第164話 熟練度カンストの逗留者

 身無(みなし)とは、イモガイの類を言い表す言葉である。

 彼らの貝殻は入り口が狭く、本体が奥へと姿を隠していることが多い。そのために、身が無いように見えて身無貝と呼ばれる。

 彼らは猛毒を持つ種が多く、刺されればたちまちのうちに死に至る、そういう危険な貝である。


 そこは、身無上と呼ばれる土地。

 一見すれば綺羅びやかな宿場街だ。

 連なり島を経て、本土とつながる場所である身無上は、旅人が立ち寄る土地でもある。


 旅人には根無し草も多く、彼らが消えても不思議に思うものはいない。

 ただ、この町では他の場所よりも少し多く、人がいなくなる。

 それだけのことだ。


 色街としての顔も持つここに、また、新たな旅人が立ち寄ろうとしていた。

 一見して夫婦に見える二人連れ。


 夫はぼんやりとした印象で、丸腰。

 妻は武道の心得があるのか、武家の娘がするように髪を短く切り、腰に木刀を収めている。

 身なりはともに、ごくありきたりな旅装であった。


「ふ、夫婦として行くのかや!?」


「えっ、だってそうした方が自然なんだろ?」


「それはそうなのじゃが……」


「もしや竜胆ちゃん恥ずかしい? うむ……俺も恥ずかしい」


「お主もかっ」


 二人でわいわいと騒いでいる。

 一見して、周囲を警戒しているとは見えなかった。


 妻の方が金子を管理しているようで、荷物が多い。

 それに、武道の心得があるだろうとは言っても女である。

 住民たちは、早速この二人に目をつけた。


 常に、数組の旅人が行方不明になる町である。

 怪しいという噂はあっても、色街としてはこの地方でもっとも規模が大きく、施設なども充実していたため、客足が切れるということはない。


 夫婦が宿を探して、町をうろうろと歩く間に、何人かの男が背後に忍び寄った。

 対面から、旅人の集団がやってくる。

 彼らに紛れて、町の男たちは妻の側の腕を引き、路地へと引きずり込んだ。


「なっ……!?」


 身構える余裕もなく、あっという間に引き込まれてしまう妻の方。

 男たちはいつもどおり、女を取り押さえて金子を奪い、あとはお楽しみ……といったように物事を運ぼうとして……。


「うむ」


 路地の中で、ごく間近にそんな声を聞き、心臓が止まるほど驚いた。

 振り返ると、目と鼻の先に、夫であるはずの男がいる。

 ぼんやりとしていた目つきの焦点が合っており、じっと見つめてくる。まるで、抜身の刃……それも、名刀か、あるいは妖刀かと言った凄まじい鋭さを持つ視線だ。


「幸先いいじゃないか。よし竜胆ちゃん。まずはこいつらで練習だ」


「い、いきなりなのか!?」


「戦いとはいつも突然やってくるのだよ」


 男たちは逃げようとする。

 だが、その先に、夫の側が放り投げた木の棒が降り注ぎ、あろうことが地面に深々と突き刺さった。

 またぐには大きすぎ、すり抜けるには絶妙の位置で時間がかかりすぎる。


「仕方あるまい……!」


「ま、パワー全開で振り回す感じで。今回は成功体験を積むのが大事だからさ」


 路地の入り口で、腕組みをしながら壁により掛かる夫の方。

 その前で、妻である娘が木刀を抜き、構えた。

 いわゆる、型にはまったお座敷剣法の構えである。


 これを見て、男たちは下卑た笑みを浮かべた。

 どれだけ型が優れていようと、それが実戦で通用する類のものではないことを知っていたからである。


 やはり、妻の側は武道を心得ているのだろう。

 それも、育ちのいい温室育ちの武道家だ。

 男たちは懐から匕首(あいくち)を抜き、だらりと下げて体勢は低く身構える。


「むっ」


 娘が戸惑った声を漏らした。


「ほい、竜胆ちゃん。こう」


 そこに、夫の方が手を添えて、彼女の構えを修正した。

 青眼から、木刀を短く持って、軽く突き出すような構えである。


 当然ながら、匕首よりも木刀は間合いが広い。それは多少、木刀を短く持ったとしても変わらない。

 この木刀が、突き出されるように構えられたのだ。


 目標である相手の体が、遠ざかったわけだ。

 男たちは僅かに狼狽した。


「斜めに振る。ちょっとでも当たればそこが砕けるから。とにかく広い範囲を横切るように」


 夫の側が、何やら助言をしている。

 冗談ではない。


「行くぞ!」


 そこで、木刀を構えた娘が飛び掛かってきた。

 男の一人が、慌てて匕首を構える。


 だが、娘は狭い空間でのやり合いに慣れていないと見えて、振り上げた木刀が壁に当たった。

 しめた、と攻撃に移ろうとする男。

 その目の前で、


「ぬぐぐぐぐっ!! おおおおっ、あああああっ!!」


 娘の髪が一気に逆立ち、上下の犬歯が伸びる。

 憤怒の形相になった娘は、壁面を砕き、木刀を半分へし折りながら得物を振り抜いた。


 防御がおろそかになっていた男のこめかみに、木刀が直撃する。

 凄まじい威力に、男の意識は一撃で持っていかれた。

 白目を剥いてその場に倒れる。


「あっ、木刀折れた。竜胆ちゃん、振りはもうちょっとコンパクトに」


「ふうっ、ふうっ、ふうっ……、そ、そんな、構ってる余裕、無いのじゃ……!」


「仕方ないなあ」


 いかにも覇気がない様子でそう呟いた夫の方。

 だが、次の瞬間には、彼は壁を駆け上がっている。

 そして、男たちの頭上を超えて跳躍。


 彼らの背後に降り立った。

 そこには、夫の方が投げた棒が、地面に深々と刺さっている。

 彼は棒を引き抜き、そのまま娘目掛けて放り投げた。


「これ使って」


「う、うむ!」


 娘をそれを受け取ると、あろうことか出鱈目な構えの二刀流に移行する。

 男たちは背後を塞がれ、前には髪を逆立てた二刀流の娘。


 進退窮まれりである。

 だが、彼らは勝算が高いと思われる方へ向かい、脱出を行おうとする。


「荒神憑きか!?」

「だが、一斉にかかれば!」

「たかが女だ!」


 口々に叫ぶが、これは自らを鼓舞するためであろう。

 対して、娘は二刀に構えた時点で冷静さを失っているように見える。

 まるで獣のように低く身構えて、飛びかかる機会を伺っている。


「そういう感じ。型はわかった上で捨てて、ポイントポイントで使おうか」


 夫の方の声が響いた。

 これを気にしていてはいけない。男たちは自らの進退を掛けて、娘目掛けて襲いかかった。


 手にした匕首が光り、娘の剥き出しの腕やら、首筋やらを狙ってくる。

 打ち込まれた刃が、木の棒に突き刺さった。

 それを断ち割るまではできず、逆に娘の膂力で押し込まれることになる。


「このっ、おおおおおおっ!!」


「うわあああっ、なんて馬鹿力だ!」


 上手く避けて立ち回ろうにも、匕首を棒に捉えられて身動きができない。

 そのまま、男の一人が地面に押しつぶされる形でへたり込んだ。

 さらに、娘は折れた方の木刀を振り回して、もう一人を殴りつける。


 これは匕首で先端が切り飛ばされたが、残った握りの部分で、まるで拳を叩きつけるようにして男の肩の辺りを強く打つ。

 男はバランスを崩してふらついた。


 そこに、匕首が刺さったままの棒が打ち込まれた。

 何か骨が折れる音がして、呻きながら男がうずくまる。

 娘は押しつぶした男を強く蹴り倒しながら進む。


 最後に残ったのは、一人だ。

 仲間をことごとく打ち倒され、男は後退りした。

 その背中が、と冷たいものに当たる。


「ひいっ」


 抜き身の刃である。

 どういう原理か、虹色に光っている。


「よし、こんなものであろう」


 夫の側の呟きとともに、男の視界いっぱいに虹色の刃が迫って、そして彼の意識は暗転した。

 これらの光景を頭上から眺めていたものがいる。


 それは、黒衣に身を包み、状況の一部始終を把握した後、屋根の上を伝いながら姿を消した。

 だが、その黒衣の者ですら、路地で虹色の剣を持った男が、じっと見上げていたことに気づかない。





「こんなもので良いのか? ……なんだか、めちゃくちゃに棒を振り回していただけだった気がするのじゃが……」


「まあ問題ない。剣を振るっていうやり方は、もう竜胆ちゃんは身につけてるわけだし。だけど色々、道場の作法みたいなのに縛られてるだろ。ああいうのは実戦だと邪魔になるので、こういうめちゃくちゃな状況を体験してもらったというわけ」


 強盗みたいな連中を叩きのめし、俺たちは宿へ向かうところだった。

 それなりに金を持っている連中だった。

 遠慮なく、俺は彼らの財布を巻き上げて、こうして懐を暖めている。


 竜胆は眉をひそめたが、俺には狙いがあるのだ。

 奴らの命は奪わなかったし、監視している忍者みたいな奴もいた。

 これで、こいつらが突発的な賊などではなく、そういうことをするのがこの町の流儀なら、遠からず俺たちにお呼びがかかることだろう。


 自ら窮地を招くというと、大変マッチポンプなのだが、咄嗟に敵が現れたりすると、俺がカッとなって倒してしまうので、これは大変よろしくない。


 どれくらいよろしくないかと言うと、うちの嫁たちが全員、「ユーマがいるから大丈夫だよね!」「ユーマ様がいてくれる! もう勝ったも同然です!」「ユーマに任せれば万事解決さね!」「私は弱いぞ。放置すると死ぬぞ? 分かっているな?」「あー、まあ、今回もお願いします」


 と、そんな有様になってしまっているのだ。

 いや、それは悪いわけではない。

 ローザを除けば、巫女たちとアリエルは十分過ぎるほどの自衛能力を持っている。


 だが、竜胆は言うなれば未完成だ。

 それが俺に頼るようになっては、何かあったときに大変危ない。

 以前の俺であれば、「この切っ先が届く範囲であれば守ってやる」と言ったのだが、そこは心境の変化というやつだ。


「ここに泊まろう」


「な、なにっ!? ここは連れ込み宿ではないか!」


「うむ……。これには深い事情が」


「こ、このすけべーっ!」


「うわーっ、棒を振り回してはいけない! というかずっと、俺と一緒の部屋で寝てたじゃないかー」


 赤面しながら棒を振りかぶって襲い掛かってくる竜胆。

 荒業を使っていないと、普通の女子くらいの腕力なので振り回す速度が遅い。

 ……ということで、俺はこれが攻撃だと認識できないのでよく当たるのだ。なかなか痛い。


 だが、どれだけ抵抗しようとも。


「二名様ご案内~」


「おおー……! 最初から布団が敷いてある……!!」


「ああ、もう……!!」


 こうして、向こう側からのお誘いを待つことになるのである。

 

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