第162話 熟練度カンストの巡礼者2

 本来であれば、俺が異世界にやって来たばかりのように、森を踏破していくのが一番安全な方法である。

 竜胆がいれば、食べるものにはまず困らないだろうし、危険があったとしても俺が排除できる。

 何より、他に人間と触れ合うことがないから、俺たちが移動しているという情報が他に漏れ伝わらないのだ。


 だが。


「寺社を参って、願を掛けながら進むものなのじゃ」


「そういう作法があるのか。面倒くさいのう」


「これを怠れば、例え仇討ちをしたとしても正当性がないものとされる。第一……まだ、お父様とお母様は生きておられるかもしれぬし……」


「うむー」


 両親を慕う気持ちは俺にはよく分からないものだ。

 だが、竜胆がそうしたいというならば、別に逆らう理由もない。

 元の世界に戻れる鍵は彼女が握っている以上、俺は竜胆と共に行くだけなのである。



 幾つかの寺を過ぎた。

 基本的に、寺は宿泊希望者を追い出すことはしない。

 ここはこの国において治外法権なのである。


 それぞれの寺が一柱ずつの神を祀っていて、この神様が帝と同格。

 政治的な発言こそ禁じられているが、神様の威光とやらで、どんな罪人でも安全に宿泊できるというわけだ。


 ちなみに、神様にも好みがあるようで、あまりひどい罪人は門をくぐることもできない、とか何とか。

 俺は漫然と、神様って言っても精霊王みたいなものなんだろうなあと想像している。

 さて。


「やはり……この寺は風呂場が露天であったか」


 俺はすっかりマスターしつつある、音を立てぬ山歩き技術で寺の周囲を巡っている。

 本来ならこの時間、俺は夕飯を待ちながら部屋でごろごろしているはずなのだ。


 だが、やはりこう。

 見目麗しい女子と旅をしている以上、こういうのは礼儀ではあるまいか。

 かつて、俺が働いていた店の息子、ハインツに誘われてリュカの裸を覗いた経験はまだ記憶に新しい。


 大丈夫。

 俺はもう、一人で覗けるのだ。

 我が成長を見せてやろう。


 気配を殺し、ゆっくりと山の中を歩く。

 普段は、必要以上に気配を発して相手の攻撃を誘ったりしているので、こうして気配を殺すのはとても新鮮だ。


 すぐ横で木の根元のキノコをモリモリ食べている猪がいて、そいつはひとしきり食べ終わった後俺に気付いて、ギョッとしてそのまま地に伏せた。

 お通りください、とでも言うような姿勢だ。

 相変わらず動物には嫌われている……。


 さて、俺は風呂場を覆う囲いの前にやって来た。

 この囲いは竹で組まれており、なるほど、隙間の少ないように青竹を竹ひごで結びつけているのだな。

 いい仕事をしておる。


 感心して竹の表面をなでなでしていたら、突然隣でガサッと音がした。

 あっ、見つかったか!! と思って、ごめんなさいのポーズを取るべく身構えると、何やら目の前にはびっくり眼の男が立っている。


 黒装束に、手足と腰に明らかに色々仕込まれた装甲。顔には覆面を被っている。

 明らかになった目だけが見えているので、向こうがびっくりしている様が分かるわけだ。


「馬鹿な……。全く人の気配など無かったぞ」


「あれ、もしかして、おたく、刺客?」


「ちぃっ!」


 いきなり仕掛けてきた。釘のような形をした棒手裏剣を、篭手からクロスボウのように射出してくる。

 俺も既に、バルゴーンを抜き放っている。

 相手の攻撃がごくありきたりだったので、これを切っ先だけでぺちぺちと叩き落としながら前進する。


「ば、化物めっ」


「うるさい、声を立てるな。見つかっちゃうだろ」


 俺は怒った。

 これから男の義務を果たそうという俺を、妨害しようというのか。


 こんな場所で聞こえるような声をだすのはマナー違反である。

 案の定、囲いの奥で水音が上がった。


「だ、誰かいるのかや!?」


 あっ、竜胆だ。

 静かに湯船に浸かっていたらしい。


「うぬっ」


 忍者っぽいやつが、こうなれば一気に、と囲いを駆け上がろうとしたので、俺はちょっと焦った。

 なんとマナーを知らん男なのか。

 刺客にせよ、覗きにせよ、エレガントにやらないとはけしからん。そしてお前の存在が知れたら、竜胆が風呂から上がってしまうではないか。


 これは、本気を出さねばなるまい。

 俺は囲いを結ぶ竹ひごにつま先を引っ掛けると、それを足がかりに跳躍した。

 上下逆さ、高らかにバック転しながら、眼下にいる忍者に向けて剣を振るう。


「……!!」


 声をあげさせない。

 切っ先が、忍者の喉を切り裂いた。

 目を見開いて落下する刺客。


 落下音もまずい。

 俺は空中からバルゴーンを投擲する。サイズは大剣。

 それが忍者の胴体をやすやすと貫通すると、貫いたまま茂みの方に飛翔し、大きな木の幹に突き刺さった。


 忍者が縫い止められたような姿勢で、だらりと脱力する。

 俺は膝のバネを使って、音を殺しながら着地した。


「……なんじゃ、気のせいか」


 水音がした。

 竜胆が湯船から上がったのか。

 いかん、上がられてしまっては覗けない。


 俺は木と忍者からバルゴーンを抜くと、片手剣サイズに変えた。

 囲いまで到着だ。

 切っ先を、音を立てぬように滑り込ませる。


 ほんの僅かに、青竹の囲いを削り取るのだ。

 やがて、そこに覗き穴が出現した。


「うむ」


 俺は一つ重く頷くと、そこに顔を寄せた。

 湯気が吹き付けてくる。

 見えない。


「……ソニック」


 超速の抜刀術を放った。

 剣風で湯気を追い払う。


「おや……? なんぞ、風が……」


 竜胆の声である。

 いかん、気づかれてはならん。

 俺はまた剣を鞘に収めると、息を潜めて穴から覗いた。


 うむ。

 ほお……。

 なるほど……。


 恐らくは、俺とともに旅をした巫女たちと較べて、より実戦向きに鍛えた肉体。

 女性らしい柔らかいラインの下に、しっかりと筋肉がついているのがわかった。

 胸元は、俺が知る限りにおいては中くらい。


 中くらいはレアだなあ。

 あと、太ももがすごい。

 俺の知り合いの女子は、ローザとアリエル以外大体ふともも周りがむっちりしている気がするなあ。


 いや、そういうのが好きだから別に構わんのだが。

 竜胆は気持ちよさげに鼻歌など歌いながら、桶を手繰り寄せる。

 中にはヘチマが入っていて、これでシャボンを泡立てて体を洗うわけですな。


 ほう……。

 腕から派ですか。

 俺も腕から洗うなあ。


 やんごとない地位のお姫様は、自分では体を洗ったり服を着たりもしないというが、竜胆は何でも自分でやってしまう派だ。

 体を洗って……えっ、次に頭を洗うの?

 ひとしきり洗い終えた竜胆が、湯を被り、そしてまた湯船に戻ってきた。


「ふう……。今宵の夕餉はなんじゃろうのう……」


「結論……眼福でありました……」


 俺はありがたく、覗き穴の前で手を合わせて拝んだ。

 見つからないように、穴を塞いでおく。

 そして、背後のお客さんたちに振り返る。


「立つ鳥後を濁さずと言う。俺の覗きが知られぬように、とりあえずお前らを蹴散らして帰るとしよう」


 そこにいた、無数の忍者たちが、一斉に武器を構えた。




 夕食である。


「ユーマ、どこに行っておったのじゃ? 妾が上がったから、次はお主かと思っていたのじゃが」


 部屋に戻ると、竜胆が寛いでいる。

 薄衣一枚で、窓辺から入る風に身を委ねている風である。

 なんとも無防備なのだが、それだけ俺が信頼されているのであろう。


 いや、竜胆が単純に、そういうところまで考えが及んでいないだけかもしれない。

 無論、俺は手出しはしないのだ。そういう度胸とかはない。


「ちょっと散歩にな。飯を食ったら俺も風呂に入る。しかし、寺と言っても安全ではないんだなあ」


「?」


 意味がわからないという顔の竜胆を前に、俺は訳知り顔をしておいた。

 やがて、夕食が運ばれてくるのだが、この寺社での宿泊、実は無料ではない。

 きちんと金がかかるのだ。


 無一文なら、労働力を支払うことになる。

 そして、料理の内容も別に精進料理ではなく、山で取れる山菜や、寺で作っている野菜の他に、獣の肉なんかが普通に出てくる。

 こいつをむしゃむしゃやりつつ、今後の移動について話し合うわけだ。


「竜胆ちゃん。明らかに街道を移動して寺を回ってるから、目立ってるんだけど」


「うむ、しかしこういう作法なのじゃ。幸い、まだ刺客もほとんど来ないからのう。妾の願を神々が尊重してくれているのではないかと思うのじゃ」


 覗きついでに刺客は蹴散らしてるとかは言えないなあ。

 俺は曖昧な返事をすると飯を食った。

 仕方あるまい。


 刺客は俺が倒す。

 あと覗く。

 これで行こう。完璧だ。


「ユーマは心配してくれているのじゃな。気持ちはありがたい。妾もお主を頼りにしておるのじゃ。妾は、長物を扱う鍛錬はしておるが、実戦の経験はほとんどない……。じゃから、妾だけでは、ここまでたどり着けなかったじゃろう」


「竜胆ちゃん、割りと猪武者だもんね」


「分かってはおるが面と向かって言われると傷つく! むう、まあよい。ユーマよ、じきに四州を抜けるぞ。次なる寺を越えれば、そこは熊野上(ゆやがみ)の地じゃ。瀬の内海を挟み、本土への港と、連なり島がある。妾たちはそこで、どの手段を使って本土へ行くか決めることになる」


「ふむふむ。どう違うんだい」


「港を使えば、船旅となろう。これが最も早いが、海の上じゃ。逃げ場はない。連なり島は、小舟を使って幾つもの島を抜けていくことになろう。時間がかかるが、複数の道筋がある。常上の目は誤魔化せよう」


 なるほどである。

 危険な近道か、比較的安全な回り道か。

 どちらかを選ぼうと言うのだ。


「ユーマ、お主なら、どちらにする?」


「俺が選択するの? ……よく分からんのだが。どっちがどうとか、他の情報とか」


「他にか……? うむむ……。連なり島は、良い小麦が取れるので、うどんが旨いが」


「連なり島にしよう」


 そういうことになった。


「じゃ、じゃが、連なり島を抜ければ、そこはもう常上の国の目と鼻の先ぞ? 刺客は撒けようが、すぐさま敵地に飛び込むことになる……」


「遅いか早いかの問題だろう。そうだな、よし、では俺が竜胆ちゃんに稽古をつけてやろう。長物は強いし楽だけど、屋内とか、今後の旅を考えると現実的じゃないしな」


「ユーマが、妾に……?」


「うむ。スラッジを教えたやり方から、色々試行錯誤して考えていたのだ。竜胆ちゃんに合った戦い方を教えるぞ……!」


 かくして、これからの道行きは、うどんと鍛錬の旅となるのである。

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