第152話 熟練度カンストの神殺し
眼前で起こった光景を何と言えばいいのか。
少なくとも、理解できたものは僅かしかいなかった。
中庭に進み出てきた異国人は、連れの娘が手を翳すと、あっという間に灰色の甲冑に覆われていった。
同じ色のマントを翻し、禍々しい棘に覆われた姿は、まるで異形の怪物である。
対するのは、降臨の衝撃で王城を突き崩した、赤き雷神インドラ。
ウーディル教が奉る神の一柱であり、戦いを司る。
異国人は恐れた様子もなく、ゆるりとインドラに向けて歩き出した。
いつの間にか、その腰には剣の収まった鞘がある。
神は、畏れる様子もなく向かって来る異国人に、
この不敬な輩に対して、怒りを覚えたのである。
インドラの手に、金剛杵ヴァジュラが出現する。同時に耳を
人々は見た。
周囲の雲から幾条もの稲妻が降り注ぎ、この金剛杵に吸い込まれていく光景を。
幾多の稲妻を吸収した恐るべき武器を、インドラは振り上げた。
そして、無造作に投擲する。
ただ一人の異国人に向けて。
「飛び道具は効かんぞ」
異国人の呟きは、何故かはっきりと聞こえた。
輝き、轟音とともに飛来する金剛杵。
これに、異国人は腰に佩いた剣を抜き放って対応した。
剣が、眩い虹色の輝きを放つ。
七色の軌跡と、雷を纏う金剛杵が激突した。
一瞬の後、爆発。
しかも、一方的に金剛杵を投擲した側に向かって、爆風が吹き上がる。
民たちは呆然と見上げていた。
彼らには、何も起こっていない。
恐らくは、凄まじい威力を内包して放たれたインドラの武器は、何の効果ももたらさなかったのだ。
「いいかスラッジ。武器を捌く時は、こう、剣の角度が大事だ。相手の方向にまるごと返してやれば、そいつに多少の魔法が載っててもこのようにまとめて突き返せる」
「馬鹿な」
声をあげたのは僧侶だった。
爬虫類を思わせる、感情の読み取れぬ顔が、今は誰が見ても分かるほど、驚愕一色に染まっている。
「打撃艦の主砲に匹敵する一撃だぞ!? それを、ただの個人が返すなぞ、たちが悪い冗談だ……!」
「いやいや。撃たれる事がわかっている攻撃のどこが脅威になる。おい神様、まだ全然効いてないんだろ? どんどん来い。だが飛び道具は効かんぞ」
「インドラ!」
僧侶の叫びに合わせて、爆煙の中から飛び出した雷神は、その形相を憤怒に歪ませている。
彼の背中に金属のリングが出現し、そこに無数の金剛杵が装填される。
全ての金剛杵は、また幾条もの稲妻を浴び、金色に輝き始める。
インドラは下界の異国人に指先を向けた。
それが切欠となり、連続して金剛杵が放たれる。
「バカの一つ覚えか」
異国人は歩みながら、剣を自然な動きで振り上げる。
「ちょっとは衝撃が漏れるから、それは任せる」
「うん、わかった!」
虹色の髪をした娘が元気良くうなずく。
「ユーマ様! あんな奴、アタシたちも一緒になってやっつけます!」
「あー、これはちょっとお前たちには荷が重い。これ、素の精霊王クラスだ」
炎の髪色の娘の言葉を受けながら、ユーマと呼ばれた男は、早速飛来した金剛杵を弾き……いや、
これを、間断なく飛来する金剛杵に合わせて続けていく。
凄まじい威力が込められているはずのそれを、事もなげに受け流し、その力を利用し、端から全てインドラ目掛けて叩き返していくのだ。
誰もが、もしやあの攻撃は大したことのないものなのでは……と疑念を抱いた時だ。
「あっ、悪い」
最後の金剛杵が方向を誤り、彼方の城壁へと飛んだ。
貧民窟の方角である。
一瞬のことだった。それを目で追った者がいる。
飛翔した金剛杵は貧民窟に着弾すると同時に、大地を激しく揺るがした。
ごく間近に稲妻が落下した時、大地は震え、腹の底を揺るがすような轟音をあげる。それを幾つもまとめたような衝撃が、王国中に響き渡ったのである。
凄まじい輝きが間欠泉のように吹き上がり、しばらく大地を殴打するような響きが続いた。
そして……光と音が止めば、そこには貧民窟など影も形も無い。
すり鉢状に抉れた大地があるだけだ。
「お、おおおおお」
「うああああああ!」
誰もが、それを見て恐怖した。
誰かが逃げようと、腰を持ち上げる。そうしようとして、叶わずに転げた。
この場にいる人々は、ユーマが連れた女たちと、インドラを召喚した僧侶を除き、全てが腰を抜かしてしまっていた。
だが、驚くのはまだ早かった。
ユーマが打ち返した金剛杵は、実に正確にインドラに向かっていく。
雷神は一瞬、驚きの表情を浮かべた後、これを腕の一振りで払いのけた。
空中で断続的に、凄まじい爆発が起こる。
爆発の後、雷神は天に手をかざした。
そこに、金剛杵とは比べ物にならない量の稲妻が集まる。
稲妻が実体化する……そんな光景を、誰もが目にした。
それは力の権化である。
空気は焼き焦がされ、ただそこにあるだけで、凄まじい熱量と電力が空間を歪めてみせる。
そして雷神は、一歩、踏み出した。
同時に姿が消える。
「右か」
ユーマは既に剣を右に構えている。
そこに、雷神が出現した。
虹色の刃に、インドラが握った武器が炸裂する。やはり金剛杵なのだが、一回り大きく、輝きも強い。
当たれば、先ほど貧民窟を吹き飛ばしたものとは段違いの破壊を周囲にもたらすことだろう。
だが、それはふわりと受け流される。
「左」
ユーマは自然な動きで、剣を左側に傾けた。
そこにやはりインドラが出現し、武器を叩き付けて来る。
甲高い金属音と、炸裂音。
雷神が衝撃で弾き飛ばされた。
「化け物かっ」
僧侶が吼える。
インドラは飛ばされながら、背後のリングから無数の稲妻を放った。
それらは周囲を焼き焦がしながら、ユーマを襲う。
「無差別はいかん。防ぎきれない」
己に向かってきた稲妻のことごとくを、ユーマはまるで飛来を予知していたかのようになぎ払い、撃ち落す。
全方位に漏れた稲妻は、突然周囲の水路から沸きあがった水の壁が受け止める。
もうもうと水蒸気が立ち込めた。
「おう、アンブロシア、感謝感謝」
「いいってことだよ。それにしても、毎度思うけど、あんたって本当にでたらめだねえ……」
「? 神様の方がでたらめだろう。気を抜いたら俺が蒸発しちゃうんだぞ」
「はいはい。とにかく、信じてるからね。勝ってきなよ!」
「おうよ」
金髪の女と言葉を交わした直後、ユーマは大地を蹴った。
真っ向から、インドラ目掛けて駆け寄っていく。
強大なる雷神相手に、正面勝負とは無謀もいいところである。
稲妻の速さで動くことができるインドラは、幾らでもその突進を躱し、側面から攻撃を加えることができる。
だが。
僧侶は雷神が顔を歪める様子を察して、焦った。
ユーマは一体、雷神に向けて何をしているのか。
インドラの赤い肌が、たちまち怒りに満ちた灼熱の炎を上げ始める。
そして、凄まじい咆哮をあげた。
翳されたインドラの指先から、無数の稲妻が放たれる。
全ては一直線、灰色の甲冑の剣士目掛けて。
これを、ユーマはくるりと反転しながら、剣を振るった。いつの間にか、剣は大剣ほどの大きさに変じている。
それが、放たれた稲妻を上段から斬り落とした。
切断された稲妻が、砕け散るように消滅する。
まるでそれが指先につながっていたかのように、放っていた稲妻を破壊されたインドラが、一瞬つんのめった。
既に、ユーマが肉薄している。
「首を掻っ切る仕草は分かるようだな。ヒット&アウェイなんぞされたら面倒でかなわん」
呟きながらの一閃である。
無造作に放たれたと見えながら、雷迅の速度のインドラが反応できない。
一撃で、袈裟懸けに切断した。
『~~~~~~~~!!』
二つに分かたれながら、それでも倒れぬインドラが飛び退る。
切り口は雷光を放ちながら、たちまち繋がっていった。
金剛杵を構えるインドラ。神を通常の手段で殺すことは敵わないのだ。
ゆえ、この戦士は雷神を倒すこと能わず。そのはずである。
だが、インドラが前方に意識を戻した瞬間、既に剣士が目の前にいる。
大剣が虹の軌跡を描いた。
金剛杵が雷鳴をあげながら、それを受け止める。
弾かれた大剣が剣士ごと回転し、斜め下から襲いかかる。
インドラは天空の雷雲から稲妻を呼び寄せて、これを撃ち落とした。
だが、撃ち落とされた勢いを利用して、加速した大剣が今度は上段から降り注ぐ。
インドラは先程と同じように、雷雲から稲妻を呼ぼうとして……。
翳した腕を、大剣が叩き切った。
「同じ戦法を目の前で二度やる奴があるか」
ユーマが吐き捨てるようにいいながら、打ち下ろした大剣の腹をインドラに当てながら、蹴り飛ばす。
雷神の体勢が揺らいだ。
人に足蹴にされた雷神は、幾度目かになる怒りに顔を歪め、何かの呪詛を叫ぶ。
すると、インドラの上空に雷を翼とした、巨大な白い象が現れた。四本の牙と7つの鼻を持ち、竜の如き大きさを持った象である。
これを持って、不敬なる剣士を打ち倒そうと。
「出し惜しみしてたのか」
呆れたようにユーマは言いつつ、剣を振り上げた。
大剣であれば、巨象の落下に間に合わない。
だが、それは既に片手剣になっている。
巨象が落下するまで一瞬。
だが、この間に、虹の剣は七度インドラに打ち込まれた。
インドラはそれを六度金剛杵で跳ね返した。
最後の一撃。
これは、六度目の斬撃を跳ね返した瞬間、既にそこにあった。
一撃のたびに、雷神は体勢を崩されて、六度目にはその首をがら空きにしている。
六度の打ち込みを囮として、真打ちを放つ。
「手を抜いていたのなら、勝てるはずないだろう」
その言葉と同時に、七撃目がインドラの首を跳ね飛ばした。
切断の直後、灰色の剣士がインドラの胴体を追い抜く。
飛ばされた首に追い付き、さらに縦一文字。
再生を許さぬ速度と正確さで殺された雷神は、今度こそ無念の形相を浮かべながら、大気に溶けつつ消滅した。
上空が爆発する。
何らかの力で無理やり集められていた雷雲が、さらに内側から発生した巨大な積乱雲……スーパーセルによって吹き飛ばされたのである。
雷雲の中心には、黄金の船の姿があった。
帆もなければ櫂も無い、のっぺりとした金属でできた黄金の船である。
それはスーパーセルに煽られると、力なく落下していった。
王都を外れた辺りに、轟音とともに墜落する。
「おお……なんと……なんということだ」
僧侶は顔面を蒼白にして呟く。
そんな彼の目の前で、灰色の剣士が剣を収めた。
剣士の背後に、白くて鼻が七本ある象がズドーンと落ちてくる。
すっかり出番がなくなってしまった象は、悲しげにパオーンと鳴いた。
かくして、アウシュニヤの歴史が語る。
民たちの前で、神殺しは成し遂げられたと。
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