとそういう気分になって来たぞ。

 おかしい。


 いきなりそういう雰囲気になるのはちょっとおかしいのではないか。

 ムラムラッとする。

 かなり強烈な衝動だ。


 だが、である。

 俺としては、この湧き上がってくる性欲とか欲望を抱えたまま、平然としているのは日常茶飯事である。


 うちの巫女たちみたいな美少女に囲まれて、しかも迫られるような生活で、手を出さずに生活しているのだ。

 カッカと熱くなる部分と同時に、クールに冴え渡る部分が頭の中にある。


「幾らなんでもいきなりだな。これは、あれだろう」


 俺は竜胆を背中にくっつけたまま起き上がった。

 竜胆の体温がすごいことになっている。

 寝る時に行灯は消してしまったのだが、外から月明かりが差し込んでいる。


 その明かりの中で、部屋の中がほんのりと煙い。

 これは、行灯にそういう気分になる香でも入っていたな?

 そして、障子戸が俺たちと廊下を遮っているのだが、そこにぼんやり、人影がある。


 すらりと背筋の伸びた、どうやら豪華な和装の女だ。


「お前の仕業か。ははあ、さてはお前がこの町の主か何かだな?」


 俺が声をかけると、人影は随分驚いたようだった。


「お前様……、桃精丹を焚いた香を浴びても、正気を保っておるのかえ?」


 なんとも聞いたものの脳を蕩かすような、妖艶な響きの声だ。

 俺はこういう、経験豊富なお姉さまっぽいのが……とても苦手である。

 なので、スッと全身がクールになった。


「正気だな。今、完全に正気になった」


「……此方(こなた)の香術で、篭絡できぬ男はおらなんだ。お前様……香が効かぬ荒神憑きなのか、それとも、鋼の如く心胆が据わってらっしゃるのか。はたまた、香があっても手出しできない腰抜けか……」


「腰抜けのほうだ」


 俺はクールに言いながら立ち上がった。

 正直を美徳とする主義である。


 なんか背中に竜胆ちゃんがくっついているが、それをしっかりと背負いなおす。

 俺の返答を効いて、障子の向こうにいる女は一瞬呆気に取られたようだ。

 そして、ほほほほほ、と笑い出す。


「此方の土地に入り込んできたかと思えば、挑発のようなことをして、招いてこらるる。それで此方が出向いて香術を焚けば、それを耐えてかような事を仰る」


 すうっと、音もなくひとりでに障子が開いた。

 そこには、花魁っぽくも、それをもっと豪華にした衣装を着た女がいた。

 顔は白粉のせいか、真っ白だ。だが、とんでもない美人である事は分かる。


 俺の苦手なタイプだ。

 なんか、目を見てるとじわじわっと体の芯を熱くさせるみたいなものが放たれている気がする。

 で、俺はそういう芯が熱くなる状態で平常心で生活するのが得意である。


「うむ」


 俺は大仰にうなずいて、目線を真っ向から受けた。

 ここはなんか、目を逸らしたら負けかなと思うのでじっと目を見ている。


 じーっと見詰め合う。

 じーっと。

 じーっと。


「ぷっ」


 女が堪らず、吹き出した。

 腰を折って、ぷくく、あはははは、と笑う。


「おかしなお人や。此方の目線も効かぬ。どんな豪傑だろうと、蕩かしてしまうこの目でも、平然と立っておらる」


 そこで、彼女はすうっと目を細めて俺を見た。


「お前様、何者ぞ?」


「戦士ユーマだ。大体誰にでもこう答えてるんだが誰も信用してくれない」


「まあまあ、それは。お前様、ご自分の眼力や、発する覇気に無自覚でいらっしゃる? 此方が見る限り、お前様のそれは帝に匹敵する強さ……。気付かん間抜けがおりゃあ、そんな奴ばらは今頃地獄におりましょう」


 まるで、今までの俺の旅を見ていたような事を言いやがる。女は、俺とやり合うつもりは無いようだ。

 スッと身を引いた。


「申し遅れました。此方の名は銀楼太夫。ありとあらゆる男の天敵。この地を治むる吸血の荒神憑きにござんす」


「あっ、こりゃ御丁寧にどうも」


 頭を下げてきたので、俺もペコペコ頭を下げる。

 そして、率直に疑問をぶつけてみる。


「で、お礼参りに来たと思ったんだが、やらないの?」


「お前様がおらなんだら、そこな嗣子上の姫は女郎に落としていましたわな。けれど、お前様の如く化け物がついておられるのでは、下手な手出しは、ほれ。お前様の後ろに続いている、地獄道に落ちた奴ばらと同じ道を辿りましょうや」


「そうかー。だめかあ。そういや、竜胆ちゃんも骨抜きになってるしなあ」


「此方の荒業は女子にはよう効きません。故、嗣子上の姫は骨抜きになるだけで済んでおります。此方が最も恐ろしいのは、お前様が平然とした顔をして、此方の荒業の只中で突っ立っていることにござんして。ようござんす。ついてらっしゃい」


 彼女はくるり、きびすを返した。

 どうやら俺たちを、どこかに案内するつもりらしい。

 俺も竜胆ちゃんも、寝間着のままなのだが、まあ良かろう。


 俺も竜胆も上着を羽織り、財布だけ袖に入れてついていくことにする。

 廊下を歩くと、この宿の主人と、どうやら遊女と見られる女たちが皆、土下座に近い姿勢をしてかしこまっている。

 銀楼太夫を畏れているのだ。


 さらには、庭先で見覚えのある鎧を着た連中が倒れている。

 あの黄色と黒の甲冑は、あれか。竜胆の宿敵の家か。暗殺に来たんだろうが……どいつもこいつも、白目を剥きながら痙攣している。


「あれらは、常上の幻術使いどもにござんすが、いかにも男は可愛らしい。こうして此方が吐息を吹きかければ、たちまち達して動けなくなる」


 わざとらしくしゃがみこみ、太夫が男たちに吐息を掛けると、連中は泡を吹きながらガクガクと震えた。

 そしてすぐに、糸が切れた操り人形のように動かなくなる。


 あー、これはあれですな。

 腹上死とか、テクノブレイク的な。

 太夫は満足気に男たちが死ぬのを見届けたあと、また訝しげな顔をして俺を見た。


「……どうしてお前様は、そう平然としてられるんで?」


「欲望を抑圧することに長けた童貞だからかもしれぬ」


「まあ」


 なんだその嬉しそうな顔は。


「なんでもござんせん。でも、お前様、交尾した雄を食ろうてしまう女郎蜘蛛が、食おうにも食えぬ相手を見つけたならば、どう思うんでしょうねえ」


「とても背筋が寒くなる物言いだ……」


 太夫はくすくすと笑うと、俺たちを誘(いざな)って夜の路地に出た。

 真夜中だと言うのに、街路は煌々と明かりに照らされており、眠りを知らない連中が行き交っている。

 こういうのを不夜城とか言うんだったか。


「どこに連れてくの」


「此方の城でござんす。ささ、此方の後をゆるりゆるりと、ついてきて下さりませ」


 明かりに照らされた太夫の着物は、カラフルな波の中に、花や鳳凰っぽいのが踊っている柄だ。

 その裾が、路地を歩くたびに本物の波の如くに流れていくように見える。


 で、その後を竜胆をおんぶした俺が、えっちらおっちらついていくわけである。

 太夫が歩くと、その先でばたばたと男たちが倒れていく。


「なんかたくさん倒れてるみたいだが」


「此方の荒業は、こうして抑えていても抑えきれぬもので。耐性が無い旅の方々にはさぞや毒でありましょうな」


「なんと難儀な……。それじゃおたく、城で使用人とか使う時に困るんじゃないのか」


「此方の一族を使うしかありんせんね。それでも、殿方は使い物にならぬのが困りどころ」


 うふふ、と背中で笑う太夫。

 帝とやらは、全ての荒神憑きを滅ぼしてしまいそうな勢いだが、この町が帝側に寝返ってないのなら、何故滅ぼされていないのかよく分かった。

 この太夫一人で、この間の幻術使いは全滅するわな。


 そんな、同類の荒神憑きからも腫れ物扱いされるような人が、なぜ俺を城に招いているのか。

 こちらとしては、向こうの手の者が現れて、竜胆ちゃんと実戦で立ち合ってくれるだけで良かったのだが。


「俺たちを連れてってどうするのよ」


「うん? それはもう。女が男を誘う時は、分かっとりましょう……? う、ふ、ふ、ふ、ふ」


「帰らせてもらいます」


「ああん、いけず」


 俺がくるりと振り返ったら、太夫が間合いを詰めてきて竜胆ごと抱きしめようとしてきたので、俺は「きゃあ」と悲鳴をあげて跳び上がった。

 いかん。


 こいつ、最強の相手かもしれん。

 敵意が感じられないのだが、何をしたいのかさっぱり分からん。


「此方には、お前様の知りたいお話の用意が幾つもございますのに……帰ってしまって、よろしいのん?」


「むむむ」


 だが、虎穴に入らずんば虎児を得ず、なんてやつが、正に今の状況っぽいのであった。

 俺はちょっとだけ太夫から距離を取りながら、あとに続くのであった。

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