第158話 熟練度カンストの降臨者
蓬莱の国は、世界の極東に位置する島国である。
この国には、数多の神を祀る教えが存在し、それを天から降臨して伝えた神が、人と交わって子を残した。
その子供は現人神であり、今もこの国の教えを祀る立場にある。人々はかのものを帝と呼び、帝がある地を京と呼んだ。
それとは別に、蓬莱の国には、人ならざる、神ならざる存在がいた。
それらは、気まぐれに天地を乱し、人を殺め、作物を不作にした。
人はそれらを恐れて、荒御魂と名付け、やはりこれも神として祀った。
祀られれば、荒御魂は鎮まる。
やがて荒御魂の中にも、人と子を成すものが現れた。彼らは荒神憑きと呼ばれた。
この国の中には、幾つかの小国が点在し、それらのいくらかは荒御魂の血を継ぐと標榜する国であった。
蓬莱の南西に位置する、それなりの大きさの島があり、四州と呼ばれている。
四州の中でも最も奥まったところにあり、豊かな森に包まれた、そこは
嗣子は猪であり、かつてこの姿を象った荒御魂が、その土地の娘と契って子孫を残したという。
この子孫が治める国である。
今、嗣子上の国が燃えていた。
森が燃え、家屋が燃え、そして城が燃える。
「おお……!! なんたる……なんたることじゃ……!!」
燃え上がる天守閣から、戦装束の人影が、炎に包まれていく国を見下ろし、嘆く。
「
それは、猪の革を肩から被り、帷子を纏った少女であった。
肩口で切り揃えられた髪も勇ましく、黒黒とした眉の下、気の強そうな大きな目が瞬く。
鼻はさほど高くなかったが、鼻梁は滑らかで、唇はふっくらと柔らかな曲線を描く。
彼女はこの国の長の娘であり、婿を取って次代の嗣子上を継ぐ身の上。
だが、今、継ぐべき国が焼け落ちようとしている。
少女は叫ぶ。
だが、その声は誰にも届かない。
城はパチパチと弾ける火の粉と、煽られ、炙られひしゃげて崩れる柱の音ばかり。
人の声などしない。
そして、何者かが大勢で、この燃え上がる天守閣へ駆け上がってくる足音。
「なっ……何奴……!?」
「何奴も何も、分かっておいででしょう」
薄笑いを浮かべた声が響く。
階下から駆けてきた足音は緩やかになり、余裕を持って、その男は姿を現す。
黄色と黒の派手な色に塗られた鎧だ。
背ばかりが高く、ひょろりとした男。
だが、腰には長い刀を佩いていた。
本州にある、京に従属する荒御魂の家柄、常上の将軍である。
「
「尾長! お、お前は京から良い知らせを持ってきたといいながら、な、なんだこれは……!」
「よき知らせにござりまする。我ら荒御魂の一族が、今生の世を生き残るための法を、御上が授けてくださりました故」
「御上……!? 帝のことか……!」
「然様。御上はこう、託宣なされました。”遥か西の地にて、大いなる異変が起こりたり。かくなる上は、蓬莱の地の意思を一つに集め、京の下に集わせるべし。備えよ。危うきは滅ぼせ。恭順せしは
荒御魂は危険であると、そう判断をなされたのです」
「馬鹿な……! 我らは長く、人と荒御魂の間を繋ぎ、世を平らかに保ってきたではないか……!!」
問答をする間に、階下から上がってくるのは、同じ黄と黒の甲冑に身を固めた武者たち。
炎に包まれた城を昇ってくるのだから、これは自殺行為に等しい。
だが、彼らは炎にやられた程度では死ぬことはない。
なぜなら、
「その兵ども……。荒御魂を移したのか……! 正気か!?」
「常上は京に従う荒御魂にござる。我らは、御上の仰る”端末”なるものなれば。野放しの荒御魂と比べれば、なんの危険もござらぬ」
「貴様……!! 己の部下を、帝の道具にしたのか……!! なれば、貴様、妾の国を焼いたのは……」
「主命にござる。竜胆様、ご安心めされよ。お父上も、お母上も、一足早く神となりて、天ヶ原にてお待ちになっておられますぞ」
「貴様ッ」
竜胆は目を剥いた。
事は、近年の異常気象にある。
風が止まり、常であれば運ばれてくるはずの雨雲が、やってこなかった。
日照りが作物を枯らし、森を乾燥させた。
嗣子上は狩猟と農耕、漁に頼る国である。
山が痩せれば獣が取れず、山の恵も減る。山から流れ出る滋養が海に届かねば、漁も難しくなる。
そしてその上、作物まで取れなくなったとあっては。
そんな時に届いたのが、京の地にて、帝が食物を分け与える、という通達である。
帝は不可思議な力を持っており、何もないところから、不思議な食物を作り出すことができた。
各国から、食物を求めて帝のもとに、領主たちが参じる事となる。
その代わりに、各国に京からの使者が下り、領主代理の補佐をすることとなった。
嗣子上で、領主代理を務めたのがこの年若き姫、竜胆であり、補佐は彼女の許嫁であった、常上の将軍、尾長である。
つい昨日まで、竜胆は尾長の助けもあり、よく国を治めていたのだ。
食料は少なくなったとは言え、痩せた土地でも育つ豆や芋を作り、食べられる木の皮を集めさせ、一人も飢え死にさせぬと、奮闘していた竜胆なのである。
それが。
「いや、何もかもからからに乾いておりましたからな……。よく燃えまする。それにしても、雨も風も来ぬとは、まっこと奇怪な天候にこざりましたな」
火を放ったのは、尾長の手のものであった。
各国では、飢え死ぬ者まで出る、世界的な大飢饉である。
むしろ、嗣子上はよくやっていると言えた。
だが、生きることに必死で、戦う力など兵たちに残ってはいなかったのだ。
そこを、尾長は突いた。
電撃的に兵は皆ことごとく殺され、城下の町は焼き払われ、森に火が掛けられた。
「竜胆様。
尾長の周りにいた兵たちが、じり、じりと竜胆を押し包むように寄ってくる。
彼らもまた、荒御魂を宿した兵である。
それは、人を超えた文字通りの超人となることを意味する。
生半の炎に巻かれたとて、息絶えはせぬ。
「尾長ぁぁぁっ!! 貴様、貴様っ!!」
激昂に駆られ、得物を抜く竜胆。
それは、身の丈よりも長い薙刀だ。
彼女の周囲を取り巻く兵たちは、次々に刀を抜き放つ。
「大人しくなさいませ、竜胆様。御身は貴重な純血の荒神憑き。帝に恭順なされ。そのために、御身を傷一つ付けぬままにおりました故」
「黙れえっ!」
竜胆は薙刀を振り回した。
その瞬間、彼女の髪は逆立ち、唇の端から牙が覗く。
竜胆は猪の荒御魂を宿し、剛力を得る。刃が天井の梁に食い込み、それを叩き割りながら身近な兵目掛け打ち込まれる。
兵はこれを、刀で受けようとして、真っ向から切り捨てられた。
真っ二つになり、転がる兵。
だが、それは瞬時に、煙となって消え失せた。
「何っ!?」
「常上の荒業をお忘れか? 我らは……狐の荒御魂に属する荒神憑き」
斬られたはずの兵が、薙刀の刃より、半歩内側の間合いに現れた。
刀が振り下ろされ、一刀のもとに薙刀が断ち割られる。
「おのれっ……!!」
竜胆は歯噛みしつつ、間合いを取ろうと下がろうとし……その両脇から、いつの間にか近づいていた兵士に腕を取られた。
「終わりでござりますな、竜胆様」
尾長がいやらしい笑みを浮かべた。
ゆるり、ゆるりと近づいてくる。
竜胆は満身の力を込め、兵たちを振りほどこうとした。
だが、そこに倍する数の兵が群がり、竜胆の四肢を束縛してしまう。
今や、尾長の顔は触れ合うほどの近くにあった。
許嫁として意識していたころは、心ときめかせる事もあった男である。
だが、今は嫌悪しか感じない。
「ふむ、まだ心が折れておりませぬな? 結構結構。それでこそ、竜胆様でござります」
満足気に笑み、尾長は続けた。
「では、一度竜胆様の貞操をこの兵たちで散らし、心を折ることに致しましょう」
「なっ……!?」
少女の目が、驚きに見開かれた。
「それは、どういう……っ!」
「こういうことだ……!!」
尾長の口調が変わった。
恫喝するように、低く声を発しながら、この裏切り者は手にした刃で、竜胆の胸元を裂いたのである。
特別製の刀であるらしい。
甲冑が、まるで紙のように裂けていく。
どんな男にも見せたことのない、竜胆の柔肌が顕になった。
「いっ……いやあああああああ!!」
絶叫があがる。
「いやっ、いやああああ! やめて! やめてえ! お父様ぁっ! お母様ぁっ! こんなのいや! 助けて、助けてえええ!」
「ははははは! 心地よい! 悲鳴が心地よいなあ! さあお前たち、俺から褒美を取らそうではないか。その荒神憑きの娘を、存分に犯すがよっ」
その辺りである。
いきなり、天守閣の壁がスパーンッと切れた。
それはもう見事に切れた。
横から斜め上に向かって、立派な屋根ごとぶった切られた。
巻き起こる旋風、いや剣風。
それは、一瞬にして燃え上がっていた炎を吹き消してしまう。
「うおーっ!」
直後に、誰かがぼてっと板の間に転がり落ちた。
ごろごろごろっと転がって、ついでに近くにいた荒神憑きの兵士を巻き込む。
「なっ!?」
尾長は突如として、周囲の状況が一変し、混乱の極みに陥る。
兵たちも、呆然と周囲を見回す。
からりと晴れた空が見えた。
天井が、もう無い。
城を包む炎が消えていた。
煙が上がるばかりである。
そして。
「おう、尻を打った……。あいた……いたたたた」
尻を押さえながら、無様な格好でよろよろと立ち上がる、異国風の服装をした中背の男。
尾長は瞬時に察した。
何か分からないが、突然現れたこの男。
この男が、今、
唖然として動きが止まったのは、竜胆も同じだった。
恐怖することも忘れて、突然の闖入者に、目を白黒させる。
「そ、そなたは」
「おっ! なんか日本人っぽ……ひゃーっ!! む、胸が! 胸が!」
「み、見るでない!」
「そうは言っても、男は皆、おっぱいが好きなので目が離せない悲しさよ……」
「え……ええい! 者共、曲者だ! この男を殺せ!!」
竜胆を茶番めいたやりとりを始めた男に、尾長は怖気を感じた。
この男を放っておいてはならぬと、己の中の荒御魂が告げたのである。
兵たちは帝の端末である。
尾長は、帝から端末を操る資格を与えられている。
故に、竜胆を拘束している兵以外の者たちは尾長の言葉に従い、得物を抜いて一斉に飛び掛かった。
全員が幻を纏い、実体と非実体の見分けがつかなくなる。
切れば幻、突けば幻。
一度実体を見極めねば、傷つけることも
「おっ、
男は軽い口調で言いながら、飛びかかる兵たちの間に、するりと入り込んだ。
誰もが気づかぬうちに、既に男は全員の懐に手が届く位置にいた。
「幻ごと斬ればいい」
言葉とともに、虹色の軌跡が円を描いた。
刃が鞘に収まる音。
それと同時に、兵たちの腕と首が全て飛んだ。
ご丁寧に、全ての刀も四つに折られている。
つまり、一瞬に見えても、刃の軌跡が
噴水のごとく血が吹いた。
尾長は、目を見開く。
「お、お前はっ……お前は何だ!! お前は誰だっ!!」
「俺か」
男は初めて尾長に気付いた、と言う顔で振り返った。
切れ長の、鋭い目をした男である。
その目を見るだけで、背筋が凍りつくような、刃そのものの目だった。
「戦士ユーマだ」
蓬莱の地に、熟練度カンストの魔剣士が降り立つ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます