第157話 熟練度カンストの滞在者……

 何か、不思議な香りのする汁物だった。

 肉は鶏肉、味は魚介っぽい出汁が効いていて、決して不味くは無い。

 だが……この香はなんだろう。


 トイレの芳香剤っぽい……。


「不思議なにおいだねえ」


 リュカは気にならないらしい。

 椀にたっぷりと入った汁物……根菜に鶏肉にイモ類という、このオリエンタル味溢れる代物を、俺はスープと呼ぶのに抵抗がある……これを、リュカはもりもりと食べている。

 一緒についてくるタイ米も、汁物についてきたのと同じ匙で掬って食べる。

 ……うーん。


「味は美味しいと思うんだが……トイレの芳香剤……」


「ほうこうざい?」


 リュカが首を傾げた。

 そもそも、現代社会のトイレなるものを知らないリュカには分からないのは仕方あるまい。

 この匂いも単体で嗅ぐならば、決して悪臭ではないのだ。


 俺がただ、この香りをトイレの記憶と結び付けてしまっているだけなのだ。

 うぬぬ……。食欲が失せる。


「ユーマ食べないの? 私がもらっちゃっていい?」


「どうぞどうぞ。俺は焼き物を食べよう。あー、すみませーん」


「ハイ」


 給仕の兄ちゃんがやって来た。

 エプロンをしてるわけでも、髪が落ちるのを防ぐ帽子を被っているのでもない。普通にその辺を歩いているような、普段着の兄ちゃんである。


「ええっと、何か焼いた肉をください。あと、この匂いがしない汁物」


「ポキチー苦手? お客さんでも合わない人多いんだよね。慣れるとやみつきになるんだけどねー」


 ポキチーという香草だったらしい。

 何やら薬効もある代物で、乾燥させた粉を煎じれば薬にもなるとか。

 だが、俺はあの匂いで飯は食えぬ。


 何を隠そう、俺の実家のトイレがまさにあの匂いだったからだ。

 これはきっと、現代世界にも存在するハーブか何かと同じなのだろう。


 しばらく待つと、割とぞんざいに茹でた肉が出てきた。

 茹でてる!!

 焼いてないよこれ!!


「火が通れば同じよー」


 アッハッハ、と笑う給仕の兄ちゃん。

 なんてアバウトなんだ。

 俺が今まで巡ってきた世界の中で、一番プロ根性がない店員だぞ。


 だが、俺も基本的にやる気が無い人間なので他人のことは言えぬ。

 ここはこういうノリの町なんだろうと納得して、茹でた鶏肉をおかずに米を食うことにした。


 肉には塩味と、何か柑橘類の汁と例の魚介出汁をあわせたソースがついてきている。

 これを掛けて食うのだ。


「うむ……普通に美味い」


 素材の味と、素材の味を生かしたソースを組み合わせたものだが、やっぱり素材って大事なんだな……。


「デザート食べる?」


「デザート? 何があるんだ?」


「パカオの実をね、こう、半分に切っただけのやつ」


「デザートまで手抜きだな!! ください」


「デザート楽しみ!」


 で、運ばれてきたデザートは、赤くて分厚い殻を持つ、バスケットボールくらいの果実である。

 中身は白くて、味はさっぱりでほのかに甘い。食感はクリーム系。

 南国の果物って、クリームっぽいの多くない?


 リュカは珍しい果物に大喜び。

 こういうところを見ていると、まだまだ子供だなあなどと思うのだ。

 決して、俺がこういう食べなれないタイプの食事よりジャンクフード系が好きなだけではない。


 さて、飯も終わると外は夕暮れだ。

 ここからのプランは、宿を取って酒などを飲みつつ、雰囲気を作ってそういう気分になるお香を焚き、そして……!!

 というものである。


 ……。

 エルフにマーメイドの長にドワーフの族長に、果ては竜まで集めて出来たデートプランがこのお粗末さかッ。

 うちの陣営はポンコツしかいないのかもしれん。


 だが、せっかく作ってくれたプランなのだ。

 それに、俺もマニュアルがあった方が変な緊張などしなくて大変よろしい。


 ひとまず、このプランに従うことにする。

 満腹になってニコニコしているリュカに、


「では、そろそろ宿に……」


 と言うと、彼女もハッとした。


「いよいよ……!」


 リュカがガチガチになる。

 俺も手汗がすごくなる。

 そう、ここから先は、アレなのである。


 アレしてナニでこれがそれなのだ。

 勘定を済ませると、二人で宿を目指す。


 なんか、視界の端にちらちらと、見知った奴らが隠れながら着いて来るのが見える。

 明らかに体格の良い女が、物陰に隠れきれずに尻のあたりが突き出ているではないか。

 サマラだ。


 あいつがいるということは、アンブロシアやローザ、アリエルもいるかもしれない。

 俺は、彼女たちに向けてグッと親指を立ててやった。


 決めてやるぜ、という男の覚悟を見せつけたのである。

 なんか、遠くで「ひえー、ユーマ様がついにーっ」とか声が聞こえた。お前は隠れる気があるのか。


 かくして、この町で一番っぽい宿に入り、夜景が見えそうなバルコニーがドーンとせり出した部屋をとった。

 すっかり日が暮れていくと、なるほど……。


 巨大な洞穴の天蓋に覆われている、町の空がにわかに輝きだした。

 これは、星の輝きである。


 ヒカリゴケが輝いているなどと聞いたがとんでもない。

 それだけではなく、昼間蓄えた光を放つ、鉱石みたいなものが散りばめられているのだ。

 輝きの色は緑。

 空を見上げると、見回す限りの緑の空。


「うわあ……!」


 リュカがバルコニーに出て、感嘆の声を漏らした。

 天を仰ぎつつ、くるくると回る。


「すごい……すごい、すごい! なに、これ……! 洞窟の中なのに、星空がある……!」


「これが、この町の売りなんだろうな……いてっ」


 なんかヒュッと小石みたいなのが飛んできて、当たった。

 そちら側を見ると、アリエルが顔を出している。

 何か、口を動かしている。

 唇を読んでみると……。


(つまんないこと言わない! もっとロマンチックなこと言って!)


 無茶を仰る。

 ロマンチックなこと……ロマンチックなこと……。

 ちょっと考えてみたのだが、彼女いない暦=年齢であった俺に分かるはずもない。

 考え込むうちに、リュカがこっちに気付いた。


「うん? どうしたの、ユーマ?」


「ああ。その。リュカがきれいだとおもって」


 咄嗟に口にしてしまった。

 うおわあっ、な、何を言っているのだ俺は!!

 いきなりそんな事を言ってしまった。


 リュカだってびっくりして……おお、目を丸くして……そして、顔を赤らめてうつむいた。

 この瞬間である。

 俺は確信した。


 ──いける!! 今が好機……!!

 それは幾多の戦を潜り抜けてきた戦士の勘だった。

 多分、本来は違う能力を使って察したりする状況のはずなのだが、悲しいことに俺にはこれしかない。


 剣一本を頼りに異世界を渡ってきた、この戦士の勘しかないのだ。

 俺は戦士の勘を総動員して、リュカとこれからの大人の階段を登る流れをスムーズにするための動きをシュミレートした。


 いける。

 これはいける……はずだ……!


 それ故に、俺は気づかなかったのだ。

 普段であれば、俺の戦士としての勘は、あらゆる不意打ちを許さない。

 例え俺に意識がなくとも、勘は自動的に発動して我が身を守る。


 何度も寝込みを襲ったり不意打ちを狙ってきた、ザクサーン教の指導者アブラヒムとは、これがあるからやりあえたようなものだ。

 だが、それが今、男女関係の機微に総動員されているのだ。


 気付いた瞬間には、洞窟の上空が真っ暗になっていた。

 何か、闇のようなものが広がっている。


 それが、凄まじい速度で広がり、俺たちを包み込む……!

 この瞬間、実は今までずっと、ポケットの中に持っていた、僧侶から貰った腕輪が振動した。


『何故身につけていないのだ!! お陰で察知が遅れたではないか!』


「あっ、その声は僧侶」


『君は気付いているのか!? 今、君の周囲にポータルが展開している……! つまり、局所的ワープシステムとでも言うべき代物だ。それを、この世界で言う魔法という技巧で再現した、我々にもよく理解ができない……しかし危険なものだ』


「ポータル……。テレポーターみたいな? あれ、そういえばリュカは……!」


「ユーマ!」


 闇の向こうから声がする。

 俺は、戦士の勘を本来の意味で使用した。

 状況が理解できる。


 このポータルは、明らかに悪意を持って、俺たちに放たれた。

 つまり、標的は十中八九俺であろう。

 故に、俺は剣を抜く。


「ソニック!」


 抜刀からの一刃。

 俺の剣は、実体の有無に関わらず、触れた全てのものを斬ることができる。

 事実、虹彩剣バルゴーンはポータルの闇を一文字に切り裂いた。


「ばかなっ!!」


 どこからか声がする。

 男の声だ。

 こいつが、俺にポータルを飛ばしやがった奴か。


「だが遅かった……! 私の狙いは既に果たされている! 戦士ユーマ、貴様を星辰の果てに放逐することは失敗した。しかし貴様が飛ばされるはこの世の果て……!!」


「おいっ、いきなり何を言ってるんだ!? 状況が把握できん!! つまりお前は敵なのか!? ならば出てこい、ぶった切る」


「さらばだ戦士ユーマ!!」


「いや、待てって! リュカとかうちの嫁たちはどうするんだよ!?」


 俺の周囲が、轟々と音を立てて回り出す。

 ポータルの半ばほどを破壊したようだが、あの声が言う通り、気づくの遅かったようだ。


 幸い、こいつは俺を標的にしている。

 飛ばされるのは俺一人であろう。


『しかし、ポータルをも切断するとは。恐るべき技の冴えだね。ぜひ研究したい』


「そもそも僧侶、お前がもっと早く気付いていれば」


『黙らっしゃい! 私に、君たちの幼稚なイチャイチャをずっと観測していろと言うのかね!? どんな拷問なのだそれは。まあ、君であれば飛ばされた先でも強く生きていけるだろう。私もサポートをして行こうじゃないか』


 前向きな奴だ。

 俺は周囲の気配を探る。

 人の気配はなくなっている。


 それどころか、ムーバーンに漂っていた、洞穴の町特有の空気の流れとか、そういうものも全て消えてなくなっている。

 俺の足元は曖昧になり、まるでふわふわと浮いているようだ。


 急に周囲の空間が歪み、俺の頭がキーンとしてきた。

 これは空間から俺に干渉してきていると思えたので、これも斬った。

 もとに戻った。


『今、君、多次元干渉を斬ったな!? とんでもない干渉波が観測されたぞ!?』


 うるさいなあ。

 渦巻く周囲の闇。

 それは徐々に回転を早めていき、ついには静止しているのか、猛烈な速度で動いているのか分からなくなった。


 やがて、頭上に輝きが生まれる。

 突然だ。


 輝きは赤く、どこまでも赤々と燃え上がっていた。

 そう、燃えていたのだ。


「なん……だと……」


 俺は呻いていた。

 そこは、空である。

 俺は突然ポータルから吹っ飛ばされ、空を飛んでいたのだ。


 周囲は森だ。

 一面の森。

 それが全て、燃え上がっている。


 木々の植生は、多分ムーバーン周辺とは違う。

 ……見覚えあるぞ。

 これ、なんていうか、とっても……杉だ。あと、松とか。


『気をつけろ。目の前に巨大な構造物の反応だ。これは……城か……!?』


「城だな」


 妙に冷静に、俺はぐんぐん近づいてくるそれを見つめていた。

 そいつは、五階建てで、瓦屋根で、そして白い壁を持つ……日本式の城郭だったのだ。


 燃え上がる、天守閣。

 俺はそのまま、炎の中に突っ込むことになったのである。

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